日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

オリンピックは、カタチを変えた「感動ポルノ」かもしれない

2021-06-17 20:19:57 | 徒然

文春のWEBサイトに、バッハIOC会長の記事があった。
文春オンライン:東京五輪へ猪突猛進…日本国民猛反発でもバッハ会長が自信満々でいられるワケ

この記事を読んで、バッハ会長は今回のことだけではなく、サッカーの国際イベントまで関係していたのだな~ということを知った。
それは「本人の経歴に傷がつかない」という部分だ。
ここに書かれている内容を読んで、「あ~~あのことか!」と思い出された、サッカーファンはさほど多くはないかもしれない。
記事中にあるドイツのA社というのは、アディダス社のことであり、日本の大手企業というのは電通のことだ。
この2社がつくった、スポーツイベント会社(記事中ではスポーツマーケティング会社となっている)が、ISL社だった。
そしてこのISL社が絡んだスポーツイベントというのが「FIFAクラブ世界選手権」というサッカーの国際大会だった。
ただ開催する予定であった年に突然倒産をし、サッカー大会そのものが宙に浮き、カタチを変え「FIFAクラブワールドカップ」という名前になった、という経緯がある。
この第1回目を仕切り、第2回目を頓挫させた企業がISL社の倒産によるものだった。

しかし、この倒産劇も噂レベルでは「計画倒産」だったのでは?ということも、ささやかれていた。
というのも、設立に関わっていた電通が早々に手を引き、アディダス社についても、さほど大きな損害があったという話も聞かず、この倒産そのものがウヤムヤになってしまったからだ。

このような経過から、バッハ会長はスポーツをあくまでもビジネスとして捉えているのでは?という気がしたのが、この部分だったのだ。
であれば、バッハ会長にとっての「ビジネスとしてのスポーツ」は何を売っているのか?と、考えると、それはおそらく「感動」なのではないだろうか?
「感動というショーを見せる」というのが、IOCをはじめとする関係団体や企業にとって、今現在のオリンピックの位置づけなのではないだろうか?

日本人にとって、オリンピックそのものが、他のスポーツイベントよりも親しみがあり、様々な競技を見ながら「感動をする」。
「感動すること」が、悪い訳ではない。
このオリンピックを提供する側が「感動的でしょ。感動しないはずがないよね」という、感覚を持ってテレビ中継なり報道なりをするような仕組みの中で、多くの人たちが「感動をありがとう」と感じているのでは?という、気がしてきたからだ。

IOCをはじめ関係団体や企業にとって「ビジネス」という位置づけであり、ISL社の倒産劇などを見ると、受け手となる人達のことなど関係はない、と感じ・考えているのでは?という、気がしたのだ。
だからこそ、日本だけではなく海外からも「東京オリンピック中止論」が出ても、平気で推し進める事ができるのだ。
何故なら、ビジネスとして巨額の金銭が発生し、それによって儲けるチャンスだからだ。

「選手たちには関係ない」という意見が大半だと思うのだが、それでもオリンピックに出場することで、それまでマイナーだったスポーツにスポットライトが当てられ、スポンサー企業が出てくるという意味では、選手たちにとっても「自分の存在価値」を示す場であり、スポンサー探しの場でもある、と考えられる。
それが悪いのではない。
ただ、日本人が抱くオリンピックのクリーン過ぎるイメージが、バッハ会長をはじめとするIOC関係者やNBCのような放送権などの利権関係企業、などにとって都合が良かったのでは?ということなのだ。

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古くて新しい「日本のレンタル業」

2021-06-16 19:55:03 | ビジネス

和楽Webに、この時期ならではの読み物があった。
和楽Web:江戸時代にも「雨傘のレンタルサービス」があった!運営していたのは、現代も続くあの会社

この記事を読むまで「雨傘のレンタルサービス」というものが、江戸時代にあったとは知らなかった。
そして読み進めるうちに「日本はレンタル業の発祥の地」では?という、気がしてきたのだ。

この「雨傘のレンタルサービス」を現在の三越百貨店や大丸百貨店が始めた頃、もう一つ日本で始まった「レンタル業」がある。
それは「貸本屋」だ。
本そのものが高価で、庶民が気軽に買うことができなかった時代は、長くあったはずだ。

例えば「源氏物語」等は、貴族階級の人たちは豪華な「絵巻物」を作ったりしてはいるが、その絵巻物の基となる物語そのものは「写本」によって、伝えられたものだったはずだ。
「写本」とはいえ、人が一文字づつ書き写すのだから、それ相当の時間と労力、それに似合うだけの費用が掛かる。
とてもではないが、庶民にはそのようなものを手にするどころか、見ることもできなかった、ということは安易に想像することができる。

それが江戸時代になると「版画」による製本ができるようになり、「写本」が「本」へと変化していく。
それでも高価は「本」は、「貸本屋」という業態の登場により、庶民が「本」を読む事ができるようになっていったのだ。
もちろん「本」を読むためには「読み書き」ができなくてはならない。
それを担っていたのが「寺子屋」だったのだ。
そう考えると、日本の文化を支えてきたのは今でいう「レンタル業」だったのでは?と、考える事もできる。

もう一つ、記事中にある「広告の役割も果たしていた」という点でも、「日本独特」だな~という気がしたのだ。
今は「環境問題に配慮して」という言葉で、それらのサービスが無くなりつつあるが、スーパーや百貨店のレジ袋などは、使う側にとっては「買い物袋」という認識だが、レジ袋を持っている人を見る側は「あ~~、○○スーパーで買い物をしたんだ」ということが、当たり前のようにわかる。
買い物先のお店のステータスのようなものを判断しているのではなく、「買い物をした」ということだけに注目している人がほとんどだろう。

それだけではなく、書店で買い物をした時何気なくつけてもらっていた「書店名の入ったブックカバー」も、同様の効果があったはずだ。
随分前に読んだ本で、海外の方が日本に来られて驚く一つにこの「書店名入りブックカバー」というものがあった。
その本には
「日本人は、広告が上手い。電車などで本を読んでいる人に、書店名入りのブックカバーをつけさせ、何気なく宣伝をしている。そして宣伝に一役買っているはずの本を読んでいる人は、そのコトを認識していない。認識していないどころか、カバーがあるため綺麗な状態で本を読むコトができる」
という一文があったのだ。
そのような視点で「書店名入りブックカバー」を見たことが無かったので、「視点を変えるとそう見えるのか!」と、驚いたのだ。

今では絶滅してしまった「レンタルレコード店」も、日本だけでしか存在しない業態だった。
それは、レコードそのものの価格が米国などに比べると高く、アイドルのレコードが欲しい世代にとって、簡単に購入する事ができなかった為に、自然発生したような業態だったからだ。
それが、時代の変化と共に「レンタルビデオ店」等に変化していった、ということは私と同世代であれば、実感としてあるはずだ。

「レンタル業」そのものは、決して日本の専売特許のような業態ではないはずだ。
しかし、「レンタル業」が文化や広告などに影響を与え、ビジネス化してきた、というのは日本だけなのではないだろうか?
そんなコトを考えながら、記事を読んだのだった。

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人は「孤独感」から、買い物をするのか?

2021-06-15 16:47:21 | ビジネス

拙ブログにこられる方は、ご存じかもしれないファッション専門誌・WWD。
そのWWDに「生活者の消費意識」という調査データがあった。
WWD:アパレルブランドは信用できない?サステナに関する米消費者アンケート

「な~~んだ、米消費者のアンケート調査なのか」と、思い興味が失せた方もいらっしゃるかもしれない。
確かに米国の消費者アンケートによる、データではあるのだが、日本の生活者に対しても当てはまる部分はあるのでは?と、考えている。
特にZ世代と呼ばれる、10代後半から20代の若者たちの「モノ・コトの見方」は、米国も日本も共通する点が多いような気がしている。
それは、情報の国際化という点が大きく、米国の若者たちは「(経済格差や人種的格差)による社会不安」を抱えており、日本は「経済的不安」がある反面、この世代の若者たちは「社会に対する関心も高い」という、共通点もあるからだ。

記事の見出しとなっている「サステナブル」という言葉そのものは、「なんとなく理解している」という方のほうが、多いのではないだろうか?
他にも「エシカル」等という言葉も、最近よく聞くようになった。
このような、カタカナ言葉は「ふんわり」と「なんとなく雰囲気やイメージで理解をしている」という方のほうが多く、現実には「何がサステナブルなのか?エシカルとは何ぞや?」という方は多い。
ただ「SDGs」という国連が定めた「17の持続可能な開発目標」を達成するための、キーワードとして使われる事が多い、ということだけはご存じの通りだ。
そしてこれらのキーワードは正にZ世代の消費キーワードの一つなのだ。

この米国での生活意識調査から見えてくる点は
①環境に配慮した製品である、ということは当然で、人権などについてもどのように考え行動をしている企業なのか?
②物流においても、どのようなシステムで行われているのか?
③「安い」ことが、購入の動機とはならない
等が挙げられる。

しかし、これらの生活意識の変化を覆すような消費行動となったのが、「新型コロナ」の感染拡大による「孤独感」からの衝動的買い物だ。
この「孤独感からの衝動的買い物」を可能にしたのは、言うまでもなくネット通販だ。
そして「買い物をする」ということ自体は、決して悪い事ではない。
悪い事ではないのに、購入後ある種の罪悪感的なモノを感じてしまうのは、上述したような「サステナブル」な買い物をした、という感覚が持てず、その最たるものがアパレル商品である、ということになるのだと考えられる。

おそらく「孤独感から衝動的に買ってしまった服」というのは、安価で既に似たような服があるのに、なんとなくネット通販で購入してしまった、というものなのだろう。
だからこそ、罪悪感のような「後ろめたさ」があるのだ。

この意識調査でわかることは「人は孤独感から、さほど欲しいと思っていなくても、ネット通販などであれば購入する」ということだろう。
それが、ネット通販ビジネスでは有利になった、ということ事ではなく、「孤独と消費行動」という視点を持って目先の利益以外の生活者とのコミュニケーション法、というものが必要になってきている、視点が必要なのでは?と、考えている。

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一元的な見方では、本質を見落とすのでは?

2021-06-13 22:35:57 | ビジネス

日経新聞に、「代替肉」についての記事があった。
日経新聞:代替肉、日本出遅れ 資金調達で海外に見劣り(有料会員記事)


「代替肉」と言っても、興味のある方と興味のない方とでは、持っている情報量が違うのでは?という印象を持っている。
というのも、ベジタリアンやベジタリアンよりも厳しい菜食主義を指す「ヴィーガン」と呼ばれる人たちと、普通に肉や魚を食べている人とでは、「動物由来の食品」に関する情報量が、全く違うからだ。
当たり前のように肉や魚を食べている人達にとって「代替肉」と聞くと、「肉の代用品」というイメージを持つだろうし、日本人にとって「大豆食品」そのものが、とても身近な食べ物でありその種類も多いため、「何も、大豆を代替肉にしなくても…」という、感覚を持たれるのでは?という、気がしている。
しかし、大豆を食べるという食習慣がほとんどない欧米では、「代替肉」そのものが「注目食材」ということになるのだ。

日経の有料会員記事で読める範囲で感じることは、「日本の代替肉市場はとても小さく、大型資本が入っていない。また、海外への輸出なども少ない」という印象がある。
確かに、上述したように日本では「代替肉」ではなく、「大豆製品」そのものの種類が多く、それらの製造企業そのものも中小零細であるため、大型資本の下でのは行われていない。
また「日本の食生活」の中では、「大豆製品を「代替肉」として使う必要が無い=市場規模そのものが小さい」ということがあると思う。

その視点を忘れて「代替肉」という特定の製品だけに注目し、「出遅れている」と考えるのはどうなのだろうか?
むしろ「日本の食文化」をアピールするチャンスなのでは?と、考えるのだ。
元々ベジタリアン生活をしている人たちが、身近にいる。
「仏教の食事=精進料理」は、「殺生を排除した食事=ヴィーガン食」に近いからだ。
そのような食生活の中から、僧侶たちは大豆を美味しく上手に使う方法を生み出し、発展させてきた。
お坊さんたちからすれば、「何を今更ヴィーガン?自分たちは、昔からそんな食事を続けてきた」と、言いたくなるのでは?という気すらしている。

そう考えれば「代替肉」という、限定された食材の市場を考えるのではなく「大豆食品」という視点で考えれば、日本の市場は世界の中でもトップクラスの市場が既にある、ということになる。
日本人にとって、一番馴染みがある大豆食品「豆腐・納豆」等は、日持ちがするものではないし、独特のにおいに抵抗感を持たれる食材でもある。
しかし「高野豆腐」や「豆乳」、最近ダイエットの味方と注目されている「おからパウダー」のような製品は、十分輸出が可能だ。
そのような既に日本で商品化され「代替肉」よりも調理の幅が広がるような、日本の食をシッカリアピールし、市場を国外に広げるという考えのほうが、「大豆製品」という市場の本質的な見方なのでは、ないだろうか?





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企業内起業が増えている?そのメリットとは

2021-06-12 20:45:50 | ビジネス

先日、HONDAのサイトに「企業内起業」でつくられた製品の記事があった。
HONDA Stories:Honda発のベンチャーが、視覚障がい者の自由な移動をサポート

HONDAがクルマではなく、「歩行者」を対象とした製品開発の記事を見ることがある。
随分前だが、新入学児童を対象に「交通安全アドバイスロボ」という商品の開発の話があった。
今回紹介したサイトでも、この「交通安全アドバイスロボ」についての記事があるのだが、どうやらHONDAは「歩行者」を「移動する人=人もまたモビリティーである」という視点を持っているようなのだ。

「モビリティー」というと、クルマのような移動体を考える方は多いと思う。
実際、「モビリティー=クルマ」という認識で、とらえられてきたはずだ。
しかし「人もまた移動をする」と考えれば、「人というモビリティー」という考えもまた、できるだろう。
だからこそ、自動車メーカーであるHONDAが「歩行者の為の道具をつくる」ことは、当たり前のことだ、という発想が生まれてくるのだろう。
そして今回開発したのが、視覚障がい者の為の「歩行サポート」の道具だ。
開発秘話のような話や、実際の「道具」については、リンク先に動画を見ていただきたい、と考えているのだが、HONDAに限らず、最近ではこのような「企業内起業(あるいは企業内ベンチャー)」を支援する、企業が増えてきているような気がしている。

何故なのか?と考えた時、起業をする側にとっても、企業側にとっても大きなメリットが、あるからだろう。
そのメリットとは・・・
①起業側にとって、大きな起業資金を必要としない
②特許などの申請のアドバイスやサポートが受けやすい
③通常の業務ではできない、冒険的な仕事ができる
等が、起業する側にはあるだろう。
それを支援する企業側にとっても
①特許などのサポートをする代わりに、特許の一部を保有することができる(かもしれない)
②新規事業の立ち上げに際して、大きな投資をする必要が無い
③イノベーションを起しやすい企業文化の形成
④新しい事業の進捗状況を把握することができるため、場合によっては企業内に移管することも可能
の理由が、考えられるのではないだろうか?

昨年、「新型コロナ」の感染拡大に伴い、これまで「副業禁止」をしていた大企業でも、「副業OK」へと変わった。
その狙いとしては、副業をすることによって、違うモノの見方、考え方ができるようになり、それがフィールドバックされれば、企業内の新しい刺激となり、イノベーションが起きやすくなるのでは?という期待があったはずだ。
もちろん、それは「建前」であった、本音としては「給与が上がらない状況は、副業でカバーしてくれればよい」というような、企業側の都合も大きかったのでは?という気がしている。

ただし、副業となればいつか企業を辞めた時、企業内で知り得た様々な情報や技術が流出するのでは?という、リスクがあるかもしれない。
そのようなリスクが「企業内起業」には、まだ少ないと考えられるため、メーカーを中心に拡がってきているのでは?という、気がしている。

      

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SNS上に表示される広告を、スルーするのはもったいない

2021-06-11 18:49:02 | ビジネス

LINEやTwitterなどを利用されている方は、老若男女に関わらず、増えていると思う。
そのため、様々な広告がSNS上に表示される事になる。
その中で一番多いのは、美容系の通販だという気がしているが、ゲームの広告や健康関係の広告などが表示される場合も、決して少なくはない。

興味のない広告などは「削除」ということになるのだが、先日「削除」しようと思って画面をよくよく見たら、「ムゥ~~~ッ」と、考えてしまう広告が表示されていた。
それは「China Eastern Italy」という広告表示だったからだ。
「中国東方航空・イタリア事務所」の広告だろう、ということは分かる。
ただ、この広告表示を見て、なんとなく気持ちがザワザワとしたのだ。
「言い知れぬ嫌な感じ」と言ったほうが良いのかもしれない。

というのも、このサイトにある広告動画を見ると、欧州(おそらくイタリア)の子どもが、初めて中国を旅行し喜んでいる」という内容だったからだ。
この広告が悪いというのではなく、中国の欧州における戦略のようなモノを感じたからだ。

ご存じのように、中国に対する風向きは決して良いものではない。
それは「香港・ウィグル自治区」への弾圧による人権問題(当然だが、「チベット問題」も含まれる)、「全国人民代表大会(通称「全人代」)などで発表される中国政府の政策などに対して、危機感を募らせているのが米国や欧州だからだ。
中国が経済的力を持つようになればなるほど、米国や欧州(旧西側諸国)は危機感を募らせている、という印象が強くなってきている(ように感じている)。

そのような米国や欧州での政治的動きを見た時、「市場としての中国。世界の工場・中国」としての魅力は無くなり、経済や軍事などにおける「脅威」と感じ始めているのでは?という印象があった。
そのような政治状況の中で、「中国のイメージアップ」としての「イタリア旅行のお誘い」というよりも、中国が積極的に世界のエアラインの中心になりたがっているのでは?という、気がしたのだ。

そう感じさせたのは、中国東方エアのイタリアが広告を出している、という点だ。
「新型コロナ」の世界的感染拡大により、世界のフラッグキャリアと呼ばれる航空会社(だけではないが)は、大打撃を受けている。
その中でもイタリアの航空会社・アリタリアは、「新型コロナ」が感染拡大する前から経営不振に陥り、国営企業となっていた。
そこに、追い打ちをかけたのが世界的感染拡大となった「新型コロナ」だったのだ。
このような状況を知ると、イタリアのフラッグキャリアであるアリタリア航空の凋落に合わせて、中国の中国東方エアが、積極的にイタリアで動き始めているのでは?という、気がしたのだ。

もちろん、私の個人的予測でしかないし、自由経済を標榜する経済圏であれば、どのような企業がどのような国に進出しようと、アレコレ言われる筋合いはない。
だが、フラッグキャリアと呼ばれる「半官半民」企業の凋落に合わせて、積極的な広告を打つという意味を、考えると中国の航空業界における政策のようなモノを感じてしまうのだ。

SNSの広告に表示された情報というのは、決して多くはない。
だが、多角的な情報を得る事で、その広告の先にある戦略的なモノを感じ取れるのではないだろうか?



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論理的思考力を身に着けるために、必要なこととは

2021-06-10 19:46:16 | ビジネス

デイリー新潮に、なかなか興味深い記事があった。
ネット記事としては、長文なのだが一読し、納得できる点が数多くあった。
その記事とは「日本の没落」というテーマの書籍が、23年前に書かれており、その一部を紹介した内容だ。
デイリー新潮:コロナ禍で鮮明になった「日本の没落」…経済学者が23年前に著作で鳴らした警告

この「なぜ日本は没落するのか」という本の著者・森嶋通夫大阪大学名誉教授(経済学)さんを存じ上げてはいないのだが、岩波のHPにある「本の内容」を読み、「なるほど!」と感じる部分が多かった。
その一つが、ドラッカーも再三指摘していた「人口構成の変化と社会変化」という点だ。
これは、マーケティングの分野で仕事をされている方なら、よく理解されている点だと思う。

ドラッカーが指摘したのは「今10歳の子どもは、10年後20歳になる。10年後に20歳になる人口は今の10歳の人口より減ることはあっても増えることが無い」という視点から、どのようなコトが考えらえるのか?市場規模は、今後10年間でどのように変わるのか?ということを、人口統計を含む公的統計によって、ある程度の予測はできる、という指摘であった。

このような内容を書くと、「当然だろう!」と思われると思うのだが、何故かこの「当然だろう!」という視点がないまま、市場規模を考えようと、顕著に表れたのがここ10年くらいの日本なのでは?という、気がしている。
その中には、海外からの観光客によるいわゆる「爆買い」による「インバウンド効果」等もあったが、「爆買い」による「インバウンド効果」は、ある意味「あだ花」のような存在であり、日本経済の基礎となるモノではなかったはずなのだ。
にもかかわらず、「インバウンド効果」という「あだ花」に引っ張られるようにして、多くの企業が「あだ花」を期待するようになり、「あだ花」を少しでも獲得するための事業戦略を作ってきた、という気がしている。
それは森嶋氏が指摘している「バブル期における、不動産信仰」と通じるモノがある。
そしてそのような、余剰の経済効果となる材料がなくなったのが、「コロナ禍の日本の経済」ということになると思う。

もう一つ感じた事は、この記事の冒頭にある「微分積分や因数分解」についての部分だ。
私自身、中学高校と、大の苦手としてきた「数学」だ。
そして、麻生大蔵大臣の「社会人になって微分積分や因数分解は使わない」という、言葉は確かに一理ある、とは思っている。
確かに「微分積分や因数分解」を解くことは、社会人になってから、ほとんど無かったからだ。
ただ「微分積分や因数分解」を解くことは無くても、「微分積分、因数分解」によって求められる「解」の意味は、知る必要があった、と実感することが多々あった。
言い換えれば「その数字の意味するところは何か?」という、「データを読み解く力」の基礎として、「微分積分」等の知識が必要なのだ。
それは「論理的思考力」へと繋がっている力でもある、ということでもある。

「論理的思考力」という点で、「コロナ禍の日本」を見た時、昨日の党首討論ではないが、日本を動かす政治家が、自分の感動物語を語り、その場をしのぐなどという、恥ずかしい事はない。
「日本人は、情緒性に富み・共感性も高い」と言われているが、「論理的な話」をしなくてはいけない場面で、その場しのぎの為と言いながら、自分の感動話をしてしまう、というのは元々「論理的思考力が欠けている」と言われても、仕方ないのでは?という気がしている。
それは、政治家だけではなく「微分積分や因数分解」を沢山解いてきたはずの、官僚たちにもいえる事のような気がしている。

「微分積分を解く力」ではなく、微分積分を解く力を身に着けられたはずの「事の意味を知る力の欠如=モノ・コトの本質を知る力の欠如」が、日本の凋落(と言いたい)の要因だとすれば、おのずと何が必要なのか?ということも見えてくるはずだ。
そしてそれらの力は「ビジネスの基礎知識」である、「マーケティングの基礎力」だともいえるのではないだろうか?

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「オリンピックを開催するなら・・・」という、生活者の声をJOCと東京都、政府はどうするのか?

2021-06-09 15:05:36 | 徒然

東京オリンピック開幕まで50日を切った。
国民の大多数は「中止、もしくは延期」だと思っていたら、読売新聞の調査ではわずかだが、「開催」のほうが多かった、という世論調査が出ていた。
讀賣新聞:東京五輪「開催」50%、「中止」48%…読売新聞世論調査

この数字を鵜呑みにしてよいのか?という点はあるのだが、いずれにしても「中止もしくは延期」と「開催」の二つの意見に国民が揺れ動いている、とみるべきなのか?国が「強行に開催する」と言い続けている事で、諦め気分の「開催」ということなのか?というところまでは、分からないが、「開催」に向けての論調に動き始めている、ということなのだろう。

この世論調査とは別に、読売新聞では「G7でも開催を支持」という記事を掲載している。
讀賣新聞:【独自】G7、東京五輪の開催支持へ…首脳宣言に明記

このように「開催」に向けての論調が増えてくると、社会的な雰囲気として「(仕方なく)開催支持」という人達が増えてくる、ということも考えられる。
ただ、「(仕方なく)開催支持」という人達の中には、「東京オリンピックを開催するなら、何故他の人が集まるイベントはダメなの?」ということを、言い始めるだろう。

事実Twitter上などでは、「オリンピックするなら、何故音楽フェスはダメなの?」というtweetを見ることも増えてきている。
特に毎年海外からミュージシャンを招聘して行うような大型音楽フェスなどは、オリンピック開催の為に海外から選手を受け入れるのと、大差ないんじゃない?という気持ちにもなるのは、仕方ないのでは?

JOCや東京都、政府は「オリンピック開催にために、安心・安全な万全な体制を整えているので、音楽フェスとは違う」という、説明をするとは思うのだが、その規模などから考えれば、どちらが「海外からくる人達行動制限をし易いのか?」という、新たな指摘もされるだろう。
もっとも、海外ミュージシャンが今の日本の状況を知って、「音楽フェスに出演する」と、言ってくれればの話だが…。

もっと身近な話であれば、「子どもの運動会はダメで、オリンピックがOKという理由を知りたい」という、親御さんたちもいらっしゃるだろう。
学校の運動会は、競技場とは違い完全オープンなので換気の心配もないし、「3密」とならないための制限もしやすく、協力も得やすいはずなのに、何故?という、疑問が付きまとうはずだ。
そしてこのコトに対して、JOCも東京都、政府も明快な回答をこれまで一度も出してはいない。

JOCはもちろん、東京都もIOCもそして政府もこれらの質問に対して、見事なまでに「スルー」している。
そのような態度が、「オリンピックだけ特別扱い」という印象を与え、「オリンピックだから、何をしてもいいのか?」という、反発が生まれるのだ。
このような生活者の気持ちがあるのに、オリンピックを強行開催をしても、政府やJOC、東京都が掲げるような「スポーツの魅力」等は伝わるはずもなく、むしろ「オリンピックと東京都の犠牲になっている」と、反感を買うだけではないだろうか?

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「ロック音楽」は、経済と関係があるのか?

2021-06-08 19:31:20 | ビジネス

経済誌のDIAMOND-onlineに、面白い記事があった。
プリンストン大学の教授であった、故アラン・B・クルーガーの「経済の本質はロック音楽が教えてくれる」という内容だ。
DIAMOND-online:オバマ絶賛!!「経済の本質はロック音楽が教えてくれる」プリンストン大学教授スピーチ

言わば書籍の広告の為の記事、ということになるのだが、タイトルに「ロック音楽と経済」という、ギャップのある言葉が並ぶと、やはり気になってしまう。
これまで、様々な人達が「経済について」ということを、それぞれの視点で考え、数多くの本が書かれてきた。
そのどれもが「経済の本質」の一部を指摘しているのでは?と、思っている。
ただ、お堅い語り口ではなく「ロック音楽」という、いわば大衆音楽を「経済」という視点で見ると、どうなのか?というテーマは、なかなか興味深いと感じた、ということなのだ。

書籍そのものをまだ読んではいないのだが、クルーガーと同世代の私にとって「ロック」という音楽は、子どもの頃から慣れ親しんできた。
そして、ロックという音楽が社会に与えてきた影響というのも、当時は分からなくても大人になり様々なコトを学ぶ過程で、その関連性なども分かるようになってきた。
それは「ロック」という音楽だけに限らず、場合によってはスポーツ、特にサッカーなどが当てはまるのでは?と、感じることも多々あった。

その理由は、「ロック」という音楽にしても「サッカー」というスポーツにしても、「多くの人が熱狂する力を持っている」という共通点がある。
それは1950年代にエルビス・プレスリーが登場した時から、変わってはいないように思う。
もちろん「ロック」という音楽そのものも、時代によりどんどん変化をし続けている。
ベトナム戦争の頃は「反戦」という言葉と共に、「ロック」という音楽はあった。
それが1970年代後半、経済的な落ち込みが続くイギリスから登場したのが「パンク・ロック」だった。
「パンク・ロック」の芽となるモノは、その前からあったはずだが、爆発的に受け入れられたのは1970年代後半、ということになるだろう。
「パンク・ロック」に関していうなら、熱狂的に支持をしたのがイギリスの労働者階級の若者であった、という視点を持てば、クルーガーが研究対象としていた「労働経済学」とも結びつくだろう。

ただ、残念なことにこのような経済と音楽の結びつきが論じられるのは、日本ではないから、という点は大きいような気がしている。
何故なら、日本におけるJ-Popと経済という結びつきは、あまり感じられないからだ。
昨今指摘されている「音楽フェスと経済」という視点はあるとは思うのだが、日本の場合J-Popという大衆音楽が、ファッションや行動心理学にまで影響を及ぼしている、という感覚が無いからだ。
これは、私個人の感覚なので断言できるものではないのだが、上述したようにJ-Popがファッションや若者の社会行動に翁影響を与えた、という歴史が日本にあったのか?という点では、疑問を感じるからなのだ。

それは社会的背景が大きいのだと思う。
米国の中西部ではいまだに「ロック」よりも、「カントリーミュージック」を聴く人達が多く、その「カントリーミュージック」を聴く人たちの政治的思考は、比較的保守的である、と言われている。
それに対して、東海岸や西海岸の様に若者文化の発信地となる地域では「ロック」が支持されるだけではなく、様々なカテゴリーの音楽が支持されている。
その多様性が、その地域で生活している人達の多様性に繋がっている、という視点を持てば、なんとなくだが納得できるものがあるはずだ。
そのような社会背景が無い日本では「ロック」という音楽が「経済の本質」と言い切れるのか?という点は、疑問だがこれまで見過ごされがちであった「若者の行動心理にロックという音楽が、少なからず影響を与えている」という視点は、面白いと思うのだ。

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経済学者が、自分の利で発言するのは、いかがなものかと…

2021-06-06 20:16:09 | 徒然

我が家にはテレビそのものが無いので、今日放送された「そこまで言って委員会NP」という番組そのものを、よく知らない。
知らないのだが、ネット上で話題になるので番組に出演されているコメンテーターの方々の、ややもすると過激は発言が受けている番組なのかな?と、思っている。

その番組で、竹中平蔵氏の「東京オリンピック」に関する発言が、ネット上で話題になっている。
デーリー:竹中平蔵氏 尾身会長の五輪発言を批判「明らかに越権」「ひどい」

この「越権・ひどい」と批判した尾身さんの発言というのは、政府の「新型コロナウイルス感染症対策分科会」での発言であったことを考えると「パンデミック状態になっている今の状況で、オリンピックを開催することは、感染症対策分科会として、問題である」という立場で国会で発言されたモノだろう。
とすれば、尾身さん側とすれば「越権」でも何でもなくて、現状を話したに過ぎなかったのでは?という、気がしている。
そしてそれは、多くの国民が感じている「危機感」や「恐怖感」だと思う。

竹中氏は「東京オリンピック・パラリンピック」を開催することで、様々な利益を受ける立場にある。
何故なら、竹中氏はパソナの会長で、先月末「東京オリンピック・パラリンピックに派遣される、東急エージェンシーやパソナに対する厚遇」が、問題になったばかりだからだ。
AERA dot.: 「東京五輪の日当は35万円」国会で暴露された東急エージェンシーやパソナへの厚遇

番組の収録がどのくらい前であったのか?という時間的な差もあるとは思うのだが、尾身さんの話が3日前であったことを考えると、今回の竹中氏の発言は「自分の利益を守りたい」という発言と捉えられても仕方ないように感じるのだ。
まして竹中氏は、元々経済学者だ。
「経済」を教える立場にある人が、「自分の利益を優先させている」と捉えられても仕方のないような発言は、いかがなものだろう。
既に「経済学」は教えておらず、実業家としての立場なのかもしれないが、とすれば、益々問題のような気がするのだ。

オリンピック・パラリンピックのスポンサー企業がこぞって、無言を貫いているのは、ご存じだと思う。
それは「開催する・しない」の発言をすることで、企業に与える社会的見方が大きく変る、ということがあるからだ。
もちろんスポンサー契約の中には、「オリンピック・パラリンピック開催などについての発言をしない」等の条項が、盛り込まれているかもしれない。
盛り込まれていないとしても、スポンサー企業として不用意な発言は企業にとってダメージを与える、という認識があるからこそ、無言を貫いているのだ。

スポンサー企業の慎重な態度とは正反対の態度を、オリンピック・パラリンピックによって利益を得る立場のトップがしたとすれば、やはり問題だと思うのだ。
まして「経済」を教える立場にあった人物が、今一番求められている「経済の考え方」と真逆な、「自己益優先」ともとらえられる発言は、経済学者としても実業家としても、問題だという気がしている。

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