日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

株主の責任とは

2011-06-30 19:47:51 | 徒然
先週からの突然の猛暑で体調を崩してしまい、珍しく夏カゼを引いてしまった。
みなさま、どうかお気をつけ下さい。

さて、今週の一番大きな話題といえば、電力各社の「株主総会」だったのではないだろうか?
今だ収束の道筋が見えない「フクシマ」を抱える東京電力の株主総会は、6時間にも及ぶ長丁場だったようだ。
そして、地元中部電力の株主総会も3時間を大幅に越える、過去一番長い株主総会となった。
電力各社の株主総会では「脱原発」が株主から提議をされた、というニュースもあった。
「フクシマ」の状況を考えれば、投資家として「余りにもリスクの高い事業を今後どうするのか?」というコトは、とても重要なコトだと思う。

思うのだが、実際の株主総会では「原発の安全確保をしながら、現状維持」という方向が、最初から決まっていたようだ。
事実、「脱原発」や「脱原発に類似する問題」は次々と否決されたようだ。

日本の株主総会と言うのは、丹念に練られたシナリオがあり、そのシナリオ通りに進行し、シナリオ通りに可決されなくてはいけない、という印象がある。
そもそも、株主の多くは企業の事業内容にどれだけ興味・関心を持っているのか?と、感じることが過去にもあった。
数年前に話題となった「デイトレーダー」や「短期的に株価を吊り上げる」とコトを目的としたようなファンドが「もの言う株主」として登場した頃だ。
彼らの多くは、「いかに安い株を高値で売り逃げるのか?」というコトばかりが、興味の対象で、事業内容や企業の社会的責任能力などには、興味も関心もなかった。
そのような「もの言う株主」が去った後、再び「企業側が考えたシナリオ通りにコトを運ぶ」という株主総会のやり方が復活したような印象があったのが、今年の株主総会だった。

しかし、最近では「株主責任」というコトも言われはじめてきた。
だからこそ、株主として投資した企業の事業内容や収益の上げ方などにも注意を払い、自分が投資している企業は、社会から良い企業と認められているのだろうか?その努力を続けているのだろうか?というコトを、株主総会という場で問う必要があったはずなのだ。
その意味では、今年の株主総会というのは、多くの日本企業にとって大きく変わらなくてはならない株主総会だったはずだ。
それなのに・・・残念な気がする。

確かに、東京電力をはじめとする電力各社の大口株主というのは、保険会社など「機関投資家」だ。
例えば、保険会社にとって安定的な配当を得ることは、保険契約者の利益に繋がる。
しかし、その保険契約者のリスクを高める事業を投資先の企業がしているとしたら・・・と考えると、大口株主と呼ばれる企業や団体なども、その企業や団体に属する人たちのリスクを考え、発言する必要があるのではないだろうか?
それが、株主としての責任のような気がする。

20年以上続く経済の低迷の要因と日本のこれから

2011-06-27 08:58:59 | ビジネス
先日書店で、気になる本があった。
アスキー新書の新刊「応援したくなる企業の時代」という本だ。


この本に興味が引かれた理由は、そのサブタイトル「マーケティングが通じなくなった生活者とどつき合うのか」という文言だった。
読了しての感想は、「小手先のマーケティングが通じなくなっただけで、マーケティングの本質はいつの時代も変わらない」というコトだった。
あくまでも私の感想なので、実際に手にとって読んでいただきたいと思っている。

「小手先のマーケティング」の一番顕著な例が、「リストラと高度成長期の成功体験に基づく思考」だろう。
バブル以前の「高度成長期の成功体験(=生活者は企業が提供する新しいモノを購入したがる)」が、企業を硬直化させより安易で短期的利益を上げられる方法=「リストラ」へと突き進む結果となったのでは?
日本経済がバブル崩壊以降、低迷しつづける要因の一つが、本来の「リストラクチュアリング=事業再構築」ではなかったという点があると考えている。
「事業再構築」という事であれば、一番最初にされるべき内容は「拡大路線事業の見直しと得意事業分野の特化」だったはずなのだ。 
ところが「企業そのものの社会における存在意義を企業全体で考え直す」⇒「事業の見直しと再編、特化」をすることなく、短期的な利益確保のために、アメリカ生まれの耳障りの良いコトバ「リストラクチュアリング」の一部を利用し、「首切り」を国内規模であらゆる企業が行っただけなのだ。

「短期的利益確保のためのマーケティング」というのが、「小手先のマーケティング」という事だ。
チョッと見変わったように見える小奇麗な広告や、データ中心で生活者の心や行動に目を向けていないマーケティングというコト。
「それがマーケティングである」と、言われつづけてきた20年でもあると感じている。

「データ中心のマーケティング」と言うと、「マーケティングはデータ中心で当然」と思われる方のほうが多いと思う。
しかし、随分前、多分私がマーケティングという仕事を始めた20年以上前から、「データは嘘をつく」と言われてきたコトもまた事実なのだ。
グループインタビューなど、生活者から直接意見を聞きデータ化する内容であっても、その質問方法やインタビュアーの誘導によって、いかようにもデータを作ることが可能だという点を見過ごし、企業にとって都合の良いデータ(他社とのわずかばかりの性能の向上を「違い」として大きくクローズアップさせるなど)を「生活者発想のマーケティング」としてきただけなのでは無いだろうか?

もちろん、これからの日本の企業のあり方として考えなくてはならない点も多く示唆されている。
何より重要なことは、バブルが崩壊しリストラの嵐の中ですっかり忘れ去られてしまった「企業が社会の中で存続する意味と意義=企業理念」というコトだ。
そして、マーケティングは「ひとと社会をしあわせにするためにある」という、普遍的なテーマは変わらないというコトだと考えている。

納得させるモノがあるのか?

2011-06-25 21:26:35 | 徒然
先日、海江田さんが原発の再稼動の要請をした、というニュースがあった。
当然のことながら、原発を持っている首長さんたちは猛反対。
そして今日、自民党の谷垣さんも「原発の再稼動は必要」と発現をしている。

この発言を聞いて「首長さんだけではなく、国民を納得させるだけのモノがあるのだろうか?」と、単純に疑問に思ったのだ。
確かに、ここ数日の猛暑で消費電力は急上昇中だ。
昨日などは、後8%で限界というトコロまでいったようだ。
とはいえ、高齢者世帯などは無理なエアコン節電は「生命の危機」だとも言われている。
今日あたりも、この時間になってもまだまだ暑い。そんな中救急車のサイレンが聞こえると「熱中症で倒れた人がいるのかな?」と、心配をしてしまう。
その意味で、「節電は大切だけど、節度ある節電に心がける」という事が大切なのだ、と実感する。

だからと言って、今この時期に「原発の再稼動」を言うのはどうなのだろう?
少なくとも「エネルギーシフトを検討しつつ、原発の再稼動を国民全体の議論として考えなくてはいけない時期に来ている」というのであれば、まだ納得はいく。
だが、どうもそんな印象は無い。
これまでと同じ過剰なほどの快適さを求める生活維持のため、というニュアンスが感じられるのだ。

それに対して、多くの生活者は「これまでの生活の見直し」を図り始めている。
ゴーヤなどのつる系の植物を庭やベランダに植え、グリーンカーテンを始めた家庭も多いはずだ。
これまで、「地球温暖化対策」としていくらPRしてもイマイチだったことが、「電力不足」という事態になり、積極的に生活環境を変えようとしているのだ。

それだけではなく「フクシマ」の問題もまったく目途が立たない状態で「電力不足解消のために原発再稼動」では、生活者の理解は得られないような気がするのだ。
問題なのは、その「生活者の理解が得られないのでは?」というコトを、想像できないというコトだろう。
説得材料となるモノも提示していないのに、何故、そんなコトが想像できないのだろうか?
そして、「フクシマ」の事態収束に向けた与野党一丸となった取り組みも見えないまま、不毛な話ばかりに終始しているのは、何故なのか?

今月末には、国会議員さんたちにも「ボーナス」が支給されるはずだ。
一人でも「災害復興費へボーナス返納」という議員さんが出てくることを願っている。
それが「国民の生活を想像する」コトの第一歩なのではないだろうか?

ブランドづくりの難しさ

2011-06-23 20:54:45 | ビジネス
ユニクロが「+J」の終了を発表した。
ジル・サンダー氏とのデザインコンサルティング契約終了のお知らせ

ジル・サンダーとのデザインコンサルティングが発表された時、「ブランドづくり」が大変そうだな・・・という気がしていた。
その理由は、
・ユニクロの顧客が求めているモノとジル・サンダーの服づくりの共通点が見つからない
・価格的なギャップ
 ジル・サンダーの服として考えれば、安価な服だがユニクロとしては高い価格帯だった
・ジル・サンダーというブランド名が使えない
などの理由が上げられると思う。

特に、「ジル・サンダー名」が使えなかったということは、やはり大きかったように思う。
もちろんユニクロの顧客が「ジル・サンダー名」を求めていたのかは、疑問な点はある。
だが「+J」というブランドでは、アピールするポイントがとても難しかったのではないだろうか?

実際、店頭で「+J」の商品を見ても、「商品ラインとしては、難しいだろうな・・・」という印象しかない。
というのも「デザイン」を優先すれば、当然それなりの素材が必要となるのだが、ユニクロとしての価格を考えた時、そこまでの要求に応えられなかったように感じたことが幾度かあったからだ。
それが逆に「中途半端」な印象を与えてしまったのでは?という気がしていた。

プレスリリースでは、そのようなことは当然のことながら一切述べられいない。
だが、今回の件で「ユニクロ」として新しいブランドを創る難しさ、というコトを知ったのではないだろうか。

むしろ「ユニクロ」ではなく、ファーストリテーリングとして新しいファッションブランドを創るという方向へ向かっていくのかも知れない。
その時は、ジル・サンダーのような著名なデザイナーなのかも知れないし、日本の若手デザイナーかもしれない。
既に自己ブランドを持ち、ブランドを確立しているデザイナーと一緒に、新しいブランドを創るという意味で、もしかしたら、川久保玲や山本耀司のような日本を意識した、国際的な日本人デザイナーかもしれない。

アパレル業界そのものは、過渡期に来ているような気がしている。
かつての東京コレクションのような活気が見られないことや、「東京ガールズコレクション」のような「ファッションショー兼即売会」ばかりに注目が集まることなど、「ファッション」が時代の空気感を発信しなくなってきていることに、もどかしさというか残念な気持ちがある。

今年の花火大会

2011-06-22 14:32:32 | アラカルト
「東日本大震災」が起きてから、日本各地を襲った「自粛」というムード。
この直撃を受けたのが「お花見」だった。
東京では、石原さん自らが「お花見中止」を訴えたのは、記憶にあると思う。
その次が「花火大会」の中止だった。
ここ名古屋でも、岐阜・長良川の花火大会の中止が早々に決まった。
おそらく全国各地の「花火大会」の多くが、中止になったのではないだろうか。

「お花見中止」などの「自粛ムード」に対して、被災地・岩手の造り酒屋さんたちがyoutubeなどに、「被災地の美味しいお酒で、お花見を楽しんでください」と投稿したことで、「非被災地まで、自粛・自粛では経済が回っていかないのでは?積極的に、被災地の物産を購入し、経済の面で支援するコトも重要なのでは?」という機運が生まれたコトも、ご存知の通りだ。

という訳では無いと思うのだが、震災直後に中止を決めずに様子見状態だった花火大会の開催が、少しづつではあるが開催が決まりはじめているようだ。
考えてみれば、「花火大会」そのもののはじまりは、決して娯楽的要素ばかりではなかったはずだ。
お盆の頃に行われるということを考えれば、ある種の精霊や鎮魂・慰霊的要素もあるのでは?

そんなコトを考えていたのは、何も個人だけではなかったようだ。
サントリーが、「全国花火大会・特等席ご招待」というキャンペーンを始めている。
もちろん「仙台七夕まつり」の花火大会も含まれている。
サイトを見ると「今年も・・・・」とあることから、昨年も実施されたキャンペーンだと知ったのだが、このような粋なキャンペーンをするのもサントリーらしい気がする。

それだけではなく、今年は「花火大会応援プロジェクト」を展開している。
震災で次々と中止となった全国の花火大会の復活を嘆願するプロジェクトのようだ。

主旨は違うのだが、被災地では「花火を上げる」というプロジェクトが始まっている。
「Lightup NIPPON」という、プロジェクトだ。
既にご存知の方も多いと思うのだが、募金活動で資金を調達し、被災した北関東から東北沿岸で花火を上げる、というものだ。
政府の政策は進まなくとも、人々は力強く立ち上がろうとしている。

夏になるとビール会社各社が、趣向を凝らした「夏のキャンペーン」を展開していた。
キリンの「勝ちT」など毎年恒例となったキャンペーンは、生活者にとって一つの楽しみでもあったのでは?
出来れば、例年と変わらずキャンペーンを展開する、というコトが案外大切なコトなのかも知れない。
サントリーの「花火大会キャンペーン」を見ながら、そんな気がしている。

明朗会計ビジネス

2011-06-21 17:13:08 | ビジネス
今朝FMを聞いていたら、「え!」と思うようなビジネスがあることを知った。
それが「原価バー」
入り口で入場料1,500円を支払うと、食べ物やお酒が原価で提供する、というシステムのようだ。

ご存知のように、昨年ヒットした飲食ビジネスの一つに「○○円均一居酒屋」だった。
価格を均一化することで、お会計がわかりやすいだけではなく、タッチパネル注文などで人件費を下げることで、低価格化を実現していた。
しかし、今回紹介する「原価バー」は、提供するお酒や食べ物を原価で提供し、お店の利益や人件費などは入場料で賄うという経営。
「激安」というよりも、「明朗会計ビジネス」という感じを受けた。

私自身、家でもお酒を飲まないので、ビールなどの「原価」に興味が無かった。
当然のコトながらウィスキー1ショットいくらか?なんて、興味も無かった。
ただ、HPで見るウィスキー1ショットの「原価」となると、随分安いという気がする。
確かに「バー」という場所は、「雰囲気」など「目に見えない価値」を提供する場所でもあるので、単純に「原価」だから良いという訳では無いと思う。

もちろん、「高級会員制クラブ(若者が大音量の中で踊る場所ではない)」のような所は、限られた人しか入ることが許されず、そこでは政財界の人たちが集まり、密やかに色々な話しをするコトができ、それが外に漏れることがない、という保障のようなモノにお金を出すコトとは別だ。
ただ、これまで「雰囲気」とか「付加価値」というコトに趣きを置き過ぎ、「この商品の原価って?」と、疑問に思うことなくきたような気がするのだ。

これは何も飲食店に限ったことでは無い。
「安い理由」逆に「高い理由」が、何となく雰囲気でわかっていたけど、本当のところは?というコトに対して、疑問に思わずにきたことへの、逆疑問のような気がするのだ。
風光明媚な場所に対する価値観などは、それこそ個人の感性や経験によるところが大きいにしても、「割高だな~」と感じながらも「有名店だから・ブランドだから」と、変に納得してきたのでは無いだろうか?

この「原価バー」は、東京の五反田だけのお店のようだが、これから先広がっていくかも知れない。
特に大阪や名古屋など、実は結構お金に厳しい地域などは・・・。


「イケメン」⇒「イクメン」⇒「イケダン」?

2011-06-20 19:31:53 | CMウォッチ
クルマのテレビCMも、だいぶ戻ってくるようになってきた。
それだけ生産体制が戻りつつある、というコトだろう。
と、同時に新車の販売体制も整いつつあるというコトなのだろう。

そんなコトを考えていたら、ネットで「日産 ラフェスタハイウェイスター」のCMを見た。  
おそらく、テレビCMとしても流れていると思うのだが、最近テレビそのものを殆ど見ていない(追加節電ができる策が、これくらいなので・・・)為、ネットでのCMが初めて見たCMだったのだ。

まぁ、そんな話はともかくこのCMで使われているキャッチコピーがとても気になったのだ。
その言葉が「イケダン」。
どうやら「イケテる旦那さん」の略のようだ。
「イケメン」⇒「イクメン」ときて、今度は「イケテる旦那=イケダン」という事らしい。

ここで言われている「イケダン」とは・・・
1.仕事もシッカリ
2.育児を含め家事にも積極的で、奥様思い
3.もちろん、趣味なども楽しむカッコ良さを持っている
という既婚男性のことのようなのだ。
このような男性って、世間的に多いのだろうか?
もちろん、ここでいう「イケダン」の対象者は30代~40代。
企業の中でも中心となって働く年代だ。
そして、この「ラフェスタ ハイウェイスター」の購入対象者でもある。

ここ数年、このような「ファミリーワゴン車」のテレビCMの中心は、男性ではなかった。
家族が中心で、ライバルであるトヨタなどは「女性が運転してもしやすい」という事を、PRする内容のCMが多かった。
実際、街中を走る「ファミリーワゴン車」を運転している女性は、案外多い。
そんな中、あえて男性をテレビCMの中心に持ってきたということに、新鮮味があるしそれが狙いなのだと思う。
実際、「イケダンJAPAN」というサイトを開設し、フェイスブックやツイッターなどでコミュニケーションを計るような工夫もされている。
だが、私にはフェイスブックの「いいね!」が、単なる人気投票のように思えてしまうのだ。
先日あった「AKB48」の総選挙のように、相手が人気商売のタレントさんだったらわかるのだが、登場している男性は極普通の会社員や自営の人たちなのだ。
それもなぜか東京の人ばかり。
言葉だけではなく、このような「仕掛け」にも違和感があるのだ。

確かに、「仕事もシッカリ、育児や家事も手伝ってくれる奥様思いの旦那さん」というのは、魅力的だと思う。
思うのだが、現実としてどうなの?
何故、50代以上の仕事ができる奥様思いの地方の男性が登場しないの?
最初からでき過ぎた仕掛けは、時に違和感を与えるのでは?
そんな気がするのだ。







今より「放射能」が身近だった時代

2011-06-19 09:04:30 | 徒然
朝日新聞の土曜日版「be」に、「サザエさんをさがして」という連載がある。
ご存知漫画「サザエさん」は、朝日新聞に掲載されていた4コマ漫画。
その時々の話題やニュースなどを長谷川町子さんが、「サザエさん一家」を中心に描いていた。
その「サザエさん」を基に時代を振り返る、というのが「サザエさんをさがして」の連載内容だ。

その「サザエさんをさがして」を見て、チョッとビックリしたのだった。
その理由は、お父さんの波平さんがご近所の方と世間話をしている会話で、以下のような言葉が1コマ目で出てきたからだ。

ご近所さん「まったく放射能の灰がふってくるようじゃ・・・」
波平「セシウム137・・・・・」

2コマ目からは普通の会話となっていくのだが、1コマ目のこの会話に驚いたのだ。
この漫画が掲載されたのは1957年8月15日。
日付を考えれば、「ヒロシマ・ナガサキ」との関係もあるのかも知れないのだが、むしろ、この頃冷戦下で盛んになっていた「原爆・水爆実験」で世界中に撒き散らされた「放射能の灰」を指しているような気がする。

今から54年ほど前、世界中には放射能の灰が撒き散らされていたのだった。
それから10年ほど後、私が小学生だった頃、子供たちの間でまことしやかに噂されていたコトの一つに「雨にあたると禿げる」というモノがあった。
決して根拠のない噂ではなく、「放射能を含んだ雨にあたると禿げる」というコトだった。
もちろん、雨にあたったからと言って、小学生の頭が禿げるようなことは無かったのだが、当時は、それくらい「放射能」が身近だったのだ。

そして今、収束がまったく見えない「フクシマ」の状況を見ていると、いかに「情報」が大切なのか、というコトを感じる。
それだけではなく、専門用語をキチンと解説し問題点を整理しながら伝える、という難しさを感じている。
放射性元素の名前だけで頭が混乱し、「ベクレル・シーベルト」などの単位の違いがわからず、それらが人体に及ぼす影響が整理できないのは、私だけだろうか?

この「サザエさん」が掲載された当時は、「セシウム137」がどのようなモノで、どのような影響を人体に及ぼすのか、というコトが伝わっていなかったのだろう。
ちなみにこの記事のテーマは、「放射能」ではなく「扇風機」。
この漫画が掲載された1957年頃になると、一般家庭でも「扇風機」が普及し始め、「サザエさん」に初めて登場した、というものだ。

今年は「節電対策」で、「扇風機」が再び脚光を浴びている。
そしてその「節電」の要因となったのは、「フクシマ」での事故。
なんと皮肉なことだろう・・・そんなコトも改めて感じたのだった。
  

サントリーの復興支援

2011-06-18 20:28:26 | アラカルト
一部新聞のWEBサイトに、サントリーの「東日本大震災・復興支援」についての記事が掲載されていた。
サントリーのHPで確認をすると、義損金の使い道として「東北の基幹産業である漁業への支援」とある。
東日本大震災復興に向けた支援について
他にも、被災地の子供たちへの支援やサントリーらしい「文化・芸術・スポーツ支援」という内容が含まれている。

この中でやはり目を引くのは、漁船取得の支援、水産学校生などへの奨学金だろう。
サントリーという企業と漁業の結びつきに、違和感を感じなかったわけでは無い。
しかし、よくよく考えてみればサントリーが展開している事業の中で、健康食品や化粧品といった分野では漁業との深い関係があるのでは?と、思い至ったのだった。

意外な気がされるかも知れないが、サプリメントで使われるカプセルや基礎化粧品の原材料など、水産加工品を原料としている物が多い。
化粧品だけではなく、健康食品としても一般的に使われる「マリンコラーゲン」などは、そのわかりやすい一例だろう。
ちなみに、お菓子などで使う「ゼラチン」と健康食品の「コラーゲン」は、ほぼ同じ成分だといわれている。

その様に考えると、サントリーが漁業支援をするのも、決して意外なコトでは無いのだ。
むしろ、「原材料から支援する」という姿勢は、初期投資額が大きい漁業関係者にとって、安心できるのでは無いだろうか?
と同時に、支援を受けた漁業関係者からは「何はなくとも、サントリーを優先して」という気持ちにもなっただろう。

同じように、今週あったトヨタ自動車の株主総会での豊田社長の「トヨタは、東北から撤退しない」という言葉は、被災地の人たちだけではなく、同業である日産やホンダなど、東北に関連会社があった企業にとっても、刺激となったのではないだろうか。

今回のサントリーの復興支援策というのは、即時性の高い支援では無い。
むしろ長期的な視点に立ったモノといえる。
それが、逆に支援を受ける側としては、安心できるのだ。
そしてトヨタの「東北から撤退しない」という言葉も、違う意味での「長期的な復興支援」といえるかも知れない。

日本を代表する企業が、様々なメッセージを被災地に向け具体的に発信し始めた。
訳のわからない、不毛な話をしている政治屋などをあてにせず進む日本は、やはり「特異な国」なのかも知れない。
だが、そのほうが「日本らしい」という気もする。



人と組織

2011-06-17 15:09:11 | ビジネス
最近、テレビを見ない代わりに本を読んで過ごすことが多くなった。
今は10年ほど前に購入した、ドラッカーの「チェンジリーダーの条件(「マネジメント」エッセンシャル版)」を読んでいる。
何故今「チェンジリーダーの条件」なのか?と聞かれれば、やはり今が様々な価値観が大きく変わろうとしている時だから、というのが理由となる。
その中で、改めて考えてしまったことが今日のタイトル「人と組織」という事だ。

「東日本大震災」が発生する以前から、日本の政治というのは停滞気味だった。
国会を見ても「不毛で建設的な意見」など期待できるわけでもなく、野党になってしまった旧与党は、かつて野党を批判した「何でも反対路線」を踏襲しているように思える。
肝心要の与党・民主党などは、与党でありながら身内に野党を抱えてしまった状態だ。
その「身内野党」の勢いは留まらず、余計国会が混乱する要因となっている。
「民主党」というある組織にいながら身内を批判する、というのはこれまでの「組織」という考え方からすると、大きく外れている。

そしてこのような日本の政治は、何も民主党が与党となった頃から始まったわけでは無い。
自民党が与党だった頃も、風向きが悪くなるたびに「○○降ろし」という、総裁降ろしが何度もあった。
その反省というか反面教師的な部分で、民主党が勉強をしていない、という点が問題なのだと思う。

それでは何故、「○○降ろし」という事が起きるのか?
やはり「組織」というモノに縛られているからでは無いだろうか?
と同時に「自分可愛さ」という、自己都合があるように感じている。

ドラッカーは「人は組織のためにあるのでは無い」と言っているが、今の政党には「自分のために組織がある」という状態になっているような気がする。
この場合「人」というのは、「社会的責任が果たせる人」というのが条件だろう。
その「社会的責任」が果たせるのかわからない状態で、組織の体面ばかりを保とうとするから、余計おかしなコトになるのでは?

それは、今現在の東京電力の本社対応にも同じコトが言えるような気がしている。
「人ありき」という考えよりも、「東京電力」という組織と既得権益を守らねば!という強い意志は感じられても、そこには「社会的責任」が感じられない。

ドラッカーの言う「マネジメント」の中心にあるはずの「その組織が果たすべき役割と責任」を先延ばしにされればされるほど、震災の復興と「福島第一原子力発電所事故」の収束は遠のくのでは無いだろうか?

そして今必要なのは、旧来の組織のあり方ではなく、変化に対応できる柔軟な組織への転換なのだと思う。
その意味で、日本の悲劇があるとすれば「変革の先頭に立つべき人材がいない」というコトなのかも知れない。