日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「低迷する日本経済」を示す一例か?

2023-03-31 21:43:47 | アラカルト

日経新聞のWebサイトを見ていたら、「今更?でもやっと?」という記事があった。
日経新聞:東証、低迷日本株に警告 FBR1倍割れで改善策要請

いきなりFBRなどという言葉が登場するのも、日経新聞らしい。
まずこのFBRという意味について、理解をする必要があるだろう。
日本取引所グループ(JPX)用語集:株価純資産倍率 

「株価の相対水準を示す指標の一つ」で、「投資判断指標の1つ。株価を1株当たり純資産で除したもので、株価が1株当たり純資産の何倍まで買われているのかを示すもの」ということのようだ。
この数値が低いということは、株価としての魅力が無い(と言っては乱暴だが)ということになる(のでは?と解釈をした)。
株価が企業の力を示す物差しの一つだとすれば、日本の上場企業の多くが「株価として魅力のない企業になっている」ということになる。
違う言い方をするなら、東証一部に上場している企業でさえも、日本企業は投資先として魅力が無い、ともいえるのでは?

投資先として魅力が無い、ということは株式市場での資金調達が難しい、ということでもある。
資金調達が難しいとなれば、新規の設備投資や新規事業などが難しくなる。
企業そのものが縮小していっている、とも考えられるのではないだろうか?
それを「本業を大事にして堅調である」と考える方もいらっしゃるかもしれないが、このような状況が続けば企業そのものが株式という市場から、相手にされなくなってしまうのでは?という、懸念も出てくるはずだ。
だからこそ、東証が改善策を要請したのだ。

もう一つは、株価ではなく企業そのものが持っている技術やブランド力のようなものに価値を見出した、海外の企業が買収などに乗り出すという可能性もある。
このような状況になった時、買収先の企業が日本企業に厳しいリストラ策を行ったり、技術などだけを取得し「空洞化した企業」に陥る可能性もゼロではないだろう。
世界的に見て、まだまだ日本企業が有している技術や開発力に魅力を感じている海外の企業はあるのでは?と、感じているからだ。

問題なのは、その魅力的な技術や開発力を「市場の需要」にマッチさせていない、ということなのでは?という、気がしている。
拙ブログで何度か取り上げてきた「半導体」にしても、技術そのものはありながら「その半導体を使ってどんな将来像を描くのか?」という、部分が抜け落ちていたのでは?という、印象を持っている。
高度成長期のように「良いものをつくれば自然にものは売れていく」という「ものづくり神話」に、とらわれ過ぎた結果「市場需要=生活者が欲しいモノ・コト」を理解しようとしてこなかったツケが、今の日本企業の弱さのようにも思えるのだ。


Lookismという外見主義とビジネス

2023-03-29 20:59:03 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら「まだまだ外見主義(=Lookism)が標準なのだな~」という、記事があった。
朝日新聞:アイドルが「ダイエット義務を果たさず」賠償を求めた芸能事務所が敗訴 

まずこの見出しで気になったのは「ダイエット義務を果たさず」という部分だ。
少なくとも、掲載写真で見る限り元アイドルの女性は、ダイエットを必要としているとは思えない体格だ。
これ以上ダイエットをしたら、逆に病気になってしまうのでは?という気がしてくる。
反面、まだまだこのような若い女性に「痩せている=キレイ」という価値観が、芸能界という業界に残っているのだな~という、印象も持った。

おそらく10年位前からだと思うのだが、フランスの「パリコレ」に出演するモデルたちの体形について、問題視されたことがあった。
パリコレなどに出演するモデルの多くが10代後半という若い女性で、デザイナー側が「やせた体格の女性を求める傾向が強いために、極度なダイエットをしなくては、パリコレの舞台に立てなくなる」という、強迫観念のようなものが植え付けられ、それが原因で拒食症などの病気になってしまうモデルが出るなど問題視された。
Huffpost:痩せすぎモデルの活動は禁止、ファッションの中心地フランスで法律施行 画像修正も… (2017年5月8日掲載分)

この記事が掲載されたのが、2017年なので6年前の話になる。
それよりも10年ほど前から、フランスのファッション業界では若いモデルの摂食障害により亡くなるという事件があり、問題視されていた。
AFP:拒食症に苦しんだ元トップモデル、ファッション業界の闇を暴露

年若いモデルにとって、パリコレのランウェイを歩く、というのは憧れだけではなくトップモデルになるための重要なステップでもある。
だからこそ、チャンスをものにする為にダイエットが必要と言われれば、ダイエットをすることに躊躇しない。
それこそ、命がけのようなダイエットさえやってしまうのだ。
そのようなことがあり、まだまだ「やせ型=キレイ信仰」が無くなったわけではないにせよ、極端に痩せたモデルの起用は減ったような印象がある。
と言っても、十分に痩せ型体形のモデルたちであることには、代わりない。

その後、女性たちの「美意識」の変化もあり「痩せている=キレイ」ではなく、「健康的=キレイ」という価値観になりつつあると、感じていた。
しかしながら、まだまだ日本のアイドルの世界は違っていたようだ。
せっかく、渡辺直美さんのようなプラスサイズの素敵な女性が登場し、良い意味での話題をつくり社会から「体形」というイメージを変え始めていたのに、現実には変わっていなかったということなのだろう。

もう一つ、考えなくてはならないのは健康面という点だろう。
上述したような「拒食症」に代表される「摂食障害」という病気という点だけではなく、成人後の病気にも大きく関わってくるということだ。
50代くらいの方なら、健康診断で「20歳の頃の体重からどれくらい増加したか」という設問がある事に気づかれると思う。
実は、20歳の頃の体重から10㎏以上増加すると、成人病を含む様々な病気リスクがある、という指摘がされているのだ。
女性であれば、乳がんリスクが高いと言われている。
国立がん研究所:20歳時体重、成人後の体重の変化と乳がん(PDFファイル) 

このような病気リスクを考え、アイドルやモデルを起用しなくては、今後企業のイメージが下がってしまう、という可能性がある事を企業は知る必要があると考えている。
何故なら、生活者がテレビCMなどを通して見るアイドルやモデルの姿が、その時代のアイコンとなる存在だからだ。
特に、若い人たちにとってその影響はとても大きい。

今回の敗訴内容は、「ダイエットを怠った」という理由ではなく、雇用契約に関する判断だったようだが、いつまでも「痩せている=キレイ・可愛い」という「古いLookism」という価値観を芸能事務所が持っているとすれば、それは時代遅れであると広告を出す企業側が指摘する時代になって欲しい、と思っている。


日本経済の厳しい現状

2023-03-28 20:54:37 | アラカルト

今日、2023年度(令和5年度)予算が成立した。
朝日新聞:過去最大114腸炎の新年度予算成立 首相の解散判断が今後の焦点に 

予算規模が過去最大ということだが、問題なのはその内容ということになるだろう。
「予算が成立したから、さあ解散」と勢いこんで、衆議院を解散されても選挙民としては困る。
何故なら、予算がどのように使われたのか?という検証をしたうえで、今後の政治を考える事が重要だと思うからだ。
そもそも、ここ10年余りの間で衆議院の解散・総選挙の回数が多すぎる気がするのだ。
任期期間である4年間を全うした、衆議院議員はどれくらいいるのだろう?と、疑問に感じるのだ。
当然、解散・総選挙となれば、その為に税金が相当額使われる。
腰を据え、じっくり政治を行って欲しい、と思うのは間違いなのだろうか?

確かに、日本の政治は戦後ほぼ「自民党政治」であった、と言っても過言ではないと思う。
現在は与党の中に、公明党が加わってはいるが、自民党側からすれば「確実に票読みができるパートナー」程度にしか、思っていないのでは?という、気がしている。
実態はどうであれ、そのような印象を持っている、ということなのだ。
もちろん「自民党政治の方が、政権が安定しているので安心できる」と、考えられる方もいらっしゃるだろう。
そのような考えを持たれる方が多いからこそ、自民党は長い間、政権をとることができたのだ。

ただ、その「自民党政治」そのもので大丈夫だろうか?という、不安もある。
上述したように、今日2023年度の予算が成立したのを受け、日経新聞が興味深いデータの記事を掲載している。
日経新聞:財政改善は世界に遅れ 日本の赤字は微減・欧米は半減 

このデータは「新型コロナ」の世界的流行により、経済が停滞した時点と現在の財政の比較ということになっている。
確かに、欧米は「Withコロナ」への舵を切ったのは、日本より随分早かった。
だからこそ、現時点で半減した、ともいえる。
逆の見方をすれば、日本が「Withコロナ」への方針転換が遅かったから、財政赤字が微減にとどまった、とも読み取れる。
だが、本当にそれだけだろうか?

例えば、日本の平均的賃金はここ30年間諸外国に比べ、低迷し続けている。
「賃金が増えない=購買意欲の減退=モノが売れない」という、悪循環がここ30年間続いている、ということでもあるのだ。
その間に日本の経済力は低下し続け、官民事業と呼ばれた半導体や有機EL事業などが、世界市場で負け続けている、という状況にもつながっているのでは?という、気がしている。
NHK News:JOLEDが民事再生法を申請 負債総額337億円

「世界市場が見えていない。市場ニーズに合っていない」などの理由もあるとは思う。
それにしても、かつては日本のモノづくりの得意分野とも言われた分野での一人負け状態が続いている、という現状は市場との問題だけではないような気がするのだ。
このような経済や市場状況の中で、過去最大の予算額と言われても、何となく納得できないでいる。
予算額ではなく、予算の配分とその目的となる内容が、今必要とされているモノなのか?ということの方が、重要なのではないだろうか?
今のままでは、赤字ばかりが増え続ける財政になってしまうような気がしてならない。


WellbingとHappiness

2023-03-26 22:00:32 | ビジネス

最近、新聞のWebサイトなどを見て、頻繁に目にする言葉がある。
その一つが「Welling」だ。
日本語にすると「幸福」という意味になる。

「幸福」という英語で思い浮かべるのは「Happiness」という方も多くいらっしゃるのでは?
この「Wellbing」と「Happiness」については、随分前から「これからの社会に求められるもの」として、言われてきた言葉のような印象を持っている。
私が初めて「Wellbing」という言葉をビジネス雑誌で目にしたのは、20年ほど前だったと思う。
当時のネスレ日本支社の社長となられて方が、「これからのネスレが目指すのは、Wellbingである」と、あるビジネス誌のインタビューで応えられていたからだ。
その時のインタビュー内容から「よりよく生きる」という、生き方としてのビジョンのようなものを指しているのだな~と、受け止めていた。

その後、同じビジネス誌で「幸福論」という特集が組まれた。
その時に使われていたのが「Happiness」だったのだ。
特集の内容から「心の充実」というニュアンスなのでは?と、理解した。

同じ「幸福や幸せ」という意味の英語ではあるが、そこに含まれている意味や意図は微妙に違う。
「wellbing」には「生き方」のようなニュアンスがあるのに対して、「Happiness」には「心の充足感」という意味を含んでいる。
おそらく、日々の生活で充実をしていると感じるのは、この2つに対する満足度が高い、と感じられた時なのではないだろうか?
もちろん、個人個人の生活に対する価値観や現実的問題というモノがあるため、全てにおいて満足度が高い生活をしている、という生活者はほとんどいないのではないだろうか?

ただ、生活者が求める「より良い生き方とは何か?」ということを知る事は、ビジネスに限らず行政であっても必要なことだろう。
何故なら、その上に「心の充足感」というモノが加わるからだ。
しかも、この2つは時代の価値観によって、大きく変わってしまう。
例えば今の日本について考えれば、まず必要なことは「経済的な安定」を求める人は多いのではないだろうか?
かつてのような「大企業に定年まで勤めあげれば、安定した年金生活ができる」という時代ではない。
今現在の状況は、例え正規雇用であっても、日本の場合30年近く、実質賃金が減っているという指摘がされている。
そしてこの30年間で増えたのは「非正規雇用者」であり、「非正規雇用者が増える」ということは、経済的不安定な人達が増えたということでもあった。

この現実に対して、企業が「Wellbing」だの「Happiness」を提供する、と広告で謳ったとしても生活者の心には響かない。
その意味では、広告そのものがとても打ちにくい時代だと感じているし、企業が小手先のモデルチェンジを新製品として謳ったとしても、生活者に伝わらないという気がしている。
広告業そのものも、一つの岐路に立たされているというのが今なのではないだろうか。
と同時に、この2つの言葉の中に「今の生活者が抱えている本質的問題」が、隠れているような気がしている。



日本が世界のファッション界に与えたもの‐クリスチェン・ディオール夢のクチュリエ展‐

2023-03-25 21:23:12 | アラカルト

日経新聞のWebサイトを見ていたら、現在東京で開催されている「クリスチェンディオール 夢のクチュリエ展」の記事があった。
日経新聞:「クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ展」に見るディオールと日本の絆

クリスチャン・ディオールと同じ時代にパリのファッション界を席巻したのは、ご存じの方も多いココ・シャネルだ。
この二人のファッションデザイナーは、生まれも育ちの対極的であったと言われている。
比較的裕福な家庭で生まれ、育ったディオール。
孤児として修道院で育てられた、といわれているシャネル。

この二人に共通するのは「エレガント」ということになるのだが、シャネルは一貫して「働く女性の為の服」を目指していたのに対して、ディオールは富裕層のマダムが顧客だった。
シャネルが「働く女性の為の服」を目指していた、というと「普通の働く女性が手に取れるような値段ではない」と、言われると思う。
もちろん、価格は相当高額で日本の働く女性が購入できるものではないことは、身を持ってわかっている。
シャネルが目指したのは、それまで男性の服地とされてきたツイードやスポーツ着の素材であったジャージなどを、ファッションに取り入れたという点で「働く女性が動きやすく、丈夫な服作り」ということだった。
ちなみに、パリのホテルリッツで生活をしていたシャネルが亡くなった時、クローゼットにはシャネルスーツが3着ほどしかなかった、と言われている。

ディオールが戦後発表した「ニュールック」以降、ファッション業界では「ディオールがどれくらいの生地を使ったのか?」ということが話題になるほど、シルク生地をたっぷりと使い、女性らしいからだのラインを描き出すようになる。
「生地をたっぷり使える=経済的な豊かさ」が求められるような、ファッションでもあったということだろう。
そしてディオールは、戦後の日本でいち早く「ファッションショー」を開催している。
これは、百貨店が主催する「受注会」の一環のようなものであったのだと思うのだが、同時に百貨店内に「サロン」を開く。
面白いのは「ファッションショー」で披露された洋服を見て、洋裁学校などで型紙を起こしそれが雑誌などで紹介をされたことだろう。
その中心となったのは「装苑」や「ドレスメーキング」という雑誌だったはずだ。
特に「装苑」を発刊していた文化服装学院は、その後川久保玲さんをはじめとする1970年代から現在に至るまでパリのファッション界で活躍をしているデザイナーを輩出するコトになる。
その視点で考えれば、ディオールが日本のファッション界に与えた影響というモノは、多大なモノであった、ということが分かるはずだ。

素材としての日本の織物技術の高さがあったからこそ、ディオールのファッションの華やかさが表現された、という指摘は間違ってはいないだろし、それは明治から続く日本の織物技術や刺繍などの手仕事の緻密で控えめな美しさがあってのことだろう。
そう考えると、日本は「経済の低迷」によって、日本が長い時間かけて創ってきた美的技術を合理性や効率という言葉で、切り捨ててきたのでは?という気がする。

ちなみに、動画にある上皇后・美智子様がご成婚時に着られているローブデコルテをデザインしたのは、ディオールのデザイン室にいた20代のイブサンローランだった。

 


日本はどこへ向かうのか?‐海外から買いたたかれる?日本‐

2023-03-24 20:06:21 | ビジネス

「コロナ禍」で、何となく経済全体の話題が、減っていたような印象を持っている。
その経済の話題が突然クローズアップされたのは、おそらく昨年の「円安」だったのではないだろうか?
「新型コロナ」の世界的感染拡大のために、経済そのものが世界的に停滞していたように思う。

それが、ワクチン接種だけではなく、「withコロナ」という考えに舵を切った欧米各国が、「コロナ禍」によって停滞していた経済活動に刺激を与えるために、金利を上げるなどの経済政策を行ったことで、日本の円は急激な円安になってしまった。
それでも、日銀をはじめ政府そのものは国内の経済政策に手を付ける、ということが無く時間だけが経過する、という状況になった。
ここ1ヵ月ほどの間で、米国・シリコンバレーの銀行破綻やスイスのクレディ銀行などの経営問題が浮上したことで、一時期円が高くなるという状況にはなったが、「安い円」という状況が続いていると言っても良いのでは、ないだろうか?

そんな経済状況の中、「海外から買いたたかれる日本」という話題も、目にするようになった。
朝日新聞:ニセコへ流れる海外富裕層マネー「日本の中の外国と弱い円の功罪 

もちろん、日本の不動産に目を付け、不動産を購入する外国の人たちは、以前から多かった。
特に、記事にある北海道などでは、中国人をはじめとする海外の富裕層が積極的に不動産購入をしている、という話は「コロナ禍」になる前からあり、一部の人たちからは「外国の人が日本の不動産を購入できないようにするべき」という、声も上がっていた。
その理由の一つが、「水資源」だった。
ニセコに限らず、自然豊かなリゾート地周辺には「水資源」となる場所が、数多くあると言われている。
そのような「水資源」を外国の人たちが所有することで、日本人が得られる「豊かな水資源を失う」という、懸念というか危機感を持った人達が、再三指摘をしてきている。

そもそも国土保全という観点から考えた時、自然豊かなリゾート地はある種の国土保全の価値が高い場所、という考えもあるはずだ。
豊かな自然林などがある事で、水資源が守られ、その水資源によって農水産業が支えられている、
リゾート地だけではなく、その周辺地域に与える影響が大きい、という指摘であり、複数の産業にかかわる問題につながる、という指摘だ。

そのような指摘を知ってか知らずか?日本は「インバウンド」という「観光」の名のもと、海外からの不動産投資を規制することなく動いてきた。
結果として、ニセコのような「日本でありながら外国」というような場所が、出来上がってしまった、ということなのだ。

そして「国土」だけの問題にとどまらず、日本が得意とされてきた「モノづくり」に関しても、同様の状況になりつつあるのでは?という気がしている。
シャープが経営不振に陥った時、救済のために手を挙げたのは台湾の半導体メーカーだった。
元々は、日本のメーカーの下請けのようなカタチで、大きくなった海外の企業に飲み込まれたような救済劇だった。
シャープの場合、結果オーライになったが、そのような企業ばかりではない。
アパレルのレナウンなどは、見る影もなく市場から消え去ってしまった。
M&Aon-line:レナウンだけではない、中国企業に買収された日本企業とその後は? 

日本で経済の話題となると、トヨタ自動車などの販売台数注目されることが多いように感じるのだが、実は「海外から買いたたかれる日本」という現実を、受け止める時期にきているのではないだろうか?
「勝ちしゃもじ」を持って、ウクライナに電撃訪問をすることも大事だったかもしれないが、この30年間放置し続けた日本の経済政策に本腰を入れないと、ますます「買いたたかれる日本」になってしまうのではないだろうか?


スポーツが社会に与えるもの‐WBC優勝から見えてくるもの‐

2023-03-23 19:15:17 | スポーツ

昨日のTwitterでのトレンドワードに、「#病院の待合室」がランクインしたという話題があった。
他にも「#中日ドラゴンズ(または#中日)」というワードも上がっていたようだ。
理由は、ご存じの通り昨日の朝、米国のマイアミで行われたWBCの優勝決定戦だ。

「病院の待合室」というのは、来院した患者さんや付き添い家族の方々が、待合室に置かれているテレビがWBCの試合中継を流していたため、診察が終わった患者さんたちが帰ることなく、試合中継を見守りその状況は、テレビ放送の黎明期の「街角テレビ」でのプロレス中継以上の盛り上がりだったことからtweetされたものだった。

もう一つの「中日ドラゴンズ(または中日)」というのは、WBCの開幕前に行われた練習試合で日本代表チームが唯一負けた対戦相手が、中日ドラゴンズであったため、「もしかしたら、日本代表を負かした中日ドラゴンズは世界一?」ということで、tweetされたということのようだ。

試合結果については、ご存じの通りで3‐2で日本が優勝。
優勝だけでも、凄いことなのに、WBCが始まってからどんどん「にわか野球ファン」が増えていった。
その状況は、昨年のサッカーW杯以上の盛り上がりを見せたのでは?という、印象を持っている。
というのも、WBC開催期間中、Twitterの話題の多くがWBCになっていたからだ。
tweetされている方を見ると、大活躍をした大谷翔平選手の親世代の女性たちが、とても多かった。
彼女たちは「にわかだけど…」と前振りをし、WBCのtweetをしていたのが印象的だった。
「例えミーハーと呼ばれても、一生懸命にプレーをする選手たちに声援を送りたくなる」というのが、彼女たちの弁だ。

おそらくこれほど日頃野球に興味がない(であろう)50代以上の女性たちを、惹きつけたというのはある意味エポックメイキング的な社会現象だったのでは?という印象を持っている。
彼女たちを夢中にさせたのは、試合展開だけではなく真摯に野球に取り組む選手たちの姿だった(ようだ)。
それは日本だけではなく、対戦相手の選手たちの姿も同じように感じ、日本を応援していても対戦相手国の選手たちにも、同様の声援を送るということでもあったようだ。

「#病院の待合室」のtweetの中には、「病院にきているけど、選手たちの活躍する姿を見て免疫力が上がった気がする」という内容もあったようだ。
勝敗の結果、優勝という結果だったからというよりも、選手たちの野球に対する紳士な姿を見て「恋をした」ような心境だったのかもしれない。
この「恋をしたような気分」ということは、とても大事でこのような気持ちが泣ければ「ファン」にはならない。
例えにわかファンであっても、WBCの試合中継を見ている間は、ある種の「幸福感」を得ているからだ。
もし、予選の試合で大敗するようなコトがあれば、これほどの盛り上がりはなかっただろうし、にわかファンとなる50代以上のの女性たちを獲得することはできなかっただろう。
ただ、予選で敗退していれば、その「がっかり感」は「失望」となり、今後の野球人気にも影響を与える事になったかもしれない。
例えそのような状況であっても、様々なスポーツがテレビ中継され、その中継を見る人がいれば社会にとってプラスとなる何かを与えているのでは?と、考えている。

プラスとなる何か、というのは社会に「応援をする」という、能動的な行動を起こすことで起きるものだ。
それがスポーツという限定であっても、能動的行動は社会を動かす力となる。
時には「連帯感」のようなものを生むこともあるだろう。
その「連帯感」が、他者を排除するようになってしまえば問題だが、スポーツの場合排除よりも他者の受け入れという行動に繋がっているように感じる。
スポーツが社会に与えるものは何か?と考えた時、ある種の社会的幸福感や能動的連帯感のような気がする。
それを実感させてくれたのが、昨日のWBCの試合だったのではないだろうか。


アートと価値。地域活性化に結び付ける行政力の時代

2023-03-19 12:13:54 | アラカルト

朝日新聞のWebサイトに、「やはりな~」と思う記事があった。
朝日新聞:「ただの箱に3億円も?」鳥取県初の県立美術館にウォーホール、賛否の声 

確かに、アンディ・ウォーホールを知らない人にとっては、「ただの箱」にしか見えないだろう。
しかも、「古びたただの箱」という印象だと思う。
それが、アンディ・ウォーホールのファンとなれば「鳥取県にウォーホールの作品が常設で観られるの!」と、喜んでいるだろう。
美術品の中でも、いわゆる現代アート、ポップアートと呼ばれる作家や作品は、その価値をどう判断するのか?という点では、なかなか難しいのでは?と、感じている。
それを象徴するのが、ウォーホールやキース・ヘリング、バスキアなどだろう。
最近では、バンクシーなどもそうだろう。
日本の芸術家であれば、草間彌生さんなどかもしれない。
中には、「キース・ヘリングと街中の落書きとどう違うのか?」と感じている方もいらっしゃるかもしれない。
というのは、ご存じの方も多いと思うのだが、キース・ヘリング自身が認められたのが「ストリートアート」だったからだ。

いつの時代も同じだと思うのだが、アート作品などは著名な評論家や批評家が、「素晴らしい作品」と発したとたんに「芸術作品」となる場合が多い。
もしくは、著名な画商が高値を付けた時だろうか?
第三者による「お墨付き」がある事で、芸術作品の価値が大きく変わってしまう、と言っても過言ではないと思っている。

そして今回の「ブリコの箱」という作品だが、ウォーホールの作品としては珍しい、立体物の作品だ。
ウォーホールと言えば、スープ缶やマリリンモンローなどのシルクスクリーンによる作品が有名なだけではなく、複製を含め数多く紹介されているウォーホール作品だからだ。
その中で言えば「ブリコの箱」は、作品的には珍しいということになる。
だからこそ、「たかが箱、それでもウォーホールの箱」ということで、それなりの価値となったのでは?と、想像している。

個人的には、「モダンアート、現代アート」に接する機会が少ない地方だからこそ、このような常設展示があって欲しい、と思っている。
というのも、数多くの「モダンアート、現代アート」の作品は都市部に集中し、地方で見られる機会が圧倒的に少ないからだ。
地方にもモダンアートや現代アートのファンはいるだろうし、直接作品を見たい、という気持ちは強いと思う。
その点では、とても貴重な機会を県民に与える事になるのでは?という、気がしている。

もう一つは、この「ブリコの箱」を常設展示するコトで、他の作品も多くの人に見てもらえる機会となるのでは?という点だ。
地方の公立美術館などの多くの常設展示は、地元の作家作品が多く(という印象がある)、集客力が弱いと感じている。
公立美術館と言えども、それなりの収益を上げなくてはならない時代になっていることを考えれば、集客のために話題となる作品展示もまた、必要なのでは?ということなのだ。

公立施設などでよく議論されるのは、「〇〇億円の費用をかけ、作品購入をした」という、購入額ばかりに話題が集中する。
むしろ重要なのは、作品を購入した後、その公立施設がどれだけ多くの人を惹きつけ、常時入館者を増やすのか?という点ではないだろうか?
乱暴な言い方だが「作品購入=投資」と考え、投資に対して利益を上げるようなコトを考える時代になっている、ということなのだ。
公立施設だから、何もしなくても良い、という時代ではない。
市民からの税金を使っているのであれば、使った税金に相当するような「利益」を、行政に還元するということなのだ。
「行政が金儲けをする」のではなく、「行政も運営資金を自ら調達する」という時代になってきている、という時代になってきており、それを「地域経済の活性化」に結ぶ付けるような政策が行政にも求められる時代になってきている、ということなのだと思う。






男性の育休期間の給付アップで、少子化対策?

2023-03-17 20:36:42 | ビジネス

今日の夕方、岸田首相が「子育て支援策」等を中心に記者会見を開いた。
日経新聞:「男女で育休取得なら手取り10割」岸田首相表明 

日経新聞の書き方だと、「育休を夫婦で取得すると、女性も男性も10割の給付をもらえる」ように読み取れる。
ところが、朝日新聞の記事を読むと「男性が育休を取得した場合、手取り実質100%ということになっている。
朝日新聞: 「産後パパ育休」手取り実質100%保障 首相アピール、課題は財源 

おそらく岸田首相が話したことは、一つの話しかしていないはずなのだが、報道する媒体によってこれほどまでに理解というか受け止め方が違うとなると、「育休期間の支援策」そのものの具体性に欠けてしまう。
まして、朝日新聞が指摘している様に、財源という問題がある。
その財源の問題をクリアしても、「なぜ男性が対象なの?現実の子育ての中心は女性じゃない?」という疑問がある。
女性が産休+育休を取得した場合、給付される額は給与は据え置き、ということになる。
大変な思いをするのは、女性なのになぜ女性の給付率は上がらないの?という、点で気になる女性は多いのでは?

今回の政策が「男性も積極的に育休を取得してもらいたい」という考えで、給付率を上げたのだとすれば、少し安直な気がする。
今子育てをしている女性たちが本当に必要としているサポートは、「一緒に育てる」という意識と行動なのでは?
もちろん、経済的不安があれば難しいとは思うのだが、育休を取得している男性がどれほど実際の育児に関わっているのだろう?
東洋経済:男性3割が「とるだけ育休」で形のみの深刻実態 

男性が堂々と「育児休暇」を取得できる環境ではないにせよ、「とるだけ育休」という実態はいかがなものだろう。
給付100%は確かに「育休取得」に対して魅力を与える事になるかもしれないが、逆に男性が実質手取り100%ということになれば、企業側が積極的に「育休取得」を推し進めるだろうか?
むしろ、元々賃金格差がある女性の給付率を100%にした方が、企業負担は減るだろうし、歓迎されるのでは?

男性側の「育休取得」は、むしろパートナーである女性の妊娠期から定期的に取得させ「妊娠・出産・育児」という通期的に、取得をさせることで「親になる」という経験を早期から始める方が、効果的なのではないだろうか?
と同時に、何も給与に反映させるのではなく、育児にかかわる消耗品の現物支給を含め100%給付という考え方もあるのでは?
現物支給時に、子育て相談を兼ねるようにすれば、「孤独な子育て」という問題も、少しは解消されるかもしれない。
もしかしたら、そのほうが育児をしている人たちにとっては、嬉しいかもしれない。

「男性が育休を取得しやすい環境」を考えた時、「出世から外れる」とか「取得しづらい職場の雰囲気」等の社会的雰囲気のようなものを変えていく必要が第一だが、それだけではないはずだ。
「育休」=「育児休暇」と考えれば上述したように「とるだけ育休」ということにもなってしまう。
育児は休暇で行えるようなものではなく、ある意味「人を育てる一大事業」のようなもののはずだ。
そこから、社会的意識を変えていかなくては、少子化対策とはならないような気がする。


 


何を期待し、投票したのか?‐ガーシ―元議員の逮捕状取得‐

2023-03-16 20:21:30 | 徒然

つい先日、参議院議員であったガーシーこと東谷義和氏に対して、国会議員の除名された。
選挙で当選後、一度も登院をせず海外に滞在しているのだから、処分そのものは当然だと思う。
いくら会期中は逮捕されないとしても、国会議員としての責を果たしていないのだから、仕方ないだろうし除名には納得される方も多いだろう。
ただ、除名処分だけでは終わらなかったようだ。
朝日新聞:ガーシー容疑者の逮捕状取得 綾野剛さんらを脅迫動画など制作者も 

そもそもなぜガーシー容疑者が、政治家を目指したのか?その意図が不明だった。
ガーシー容疑者を担ぎ出したNHK党の意図も、見えてはこなかったように感じている。
ご存じのように、ガーシー容疑者は「暴露系ユーチューバー」として、登録者数を獲得してきた人物だ。
暴露をしてきた相手は、いわゆる芸能人と呼ばれる人たちで、もともとは自分との付き合いのあった俳優さん等だった。
それがどこかで関係が壊れたため、その腹いせのようにユーチューブで、「わたしだけが知っている、本性」のような言い方で暴露をしてきた、という印象しかない。
その意味で、政治家を目指すというよりも「政治家」という立場を利用して、暴露したい相手に不当な圧力をかけたいのでは?という、気がしていたのだ。

おそらく多くの有権者は、そのように感じていたのでは?と、想像している。
ただ当選を果たした、ということはガーシー容疑者に対して、政治家として何等かの期待をしていた人たちも少なからずいた、ということでもある。
ガーシー容疑者を支持した人達は、ガーシー容疑者に対して何を期待し、投票したのか?ということが知りたいのだ。

国会中継などを見ていると、ガーシー容疑者よりも問題を抱えているのでは?と思われる国会議員さんたちが議場で惰眠をむさぼっている光景が映し出されることがある。
惰眠をむさぼるだけではなく、雑誌を読んだりスマホを見たりしている姿も映像でとらえられていることも度々だ。
このような光景を見るたびに、「この人達って、国会議員として少なくない額のお金を税金から支払われて活動している人たちだよね(怒)」という気持ちになる有権者は多いと思う。
それくらい、国会の議場は「国民生活を豊かにするための論戦の場」で無くなっているように、感じている。

このような状況を作り出したのは、有権者の責任であると同時にやはり選ばれた議員さんたちの「国会議員としての使命を忘れている」ということでもあると思う。
その背景にあるのは、「地盤・看板・鞄(=お金)」が選挙を左右する、と言われているためだろう。
「地盤・看板・鞄」という点では、いわゆる世襲と呼ばれる候補者の方が、圧倒的に有利だ。
先祖代々から引き継がれた「支援組織」があり、地元の名士としての財力もあるからだ。
地盤はなくともテレビなどで活躍をしていれば、「看板」だけは持っていることになる。
その為「看板」が優位となる全国区での立候補、ということになる。
地盤という点では、特定の宗教団体の支援を直接受けられる候補者も、有利ということになる。
今まで特定の政党だけが宗教団体との結びつきを指摘されていたし、それが「政教分離」に反するという指摘もされていたが、昨年の故安倍元首相の狙撃事件により、表立った関係だけではない宗教と政治の関係も露呈することとなった。
宗教団体だけではなく、労働組合などを支援母体としている場合もある。
問題となるのは、支援母体となっている団体に対して、「有利な政策を行う」ということなのだ。
支援を受けるのであれば、当然支援団体に有利な政策を行うのは、当然と言えば当然なのだが、支援母体を一つのファクターとして社会を見た時に社会的問題を考える、ということがされていない、ということがより問題なのではないだろうか?
何故なら、地方自治体から国まで「議員」と呼ばれる人たちは、公平に有権者とその未来の有権者に対して公僕として政策を考え、実行するコトが求められているからだ。

そのような意識を候補者にも有権者にも希薄であった、ということが今回のガーシー容疑者の当選に繋がったような気がしている。