日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

広告の基本って何だろう?

2023-04-22 22:39:07 | マーケティング

一昨日だっただろうか?Yahoo!のトピックスに、「広告の基本を知っているのかな?」と印象を持った記事があった。
記事そのものの「広告について」ということではなく、話題となっているイベント告知のポスターについて「広告の基礎」ということを、考えさせられた、ということだ。
JCASTニュース:着物イベントの「左前」ポスターが物議「死に装束」という指摘も…制作元は修正否定「ファッションに決りはない」 

リンク先の記事を読まれて、「あ~~この話題ね」と思われた方もいらっしゃると思う。それほど話題になっているポスターだからだ。
ちなみに、記事の最初に登場する着物姿の女性は「左前」ではない。

呉服市場は、ご存じの通り年々縮小傾向にある、と言われている。
確かに、着物を着て出かけるという機会もほとんどなく、その為着物を着慣れているという方は、余りいないだろう。
「夏の花火大会で浴衣を着ていく」位が、卒業式や成人式以外で着物を着る機会になってしまっているのでは?
結婚式でも、招待された若い女性が着物を着て出席する、ということもほとんどなくなっているように見受けられる。
それほど、今の着物は着る機会が無く、イベントが唯一着物を着る機会となっている、というのが現実なのだろう。
それほど身近ではなくなった着物を少しでも身近なものとして欲しい、という考えから今回のイベントは考えられたようだ。

イベントの趣旨としては、良いものだと思う。
問題は、イベントを告知するポスターだ。
制作者側は「着物をファッションの一つとして考えれば、着物の着方も決まり決まったものである必要はない」という考えのようだ。
確かに、「ファッションは、自由であるべきだし、誰かに制約されるものでもない」と、私も思っている。
ただしそれは、周囲の人が不快に感じさせない、という最低条件がある、とも考えている。
とすれば、今回のポスターはどうなのだろう?

広告の基本として、この「見た人を不快にさせない」という点がある。
もちろん、ポスターには「告知する」という目的と役割があるので、そのことを優先させるのは当然だ。
だからと言って、社会通念的なモノを無視するわけにはいかない。
何故なら「社会通念」というのは、「多くの人に不快感が与えない」という感覚があるからだ。
「目立てばよい」というモノではない。

もう一つは「ポスター」であっても、細部にまでリアリティーを持たせる、ということが必要だからだ。
これはテレビCMなども同じなのだが、気づかないようなところにリアリティーを持たせることで、虚構の世界が身近なモノとして感じられるようになる。
だからこそ、細部にこだわる必要があるのだ。
作り手が「どうせこのくらい、わからないだろう」等と高を括ることで、受け手となる生活者に対する訴求力が、無くなってしまうからだ。
イベントポスターであれば、告知することが最優先されることだが、そのポスターを見て「行ってみたい」という気持ちを起こさせることが、一番重要だと考えている。
とすれば、今回のポスターを見た生活者が、「イベントに行ってみたい!という行動に繋がるだろうか?ということなのだ。

そのような「広告の基礎」から考えると、「ファッションは自由であるべき」という言葉よりも先に、注意すべきことが数多くあり、「広告の基礎」をどう考えているのか?ということが分かるようなポスターだと言える。



過去最大の貿易赤字

2023-04-21 20:28:14 | ビジネス

昨日発表された、日本の「過去最大の貿易赤字」というニュースは、いろいろな意味で衝撃的だったのではないだろうか?
NHK:昨年度の貿易収支21兆7285億円の赤字 1979年度以降で最大 

まずこのニュースを聞いて感じたことの一つは、「日本は輸出大国ではない」という点だ。
輸出によって得られる収益よりも、輸入によって支出される額の方が大きい、ということになるからだ。
とすれば、これまで日本政府が行ってきた「自動車などの輸出産業」などという言葉は、随分前に終わっているにもかかわらず、現状を見ないまま経済政策を行ってきた、ということになる。

拙ブログでも、「日本は既に輸出大国ではない」という指摘をしてきたつもりだ。
その理由として
1.1970年代~1980年代頃の花形輸出産業であった、自動車や家電などは生産拠点を国外に移転させている。
2.部品などの調達先も海外へと移転させている。
と言った理由から、かつての輸出産業は輸出産業ではなくなっている、と書いてきたつもりだ。
これらの要因に、昨年からの急激な円安により、貿易赤字が過去最大になったと考えるのが、自然なのではないだろうか?

とすると、今の日本の財政は決して健全な状況ではないのでは?という、気がしてくる。
赤字国債に大幅な貿易赤字という状況は、ビジネスパーソンだけではなく多くの国民が認識すべき、今の日本財政ということになるのでは?
しかしながら、この双子の赤字のような状況を一気に解決する術はおそらくないだろう。
ビジネス雑誌などで取り上げられる「V字回復」ということは、まず起きないと考えるべきだと思う。

そのような状況を考えれば、企業として行うべきことは何だろうか?ということなのだ。
人件費の安い海外進出は、グローバルな市場で戦う為には必要なことかもしれない。
既に定着した海外工場の従業員の生活を守る、という使命もあるはずだ。
とすれば、どのような生産部門を国内に移転させるべきか?と考えれば、「高付加価値を生む」ことができるもの、ということになる。
単純に、海外へ移転させた生産部門を国内に戻すのではなく、「Japan Craft」と呼べるようなモノづくりを目指す必要がある、ということになるのでは?
と同時に、地方の衰退しつつある産業の復活の手助けとなるような仕組みを、今考えることが重要な気がしている。

そもそも「生産しない東京」に企業収益が集中するのではなく、創業の地に戻るということも時には必要かもしれない。
それが「ものづくりの原点」となるのであれば、政府も支援する意味があるのではないだろうか?
「ものづくり」と言っても、いわゆる第二次産業のことを指しているのではない。
むしろ、第三次産業のようなモノづくりもまた、地方への移転を進めるような政策が欲しい。
何故なら、第三次産業ほど「場所と時間」に制約されない場合が多いからだ。
そのような環境の中で「Japan Craft」と呼べるような、創造性の高い産業が生まれれば、自然と人の流れも変わっていくだろうし、一極集中の今のような「東京価値観」からもまた脱却できるような気がしている。




ヤマト運輸の翌々日配達を考える

2023-04-20 19:00:33 | ビジネス

先日、ヤマト運輸が「一部地域において、翌日配達から翌々日配達にする」というニュースがあった。
NHK:ヤマト運輸配達体制見直し 一部の地域で「翌々日」に6月から 

このニュースを受け、サービスの低下だと感じられる方が多いと思う。
実際、夕方コンビニで出した荷物が翌日届く、というのは便利なことこの上ない。
人は、便利なモノ・コトに対しての順応性は高く、便利だと感じていたものから不便だと感じるようなモノ・コトへ変わる事に対して、強烈なほどの抵抗感を感じる。
それが「サービスの低下」という言葉となってくるはずだ。

まず考えなくてはいけないのは、「翌日配達」を目指してきたサービスを「翌々日」に変更する理由だろう。
これは、今盛んに国交省などが告知CMをしている「トラックの2024問題」と、大きく関わっている。
国交省:トラックの「2024年問題」を知っていますか!? 

2024年に運送に携わる人の時間外労働がこれまでより短くなる、ということと大きく関わっている。
時間外労働が年間960時間というと、80時間/月ということになる。
元々人財不足と指摘されている運送業界にあって、時間外労働の制約が加わる事で、物流そのものの遅れが起きてしまうので、経済団体に理解を求める、というのが国交省の発表内容だ。

当然、この指示に従いヤマト運輸も無理な翌日配達ではなく、現実的な翌々日配達という方針を打ち出した、ということになる。
だったらドローンでもなんても使って、現在の翌日配達を維持して欲しい、と思う方もいらっしゃると思うのだが、運送のネットワークそのものは日本中に網目のように張り巡らされており、今回対象となっている地域間をトラック輸送からドローンで行うこと自体、無理がある。
とすれば、利用者側もまたこれまでの「翌日配達」という、スピード重視の発想を転換する必要がある、ということになるだろうし、それを国交省も求めている、ということになる。

そもそも「(ほぼ)日本全国翌日配達」という利便性によって、生活者の感覚そのものも「せわしなくなった」のではないだろうか?
仕事のスピード感は常に求められるような環境の中で仕事をしていると、そのスピード感が当たり前のようになってくる。
それが悪いわけではない。
「Time Is Money」や「時は金なり」という諺がある通り、「時間と労力はお金に反映される」。
そのどれかが欠けても、ビジネスは成り立たないという一面を持っている。

そこで「発想転換が必要」となるのは、「心のゆとり・心の余裕」だろう。
「常に先回りをして、仕事の準備をする」といえばわかりやすいかもしれない。
最初は翌々日の配達となり、不便さを感じる事も多々あるはずだが、在庫管理データをしっかり行うことで「予測をし、余裕をもって発注をする」ということだ。
それは個人であっても同じことだろうし、逆にネットのECサイトでポチる前に一呼吸をして「これって、本当に今必要?」と、考える余裕を持つような習慣づけとなるかもしれない。

と同時に、これまでのような「モノで満たされる時代」ではなく「モノ以外で満たされる時代」へシフトするきっかけである、ととらえる必要があるのかもしれない。


こんな広告の方法も面白い ‐ヤマハとくいだおれ太郎‐

2023-04-19 21:58:45 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「こんな広告企画も面白い!」という記事があった。
朝日新聞:くいだおれ太郎、ヤマハ専属ドラマーに「道頓堀でも音が通る」 

ご存じの方も多いと思うのだが、くいだおれ太郎は大阪・道頓堀を象徴するキャラクターだ。
以前は「くいだおれ」という飲食店ビルの入り口に立っていた。
2008年、建物の老朽化に伴い飲食店ビルそのものが閉店。
くいだおれ太郎も、一時期各地のイベントなどに借りだされていた記憶がある。
現在は「中座くいだおれビル」に移り、元気な姿(?)が見られるようだ。
それほど、「大阪」を象徴するようなキャラクターであり、愛され続けているキャラクターだろう。

そのくいだおれ太郎と言えば、電動でリズミカルに太鼓を叩く姿だと思うのだが、その太鼓はヤマハの「CSS‐1450A」という機種(というのか?)らしい。
そのようなご縁から、今回ヤマハの専属ドラマーの一人となったようだ。
ヤマハ:スペシャルコンテンツ アーティスト (か行アーティスト参照のこと)

ヤマハ側としては、専属契約することで話題づくりになるだろうし、くいだおれ太郎を実際観に行ったとき、その音を聞いてもらえる、というメリットがある。
何より、くいだおれ太郎そのものが、とても強力な広告媒体であり、ブランド力を持っている。
そのブランド力は、老若男女問わず親しまれているという、圧倒的な強さがある。
それは大阪の方だけではなく、おそらく日本中の人達から愛されているブランドのような気がしている。
日本だけではなく、海外からの観光客も「一目くいだおれ太郎を見たい。一緒に自撮りしたい」と思って、大阪観光の楽しみとしているかもしれない。

これほど強力なタレントは、そうそういるとは思えない。
そのタレントが自社製品を使っているのだとすれば、当然契約を結ぶのは当然だろう。
これまでヤマハは、楽器愛用アーティストを中心に広告展開をしてきたはずだ。
とはいえ、日用品やクルマなどと違いテレビCMなどを頻繁に流すようなコトはできない。
何故なら、楽器を愛用しているアーティストがCMやポスターなどでの起用を了解してもらわなくてはならないからだ。
例え了解したとしても、一般的に広く知れ渡っているアーティストは限られる。
日用品やクルマのように、高い頻度でCMを流せばよい、という訳ではないのだ。
そのような問題をクリアしているのが、くいだおれ太郎なのだ。

くいだおれ太郎側にとっても、世界で活躍するアーティストと同様の楽器メンテナンスをしてもらう、というのは大きなメリットがあるだろう。単に電動で太鼓を叩いていればよい、という訳ではないはずだからだ。
そもそも楽器のメンテナンスは、専門のプロがいるくらい難しい。
そのメンテナンスを定期的にしてもらえる、というのはくいだおれ太郎の維持コストに対して、軽減となるはずだ。

いつでも道頓堀に行けば、軽やかに太鼓を叩くくいだおれ太郎と会える、というのは観光という面でも大きい。
そう考えると、今回のくいだおれ太郎の専属ドラマー契約は、「三方良し」以上のメリットと広告効果がありそうだ。


「家族不全」社会と首相襲撃

2023-04-17 21:19:47 | 徒然

先週末起きた岸田首相に対する襲撃事件。
その場で犯人が逮捕された、というニュースはご存じの先週末起きた岸田首相に対する襲撃事件。
ご存じの通り、犯人はその場で逮捕され、「第二の首相狙撃事件」にならなかったのは、良かったと思う。

そして、犯人についての情報が徐々に出てくるようになってきた。
それらの情報を読むと、昨年の7月に起きた「安倍元首相狙撃事件」の犯人と、どこか似ているような気がしてきている。
讀賣新聞:明るい小学生時代から中学で急に無口に、最近は「引きこもりがち」…首相襲撃の木村容疑者 

安倍元首相を襲撃した山上容疑者も木村容疑者も、父親がいないという点を指しているのではない。
どこか「家族不全」が起きていたのでは?という印象を持った、ということなのだ。

安倍元首相を襲撃した山上容疑者の場合は、母親が自民党と関係のある新興宗教にハマり、巨額の献金をし続けたため家族離散状態になったことへの腹いせだった。
この事件をきっかけに、「政治と宗教」が問題になり、ザルと言われながらも法整備一歩になったのは、ご存じの通りだ。

今回は、父親から家族に対する恒常的なDVがあったのでは?と、感じさせる読売新聞の記事になっている。
父親一人が悪いとは言い切れないし、DV家庭で育ったからと言って、このような犯罪を犯すように成長するわけでもないだろう。
それでも、この2人の容疑者の幼少期から現在に至る過程を知ると、やはり「家族不全」という言葉を思い浮かべてしまうのだ。

考えてみれば、昭和という時代であれば「両親+子ども」という家族構成で、父親は一家の大黒柱として仕事をし、それを母親が支えるという姿が、当たり前のように言われてきた。
しかし、一人親家庭も珍しくなくなった現在、昭和の標準世帯の価値観を社会が押し付けている、ということは無いだろうか?
それがいかにも「幸せな家庭の標準」かのように、社会から思い込まされ、その標準から外れると「行き場のない家庭」になってしまったのが、この2人の容疑者に共通しているようにも感じるのだ。
山上容疑者の場合は、母親の新興宗教に対する依存。
木村容疑者の場合は、父親から家族に対する恒常的なDVであった、ということように思えるのだ。
あくまでも私が感じた、ということなので、違う考えをお持ちの方も数多くいらっしゃると思う。

もちろん、昭和という時代も同様な問題を抱えた家庭は、あっただろう。
ただ社会全体が「そんな家庭もあるよね」というような感覚があり、逃げ道となるモノもあったのではないだろうか?
それが「孤立化社会」となり、家族内の問題から逃れる道が無くなってしまったのが、今の日本の社会のようにも思えるのだ。
そのような状況が7、「家族不全」を生み出してしまっているのではないだろうか?という、ことなのだ。



時代によって、主力商品を変えたデザイナ―?‐マリー・クワント‐

2023-04-14 20:06:37 | ビジネス

今朝の新聞に、英国のファッションデザイナー・マリー・クワントさんの訃報が報じられていた。
朝日新聞:デザイナーのマリー・クワントさん死去 93歳、ミニスカートを広める 

マリー・クワントという名前を聞いて、「ミニスカート」を思い浮かべる事ができる方は、60代以上なのではないだろうか?
何故なら、世界中で「ミニスカート」のブームを、マリー・クワントが創ったのは1960年代だったからだ。
大ブームとなった「ミニスカート」は、単なる丈の短いスカートというのではなく、どこかPopで華やかさを感じられるようなところがあったのではないだろうか?
その「ミニスカート」が世界的ブームとなったのは、英国のモデル・ツィギーがいたからだろう。
ツィギーの名前の通り、「小枝」のような体格の女性だった。

もちろん、日本でも「ミニスカート」は一大ブームとなった。
20代だけではなく40代、50代の女性もスカート丈は、ミニだったような記憶がある。
違う言い方をするなら、「ミニスカートが標準だった」ということになるのかもしれない。
とはいえ、ブームはいつか去る。
1970年代に入ると、米国の「フラワーチルドレン」と呼ばれる若い世代の人たちのファッションが、注目されるようになる。
と同時に「ミニスカート」のブームにも陰りを見せるようになってきたのだ。
おそらく、ファッションの世界で次の「ミニスカート」ブームがやってくるのは、1990年代頃だろう。
日本でいうなら、バブル経済の真っただ中の頃だ。

この時の「ミニスカート」のブームは、「女性に膝小僧はエレガントではない」という信念の元、シャネルですら「ミニ」どころか「マイクロミニ」と呼ばれるような、丈の短いスカートを発表している。
この時のデザイナーは、カール・ラガーフェルドであり、ブランドを立ち上げたココ・シャネルではなかったのだが、当時は「シャネルが生きていたらさぞビックリするでしょうね」と言われていた記憶がある。
それほどまでに、マリー・クワントがデザインをした「ミニスカート」は、ファッションの世界では強い影響を与えたのだった。

ところが、マリー・クワントの訃報を報じるYahoo!等のコメントを読むと、世代が若くなるほど「ファッションデザイナー・マリークワント」ではなくなる。
ではどんな分野に進出したのか?と言えば「化粧品やその関連雑貨やお財布などの小物」だったのだ。
マリー・クワントのトレードマークのように使われていた「花のマーク」が付いた、可愛くて明るいポップな商品の数々は、若い女性を中心に人気となっていった。
価格的にも、いわゆる海外の高級ファッションブランドとは違い、少し背伸びをするような価格帯であった、ということも人気となった一因だろう。
アパレル商品を製造販売していなかったわけではないが、購入される商品の多くはアパレル商品ではなく、ファッション小物や化粧品だったのではその時代の需要を見越して、ブランドそのものの大きなイメージを変えることなく、主力商品を変えていったようにも思える。

マリー・クワント本人の考えだったのかは分からない。
ただ、「ファッション関連」という、大きなカテゴリーの中で「マリー・クワントのイメージ」を大きく変えることなく、主力商品を変えていったというデザイナーは、彼女が最初で最後かもしれない。


AIとクリエイティブ

2023-04-12 22:07:59 | ビジネス

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「こんな時代になるのだな~」という印象の記事があった。
朝日新聞:アーティストの作品でAI訓練「無断で複製された」米国で集団訴訟 

しばらく前、AIを利用して文章を作るソフトがある、という内容のエントリをした。
AIの学習機能を使って、言葉や文体を覚えさせ文章を作る、という内容だった。
この時は、AIにその情報を与える側が言葉を選び文章を作る力が無ければ、AIにいくら学習させても意味がない、という内容をエントリしたと思う。

同様に、AIに絵を描かせようとすれば、文を書かせるよりもより細かな情報を与えなくては、絵にはならないだろう。
何故なら、AIそのものはコンピューターと同じ2進法だからだ。
私たちは、「AI」という言葉や文字だけで、何か特別なモノのように感じてしまいがちだが、AIそのものの基本はコンピューターと同じなはずだ。
違うのは、データの蓄積によって自己学習をすることができる、という点だ。
その部分を見誤ってしまうと、「AI」そのものを「これまでの仕事を奪う化け物」のようなイメージになってしまうように感じるからだ。

そう考えた時、記事にある米国での集団訴訟は、単なる著作権という問題だけではない、ということに気づく。
それは「クリエイティブ」という、「無から自分の頭の中で想像をし表現をする」ということに対する「価値」を、どのように考えるのか?ということだ。

日本では「ものづくり」ということに、高い価値を見出す傾向が強いと、感じている。
確かに「形とならないモノ」で「価値判断は、個人にゆだねられる」ようなイラストを含む絵画や音楽などは、「所詮道楽」のような受け止められ方をされる傾向にある。
もしかしたら、小説なども同じかもしれない。
しかし、「無から自分の頭で想像を、表現をする」という作業は、決まりきったことをするよりも遥かにエネルギーを要する。
コピー文を書くだけでも、唸りながら広告に合う言葉を思いつくまで、相当な時間を要する。
文章を書くのが上手い・下手という以前に、「想像する力」が必要なのだ。

その「想像する力」ができないのが、AIということになる。
理由は上述したように、「情報の集積による」からだ。
その「情報の収集」もまた、「情報を与える側」の「想像力」によって、AIがつくりだすモノが大きく変わってしまう。
今回のように、複数のイラストの情報を言語化し、AIに与えたとしてもそれは「クリエイティブなモノ」にはならない。
かといって「贋作」のようなモノでもない。
とても中途半端なモノでしかないのでは?という、気がしている。

そして残念なことに、クリエイティブ力に対して高い価値を見出すことができていない日本では、野放しになっているようだ。
朝日新聞:AIの無断学習。日本の著作権法ではOK 侵害に当たるケースとは 

せっかく日本は諸外国とは違う感覚を持って発展してきた文化がある。
アニメや漫画など「COOL Japan」と呼ばれる分野などだ。
今後も「AI学習の為だから」という理由で、野放しになれば「日本のクリエイティブ力」は、瞬く間に低下してしまうのではないだろうか?


「神宮外苑再開発」考え

2023-04-11 22:55:33 | アラカルト

ここ数週間、連日のように報じられている「神宮外苑再開発」の問題。
今朝のFM番組でも取り上げられていた。
この「神宮外苑再開発」について、いくつか疑問な点がある。
その一つが、「環境問題・エコロジー」という言葉で当選をした小池都知事が、この「神宮外苑再開発」で周辺樹木の伐採を認めた、という点だ。
東京に限らず、都市部の中心地にある緑地帯は「都市環境」における、大きな役割を持っていると、これまで随分指摘されてきたような気がする。

この「都市部中心地の公園緑地」がある事で、周辺地域のヒートアイランド化を抑制するだけではなく、生活環境そのものを豊かにし、都市生活者(懐かしい表現だが)の癒しの場ともなっている、という指摘がされてきた。
下手な盛夏の打ち水パフォーマンスよりも、遥かに効果的で有益性が高い、ということでもある。
にもかかわらず、製菓の打ち水イベントに積極的な小池都知事が、より効果的で有益性が高いと言われている「神宮外苑」の樹木を伐採するのだろうか?

しかもここに植えられている樹木の多くは、明治天皇と昭慶皇后のご遺徳に感銘した全国の人たちから献上された樹木だという。
とすれば、明治天皇や昭慶のご遺徳はもちろんだが、当時の国民の気持ちや思いを伐採する、ということにもなる。
そのような時代的文化も含め、伐採をしてよいのか?という、環境とは違う視点での議論もされる必要があったのではないだろうか?
ただおそらくこのような「都市公園緑地の伐採」は、全国で行われているのでは?という、気もしている。
というのも、数年前京都の下鴨神社境内に高級マンション計画が持ち上がり、世界遺産の一部が破壊される、ということがあったからだ。
当時の下鴨神社側からは「世界遺産だからと言って、維持・管理するためにはその為の費用を捻出する必要がある」という理由が挙げられていたように記憶している。
産経新聞(2015年4月10日掲載):【西論】世界文化遺産に「高級マンション」⁉下鴨神社が一石を投じた・・・真に守るべきを見極めよ 

今回の「神宮外苑再開発」についても、同じような理由があったのだろうか?
そのような話が聞こえてこないような、印象を持っているのは、東京都をはじめ再開発をする側からの声が聞こえてこないからだ。

ただ、これほどまでに社会から注目された再開発となると、その後建築された建物に対しても決して良いイメージに繋がらないような気がしている。
もちろん、このような「伐採反対運動があった」ということは、再開発が着手され建物が建ち、時間の経過と共に忘れ去られていくのかもしれないが、当面はこのような経緯で造られた建物に企業や個人が入居することは、マイナスイメージになってもプラスイメージにはならないような気がする。
それほど、社会的に注目され再開発側のイメージが悪くなっている、という状況だからだ。

そもそも、人口が減り続けている日本で新たな建築物というのは、都市リスクとなるのでは?
都市部を中心に建設が進むタワーマンションにしても、そこに住む人がいなくては意味がない。
同様に、建物を建ててもその建物を利用する人がいなくては、維持・管理費ばかりがかかる「負債」となりかねない。
これからの都市再開発の在り方について、問題提起をしているのが、今回の「神宮外苑再開発」なのかもしれない。



マイノリティを標準と考えると、市場への発想も変わってくる

2023-04-08 20:50:55 | マーケティング

週末の新聞には、新刊紹介のページがある。
写真付き書評されている作品もあれば、小さな扱いとなっている作品もある。
扱いの大小にかかわらず、このような新刊紹介のページは、どこから読んでも面白い(と感じている)。
その中で、興味を引いたタイトルの新刊があった。
ちくま新書:マイノリティ・マーケティング‐少数者が社会を変える 

このタイトルを見た時に、思い浮かんだのが「ユニバーサルデザイン」の基本のことだった。
20年以上前、「ユニバーサルデザイン」について、デザイナーの方のお話を聞く機会があった。
その時デザイナーの方は「ユニバーサルデザインというと、何か特別なデザイン力が必要だと思われるかもしれませんが、ハンディを持った方が使い易いデザインは、ハンディを持たない人にとっても使い易いデザインなのです」という話をされたのだ。

例えば、最近数多くみられるようになった「左利き用」の商品。
私が子供の頃は、左利きの子ども達は右利きに矯正された。
それが功を奏しているのか?元左利きの方の中には、左右同じようにお箸を持ったり、筆記ができているする。
今では、無理やり左利きから右利きに矯正することは、ほとんどないと聞いている。
その為新たに登場したのが「左利き市場」ということになる。
さすがに「左利き」という方は、マイノリティーと言われる少数者とは言えないが、「生活の不自由さ」が新たな市場を創り出す、という一例だと思う。

このような事例をより幅広く考えていくと、自然に「ユニバーサルデザイン」に行きつく。
障害を持った人にとって、クルマの乗り降りが楽なくデザインは高齢者や妊婦さんにとっても快適なデザインだろう。
場合によっては、大量の荷物や重たい荷物をクルマに載せる、という場合も楽かもしれない。
そう考えると、これまでの「健常者」の中でも、20代~50代くらいまでの人たちを、市場の中心と考えてきたことが、市場そのものを狭めている、ということにもなってくる。

「市場を狭める=限定的な対象者」だと考えると、「新しい市場をつくる」必要性が求められている今は、これまで市場の対象者ではなかった人たちに注目し、その人達の社会的問題を解決するという発想が、求められるようになるのは当然のことだろう。
今までと同じような人=マジョリティを対象として考えてきた市場は、市場そのものを狭め・限定的な対象者である、と考える時代になってきているのではないだろうか?


男性を起用する、コーセー化粧品 ‐視点を変える‐

2023-04-06 21:11:44 | マーケティング

日経新聞のWebサイトを見ていたら、大谷翔平選手を広告に起用した企業の記事があった。
日経新聞:「大谷翔平特需」コーセーの賭け 社内「韓国派」を社長が説得 

有料会員記事なので、記事内容を全文読めるわけではないが感の良い方なら「あ~~~、あの広告」と、気づかれるのではないだろうか?
コーセーが、MLBで活躍をする大谷翔平選手を広告として起用しているのは、「雪肌精」という名前のスキンケア商品と、それよりもハイブランドスキンケア商品として位置づけられている「コスメデコルテ」だ。
コーセー・雪肌精公式:大谷VS太陽キャンペーン 
コーセー・DECORTE:大谷翔平 キャンペーン 

実は、コーセーが広告に女性向けの商品ラインに男性を起用したのは、大谷翔平選手が初めてではない。
大谷翔平選手を起用する前、フィギュアスケートの羽生弓弦さんを「雪肌精」で起用している。
これまで「雪肌精」の広告は、新垣結衣さん等を起用してきただけに、羽生弓弦さんを起用するというのは随分大胆な決断だな~という、印象を持っていた。

結果として羽生弓弦さんの中性的な魅力、アスリートとしての真摯さ、何よりもしなやかで豊かな表現力が、男性・女性という枠を超え広告として魅力的なモノとなったような気がしている。
もちろん、この時の購入者は世代を超えた女性だったのでは?と、考えている。
何故なら、羽生弓弦さんは世代とは関係なく多くの女性ファンがいたからだ。
その点から考えると、今回の大谷翔平選手の起用は、納得できる部分と何故?と感じる部分がある。

大谷翔平選手は、羽生弓弦さん同様男女関係なく、そして世代も関係なく多くの人から支持されている。
特に、先に行われたWBCの試合での活躍で、野球を知らない女性層のファンも獲得したはずだ。
ただ、大谷翔平選手に起用はそのような「新たな顧客層の獲得」だけではなかったのでは?という、気がしている。

一つは「雪肌精」という商品での起用という点だ。
「雪肌精」というのは、いわゆる「美白スキンケア」と呼ばれるカテゴリーの商品だと、考えている。
今や男性であっても、スキンケアは必須となり、ここ数年ドラッグストアーでは男性向けスキンケア商品の売り場が拡充されている。
その中でも特に売り場を大きくしているのが「日焼け止め」のように思われる。
かつてのような「日焼けした、逞しい男性」ではない男性像が、求められているようだ。
そこに、本来女性向けスキンケア商品という位置づけであった「雪肌精」に、羽生弓弦さんという男性を起用するということ自体、話題になったが、今回の大谷翔平選手は太陽に日差しをたっぷり浴びる野球選手だったことから、意外性もあったのでは?と想像するコトができる。
そして「雪肌精」よりもハイブランドという位置づけとなっている「コスメデコルテ」への起用は、男性が使うのではなく男性から女性への贈り物、あるいは「このような商品を使う女性は素敵」ということを、大谷翔平選手を起用することで、女性にアピールをしているのではないだろうか?
だからこそ、社長自ら社員を口説き落とすという、逆転現象のようなコトになったのだろう。

日経の記事にあった「韓国」云々という部分だが、10年ほど前から若い女性を中心に「韓国コスメ」が人気となっている。
女性ファッション誌には「美容大国・韓国」と紹介されることも多く、確かに韓国出身のタレントさん達の多くは「肌がキレイ」と感じさせることも多い。
もう一つは、K-Pop人気ということもあったのでは?と考えている。
ご存じの方も多いと思うのだが、元々韓国での音楽市場は日本と比べると、各段に小さい。
その為韓国エンターテイメント業界は、日本を市場の中心として考え、アジアへの進出に積極的だった。
そのような背景があり、「冬ソナ」以来の「韓流ブーム」となり、それが定着しつつある、というのが今の状況なのだ。

日本の生活者の志向から考えれば、当然「韓国人タレント」の起用があってもおかしくはなかっただろう。
それをあえて、大谷翔平選手を起用する、ということは「日本人としての誇り」のような部分もあったのではないだろうか?
「広告」そのものは、不特定多数の人達に届ける媒体だ。
とすれば、大谷翔平選手の起用は、大成功だったのではないだろうか?