日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

ネーミングやデザインは大事

2022-10-05 20:07:22 | マーケティング

朝日新聞のWebサイトを見ていたら、「ネーミングって、大事だな~」と感じる記事があった。
朝日新聞:「ミシンは女性」のイメージ払拭へ 厚手縫える「オトコミシン」発売 

まず、「ミシンを使うのは女性」という、イメージを今の若い人たちは持っているのだろうか?
俳優の菅田将暉さんは、時折奇抜なファッションで周囲を驚かせることがあったが、その理由の一つにファッションデザインをする友人の影響で、自分で服を縫っている、という話を随分前にされていた。
確かに大学となると、「服飾系学部」を持っている大学の多くが女子大ということもあり、男子がミシン等を扱う機会が少ないように思えるのだが、ファッション系の専門学校等になると、男子学生も多いのでは?という気がしている。
かつて「女子しかいない」と思われていた分野、例えば「美容学校」のようなファッションとの関連が強い専門学校に関していえば、男子がどんどん進出しているような印象を持っている。
そう考えると、ファッション関連の分野では既に「ジェンダーフリー」という状況になりつつあるのでは?ということなのだ。

そしてファッション系の専門学校で出会うミシンというのは、一般的な家庭用ミシンではなく、職業用ミシンと呼ばれるミシンだ。
職業用ミシンは、家庭用ミシンと違い動力パワーが強い。
そのため、厚物等もグングン縫えてしまう。
ただし、家庭用ミシンのような刺繍ができたりするような「多機能」ではない。

ただ、一般的には「縫物=女性」というイメージが強いのは、確かだろう。
だからこそ、あえて「オトコミシン」というネーミングにして、家庭用ミシンの市場を拡大させたい、ということなのだと思う。
「オトコミシン」という発想そのものは面白いと思うのだが、そこに何故「TOKYO」とつけるのか?意味が分からない。
まして、大阪の企業が「TOKYO」というネーミングにすることに、ある種の違和感を感じる。
何故「オトコミシン」だけに、しなかったのだろう?

ネーミングは、その商品のイメージをカタチつくるキーワードとなる。
「TOKYO」とつけるには、それなりの理由があってのことだろうとは思うのだが、海外を意識するのであれば「NIPPON」とした方がよかったかもしれないし、より日本的なイメージを与えるのであれば、漢字表記という方法もあったはずだ。
アルファベットにすることで、モダンな印象を与えたかったのかもしれないし、職業用・家庭用問わずミシンの商品名表記にアルファベットが使われているということも、あったかもしれない。
デザインや色等を見てみると、いわゆる「アンティークミシン」と呼ばれる、古い足踏みミシンを思い起されるようなミシンなので、アルファベット表記にこだわる必要はなかったのでは?という、気がしている。

そしてもっというなら、上述したように男性向けと謳うのであれば、家庭用ミシンのようなデザインの職業用ミシンというという発想もあったのでは?
このメーカーが、家庭用ミシンメーカーということもあるとは思うのだが、ミシンの構造そのものは家庭用も職業用も大きく違う訳ではない。
むしろ、職業用の方がつくりがシンプルだと言われている。
その代わり、家庭用のような刺繍ができる等の「多機能さ」は無いが、男性向けに特化するのであれば「多機能」である必要はないはずだ。
というのも、縫いたい生地が家庭用ミシンでは縫うのが難しい生地を想定しているからだ。
とすれば、デザインやネーミングが「道具」っぽくしたほうが、ミシンを欲しい男性に訴求することができたのでは?という、気がしている。






「世襲政治」の典型か?

2022-10-04 20:00:43 | 徒然

今朝、FM番組を聞いていたら、「今更、世襲政治の典型的起用をするんだ」と、驚いたニュースがあった。
ご存じの通り、岸田首相がご長男を総理秘書官として起用する、という報道だ。
朝日新聞:岸田首相、31歳の長男・翔太郎氏を秘書官に 官房長官「適材適所」 

「適材適所」の人事なのか分からない、というのが世間の見方なのではないだろうか?
というのも岸田首相の長男・翔太郎さんという方を知らないからだ。
知らない人に対して「適材適所」と言われても、「はぁ~?」という感じしかないのだが、それよりも自分の息子を秘書官に起用した、ということに違和感を感じた方のほうが多かったのではないだろうか?

個人的にこの話を聞いたとき、思い浮かべたのが、故田中角栄氏と娘・田中真紀子氏の関係だ。
田中角栄氏は、首相という立場の時だけではなく、大臣時代から様々な場所に行くとき、娘である田中真紀子氏を連れて、出かけていた。
それは、田中角栄氏の妻であり田中真紀子氏の母が、表舞台に出る事を拒んだためとも言われている。
田中真紀子氏は、ファーストレディの役として、父親である田中角栄氏に随行していた、という訳である。
そして田中真紀子氏は、父親である田中角栄氏の随行をしていく中で、独特の政治センスを身に着け、政界へと進出をしている。
その時は、後援会等の支持基盤となる人たちからの、強い後押しがあったということも、知られた話だろう。

もう一人挙げるとすれば、小泉進次郎氏だろう。
変人とも言われた総理・小泉純一郎氏の次男で、自身も政治家になり政治家デビューの時には、人気タレント並みの注目を常に浴びていた。
小泉家等は、それこそ「世襲」という言葉が当てはまるような「政治家一家」であり、「政界のサラブレッド」という枕詞が、常についていた。
しかし、その期待に対して、現状はと言えば「・・・」という感じだろうか?

それに対して、今回の岸田首相がご子息を秘書官に抜擢した、ということとはニュアンスが大きく違う。
あくまでも個人的な印象なのだが、岸田首相の後継者として長男・翔太郎氏を指名し、政界デビューの準備のような印象を受けるからだ。
このような印象を与えると、世間ではネガティブなイメージの「政治家の世襲」ということが、言われるようになる。
このような人事は、選挙区では期待の次期政治家となるとは思うのだが、選挙区以外では、今回の人事に関しては良い印象を持っていない、という人の方が多いのでは?という、気がしている。

それは、岸田首相自身が首相という座について1年経っても、これといった実績や成果が感じられないからだ。
唯一の実績があるとすれば、国民の約半数以上が反対をしていた、安倍元首相の国葬を押し切ったことくらいだろう。
その国葬でさえ、弔問外交という目的がありながら、主要参列者は岸田首相ではなく今上陛下への挨拶が、目的だったのでは?というほど、岸田首相の存在感は薄かったように感じている。

岸田首相のこの1年を振り返った時、あまりにも実績となるモノがなく、首相としての存在感を感じられないのだ。
そのことは岸田首相ご本人が一番わかっているからこそ、ご子息の政治家への道筋をつけたい、という気持ちがあるのでは?と感じる、ご子息の秘書官起用だ。



駅前商店街と郊外のショッピングモール

2022-10-03 19:08:30 | ビジネス

先週、父が入院をしたため帰省をしていた、と少し書かせていただいた。
父が入院をしていた病院は、米子市内でも郊外にある急性期病院(=病床数が多く、緊急性と重症度が高い患者の治療を目的としている病院)と呼ばれる総合病院だった。
そのため父の治療説明等を受けるために、実家から駅までバスを使い、その後ほかの系統のバスに乗り換える、という地方にありがちな不便さを感じながら、病院に行くことになった。

駅前までバスを使い、駅前で他の系統のバスに乗り換える、というルートなので、駅前商店街を少なくとも2回は見るということになる。
帰省をするたびに感じていたのだが、駅前商店街の衰退というか寂れ感が、年々加速しているような印象を持っている、
それは「空き店舗」が、増えているというだけではなく、人通りそのものがとても少ないのだ。
当然、平日の昼間なので、人通りは週末ほど多くはないとしても、人影すらほとんど見ないという状況だったのだ。
というのも、駅前商店街から街中の繁華街につながるルートに、商店街があるため飲食店以外のお店も平日の昼間でもそこそこ人が入り、買い物等をしていたという記憶があったからだ。
そのルートに市役所や図書館、美術館といった公共施設もある、ということを考えれば、以前ほどではないにしても、それなりの人通りがあっても良いはずなのだ。

それに対して、父が入院をしていた郊外にある病院の近くには、大型ショッピングモールがある。
入院中の父が必要なモノを買いに行ったのだが、平日の昼間であっても巨大駐車場には、それなりの台数の自家用車が駐車している。
「散水効果」ではないが、大型ショッピングモール近辺には、山陰の海産物を食べさせてくれる食事処や、ショッピングモール内に出店していない家電量販店等があり、そちらのお店もそこそこの人が入っていた。
「平日の昼間」という、時間的条件は同じだが、巨大駐車場があるという理由で、買い物客が多かった、と考えるのは少し乱暴な気がしたのだ。

確かに地方での生活で「自家用車」は、必要なものだ。
実は、実家から病院まで自家用車を利用すれば、20分もかからない距離だった。
私のように自動車免許を持たないとなると、バスの乗り継ぎをするために1時間半以上の時間がかかってしまう。
「車がないと生活できない」という言葉の意味を実感する、ということになる。
ただ「車社会だから」という理由だけでは、無いような気がしたのだ。
それは、商店街からどんどん郊外へと行くと、いわゆるチェーン店と呼ばれるお店が増えていたからだ。
「地元資本」というと、大袈裟だが昔からあるお店ではなく、ここ20年位の間で全国展開をするようになったお店が、郊外に行くほど増えていくのだ。

バスの車窓がそのような風景を見ながら感じたのは「古いビジネスコミュニティー」と「新規ビジネスコミュニティー」ということだった。
「古いビジネスコミュニティー」というのは、駅前商店街のようなところで、昔ながらの商売を続けているコミュニティー。
「新規ビジネスコミュニティー」というのは、郊外型店舗や全国チェーン店のように、ここ20年ほどの間に郊外でビジネスをしているコミュニティーという、私の造語だ。
そして「古いビジネスコミュニティー」は、その関係性が強く「既得権益」のようなものを既に所有しているがために、「時代と共に変化する」ということがしにくいのでは?という、気がしたのだ。
そのため「商店街の活性化」ということが度々言われても、新規参入者が入りにくいビジネス環境を知らず知らずのうちに、つくりだしているのでは?ということなのだ。

それは同時に、子育て世代であるファミリー層などは入りにくい商業地域、と言えるのではないだろうか。
何故なら、子育て世代であるに求められることとは、新しさや便利さ等に加え、1日中家族が楽しめるレジャー的要素がある買い物の場所、だからだ。
確かに郊外にある大型ショッピングセンターは、駐車場も広く・利用料金もほぼ無料。なおかつ1日中家族で過ごせる場所だ。
商店街に全く同じようなつくりにすることはできなくても、「子育て世代であるファミリー層が楽しめる商店街」にするためには、ノスタルジックな、古いビジネスコミュニティーにしがみ付いていては無理のような気がした。






たかがおにぎり、されどおにぎり‐地域文化

2022-10-01 07:43:04 | ライフスタイル

実家の父が先週倒れ、緊急入院をしたため、今週実家に帰っていた。
遠距離老親介護の難しさと大変さを、実感した1週間だった。
これからは、このようなことが度々起こるようになるのだろうな~、と実感をした1週間だった。

退院をしたこともあり、昨日帰る時、米子駅前のコンビニで車中で食べる為に、おにぎりを購入した。
購入をしたときには、さほど気にしていなかったのだが、食べる時に「え!」とパッケージをしげしげとみる事になった。
それは、使われている海苔が「味付けのり」だったからだ。


小さく「味付けのり」と、表示されているのが分かるだろうか?

名古屋ではもちろん、東京駅のコンビニや駅に接続している百貨店のデパ地下でもおにぎりを購入することがある。
会社員時代には、仙台出張の時にも、デパ地下でおにぎりを購入したことがある。
その時使用されていた「のり」は、「焼きのり」だったような気がする。
知人の米穀店で販売している「手作りおにぎり」も、「焼きのり」を使用していたと思う。
それが「味付けのり」だったので、「おや?あれ??」という、気がしたのだ。

以前、何かのテレビ番組をTVerで見ていたら「おにぎりののり」という話題があった。
その時は、聞き流していたのだが「関西(厳密にいえば大阪だろうか?)は、味付けのり。焼きのりは使わない。味付けのりの方がおいしいじゃん!」と関西出身のアイドルが、話していたような記憶がある。

その時は「そうなのか…」と聞き流していたのだが、今回のように改めてパッケージを見て、食べてみると「おいしい」ということとは別に、「食文化の地域性」ということも知った気がしたのだ。
京都や神戸の方にお住まいの方からは「関西とひとまとめにしないでほしい」と、言われるかもしれないのだが、テレビ番組内での話だとご理解を頂きたいのだが、「食文化の地域性」ということも感じたのだ。

「焼きのりvs味付けのり」という対決ではないので、「おにぎり」という日常的な食べ物というだけではなく、20年ほど前までは「コンビニの売り上げ頭」ともいわれ、コンビニ各社が「おにぎり」にこだわった時期があった等ということを考えると、「おにぎり」という食べ物一つに「食の地域文化」のようなものが反映され、より生活者需要を高めようとしている、ということを実感するのだ。
むしろ、生活者にとって「おにぎり」が、身近な食べ物だからこそ、このような「食の地域文化」のようなものが、強く反映さる必要があるのだと思う。

「たかがおにぎり、されどおにぎり」ということなのだろう。


安倍元首相の国葬に思う

2022-09-26 20:18:17 | 徒然

明日、いよいよ「安倍元首相」の国葬が、日本武道館で行われる。
海外からの要人と言えば、G7からは誰も参列をせず、米国からはハリス副大統領が参列。
ただ、先般行われた英国のエリザベス2世の国葬に参列をされなかったインドのモディ首相などが参列をされる。
インドと英国との関係の難しさを感じるのは、私だけではないと思うのだが、もしかしたら安倍元首相は、国内よりもアジア諸国での評価が高かったのかもしれない。

国内においては、「モリカケ、桜を見る会、自己満足で終わった感のあるアベノマスク」等「説明責任」を十分にされず、都合がよいように法律を解釈し、周囲から忖度をさせる事で、問題を乗り切った感がある。
何より、安倍元首相が胸を張っていたはずの「アベノミクス」は、実質的には大失敗だったと感じている。
改めてその理由を言うまでもないと思うのだが、大企業への優遇により大企業の内部留保はどんどん増えたが、それが給与や設備投資に回る事は無かった。
むしろ、ここ30年間の間で日本の労働賃金は、OECD諸国の中でも最低に近い状態に陥っている。
違う言い方をするなら、「アベノミクス」で生活が豊かになるどころか、国民の多くは貧しくなったと言えるかもしれない。

とすると、安倍元首相は国内政策はことごとく失敗したが、対外国政策は一定の成果があった、ということになるのかもしれない。
これほど、両極に振れる首相も珍しいと思うのだが、安倍元首相を始め現在の岸田首相に至るまで、「国民を見る目」が昭和なのかもしれない。
というのも、先日の英国・エリザベス2世の国葬を見た岸田首相が、「見栄えの良い国葬にするように」と指示をしたとか、しなかったとか…という週刊誌報道があったからだ。

今の若い方からすれば、「何を見栄を張って」などと思われるかもしれないが、盛大な葬儀というのは故人の業績や人柄などが良かった、という意味合いを持っていたのが、昭和だったからだ。
そのための「箔付け」が必要だと、考えたのかもしれない。
だからこそ、参列者の人数の多さにもこだわったような、気がしている。
故人に対する業績や人望というだけではなく、立派なお葬式を出すことは、お葬式を出す側もまた「立派な人」という見方をするのが、昭和だったからだ。

岸田さんの目的の一つが「弔問外交」ということのようだが、人数が多ければ多いほど、立ち話だけで内容のある話等は、できないだろう。
「国葬」という場で、自分を売り込みたい!という、岸田さんの考えも透けて見える。
岸田さんご自身は、「安倍元首相の後継者」というアピールをしたいのかもしれないが、多くの有権者は「国葬」を力づくで行うことを決めたことで、むしろ反感を持ってしまった。

半ば都市封鎖に近いような厳戒態勢で行われる「安倍元首相の国葬」、果たしてどのような成果が生まれるのだろうか?
そして「費用対効果」は?



「日銀介入」という言葉を、久しぶりに聞いた

2022-09-23 20:22:19 | アラカルト

昨日、「久しぶりに聞いたな~」と思う言葉を、ニュースで聞いた。
それが「日銀介入」だ。
久しぶり過ぎて、以前「日銀介入」という言葉を聞いたのか?と思えば、24年も前だった。
朝日新聞:政府、日銀が24年ぶりの円買い為替介入 財務官「断固たる措置」 

財務官の「断固たる措置」という言葉から、相当な危機感を持って円安傾向を抑えようとした、意思が伝わってくる見出しだ。
何故ここにきて、日銀が円安傾向に歯止めをかける為に、介入したのか?と言えば、「これ以上の円安が続くと、日本経済に与える影響が大きい」と判断したからだ。
そんなことは、拙ブログで言わなくても、わかっていらっしゃる方ばかりだろう。

では、何故今まで「円安傾向」の野放しにしてきたのか?という、疑問が次に出てくる。
これまで言われていたことの一つに、「輸出産業にとっては、メリットが高い」という点があった。
ここでいう「輸出産業」とは、今や日本経済の屋台骨となっている、自動車産業等のことを指していた。
しかし、日本経済が強くなってきたころから、「日米経済摩擦」という問題が起き、その矛先となったのは自動車産業だった。
そのため、自動車メーカーは積極的に現地法人をつくり、日本から輸出をするのではなく、消費地となる現地で自動車をつくり・販売をするという体制を整えてきた。
今や「自動車産業」は、日本の輸出産業の中心ではなくなったのである。

とすれば、どのような産業が「輸出産業の中心なのか?」ということになる。
残念ながら、そのような産業がパッと思いつかないというのが、現状なのではないだろうか?
1980年代までであれば、半導体などがあったはずだが、ご存じの通り日本の半導体産業は、台湾をはじめとする諸外国から遅れを取ってしまい「日本一人負け」のような状態になってしまっている。
家電にしても、多くは海外で生産されたものを日本のメーカーの名前で、販売されているというのが現状だ。

逆に、日本の生活者は様々な輸入によって支えられている。
食品原材料しかり、電力をはじめとする様々なエネルギーなどなど、円安が進めば直接的に打撃を受けるのは、生活者という状態にある。
実際、円安傾向になってから様々な商品やサービスが、値上げされている。
生活に直結する商品やサービスの値上げは、実質賃金が上がっていない日本では、「景気の冷え込み」になってしまう。
だからこそ、日銀が円安傾向に歯止めをかける為に、為替介入をしたのだ。

考えなくてはならないのは、「何故、急激な円安いになったのか?」ということだと思う。
米国をはじめ、欧州でも金利を上げている。
先進諸国の中では、日本だけが「0金利政策」を続けている。
日銀の黒田総裁は、「0金利政策を続ける」という趣旨の話をしている。
NHKニュース(7月21日付):日銀 黒田総裁「金利引き上げるつもりはない」金融緩和継続方針 

「金利を引き上げれば、円安傾向が収まるのか?」という点においては、なんとも言えない部分が多いと感じている。
というのも、政府から明解な「経済政策」が打ち出されていないからだ。
そのような、日本から発信されるべき「経済政策」が全くと言っていいほど無い、ということが問題なのでは?という気がしている。

「アベノミクス」による、大企業に対する税優遇措置の見直しなどを含め、抜本的な「日本経済対策」が政府から発信されない限り、この傾向は続くのではないだろうか?


広告制作で注意したいこと

2022-09-21 17:05:04 | マーケティング

Yahoo!のトピックスに取り上げられていた、ベルメゾンの通販カタログの記事を読んで、改めて広告の難しさを感じた。
共同通信:千趣会、ナチス本写真掲載で回収 通販カタログ「ベルメゾン」 

実は、この問題になった「ベルメゾン」のカタログが、我が家にもあった。
問題となったページを見ると、いわゆる洋書の古本で、本のタイトルには「ナチス」という文字は無い。
「第三帝国の建築」というタイトルの本で、しかも英語ではない。
表紙を見る限りでは、海外のオシャレな通りや建物を、紹介しているような感じだ。
語学に堪能であれば、わかったかもしれないが、そうではないスタイリストさんでは、気づくことは無いと思う。
当然、千趣会側も気づかなかったのでは?という、気がしている。

その一方で、ヒットラーがかつて自分が住んでいた、オーストリアのリンツの都市計画を立てていた、ということが分かっている。
この話を知ったのは、数年前に「アルスエレクトロニカ」というイベントを中心にした、街づくりというテーマの市民公開講座だった。
元々工業都市として発展してきたリンツは、「公害の街」として知られるようになった。
そして産業構造の変化により、街の高齢化が進み「人が住みにくい街」となる。
その「住みにくい街」を、「自然と文化(特に科学)が融合できる街づくり」に変化させていく為の起爆剤となったのが、「アルスエレクトロニカ」という、科学を中心としたイベントだったのだ。
Huffpost:アルスエレクトロニカとは?オーストリアの都市・リンツが「文化都市」として蘇った理由

この話の中で、講師をされていた方が見せてくれた「都市模型」の写真が、まさにヒットラーが考えたリンツの都市計画だったのだ。
それほどヒットラー自身は、都市計画や建築等に興味を持っていた、ということなのだ。
建築や都市計画ではないが、ヒットラーは若い頃ウィーンの美術学校を受験し、失敗をしている。
この時の美術教師の一人が、クリムトであり、受験生の中でトップの成績を収め入学したのが、エゴン・シーレであった。
この美術学校の受験に失敗した話は、比較的有名な話なので、ご存じの方も多いと思うのだが、「リンツの都市計画」については、建築等を専攻していた経験のある方ならともかく、多くの人は知らない話なのでは?という、気がしている。

ただ、広告では「知りませんでした」では、許されないこととなってしまう。
今回の千趣会の通販カタログは、その一例だろう。
と同時に、広告に携わるクライアント側も、撮影時に立ち会う時には、もう少しリスクの少ない写真集等を使うという配慮が必要だったのかもしれない、という気がしている。
そのためには、「社会の変遷」ともいえる「歴史」の分野の知識も必要なのだ。
私のようにそれなりの年齢になり、自分がリアルタイムで経験した社会的問題等は知って当然であっても、それらの社会問題が「教科書の中にあった(=歴史の出来事)」という若い世代では、受け止め方も違うし、問題意識も当然違う。

今回の件は、「知らなかった」ということが。このような問題となったわけだが、広告に携わるということは社会的問題となったことの周辺的知識も過去のモノとしてとらえず、考える必要がある、ということを示しているような気がしている。






「国葬」のあるべき姿を感じさせていただいた、エリザベス2世の葬儀

2022-09-20 20:52:45 | 徒然

日本時間の昨日の19時から始まった、英国のエリザベス2世の国葬。
BBCの中継をネットで拝見させていただいていたのだが、「国葬とは、こうあるべき」という「荘厳で格調高い葬儀」だったような印象を受けた。
エリザベス2世の国葬なのだから、当然と言えば当然なのだが、国葬が始まる前エリザベス2世の棺が置かれていたウェストミンスターホールには、13時間余りかけて最後のお別れをしようと、一般国民が長蛇の列を作っていた。
そしてハイドパークを始めとする、様々な場所に設置された大型ビジョンで、ウェストミンスター寺院での様子を思い思いに見ている、市民の姿があった。
君主として70年余り英国連邦に君臨をした、という時間の長さはもちろんだが、多くの国民に愛されてきた国王であった、ということを印象付けた国葬でもあったように思えたのだ。

その一方で来週予定されている、「安倍元総理」の国葬で、国民に愛された首相という葬儀になるのだろうか?と、疑問に感じたのだ。
エリザベス2世の国葬のように、宗教的な荘厳さのある葬儀にはならないにせよ、問題なのは「国民から支持されてきたのか?」ということなのだ。
エリザベス2世の場合、確かに宗教的儀式に持っとった葬儀ではあった。
「宗教的儀式」があったから、荘厳だったのか?と言えば、決してそうではない。
会場や葬儀の雰囲気が、国葬として相応しいのか否か、ということではないのだ。

上述したように、エリザベス2世へ最後の別れを伝えたい、という人達が13時間近くの時間と労力をかけた、という事実が「国葬とは何か?」ということを示しているような気がしたのだ。
岸田首相は、「在位の長さ」により「国葬に値する」という趣旨のことを話しているようだが、「在位の長さ」という点では、エリザベス2世のほうが遥かに長い。
ただ長かったから、多くの国民があのようなお別れを告げに長蛇の列を作ったのか?と言えば、それは違うだろう。
いくつかのテレビ局が取材・インタビューを受けた英国民の多くは「愛している」という言葉を使い、エリザベス2世の死を悼んでいた。
この「愛している」という言葉が象徴するように、君主として多くの国民から愛されてきたからこそ、「国葬」に値するのではないだろうか?

エリザベス2世自身は、第二次世界大戦直後から現在に至るまで「国民に捧げる生き方」を実践されてきた(ように思う)。
だからこそ、国民が信頼し、エリザベス2世という国王を愛することができたのだ。
では安倍元総理は、同なのか?
16億円という費用をかける事にも、疑問を感じるところはあるが、安倍元総理は、エリザベス2世のように多くの国民から支持され、愛されるような政治家だったのか?
そこが問題なのだ。

自民党葬で行うのであれば、それは自民党の問題だ。
おそらく、安倍元総理の下でオイシイ思いをされた議員さんや行政にかかわる方々は、いたはずだ。
そのような方々が、自主的に「自分たちなり葬儀をし、安倍元総理を悼みたい」というのであれば、それはご自由に!ということになる。
それを「国葬で執り行う」と、閣議決定をしたことで、問題となっているように思うのだ。

岸田首相を始め「国葬」に賛同された方々は、エリザベス2世の国葬を見て、どう感じ・どう思ったのだろう?


安倍元総理の国葬に思う、岸田総理の焦り

2022-09-17 20:52:56 | 徒然

今日、天皇皇后両陛下が、エリザベス女王の国葬に参列するために英国へ向かわれた。
天皇皇后両陛下は、ご存じの通り英国とのご縁が深い。
Yahoo!のトピックス等でのコメントを読むと、「参列されることが決まってよかった」という内容が、多いような印象がある。

そして、エリザベス女王の国葬については、岸田総理も参列を検討していた。
「天皇皇后両陛下が行くのに、なぜ、岸田総理まで?」という、疑問を持たれた方も多かったようだ。
目的は「弔問外交」だったと、一部では報道されている。
確かに、エリザベス女王の国葬となれば、世界各国の首脳や元首となる方々が参列される、ということは想像するまでもない。
それほど世界に影響力のあった人物なのだから、当然だろう。
直接そのような人達と挨拶をする機会など、今後ないかもしれない(おそらくないだろう)。
だからこそ、この時をチャンスとしてとらえ、英国訪問を検討したのではないだろうか?というのが、大方の見方の様だ。

その理由の一つに、今月27日に予定されている「安倍元総理の国葬」が、思いの他評判が悪いということと関係しているのでは?という、気がしている。
「評判が悪い」という表現は、乱暴だとは思うのだが、国民の半数以上は「国葬は取りやめるべき」と新聞各社のアンケート結果で出ている。
それどころか、国連総会と日程が被っている、という痛恨のスケジュールミスをしているようだ。
Yahoo!(女性自身記事):国連総会と日程丸被りで海外要人から総スカン・・・岸田首相「国葬」の大誤算 

「安倍元総理の国葬」自体、唐突に決まった感があったのだが、国葬が決まる前に国連総会の日程は、既に決まっていたのではないだろうか?
少なくとも、年間スケジュールの中に組み込まれるような国連の会議なので、安倍元総理の国葬が決まるより前に日程が決まっていた、と素人考えをしてしまうのだ。
閣議決定で決まった、安倍元総理の国葬だが、閣議決定をする前にそれが分からなかった、ということも解せないのだ。

そして今日朝日新聞のWebサイトに、北朝鮮との対話に対する意気込みのような記事があった。
朝日新聞:岸田首相「条件をつけずに金正恩氏と直接向き合う」平壌宣言から20年 

北朝鮮による拉致問題は、20年前に帰国された方々から進展はしていない。
今朝、北朝鮮から拉致被害者の内2人を一時帰国させる、という話があったが、これで幕引きをさせるわけにはいかないと、安倍政権が断ったというニュースがあった。
KYODO:拉致被害者2人の一時帰国拒否 安倍政権時、幕引き警戒 

今朝このようなニュースを聞いてから、朝日新聞の記事を読むと、岸田さんの焦りのようなものを感じるのだ。
それは、「安倍元総理の国葬」に始まり、エリザベス女王国葬参列の検討等の一連の岸田さんの決定や希望等ことごとく失敗をし、「首相就任後目立った成果を出していない」ことに繋がっているのでは?という、気がするのだ。

首相就任当時、岸田さんのキャッチフレーズは「人の話を聞く」だった。
安倍さんや菅さんは、自分の意に反する人を受け入れない、という評判があった。
それはある意味「自分で判断する力がある」ともとらえられていた(とは個人的には思わないが、強権的な印象はあった)。

それに対して、岸田首相は「人の話は聞くが、決められない・判断できない」という印象が、徐々に強くなっていった感がある。
そこで起死回生として打ち出したのが、安倍元総理の国葬であったり、エリザベス女王の国葬への参列(=弔問外交)だったのでは?
確かに成果を出すことは重要だが、焦りのあまり行き当たりばったりのような印象を持たれるようなことは、単なる焦りのようにしか見えない。
それは「成果」とは言わず、単なる「空回り」のような気がするのだ。


「データ」を扱うことが苦手な日本?

2022-09-15 20:22:16 | アラカルト

毎日新聞のWebサイトに、新型コロナ対策についての記事があった。
毎日新聞:データを示してコロナ対策議論を「日常」を取り戻した米国からの提言 

有料会員記事の為、全文を読むこと自体はできないのだが、この見出しを見て「今更感」を持たれた方は、少なくないと思う。
拙ブログでも、繰り返し書いているのだが「陽性者(=感染者数)と死亡者数」だけで、対策を考えるということ自体が無理なのだ。
大切なことは、多角的データを集め・分析をし・実態を把握することで、対策の議論を始める、ということのはずなのだ。

「感染者数が急増している」ということばかりに焦点を当て、具体的な対策を示すことをせず、「個人の気合と根性で乗り切る」という姿勢は、決して建設的だとは言えないと思うのだ。
にもかかわらず、「感染者数が急増している」「〇〇でクラスタ―が発生した」という、報道ばかりで「クラスタ―が発生した問題点は何か?」ということに、焦点があてられることもなかったような気がしている。

このような「データ」の取り扱いをしながら、海外からの観光客の受け入れを増やす、という政策は「一体何を根拠に増やすのか?」という、問題指摘がされるようになる。
そのことに対して、返答をすることもなく「決まったことだから」的な、雰囲気で押し切ってきた、というのが現状なのではないだろうか?

しかし考えてみれば、日本は政府だけではなく企業も「データの取り扱い」が、苦手というか軽んじるような傾向があるのかもしれない。
というのも、忘れた頃に社会的問題となる「企業のデータ改ざん」事件。
しかも、同じ企業が繰り返し行っている、ということがある。
「データの重要性を知っているから、都合の悪いデータを改ざんしている」とも考えられるのだが、「都合の悪いデータを改ざん」するコトで、より「都合の悪い状況に追い込まれる」という、認識がないからこのようなことが、平然と名だたる企業で行われるのでは?という、気がしている。

もちろん、日本の社会風土の中にある「失敗」に対する恐怖感のようなものがあり、企業が大きくなればなるだけその「恐怖感」が強くなるのかもしれない。
何故なら、日本の企業は「失敗をする=信頼をなくす」ということに繋がり、出世はもちろん再チャレンジの機会さえ、与えられることなく閑職に追いやられてしまうからだ。

このような独特の社会風土が、今の日本の企業が抱えている様々な問題の一因となっているのでは?という、気がしている。
「データ」そのものは「数字の羅列」でしかない。
その「データ」から何を読み取り、どう考えるのか?ということが、重要なはずなのだ。
「データを改ざん」したところで、問題の解決にはならないし、日本企業の得意な「改善」にもつながらない。

「コロナ対策」に関しては、「怖い」ということばかりが先行し過ぎて、その対策を「個人の気合と根性」に任せたため、生活者が「疑心暗鬼な生活」を余儀なくされたのではないだろうか?
そのことで起きた経済の停滞や、社会の歪みという「負の出来事」も分析をし、社会全体をプラスにもっていくような政策をお願いしたい。