日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

お正月らしさが無くなるCM

2007-12-31 20:38:10 | CMウォッチ
大晦日の今日、各地を襲ったのは「お正月寒波」だったようだ。
名古屋に近い中部国際空港では、強風のため欠航が数多く出、帰省客や旅行客を直撃したようだ。
と言っても、今回(も)帰省する予定が無かった私としては、テレビを見る時間の長い月曜日になった。
そのテレビを見ていて気がついたのだが、年々「お正月らしいCM」が減ってきているように感じたのだ。

定番の「おせちに飽きたらカレーもね」と言うCMは、昨年あたりからなくなったように思うし、コピー機のミタ(現在の京セラミタ)は企業業績の悪化と共になくなってしまった。
定番の「お正月を写そう」(富士フィルム)のテレビCMも、(放映はされているようなのだが)今年はまだ見ていない。

代わりに頻繁に見る「お正月らしいCM」となると、百貨店や大手スーパーマーケット、ショッピングモールなどの「福袋」CMだ。
コレは名古屋と言うか中京地区に限った傾向なのかもしれないのだが、この週末一番目に付いた印象があるのが、「福袋」と「新春バーゲン」だったのだ。

「福袋」は毎年行列ができるほどの人気商品だし、「バーゲン」も楽しみにしている人も多い。
「福袋」と言うのは一つの新春・初売りの縁起物だと考えると、改めてCMする必要があるのかな~と思うのだ。
それも、大手スーパーの初売りが元旦・9時となると大晦日~元旦までの時間が、日々の連続の2日間になってしまうような気もするのだ。

まぁ、考えてみればテレビ番組などは「紅白歌合戦」を始めとして、年末特別番組が組まれているのに、身の回りにあるコンビニエンスストアーを始め小売の多くは、年中無休になっている。
「おせち料理」を用意しなくても、食べるモノには事欠かない。
遊園地などでのカウントダウンを楽しんで、帰りに初詣に行き、帰りにコンビニで何か食べものを買ってくれば、十分お正月気分が楽しめるのだ。
もちろん、この時期海外で過ごす家族が増えつつある事は、お正月=長期休暇になっていると言うことなのかもしれない。

テレビCMに「お正月感」がなくなりつつある、と言うコトはある意味生活スタイルの大きな変化によるモノなのだろう。
だから無理に費用をかけて「お正月CM」を作る必要も無いのだろう。

ただ、そんなお正月に寂しさを感じるだけなのだ。



地味(で売れない)商品が突然ヒットする時

2007-12-30 20:17:22 | マーケティング
今日の讀賣新聞のWEBサイトに、チョット興味を引く記事が掲載されていた。
それが「2千台→4千台→5万台!…電気圧力鍋人気が急上昇」と言う記事だ。
私が初めて「電気圧力鍋」と言う商品を知ったのは、自炊生活を始めた20数年前だった。
当時は作れる料理のメニューも数少なく、毎月購読していた「きょうの料理」に広告が出ていたのだ。
「へ~、こんなモノがあるんだ・・・」と言う程度にしか思わなかったし、圧力鍋を使うようなお料理にも縁が無かった(と言うより作れるような技術も、作る必要も無かった)。
形も当時の炊飯器と似ていて、デザイン的には「なんだかな~」と言う印象があった。

それから年数が経ち、「圧力鍋」は主婦の間で密かに「欲しい商品」として名前が上がるようになってきた。
煮込み料理などが短時間で作れる=ガス代と料理時間を減らすコトができると言う理由で、人気になっているのだ。
もちろん、システムキッチンに置いても違和感の無いような、デザイン的に魅力的なモノが欧州のブランドを中心に多くなり、数人の友人がお金を出し合って贈る「結婚祝」としても、価格的に手頃と言うことも人気の理由になっているかもしれない。
もう一つ「圧力鍋」が人気になっているのは、最近の雑穀ご飯人気などの「健康ブーム」もあるかも知れない。
雑穀の分量が多くなればなるほど、どうしても炊飯器で炊くご飯はパサパサしてしまうのだ。
圧力鍋で炊くと、モッチリ感のある雑穀ご飯ができる。
小骨の多い魚は、骨ごと食べれるくらい柔らかくなるからだ。

それに比べると「電気圧力鍋」は価格的にも高く、どちらかと言えば料理メニューが多いベテラン主婦向きの商品と言える。
圧力鍋そのものを使いこなす事ができる主婦が、タイマーセットなどもでき炊飯器と同じ感覚で使える。
ただ、機能そのものはビギナー向きとも考えられるので、もう少しお手頃価格になると、一気に利用者層は広がるのではないだろうか。

それにしても、20数年余りヒットが期待できない商品をよく作り続けたものだ。
白物家電には、「ハ・タ・ラ・キ(ハ=はやく タ=楽しい ラ=ラク キ=キレイ)」機能が必要だと言われている。
その生活者のベネフィティング(=顧客利益)を考えれば、企業として作りつづける理由はあるとは思うのだが、企業として利潤を求めると言う点では「お荷物商品」だったと思うのだ。
時代が商品を必要とするまでの長い時間、よく我慢したものだと感心するのだ。



「偽」と「品」-今年のことば-

2007-12-29 21:48:30 | 徒然
今日あたりから、故郷や観光地で年末・年始を過ごす方も多いだろう。
テレビや新聞などでは、「今年の10大ニュース」が登場する。
と言うわけではないのだが、拙ブログでも少し気になった事を振り返ってみたい。
ニュースと言う視点はマーケター的ではないと思うので(と、勝手に思っているに過ぎないのだが・・・)、今年よく見かけた「ことば」から振り返ってみたい。

今年一番売れた書籍は「女性の品格」だったらしい。
今月にはその続編「親の品格」が書店に平置きされていた。
この新書の「品格」タイトルブーム(といってよいのだろうか?)は、昨年ヒットした「国家の品格」から始まったような気がするのだが、「品格」と言うタイトルがつく本が話題になればなるほど「今」と言うコトを考えさせられた。

その「今」を感じさせたのが、企業が起こした様々な「偽造」だろう。
一昨年の「耐震偽装」は、今年は大手ゼネコンが建設している高層マンションにまで及んでいた。
一昨年起きた「偽装事件」は、一体なんだったのだろう?と、考えさせられてしまった。
他にも「食品偽装」は後を絶たず、その「偽装内容」原材料の偽装から製造年月日など、手を変え品を変え利益追求ばかりを求めた「企業エゴ」が引き起こした事件だった。

「企業エゴ」どころか、政治家や官僚の組織ぐるみの「自分たちさえ良ければ、関係ない」的発想の「偽り」が発覚したのは「年金問題」だったり、「政治資金の不正使用」だった。
「公僕」と言う職務のはずなのに、その職業意識は地に落ちたような事件ばかりが目立った。

もう一つ「偽り」があったとすれば、サブプライムローン問題も同じかもしれないし、原油や穀物類の高騰の原因となっている「投機」も、実質的な価値ではなくマネーゲームが生み出しているコトなのではないだろうか?

「偽り」が問題になるから「品格」が、注目されると言うことなのだろうか?
この二つのことばを至る所で見聞きした1年だったような気がする。
「衣食足りて、礼節を知る」と言うことわざがあるが、「衣食足りても、欲は果てず」と言う1年だったのかもしれない。



自転車も携帯禁止-便利と言う不便さ-

2007-12-27 22:46:59 | 徒然
暫く前から、思っていたことがあった。
それが、自転車に乗りながらの携帯電話利用だ。
朝の通勤時間帯だけではなく、休日の朝早い時間帯に高校生と思われる男の子が猛スピードで、歩行者の脇や目の前と突っ走り去っていく時がある。
そのたびに「ヒヤリ!」とするのだが、過ぎ去っていく男の子は「そんな事、知りません」と言うか、「気が付きません!!」と言う感じなのだ。
よくよく見ると、男の子の手元には携帯電話がシッカリと握られている。
周囲が見えなくて当然と言えば当然といえるのだが、「それほど急ぐ用事があるの?」と聞いてみたくなる瞬間でもある。

最近静かにブームになっているらしいのでは?と感じる一つに「自転車・サイクリング」がある。
数年前から書店に行くと「サイクリング雑誌」が、野球やサッカーなどのスポーツ雑誌と並んで置かれている。
主に「スポーツサイクル」と呼ばれる、自転車愛用者を対象とした雑誌なのだが、オフロードサイクルなどや「通勤に自転車」と言う内容も組まれている。
「エコロジー」や「LOHAS」などへの関心と共に、自転車も注目されているのだ。

高校生の自転車と、最近の自転車ブーム(と言うほどではないが)の本質は大きく違うのだが、利用者の「携帯電話が手放せない指向」は変わらない。
大声で携帯電話を電車内で話す人たちは、メール機能や通信ゲームなどの充実により、激減をした。
その結果、周囲を気にすることなく「自分の世界に没頭する」人たちが、増えたことも確かだろう。
「周囲が見えない人たち」が増えたともいえるかもしれない。
そんな心配が、現実のものとして事故が起きている。
そのような事故を受け、警察庁、交通ルール見直しと言う動きがあるようだ。
自動車運転中の携帯電話の使用禁止となって、2、3年にはなると思う。
だが、今だに運転中の携帯電話使用者は、至る所で見かける。
今回の「自転車の交通ルール見直し」は、自転車利用者の危険を減らすコトを目的としているようだが、自転車も時には加害者になると言う意識を持つ時代が来ているように思うのだ。

携帯電話は「いつでも・どこでも連絡ができる」と言う、利便性を生活者に提供した。
大型トランシーバーのような形態から、手のひらサイズ・軽量化になり、そして利用料金の低価格化によって、一気に利用者が増えた。
反面、「携帯電話」に束縛されているような気がするのだ。
自転車に乗っている時に、携帯電話で話す(メールをする)必要があるほど、緊急な用事と言うのは長い人生の内でも余りないはずなのだ。
なのに、携帯電話がないと不安になってしまうと言うのは、便利に縛られた不便な生活なのではないだろうか?

Wiiという商品

2007-12-26 20:57:06 | マーケティング
今日の日経新聞のWEBサイトに家庭用ゲーム販売最高に・Wiiなど、女性や高齢者つかむと言う記事が掲載されていた。
今年のヒット商品上位には、任天堂の「ニンテンドーDS」と「Wii」が、ランクされていた。

「ニンテンドーDS」と「Wii」は、それまでのゲーム機の市場を拡大させただけではなく、「ゲーム機」と言う商品の持っている可能性を広げた商品でもある、と考えている。
「ニンテンドーDS(以下「DS」)は、携帯ゲーム機という枠を超え「脳活テキスト」や「お料理本」、最近では「名作」と呼ばれる本まで読まれるような「携帯機器」となってきた。
その商品ポジションがあるとすれば、「DS」としか言い様がない。
「DS」と言う商品であり、カテゴリーのモノなのだ。

同様に「Wii」も、ゲーム機でありながらそれまでの個人で遊ぶとか、RPGのような対戦形式ではなく、家族や友だちと一緒に遊べる「ファミリー・エンターティメント」と分野を創りだした。
もちろん、「ファミリー・エンターティメントゲーム」と呼ばれるゲームは、それまでもあった。
「人生ゲーム」などは、その代表的なモノだろう。
他にあったものは、トランプくらいで「ゲーム」そのものが「家族の中心」にはなかったように思う。

それが時代とともに、トランプなどの手軽な家族で楽しめるモノは人気がなくなり、代わって登場したのがゲームセンターなどにある「ゲーム機」だった。
ゲームセンターの利用者は、あくまでも家族向きではなく若者のための場所であった。
その家庭版として登場したのが「ファミコン」だった(この「ファミコン」市場を牽引したのも任天堂だ)。
そのゲームセンターや「ファミコン」で10代を過ごしたことのある世代が、家庭を持つようになり「ゲーム」そのものが「家族で楽しむ」と言う素地があったのだ。

そして「Wii」がこの秋「Wii Fit」と言う、健康管理+ジム機能を備えたゲーム機を投入した。
このことによって、「Wii」もまた、「Wii」と言う特有な分野を創りだしたとも言えるのではないかと思うのだ。
「DS」や「Wii」のように、それまでにない市場を創ってしまうと他の企業が後発として参入しても、その優位性は変わらない。
そこに、任天堂の強さがあるのではないだろうか。

そのためには、常に生活者に注目する必要があるだろうし、何よりも「自由な発想・失敗を恐れない社風」が、必要なのではないだろうか。
もちろん、任天堂の創業がトランプなどの「ファミリーゲーム」だったと言うことも、成功の一因なのかもしれないのだが・・・。

「生協」にみる生活の変化

2007-12-25 20:35:46 | マーケティング
今日の朝日新聞のWEBサイトに生協、個配の時代 都市で急増、班配達抜くと言う記事が、掲載されている。
マーケターとして「生協」と言う小売形態は、イマイチ分からない感がある。
と言うのも、生協の組合員は顧客でありながら、商品開発や運営(=経営)方法に参加しているからだ。
その意味で、マーケティングそのものと関係のない(ように思える)形態だとも言える。

とはいっても、生協そのものも時代の変化に伴い販売形態も大きく変化してきている。
その一例が、店舗展開だろう。
「生協」と言うと、記事にあるような「班配達」と言う数人の利用者グループを作り、共同購入をすると言うのが一般的だったし、今でも「生協=班配達」というイメージが強い。
しかし、現在では店舗展開などもしており、我が家の近所にも「生協のお店」がある。
利用者は、生協の組合員に限られているのだが、見た目はごく普通のスーパーマーケットだ。
今から15年程前、マーケティングの研修で「コープこうべ」へ視察に行ったことがあるのだが、商品企画などの生協らしさと全国展開をしているスーパーと何ら変わない店舗という2つの顔をもっていた。
店舗には食料品だけではなく、衣料品やスポーツクラブなどがあり、大手銀行系とのジョイントクレジットカードなども発行していた。

「コープこうべ」は、日本の生協発祥の地とも言われるだけに、組合員数や売上規模など、大手スーパーを遥かに凌ぐモノがあった。
それだけではなく、日本の生協スタイルを作りあげたと言っても良いほど影響力がある。特に生協組合員の声で、商品企画・開発がされるという方法は、大型スーパーの「自社ブランド開発」の基となっていると考えている。

もう一つ注目したいのは、生協の利用者の変化だろう。
と言うのも、生協利用者の多くが幼稚園入園前のお子さんのいる家庭だからだ。
子供の成長とともに主婦の時間が増え始めると、生協の利用は減っていくと言われている。
そして再び利用が増えるのが、高齢者世帯となった時なのだ。
(地域全体の)高齢化に伴い、食料品や日用品の買い物に支障がおきるようになると、自宅まで配達してくれる生協は、便利な存在となるのである。
すなわち、多くの人たちが思っているような「割高でも安心・安全な食品の提供」と言うのは、利用者にとって第一の理由ではないのかも知れないのである。
事実、今年問題となったミートホープ社の「偽装ミンチ」は、生協の「牛肉コロッケ」に使われていた(生協が悪いわけではないが、この事件によって「生協ブランド」のイメージが大きく損なわれたのは、確かだろう)。

組合員以外からみる「生協」は、どこか堅苦しく「よく分からない」気がするのだが、一つの小売形態・業態としてみた時、生活者との関係が深いだけより「生活の変化」が分かるのではないか?と感じている。

方向転換には何が?-薬害肝炎訴訟-

2007-12-23 22:10:07 | 徒然
今日、突然福田首相が「議員立法で一律救済」表明をした。
これまで他人事のようなコメントばかりしてきた福田さんが、一変方向転換には何があったのだろう。
どこか不自然と言うか、選挙目当てでなければ良いのだが・・・、という勘ぐりをしたくなる。

福田さんは、「総理としての指導力を示す」ために「新テロ特措法」成立にこだわってきた。
福田さんだけではなく、与党も野党も「新テロ特措法」を、国会の焦点にしてきたとも言える。
生活者の多くは、毎日のように報じられる生活必需品の値上げラッシュや年金問題、そしてこの「薬害問題」に関心を持ってきた。
そのズレ感が、政治への不信となり、支持率の低下を招いたとも言えるのだ。
やっとその事に、気がついたと言うことなのだろうか?

今回の「薬害C型肝炎」の問題は、裁判所が政治家に「政治決着をしなさい」と言うボールを投げていた。
その投げられたボールを受け取るでもなく、逃げていたように感じていたのは原告だけではなく、多くの生活者が感じた「この人たちに、任せられるのだろうか?」と言う不安を抱かせた。
そればかりではなく、薬害問題の発端となった「HIV訴訟」での対応の遅れと背景にある製薬会社や厚労省の官僚、検討委員会の主要メンバーである大学教授などとの関係に、不信や疑念を持たせ、今回の「C型肝炎訴訟」でも同じような構図を見せられたのだ。

上述したように、今回の方向転換の大きな理由が「選挙」だとか、「内閣の信頼回復」などではないことを願っている。




基準を変える時-将来のために発想転換-

2007-12-22 21:44:13 | 徒然
今日、グッドウィルが事業停止命令を受けた
「日雇い派遣」の会社として事業を拡大してきたが、むしろ企業名を有名にさせたのは西武球場のネーミングライセンスの取得だったと思う。

このグッドウィルと言う企業を率いていたのは、この春問題になった「訪問介護企業・コムスン」折口さんだ。
折口さんは、バブルの頃「ジュリアナ東京」を仕掛けた人物でもある。
お立ち台で羽扇子、超ミニボディコンで踊り狂う若い女性たちの姿は、ある種時代を象徴していたように思う。
その折口さんのはじめたビジネスが、今年次々と「業務停止・事業停止」によって市場から淘汰されようとしている。

グッドウィルの人材派遣は、昔なら「口入屋」とか「手配師」と言われるような仕事と言っても良いだろう。
その延長線上のような感覚で訪問介護を考えていたように思えるのだ。
そこには、「(仕事を依頼する企業も含めて)人を物のような感覚で使う」と言う印象がある。
今年数々と発覚した企業の「偽装問題」も、同じような発想があったのでないか。
その背景にあるのは、「お金に基準を置いた発想」があるように思えてならない。

企業イメージアップのために、スポーツのスポンサーになることは有効な方法だ。
しかし今の生活者は、イメージだけで企業を判断するわけではない。
その企業がどんな企業なのか?どんな意識で社会や生活者と関わりたいのか?そんなコトを、注意深く見ているのではないだろうか?
企業が利潤を追求することは、決して間違いではない。
むしろ、企業命題だと言っても良いだろう。
だが、その利潤をどのように得て、使うのかと言うことにも生活者は注目しているのだ。

2、3年前から「企業は誰のものか」と言うコトが、盛んに言われるようになってきた。
そのキッカケとなったのは、ライブドアの堀江さんだったり、「モノ言う株主」こと村上ファンドの村上さんだった。
その頃から企業は、株主の顔を伺うような風潮が起こり始めたように感じる。
そろそろ、シッカリと軸足を地に付けて、社会全体を見回して、将来の企業の姿を示すような企業(当たり前だが、政治や行政・官僚も)基準に、変える時がきているのではないだろうか?





平和な日本の年末-政治家のみなさんのUFO談義-

2007-12-21 21:19:44 | 徒然
今週、新聞の一面を賑わしたわけではないのに、多くの政治家のみなさんが「興味を持っていた」と言うことが分かった話題がある。
それが「UFO談義」だ。
コトの始まりは、町村長官「UFO絶対いる」 政府公式見解に「異議」だった。
その後、現防衛大臣も加わり今日になって担当(と言うべきなのか?)UFO対処「検討することに…」防衛相発言受け空幕長空幕僚長がコメントを出している。

私にとっての「UFO」と言うのは、子供の時にテレビの映画番組で見たH・G・ウェルズの「宇宙戦争」だ。
もしくは、矢追純一さんのテレビ番組だ。
60年代後半~70年代は「宇宙の時代」と言うか、宇宙そのものにロマンスを感じていた時代でもあったように思う。
少女漫画家・萩尾望都の一連の作品などが話題になったのも同じ頃だ。

だからと言って、政治家のみなさんがこんなに興味を持っていたとは思いも寄らなかった。

テレビニュースなどでこの一連の話題を、嬉しそうな顔をしながらコメントする政治家のみなさんを見ていて、「平和な日本」と言うコトを感じている。
それとも、多くの政治家のみなさんはロマンチストなのか?
それだけのロマンチックな想像力を、生活者に少しは向けてくれれば・・・と、しみじみと思う。



予算立ての発想を変えてみては?-省庁の無駄遣いと国益-

2007-12-20 22:05:49 | 徒然
今日の新聞各紙に、一般会計83兆円 新規国債小幅減 予算財務省原案が掲載されている。
「選挙目当てのばらまき予算」などと言われているが、ここでもう一度「予算」そのものについて考えてみてはどうなのだろ。

この予算をざっくりと見ていると、「高齢者医療」など予定されていた生活者の負担増が一見見送られたように思えるのだが、それよりも毎年問題になる「官庁の無駄遣い」の見直しは一体どうなっているのだろう?
普通の家庭では、限られた収入で何とかやりくりをするために、「無駄遣いの洗い出し」をしている。
事実、主婦向け雑誌の多くには「やりくり食費の節約術」などが、毎月のように特集されている。
ところが、官庁の無駄遣いとなると果たしてどうなのか?

政府予算というのは、ある程度決まった税収と言う「国の収入」からそれぞれの、省庁という費目に予算が振り分けられる事だろう。
その管理をしているのが、財務省だとすれば財務省がまず取り組まなければならないコトは「無駄遣いの見直し」であり、「無駄遣いをさせないコト」なのではないだろうか?
外国為替資金特別会計から一般会計への繰入額が、前年度から2千億円増える理由として「米国債などからの利益が多めに見込める」などと言っているが、「サブ・プライムローン問題で世界から信頼を失いつつあるドルに、利益が多く見込めるなんて本当なの?」と思わざる得ない、収入アップを見込んだ予算を立てているような気がするのだ。

何よりも先日、「薬害C型肝炎和解」を拒否した原告団の患者さん達の「生きる権利」などを軽んじて、自分たちの無駄遣いを見直す事もしないと言うのは、「違うんじゃない」と言う思うのだ。
自分たちの権利・利権だけは大切だけど、それを支えている税金を払っている生活者の権利・利益は関係ないという印象しかもてない。
これでは「権利を主張すれども、義務は果たさず」と言う気がする。

「国益」と言うことばがあるが、「国益」=「自分たち(省庁)の利益」だと思っているだろうか。
私などは「生活者(=国民)の利益」だと思うのだが、政治家のみなさんも官僚のみなさんにとっても「国益」とは、「自分たちのための利益」と言うコトなのかもしれない。