日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「ストロング系」から「ライト系アルコール飲料」へ

2021-09-24 19:45:47 | ビジネス

HuffpostにPR記事として、アサヒ飲料がチョッと変わった広告を出している。
Huffpost:”微アルコール”と選ぶ人が増えている。アルコール分1%未満で、の見方の多様性は広がるのか?

「新型コロナ」が感染拡大が懸念され、「リモートワーク」を実施する企業が増え始めた昨年の春。
その頃から、アルコール飲料の購入傾向が変わりつつあった。
いわゆる「ストロング系」と呼ばれる、酎ハイを中心とした「高アルコール飲料」が、爆発的に売れ始めたのだ。
その背景には、先行きが不透明の中「1本で酔える」という、「お手軽現実逃避」のような心理と「自宅にいるという気安さ」や「外出できないストレス発散」があったのでは?と、言われている。

その後「ストロング系アルコール飲料」は、「潜在的なアルコール依存者を増やしているのでは?」という、指摘があり「お酒と程よい付き合い方」ということが言われるようになった。
とはいうものの、昨年春から夏にかけ口当たりの良い「レモン」に特化した缶酎ハイが、酒造各社から発売され昨年のヒット商品になった。
市場的には「ストロング系」は、生活者の支持を得られた、ということになるだろう。

その流れが変わったのが、今年になってからだ。
「ライト系アルコール飲料」が、各社から発売されるようになったのだ。
「ストロング系」とは違い、「ライト系アルコール飲料」であれば、アルコール依存症へのリスクも少ないだろう、という安心感や「ストロング系」に飽き始めた生活者が、現れ始めているのかもしれない。
というよりも、「昨年のストロング系よりもライト系アルコール飲料のほうが、安心をして飲める」という、知人もいる。
その方が新幹線通勤をしている為、お酒を飲む場所は新幹線の車内という、理由も大きいかもしれないのだが、リモート中にお酒を飲むようなことは無くても、自宅で仕事をするという時間が長くなればなるほど、何かしらの飲み物をそばに置き、仕事をするということがあたりまえのようになる。
昼間はコーヒー等を飲みながら、という人であっても、夕方仕事がひと段落したらビールの1杯でも飲みたい、という気分になる人は多いのでは?

そのような人の気持ちに応えたのが、アサヒスーパードライ「生ジョッキ缶」もその一つだろう。
「缶ビールなのに生ジョッキのような泡が楽しめる」という商品等は、今回の「コロナ禍」があったからこそ誕生した商品だと考えている。
事実、余りのヒットで、生産が追い付かず限定販売状態が続いている。
アサヒビール:アサヒスーパードライ 生ジョッキ缶

「家飲み」需要が増えた結果、「ストロング系」と呼ばれるような「1本で酔える」と思ったのだが、結局1本で酔えるというよりも、2本、3本と飲んでしまい、「潜在的アルコール依存症」という懸念が生まれ、それに対応した商品が「ライト系アルコール飲料」ということになる。
アルコール分が少ないので「罪悪感なく、2本3本と飲める」からだ。
この「罪悪感」の中には、「アルコール依存症」というリスクの他に、「家族の目(というか、家族に対する言い訳か?)」等も含まれているだろう。
「緊急事態宣言」解除後も「ストロング系」よりも、生活者の支持を得るのでは?という気がしている。


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地方は、東京に市場を求めず世界を目指すべきでは?

2021-09-23 19:59:33 | ビジネス

雑誌の記事チェックをしていたら、「なるほど!」という記事があった。
PRESIDENT on-line:「東京にいると上場をめざしてしまう」希代のヒットメーカーが福岡移住を決めたワケ

昨年の「新型コロナ」の感染拡大が始まった頃から、感じていることがある。
それは「東京」についてだ。
明治以降、東京は日本の政治経済の中心地として、発展をしてきた。
特に、戦後の日本は高度経済成長を後押しするようなカタチで、地方出身者を集めることで「一極集中化」を創り出していった。

そのコトが悪いとは言わない。
世界の大都市と呼ばれる都市の多くは、東京と似た部分があるからだ。
英国のロンドンやフランスのパリ等は、日本の東京と同じように「経済と政治の中心」だ。
元々欧州は「都市国家」が集まり、一つの国をつくってきたという歴史的背景があるので、国としての中心はロンドンやパリでも、都市ごとの文化が残っている。
米国の様に、経済の中心はニューヨーク、行政の中心はワシントンDC、というように「経済と政治の中心地」が違う国もあることは事実だ。
「コロナ禍」におけるロンドンやパリの状況と今の東京の状況は分からないのだが、ただ今の東京を見ていると「本当の都市の魅力とは何だろう?」という、気がしてくるのだ。

「コロナ禍」によって、人々の生活スタイルは大きく変り始めている。
その一つが「リモートワーク」と呼ばれる、会社以外のが場所で仕事をする、という点だ。
「リモートワーク」が注目される前に、話題となったのが「ノマドワーカー」と呼ばれる、「職場」という場所に縛られることなく、あちらこちらへ出かけ仕事をする人達のことだった。
この「ノマドワーカー」のような仕事のやり方は、ごく一部の限られた職種の人たちだけの仕事のスタイルだと思われていたのだが、「コロナ禍」によって、「会社に出社して仕事をしなくてはいけないのか?」という考えも理解が得られるようになった。
「理解が得られる」というよりも、「緊急事態宣言」により、出社そのものがしにくいという状況が生まれた、と言ったほうが良いのかもしれない。
そして今でも「リモートワーク」が、推奨されている状況が続いている。

このような状況になると「東京本社」でなくても良いのでは?という企業も現れてくる。
「パソナ」や「アミューズ」は、東京から地方へと本社機能を移転させた。
それが可能となったのは「リモートワーク」ができる、ということが分かったからだろう。
そのような社会状況の変化は、「ビジネス都市」としての「東京」とは何か?ということにもなってくる。
少なくとも、ネット社会になり「情報の集積地」ではなくなりつつある。

「情報の集積地ではない」ということは、地方であってもその情報を集め・発信することができる、ということでもある。
ネットの最大の強みは「世界と繋がりやすい」という点だからだ。
戦後、地方の多くは「プチ東京化」を目指していたような傾向があった。
その結果、地方文化等が廃れ、人が東京に集中し地方経済も衰退し、地方財政が厳しくなった。
まず地方財政の健全化を図るためには、東京を目指すのではなく「世界を目指す」という視点で、イノベーションを起す必要があるのでは?
「イノベーション」そのものは、言葉のイメージにある「大変革」である必要はないし、「イノベーションは些細なことから始まる」とドラッカーは著書に書いている。

ゴールの設定を、東京ではなく世界(のどこか)に置くことで、これまで感じてきたことや視点が変わるはずだ。
それが「東京一極集中」からの脱却を促すのではないだろうか?




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中国恒大集団とリーマンショック

2021-09-21 22:06:51 | ビジネス

「世界同時株安」が起きている、と日経新聞をはじめ新聞各社が報じている。
日経新聞:世界同時株安、見えぬ中国恒大処理 リスク連鎖に警戒

「中国恒大集団」という企業が、不動産事業で業績を伸ばし、その後多角経営に転じた結果膨大な負債を抱え、今のような状況に陥っている、というのが現状のようだ。
ご存じのように、中国企業の多くは「国営」ということになっている為、中国政府がどのような後処理をするのかという点に注目が集まっている、というのが今の状況のようだ。

「新型コロナ」の世界的感染拡大により、世界経済が大きく停滞してしまった。
その結果、富裕層の間で「金余り」という状態になり、それが積極投資という動きになった。
今や米国を追い抜く勢いで経済発展(と軍備強化)を進めてきた、中国は恰好の市場となったということになる。
確かに中国そのものは人口も多く、労働コストも安かったため日本をはじめとする海外企業が積極的に進出・投資をしてきた。
それらの経済活動を背景に、中国は経済発展を遂げてきたと言っても過言ではないと思う。

ところが、一旦どこかでほころび始めると、元々共産主義を基にした経済基盤の中国は、一気に崩壊の危険性があったはずだ。
それが表面化したのが、今回の恒大集団だったのでは?という気がしている。

「不動産関連の経済破綻」というと、「リーマンショック」を思い浮かべる方も多いと思うのだが、今回の恒大集団と「リーマンショック」とでは、その要因が大きく違う。
「リーマンショック」は、元々住宅等の購入資金が無い人に「住宅を買いませんか?」と持ち掛け、ローンを組ませたことに端を発している。
元々購入資金が無い=低所得層に、無理やり高額な住宅ローンを組ませていたわけだから、いつかどこかで破綻をすることは明白だった。
それが分からないようにしていたのが、アメリカの住宅バブル(=リーマンショックの引き金)となった、複雑な「金融工学」を使った「住宅ローンの債権を分散、再投資する」というものだった。

それに対して今回の恒大集団の場合は、元々不動産事業が行き詰っていたところに多角経営に失敗が要因になっているようだ。
どちらかというと、日本の「バブル経済崩壊」の方に近いのでは?という、気がしている。
日本の場合、都市銀行や証券会社が次々と倒産、生き残りをかけ統合を進めた。
もちろん日銀の介入等により、日本経済に与えた影響は多大なものではあったが、トヨタ自動車をはじめとする「モノづくり日本」が何とか支えたことも大きかったように感じている。
とはいうものの、バブル経済崩壊から30年余りたっても、「日本経済復活」というには、程遠い状況にあると、実感されている方のほうが多いのでは?と、想像している。

そう考えると、中国政府の恒大集団に対する支援策いかんによっては、これまで中国に対して積極的に投資をしてきた企業や個人は大ダメージを受けるかもしれない。
その意味では「株価暴落」が続く可能性は高いが、それは中国に対する投資であって、新たな投資先としてどのような国が対象になるのか?というところを注意深く見る必要があるのでは?と、感じている。


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「シニア×推し活」という市場

2021-09-20 20:08:50 | ビジネス

現代ビジネスのWebサイトに、「こういう市場もあるのか?」と思う記事があった。
現代ビジネス:「BTSは孫」と思って応援…フリマアプリからわかる「シニアの推し活」の実態

ご存じの通り「BTS」というのは、韓国のアイドルグループ(と言ってよいのだろうか?)で以前日本で活動をしていた時には「防弾少年団」と呼ばれていた。
現在は、米国に活動拠点を移し今年2月のグラミー賞で、アジア人としては初ノミネートされた。
そして2,3週間前だったと思うのだが、中国政府がBTSをはじめとするK-Popのファンアカウントを凍結した、と話題になった。
朝日新聞:BTSファンアカウント停止「推し活」で1時間に3千万円超集める

確かにグッズ購入で1時間で3千万円超えというのは、中国では問題になる金額なのかもしれない。
しかも、購入の中心が10代のファンであれば、「推し活資金」という点で問題視したのかもしれないが、どうやら「ファンの間で競い合うような推し活」がされている、ということが問題だったようだ。
中国側としては、BTSに対して元々良い感情を持っておらず、中国に落ちるはずのお金が韓国に流れる、ということも癇に障ったのだろう。
他にも、グッズの種類が多く文房具類のようなものからぬいぐるみ?日本ではおなじみのTシャツ等の衣料品、もちろんCD等、とにかく種類が多いらしい。
「らしい」というのは、私の知人のお嬢さんがBTSのファンで、知人に「推し活」としてグッズが欲しい!とねだったらしい。
その時、余りの種類の多さに驚いたという。
知人曰く、そのようなグッズを公式サイトで購入するのではなく、メルカリ等のC2Cサイトを利用して購入することが多いという話だった。
その知人の話を知っていた為、シニアの「推し活」にメルカリが登場するのだ、ということと結びついたのだ。

知人のお嬢さんはまだ中学生位なので、お小遣いも限られている。
そこに自由にお金が使えるシニア層が入ってくると、中学生では購入することができなくなる。
だからこそ、母親である知人にねだってきたのだ。

何より「何故シニアの女性が、BTSにハマるのか?」と考えた時、確かに「孫のような気持ちで応援」というところもあるだろうが、それ以前に「冬ソナ」等の韓流にハマった世代である、ということも関係しているのでは?と、考えている。
「冬ソナ」にハマった女性たちは、ハングル語を習い、韓国へ年に何度も足を運び「(ドラマの)聖地巡礼」を楽しんだ世代でもある。
経済的ゆとりはもちろん、K-Popにハマる要素があったのだ。

そこに、メルカリ等のC2Cサイトの登場により、チョッとした時間にグッズを気軽に購入することができる、ということになる。
メルカリ等に出品する人達がどのような人たちか?ではなく、出品された物がレア物であればあるほど、値は吊り上がるわけだが、経済的ゆとりがあるシニア層であれば、近くに居ない孫よりもネット上で会える「推し」の方が優先されるだろうし、今の家族関係において孫が可愛くてもお嫁さんに気を遣う位なら、自分の楽しみにお金を使いたい、と考えるのは当然なのかもしれない。

このようなシニア層の消費行動の中に、潜在的にあった「推し活」が明らかになったことで、「シニア×推し活」という市場に注目する必要があるのではないだろうか?
何故なら、今までメルカリ等のC2C市場と言えば、比較的若い層が中心だと思われていたと思われていたはずだが、「推し活」という社会行動により、その市場が広がりつつあるということと同時に、「推し活」の為にTwitter等を活用し、情報収集にいそしみ、「推し仲間」を作っているということを、IT企業も含め理解する必要があるのではないだろうか?


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高齢者=隠居という時代ではないかもしれない‐「シニア・イノベーター」という考え‐

2021-09-19 20:46:30 | ビジネス

明日は「敬老の日」だ。
そして「敬老の日」に合わせ、新聞各社は「人口の○○%が高齢者」という、見出しの記事が掲載される日でもある。
日本の人口統計でも、いわゆる「高齢者」と呼ばれる層は増え続け、今年は29.1%が65歳という人口構成になっているようだ。
日経新聞:働く高齢者4人に1人、65歳以上最多3640万人、人口の29.1%

先週だったと思うのだが、FM番組で「60歳以上の人を対象に、敬老の日についての調査」という話があった。
その中で興味深かったのは、60歳を超えても「自分は敬老の日を祝ってもらいたい」という人が、とても少なかったことだ。
そして、「敬老の日をお祝いする年齢」という問いに対して、該当する多くの人達が70歳以上と回答していたのだった。
理由としては、「自分の親がまだ生きている」という回答が目立った、という。
確かに私と同世代でも、まだ親世代が健在という友人・知人は多い。
そのようなこともあり、自分が高齢者の仲間入り近い、という認識はほとんど持てずにいる。
還暦を迎えられた天皇陛下も、お誕生日会見で「もう還暦ではなく、まだ還暦という思いです」と答えられている。

もう一つ理由を上げるなら、日経の記事にあるように「仕事をしている人」が増えている、という点があるのでは?と、考えている。
その背景には、「年金だけでは十分な生活が送れない」という、経済的理由もあるはずだが、それ以外に考えられるのは「働きたい・現役でいたい」という意識があるのでは?と、考えている。

勿論、「定年退職後、悠々自適に生活をしたい」という方も少なくないと思うのだが、仕事をし続け、それなりのキャリアを積んだ人にとって「定年退職=隠居」という気持ちになれないのでは、ないだろうか?
「自分の経験を活かしたい(=社会に還元したい)」という意識を持つ方もいるだろう。
問題なのは、そのような意思のある高齢者とは言われたくない人たちが、数多くいるということだ。
そのようなことを考えていたら、「シニアイノベーター」という、言葉を知った。
VOGUE Japan:世界を変えたシニアイノベーター

例えば高齢者社会が進む地方において、シニア世代にも積極的に働いてもらうことで「生きがい」を提供することができるだろう。
とはいうものの、これまでの「シニア人材センター」のような、人材活用だけでは今のシニア世代は満足できないはずだ。
とすれば、「シニアイノベーター」のような、経験を活かしながら尚且つ社会に良い影響を与えられるようなモノを見つけ、事業化あるいはNPOのような形態で社会を動かすような仕組みを考えることも、一つの「人財活用」であり「地域の活性化」になるのではないだろうか?

おそらくそのような、アクティブな高齢者は潜在的に多いのでは?という気がしている。

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「経済格差」が生む新たな問題?-自粛生活がしにくい人達-

2021-09-18 19:56:13 | マーケティング

朝日新聞を見ていたら、興味深い記事があった。
朝日新聞:外出自粛せぬ人にうつ、精神障害傾向「ムチだけではメンタル悪化」

「コロナ禍」による、「自粛生活」が始まって1年数カ月。
この間に、政府の「Go Toキャンペーン」等があったこともあり、一旦解けた緊張感を元に戻すということそのものの難しさを実感した方も多かったはずだ。
結果として、それまで「感染者数が少なかった地域」でも、感染者数が急激に増える等「人の移動」によって、感染症は拡大するのだ、という社会実験の検証のような状況になってしまった。

このような「行動制限」から解放されたことで、「自粛生活」に戻ることなく行動する人達も現れてきた。
そのコト自体は、ある程度予測されていたコトだと思う。
理由は上述した通り、解けた緊張感を元に戻すこと自体、相当意識的な行動を強いられるからだ。

そのような中で問題になった一つが「自粛疲れによる『うつ状態、精神障害』」だろう。
調査の結果を見れば、納得する部分も多い。
例えば、「自粛生活を続けている人」が多い層が、60歳以上であり、年金生活者である、という点だ。
特に、年金支給額という問題はあるにせよ、ある程度「経済的生活基盤ができている」と、考えることができる。
その余裕があるからこそ、「自粛生活」でも持ちこたえることができるのだ。

一方、「自粛生活」の中で、自粛することが難しかった人達の多くは「非正規雇用者」が多かったという。
元々「経済的生活基盤」が不安定であるところに、「コロナ禍」により、よりいっそう経済的不安が強くなった、ということは想像に難くない。
そのように考えれば、元々「うつ状態、精神的不安定な状態」であったところに、「コロナ禍」が拍車をかけた、ということではないだろうか?

「経済的生活基盤」が不安定だからこそ、孤独感や社会的孤立感を感じやすくなり、そのような条件を持つ人同士で集まることで「不安を解消したい」という気持ちになったのでは?という、気がするのだ。
もちろん「自粛することの重要性」は認識しているはずだ。
しかし「自粛しても先が見えない不安」というモノが大きくなるだけではなく、ニュースやSNS等を通じて「社会的地位のある人達が、自粛をせず飲み歩いている」という話題を知ると、「何故、自分だけが我慢しなくてはならないのか?」という、気持ちに陥ってしまうのは当然かもしれない。

以前拙ブログでも書いているのだが、今回の「コロナ禍」によって、人は「不公平・不利益」を感じた時、他者に対して攻撃的になったり自暴自棄になりやすくなる。
そこに以前から不安定な雇用=経済的不安を抱えていれば、その気持ちはより一層強くなるはずだ。

「経済格差」による「社会的孤立感」が、解消されなければ「自粛生活がしにくい人たち」は減らないだろうし、そのような人たちを批難することは、益々「社会的孤立感」を高めるだけなのでは?

自民党総裁選が、社会の話題の中心となっているが、このような「社会的孤立感」を持っている人たちに対して、どのような政策を打ち出すことができるのだろうか?



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「コロナ禍」と「エッセンシャルワーカー」

2021-09-16 20:10:22 | ビジネス

Yahoo!のトピックス等にも取り上げられていた、米国アマゾンの時給アップのニュース。
Cnet Japan:アマゾン、倉庫等で時給を約2,000円超えにー大量採用へ

「新型コロナ」のワクチン接種者が増えたことで、米国では少しづつ以前のような生活が戻りつつあるようだ。
とはいうものの、おそらくリモートワークができる仕事等が、ハッキリしたことでオフィスで仕事をするのか?リモートで仕事をするのか?という判断を企業が積極的に推し進めていくのでは、ないだろうか?

その一方で「リモートワークができない仕事」も、「新型コロナ」の感染拡大により判明した。
特に、医療関係と物流関係に携わる人たちを「エッセンシャルワーカー」と呼ぶようになった。
医療関係者の場合は、直接患者に接する必要がある、という人達だ。
以前AIが進めば、AIが病気診断をするようになる、と言われていたはずだが、現実的にはまだまだ難しいそうだ。
勿論、「遠隔診断」という技術は進歩するだろうし、それによって専門医が少ない地方でも専門医の診断を受けることができるようになるだろう。

しかしそれは「診断」という場面のことであり、実際の治療(=臨床)の場面では、やはり対人間でなくては難しいのでは?と感じている。
というのも、AIが人よりも的確な診断ができるようになったとしても、「医療者に話す・医療者に聞いてもらう」ことで得られる安心感や信頼感はAIでは得られないのでは?と、感じるからだ。

そのような医療現場とは別に、物流関係に関しても「人の手」がどうしても必要なのだ。
「コロナ禍」で、通販等の物流量が増えたため、物流業界は更なる人で不足に陥っている、と言われている。
現在の物流システムでは、物を運ぶためにはどうしても人の手が必要であるにもかかわらず、物流に携わる人たちの給与が高いとは言えないからだ。
そのための人材確保のために、通販のオートメーション化に一番積極的で、ドローン等の利用も考えているアマゾンですら、時給を大幅に上げる必要があるのだ。

上述した「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる業種の人たちの給与は、全体的に高い賃金ではない、と言われている。
勿論構造的な問題もあり、高い賃金が出せない、ということもあるとは思うのだが、日本では「人に奉仕する仕事」に関して、どこか「奉仕する仕事だから、低賃金でも良い」という潜在意識のようなものがある。
確かに、医療従事者の中でも介護関連の仕事は、ハードで責任を問われる業務内容も多いのに、何故か賃金形態として安く設定される傾向がある。
その理由として考えられるのが、介護関連の仕事に従事しているのが女性が中心、という点が考えられる。

随分前に「公害訴訟」の話を聞いた時、国の補償設定が男性の7割が女性の補償額である、と聞いたことがある。
理由は「社会的生産性」が男性を10として考えた時、女性は7位が妥当ではないか?という、根拠のない雰囲気的な判断があったからだ。
そこには、子育てや介護等、家庭内での労働を労働として見ていなかった、という説明も聞いた。
言い換えれば、家庭内での労働がアウトソーシングされるようになっても、今だに家庭内での労働のような意識で考えられた賃金形態なのだ。

物流関連に関しては「単純労働」という理由が、大きいのでは?と考えている。
しかし、現実にはバブル崩壊後職を求めて、肉体労働に近い仕事に就いた高学歴者もいたはずだ。
それだけではなく「物流業」そのものも、「単純労働」と言い切れないような状況になってきている。
効率よく配達をするためのルート決めだけではなく、1日の間に2~3回集荷所に送られてくる荷物の地区ごとの分別等も、やはり人の手によるもののはずだ。
物流関連は、利用者が見えない所で、多くの人の手を要する仕事でもあるのだ。

その一方で「人新の『資本論』」の著者である斎藤幸平さん言うところの「どうでもよい仕事」は、高賃金の仕事だ。
あくまでも個人的な想像だが、今現在高賃金と言われている「どうでもよい仕事」は、AIによって駆逐される可能性が高いと感じている。
逆に考えれば、AIによって駆逐されない「エッセンシャルワーク」こそ、それなりの賃金を支払う時代が「新型コロナ」によって早まっているのでは?という気がしている。

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プロだからこそ、先入観を持たない努力が必要

2021-09-15 13:16:03 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトに、ハッとさせられる記事があった。
朝日新聞:玄人より素人の方がクリエイティブ?東大が実験「創作活動で活躍」

確かに、経験値が無い人のアイディアや発想力にハッとすることがある。
それは自分にはない視点・視座を持っていない、発想やアイディアだからだ。
「クリエイティブ・ワーク」と言われる仕事を長い間していると、惰性的な発想に陥りやすい、ということは確かにある。
特に過去に成功体験をしていると、その成功体験に引きずられ、発想やアイディアがその成功体験の経験から考えてしまう、ということは間々としてある。
しかもその成功体験が多ければ多いほど、複数の成功体験から物事を考えてしまう傾向が、より強くなってしまう。

素人さんの発想、アイディアがユニークで斬新となるのは、上述した「成功体験が無い」ということに加え、「先入観が無い」ため発想そのものに制約が無いという点が、大きいのではないだろうか?
逆に考えれば、素人と玄人の違いは、コンスタントに目的となる発想やアイディアが浮かび、それをカタチにする力がある、ということだと思う。

とすれば、玄人はどうすれば素人さんの創造力と並ぶことができるのだろう?と、考える必要があると思う。
上述したように、玄人と呼ばれる人は「成功体験」がある。
その「成功体験」が、柔軟な発想や新しい視点を見失わせるということになるとすれば、その「成功体験」を一旦どこかへ置いておく、という方法を考える必要がある。
「一旦どこかへ置いておく」ということが、「先入観を捨てる」ということなのだと思う。

「先入観を捨てる」ということ自体、「成功体験」が増えれば増えるほど難しくなるはずだ。
それは「経験」として蓄積されていく。
それをリセットするということは、勇気がいることかもしれない。
場合によっては「プライドを捨てる」位の覚悟が、必要と感じる時もあるだろう。
それでも「先入観」という思い込みを、捨て続ける努力は必要だと感じている。

そのためには何が必要なのか?と考えると、とにかく異世代の人たちを観察すること、話を聞くことなのではないだろうか?
「自分と違うこと」を面白がれるのは、逆に「成功体験」や「失敗体験」があるからだと思う。
失敗体験を通して「あの時に自分に教えたかった」というような、話が異世代の人たちから聞けたら、ラッキー!位の気軽さで良いと思う。
その気軽さの中から、見つかるこれまでとは違う視点や視座、発想が生まれるのではないだろうか?(と、実感している。)


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ゼロリスクと減点評価

2021-09-13 11:48:19 | ビジネス

News Week日本版に、「ゼロリスク」についての記事があった。
News Week日本版:失敗学の研究者が見た、日本人の「ゼロリスク」信奉

「ゼロリスク」とは、「リスクが無い」ことを示す言葉である。
そして日本では様々なところで「ゼロリスク」が求められる社会である、ということを実感されている方も多いのではないだろうか?
特に、ビジネスの場面では「リスクが無い」ということを、求められることが多い。
「リスクに対して、どのように対応するのか?」ではなく、最初から「リスクが無い」ということが求められている、ということなのだ。

そのため、慎重に慎重を期して新規事業を立ち上げる、事があたりまえになっている。
新規事業に失敗すると、当然のことながら担当者は左遷に近い処遇を受け、その後は「新規事業の失敗者」として、退職までその評価は変わることが無い。
一つの失敗が、その後のビジネス人生に再チャレンジンの機会を与えられることなく、終わってしまう、というのが日本の企業の特徴でもある。
事業担当者には厳いしい処分を科しても、その失敗の原因の分析となるとどうだろう?
失敗の要因等の分析よりも、処分を科すことの方が優先されている、というのが日本の企業文化になっているのでは?という、気がしている。

随分前、世界経済を動かしていると言われている「GAFA」の一つ、Googleは「100%を求めない」という話を聞いたことがある。
IT情報企業ということもあるのだろうが、Googleはユーザーと共にシステムやサービスをつくる、と言われている。
その顕著な例が、GoogleがつくったスマホのOS「Android」かもしれない。
基本「Android」のソフトウエアは、オープンになっている。
そしてユーザーに参加してもらい、バグを修正したりバージョンアップをしている(と言っても、数年前の話だが)。
ただ、GoogleというIT企業の場合、提供するサービス等の陳腐化はカタチのある商品に比べ、とても速い。
100%を求めていれば、提供する前に開発したOSそのものが、陳腐化してしまう可能性のほうが高いはずだ。

一方、日本では徹底的に作り込み、バグが発生した時は大騒ぎになる。
大騒ぎになる理由は、市場に出す時100%完璧なモノではなくてはいけない、という考えがあるからだ。
「100か0か」という考えが、柔軟な発想ではなくありきたりな発想を生む環境を作っているのでは?
と同時に、ソフトウエア開発等に遅れを取る要因となっているような気がするのだ。
「ものづくり大国」であった日本は、「100%の商品を市場に出さなくてはいけない」という、感覚に縛られている。
製品のリコール等は、ない方が良いに決まっているが、企業が提供する全てのサービスに100%を求めるがゆえに、国際競争から後れを取ってしまっている、という可能性はあるのでは?と、考えている。

「リスクを取りながら、最大限の利を考える」そして「失敗をすることを前提に、失敗から何を学ぶのか?」ということに、力点を置くことで人も企業も社会も良い関係が作れるのでは?
何故なら、同じ過ちを繰り返さないためには「リスクを如何に考えるのか?」という、考えから始まるからだ。








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45歳定年制は、現実的か?

2021-09-11 19:12:26 | ビジネス

サントリーの新浪社長の「45歳定年制」発言が、問題となっている。
発言内容について、新浪社長が釈明をすることになってしまっている。
毎日新聞:サントリーHD新浪社長「45歳定年制を」SNSで波紋、釈明

新浪社長ご自身が、「社長」という仕事を渡り歩いてきたという人物ということは、ご存じの方も多いと思う。
企業に閉塞感が感じられるようになると、社風を一掃するために、外部から経営幹部を招き入れることが多い。
何も日本企業に限ったことではないのだが、新浪さんの様に「社長」として招き入れられ、実績はどうなの?という結果に終わる方も少なくないような印象を持っている。

「実績が残せない」最大の理由は、その企業の企業文化を十分理解せず、米国等の経営論で経営を推し進めようとするからでは?という、気がしている。
特にオーナー企業として大きく発展してきた企業で働く人たちにとって、「自分たちの企業文化を理解せず、上っ面のカタカナ言葉で経営論を言われても共感できない」という部分が大きいのでは?と考えている。
サントリー社内で、新浪さんの評判はどうなのか?は知らないが、余りにも社長が目立つ発言をする、というのは企業にとって得策ではないような気がする。

ただ、新浪さんの「45歳定年制」には賛成しかねるが、日本人のサラリーマンの問題をついているのでは?という、気もしている。
これまで日本の企業は「年功序列」で、よほどのことが無い限り「60歳(あるいは65歳)定年」まで、一つの企業で働き続けることができた。
新浪さんが社会人になった頃は、そんな時代だったはずだ。
日本の上場企業の多くは、「年功序列で定年まで勤めあげる」ということが、美談の様に言われてきたし、事実そうだったと思う。
ただ、「バブル経済の崩壊」は、それまでの「雇用形態」を見直す切っ掛けとなり、それまでの「日本型雇用」が崩れていったのも事実だろう。

あくまでも個人的な印象なのだが「日本のサラリーパーソンは、社会に出ると勉強をしなくなる」という、印象を持っている。
仕事で必要な資格は、企業からのススメもあり取得することには熱心だが、より幅広い知識や教養を身に着けようとすることが極端にないような気がするのだ。
一時期流行した「異業種勉強会」のような会も、その目的は「人脈づくり」であり、目的に合わない人とは話すこともなく、名刺交換だけをし、集まった名刺自慢で終わってしまっているのでは?という印象がある。

確かに日本の社会は、就職するまでに様々なハードルを飛び越えなくてはならない。
その多くは「受験」ということになるのだが、「受験勉強」はしていても、それが「教養」として身についていないし、社会人になったからこそ、出世に直結しないような勉強はしない、という傾向があるように思う。
日本の場合「就職」ではなく「就社」である、と考えると新たな知識を得るよりも、企業研修で言われたコトを踏襲するほうが、ラクで上司受けもよいはずだ。
そのため、仕事の本質を知り、新たな知識や思考を刺激するような勉強をする必要が、ないのだ。

このような意識変革を起す、という意味で「働き盛りの転職」はあっても良いのでは?という気がしている。
仕事以外のスキルアップをすることを含め、大学や大学院等での学び直しという機会があっても良いと思うし、異分野にチャレンジする機会をつくるという、「人としての成長機会」の時間をライフステージに合わせ、必要なのでは?ということなのだ。
これからの社会は、個人として行動できるような人材が、企業にも社会人個人にも求められ、その行動の為の「異分野を含めた勉強」が大切で、その切っ掛けとしての45歳定年という考えもあるかもしれない、ということなのだ。






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