日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

C2Cビジネスは、定着するか?

2018-06-19 21:37:41 | ビジネス

今日、メルカリがマザーズへの上場を果たした。
メルカリの上場については、様々な意見があったように思う。
いくら新興企業向けのマザーズとは言え、C2Cというビジネスそのものが定着をしている、とは言い難いのでは?という状況での上場だったからだ。

実は私自身、メルカリのシステムを利用してC2Cのビジネスモデルが、イマイチわかっていない。
システムそのものは、ある程度理解をしているつもりなのだが、利用者の気持ちということが、イマイチわからない、というのが正直なところなのだ。
そして日経新聞もCOMEMOにも、同様の感覚を持っていらっしゃる方がいた。
日経新聞 COMEMO:C2Cなサービスを利用する人の感情がよく分からない問題

私の周囲でもメルカリを利用して、自分にとっては不要となったものを売っている知人がいる。
自分にとって不要なものでも、違う人にとっては欲しいもの、ということはあるだろう。
引っ越し前に自宅ガレージで不用品を販売する「ガレッジ―セール」や、一時期人気を博した「フリーマーケット」などは、その典型だとおもう。
子どもの頃の「お店屋さんごっご」気分があり、売り手と買い手のチョッとした駆け引きなども、その面白さの一部だったのでは?と、思っている。

それがネットで展開をするようになったのがメルカリであり、メルカリ以前にもYahoo!や楽天のオークションはあった。
最近ではモバイル専用のオークションサイト・モバオクもある。
オークションの場合、競り落とすというゲーム的な要素もあり、随分前だが問題になったコトがあった。
競り落とす商品が欲しいのではなく、競り落とすというゲーム感覚が楽しくて参加する、という人が想像以上にいたからだ。
今でも、話題となった商品のオークションには、現実的ではない金額が提示されることもあり、オークションサイトではこのような競りに対して、様々な防止策をしている(ようだ)。

それに比べメルカリの場合、出品者が値段を最初から提示をし、その価格で納得した人が購入する、という方法だ。
ネット上のフリーマーケットのようなイメージだろうか?
感情的にわからないのは、B2Cの場合Cである購入者がBである販売者に対して、何等かの信頼があり商品を購入しているのに対して、メルカリのC2Cビジネスには、そのような信頼関係は無い。
もちろん、出品者側が何度もメルカリを利用することで、購入者からのレビューなどにより「信頼」が生まれてくるとは思うのだが、出品者自身、そこまで考えて出品しているわけではない、と思うからだ。

とすれば、購入者は出品者の何を信頼して、購入をしているのだろうか?
欲しかった商品が、買える価格で出品されている、という理由で、購入をしているだけなのでは?
そこには、商品とお金の交換という、商売の基本となる行為はあるが、購入者は出品商品を手に取って見られるわけではない。
今年の初めには、北海道の学生が窃盗品をメルカリに出品して370万円も稼いでいた、という事件があった。
そして、同様の事件は後を絶たないようだ。
このような窃盗品と不用品の違いなどを見分ける術は、今のところない(ように思われる)。
また、ネットからネットへの転売ということもあるだろう。

メルカリとういうサービスそのものが、急速かつ急激に広まったため、様々な部分で問題を抱えているようにも思えるのだ。
そのような状況の中で、気軽にサービスを利用する・・・ということに抵抗感があるのだ。
やはり、もうしばらくは様子見をしたほうが良いのでは?と感じる、メルカリのC2Cビジネスという気がしている。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

視点を変えてW杯を楽しんでみる

2018-06-17 22:12:05 | ビジネス

FIFA W杯ロシア大会が開幕した。
連日、サッカーをテレビ中継で楽しんでいらっしゃる方も、多いかもしれない。
選手のプレーを見て楽しむ、ということはもちろんだが、チョッと視点を変えてみるとW杯の裏事情のようなものも、見えてくる。

大会前、一部のメディアで日本代表の背番号10番に関する話題が出ていた。
朝日新聞:背番号10はアディダスの選手 日本代表「暗黙の了解」
このような記事が出るのには、理由がある。
現在の日本代表のユニフォームを提供しているのが、アディダスだからだ。
そのような事情があるため、このような記事となったのだと思うのだが、残念ながら1人だけアディダスとサポート契約をしていない選手がいる。
2002年の日韓大会の背番号10を背負ったのは、当時ジュビロ磐田に所属していた中山選手だった。
中山選手のシューズなどのサポートをしているのは、アディダスとは兄弟げんかの末別れてできた、スポーツメーカーのプーマだ。

ただ、以前に比べ背番号10というエース番号の重みは、薄れつつあるような気がしている。
例えば、ポルトガル代表のC・ロナウド選手の背番号は7番だ。
日本代表でも、背番号10を付けているのは香川選手だが、世間の注目は本田選手と言うことが多い。
アルゼンチン代表のメッシは背番号10だが、背番号ではなく選手自身のプレーが注目されるようになってきているのでは?という、気がしている。

そのアディダスについてだが、FIFAとアディダスとの関係は深く、アディダス本社があるドイツはもちろん、今でも数多くの代表選手のユニフォームを提供しているのはアディダスだ。
その牙城を崩すかのように参入してきているのが、アメリカのスポーツメーカー・ナイキだ。
以前はアディダスが提供していた、フランス代表のユニフォームは今回はナイキに代わっている。
ブラジル代表も前回大会から(だったと思う)、ナイキが提供するようになった。
W杯は、オリンピックよりも放映される国や地域が多いことや、サッカーという一つのスポーツの世界大会が約1ヵ月続く為、スポーツメーカーにとっては、恰好の宣伝の場でもあるのだ。

提供されるユニフォームだけではなく、ピッチ脇にある広告などにも注目してみるのも、面白い発見がある。
韓国の自動車メーカー・現代の広告があるのは、FIFAの常任理事の一人が現代の会長の子息であった、ということがある。
現在の現代の経営状態からすれば、随分経費的には重い広告宣伝費だと思われるのだが、複数大会契約であるために契約破棄そのものが難しいのでは?とも言われている。

他にもこれまでの大会でよく見かけていた企業の広告がなく、代わりに中国系の企業の広告が目立つようになったのも、今大会の特徴だといえる。
SearChina:サッカーW杯ロシア大会の広告を制した中国、本大会で代表チームが活躍はいつ?
記事を読むと「経済が好調な中国企業の躍進」という印象があるが 、そう簡単な理由ではないと、言われている。
これまで長い間、スポンサーとなってきた欧米の企業が軒並み、スポンサーを降りたという話があるからだ。
BBCNews:サッカーロシアW杯、スポンサー収入は下落も中国企業が台頭

長い間スポンサーであった、ジョンソンアンドジョンソンがスポンサーを降りた理由は、FIFAのスキャンダルだと言われている。
グローバルカンパニーだけに、スポンサーとなることで世界規模での企業イメージダウンを懸念したということのようだ。
FIFA側としては、ジョンソンアンドジョンソンのような企業がスポンサーを降りる、というのは収入的には手痛いことだっただろう。
その穴埋めとして、中国企業はFIFA側にとっても魅力的だったはずだ。
これを機に、2030年以降の中国開催ということもあるかもしれない。

試合だけではなく、選手たちのユニフォームや広告などにも注目してみると、様々な勢力図のようなものも見えてくるのだがW杯だと思う。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「コメダ」の現実的な判断-新規店舗の全面禁煙-

2018-06-16 18:39:00 | トレンド

名古屋の喫茶店の代表格と言えば、「コメダ珈琲」ではないだろうか?
名古屋発の喫茶チェーン店はコメダ珈琲だけではないが、やはり積極的に全国展開をしている、という点ではやはり名古屋の代表的な喫茶店、ということになると思う。

そのコメダ珈琲が、新規出店(フランチャイズ店)については「全面禁煙」にするという。
朝日新聞:コメダ珈琲、新規店舗は原則禁煙「吸う人減った」

記事には、厚労省VS自民党の愛煙家のバトルの結果、骨抜きになってしまった?「健康増進法」改正案の先取りのようなニュアンスが、書かれているが、フランチャイザー側であるコメダ珈琲側の考えは、見出しにある「吸う人が減った」という理由のほうが大きいように思う。

我が家の近くにもコメダ珈琲があるのだが、店舗の奥まった一角にガラスで仕切られた「喫煙スペース」がある。
そのスペースも決して大きいわけではない。むしろ狭さを感じるくらいだ。
その「喫煙スペース」も、時には空席が目立つこともある。
禁煙スペースの席がコンスタントに埋まっていても、禁煙スペースが空いている、という状況があるということなのだ。

おそらく、マクドナルドのようなファーストフード店でも、同じような傾向がみられるのではないだろうか?
というのも、近所に再オープンしたマクドナルドは、全面禁煙になってしまったからだ。
実際、JTの「最新たばこ情報」によると、「喫煙者」は年々減ってきている。
JT最新たばこ情報:JT全国喫煙者率調査

少なくなりつつある喫煙者の為のスペースを設営すれば、席数を減らす必要があるだけではなく、そのための清掃が必要になる。
喫煙スペースの清掃となれば、禁煙スペースよりも大変だろうし、従業員(主にアルバイト)の健康という点でも問題視されかねない。
そのような作業などの費用面や健康面を考えれば、全面禁煙のほうが様々な面でメリットがある、と考えるのは当然かもしれない。

もう一つ考えられるのは、独特の名古屋の喫茶店文化があるかもしれない。
名古屋のモーニングと言えば、コーヒーを注文すると、半切の厚切りトーストとゆで卵がもれなく付いてくる。
実は名古屋ではなく一宮市や豊橋市のほうが、「豪華なモーニング(セット)」なのだが、このようなモーニングが定番なので週末の午前中は家族で喫茶店で過ごす、という文化がある。
「子どもの一緒に行ける喫茶店」となると、必然的に禁煙スペースが大きくないと集客はしにくい、ということになる。

そう考えるとコメダ珈琲の「全面禁煙」は、「健康増進法改案」の先取りではなく、経営という現実的な判断のような気がする。
そして飲食店の「禁煙」の動きは、このような「現実的判断」によって進んでいくのではないだろうか?



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

年号の暗記ではない、「現代史」を教えてほしい

2018-06-14 18:20:02 | 徒然

大人気漫画「ONE PIECE」の89巻の表紙裏に掲載されている、作者の尾田栄一郎さんのコメントなどが物議をよんでいるらしい。
日刊スポーツ:ONE PIECE89巻で物議、編集部「反省」

1970年代の初め第二次世界大戦終了から30年近く経って、フィリピンなどの激戦の地で日本兵であった方が発見される、ということがあった。
そのおひとりが横井正一さんであり、もう一人の方が小野田寛郎さんだった。
お二方が日本に帰国をされたときのことは、子どもながらに鮮明に覚えている。
日本の地に降り立った時、「恥を忍んで帰ってまいりました」と話した横井さんの言葉は、衝撃的だったように思う。
直後から流行語のようになったが、「生きて帰ってくる」ということを良しとしなかった、第二次世界大戦中の日本の軍国主義教育の恐ろしさのようなものを、なんとなく感じ取ったように思う。

話は違うのだが、RADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞についても、同様の印象を受けるのだ。
「御国」とか「御霊」と言う言葉は、神道で使われることがあるが、その言葉を利用し国威発揚に使ったのが第二次世界大戦だけではなく、日本が参戦した戦争でもあったのだ。
そこに「御旗」とか「死ぬ気で戦え」というニュアンスの言葉がつけば、軍国主義的な印象を持つ人がいるのは当然だと思う。

歌詞を書いた野田さんには申し訳ないが、たかだかサッカーの世界大会の応援ソングのカップリング曲なのだ。
サッカーファンである私であっても、そんなに力を入れなくても、もっと楽しくサッカーを楽しみましょう!と、声をかけたくなるほどの、力が入っている言葉が並んでいるように感じるのだ。
その程度のことなのに「愛国歌」と言われると、ますます「もっと肩の力を抜きましょう」と、言いたくなってしまう。
もちろん、選手たちは日本代表としての誇りをもって、プレーをするはずだ。
だが、そのプレーは「サッカー」というスポーツの中でのことであって、それ以上でもそれ以下でもない。
サッカーファンの中には、日本代表のファンではなくドイツ代表やスペイン代表のファンだっている。
サッカーというグローバルなスポーツだからこそ、自国だけではなく対戦相手国に対しても、敬意を表する気持ちや謙虚さも必要なのだ。

残念ながら、尾田さんにとって横井正一さんという方に対する印象は、そのようなものでしかなかった、ということだろう。
そして、RADWIMPSの野田さんにしても、「御国」とか「御霊」と言う言葉が、神道で使われる言葉だと十分理解していたのだろうか?と、疑問に感じる部分がある。
そして、そのような言葉が戦時中「御旗」と言う言葉とともに、多くの若者を戦場へと送り出し、多くの命を犠牲にした、という過去を知っていたのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。
もしかしたら、これらの言葉が「カッコ良い」とか「日本らしい」と感じていただけなのでは?という印象を持っている。
ではなぜ、そのような印象を持ってしまったのか?と考えると、「現代史」をキチンと教えていないのでは?という気がしてくるのだ。

これまでの高校で教える「日本史」や「世界史」は、年号を暗記するということが主だった。
「何故そのようなことが起きたのか?」という、時代背景や産業の変化という部分が、おざなりになっていたように思う。
特に「現代史」に関しては、時間切れでほとんど学んでいないのではないだろうか?
実際、大学入試で出題されることもほとんどない。
このような問題が出るたびに感じることは、「現代史」こそキチンと時代背景や産業の変化、経済の影響などを含めて教える必要があるのではないだろうか?

横井正一さんが羽田に降り立った時の「恥を忍んで(生きて)帰ってきた」という言葉の重さを、改めて考えてほしいと願っている。






コメント
この記事をはてなブックマークに追加

音楽の無料配信は、売り上げに貢献している?!

2018-06-13 21:15:35 | ビジネス

FM番組を聞きながら、朝の支度をするのには訳がある。
時刻をチェックするのに便利だということもあるのだが、テレビではない独特の視点の話題を知ることができるからだ。
今朝もそんな話題があった。
リポビタンD TREND EYES:Billboard Japan2018年上半期 総合ソングチャート TOP5

1位となった米津玄師さんの「Lemon」は、今年1月スタートのドラマ「アンナチュラル」の主題歌だった。
ドラマが話題になるにつれ、主題歌も話題となりドラマ終了後のリリース(だったと思う)にもかかわらず、MVなどの再生回数が1億回を超すほどになった。
確かに、ドラマの世界観と楽曲の使われ方がマッチしていて、この「Lemon」を聴くと、今だに「アンナチュラル」の数々の場面を思い出されるドラマファンも多いことだろう。
ドラマそのものの視聴率よりも、SNSなどでの話題などの総合的な関心・注目度などでも高かったことが、楽曲のヒットへとつながったのかもしれない。

ドアマのTwitterやインスタグラムなどをチェックしていると、気づくことがある。
それは、ドラマを視聴しているファンが、関連グッズなどを積極的に購入している、という点だ。
この春のドラマで話題になった「おっさんずラブ」のTwitterなどをチェックしてみると、DVD・Blu-rayの発売決定が発表された直後のツイートには「貢がせてくれてありがとう」というニュアンスの呟きが数多くあったのだ。
ドラマファンにとって、気に入ったドラマは「手元に置いて、いつでも見たい!」ということなのだと思うのだが、この「貢がせてくれてありがとう」という言葉に、個人的にはやや驚いたのだった。

おそらく、このようなファンの心情が音楽市場にも現れているのでは?という気がしているのだ。
youtubeなどで公開されるMVを見て、気に入ればストリーミングやダウンロードで買いたい!という気持ちを起こさせるように、最近ではMVのショートバーションを先行公開をし、リリース後ロングバーションの公開。
その後のストリーミングやダウンロードへとつなげるような工夫(というべきか?)を、音楽会社(個人的には「レコード会社」と呼びたい)がしている、ということだろう。

もちろん、「Lemon」や「どらえもん」のように、タイアップ楽曲ということも、音楽ファン以外の人たちが聴く環境づくりとなっているはずだが、それだけでは人は購入行動へと動かない。
youtubeのように、何度か無料で音楽そのものを聴くことで、お気に入りとなりそれが楽曲の購入へと結びつていると考えたほうが自然かもしれない。

ただ、私のような「レコード世代」にとっては、「アルバム1枚をトータルで聴く」ということが無いのでは?という気がしている。
音楽を楽しむスタイルは様々だが、個人的には残念な気がしている。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

もう少し、緩めに応援しませんか?メディアの皆さん。FIFA W杯ロシア大会

2018-06-12 18:05:45 | スポーツ

今週に入り、RADWIMPSの「HINOMARU」という楽曲が、話題になっている。
話題というか、この楽曲を随分不快と思っている方々が多い、という。
そのため、楽曲を作ったRADWIMPSの野田洋次郎さんが、コメントを出した。
exciteMuisc:RAD野田「HINOMARU」歌詞について謝罪「軍歌だという意図は1ミリもない」

この楽曲はフジテレビ系のFIFA W杯ロシア大会の番組応援ソングとして、使われる予定のようだ。
前回のブラジル大会の時も、NHKのW杯の番組応援ソング・椎名林檎さんの「NIPPON」も、お隣の国々から不快感を表明するようなことがあったように思う。

日本が初めてFIFA W杯に出場したのは20年前のフランス大会だった。
初出場ということもあり、異様なほどの盛り上がりを見せたように思う。
次の大会は、日韓合同での開催となったが、この時は「日本」だけではなく、サッカーというスポーツそのものに対しての盛り上がりだったように思う。
世界中の一番上手い選手が、一同に会して試合をするのだ、サッカーファンでなくても盛り上がったのは、当然かもしれない。
予選を突破した直後の渋谷の交差点は、人があふれかえり「ニッポン」コールが遅くまで響き渡っていた。
その後も、サッカー日本代表男子はW杯に出場し続けることができるようになってきたこともあってか?初出場のフランス大会や日韓大会ほどの熱狂さは、やや薄らいでいるのでは?という気がしている。

それに反するように、試合を放送するテレビ局は随分力が入るようになってきたように感じるのだ。
その象徴が、応援ソングのような気がしている。
椎名林檎さんの「NIPPON」や今回のRADWIMPSの「HINOMARU」が、悪いわけではない。
各テレビ局がオーダーするときに、そのような趣旨で作ってください、とお願いをしていると思うからだ。
その結果、なんとなく必要以上に力が入った歌詞が、出来上がってしまっているのでは?という、気がしているのだ。

テレビ局が、力を入れるのには、放送権料などの大幅な高騰があり(おそらく、日本の場合はNHKと民放各社連合体としての放送契約をしているはずだ。しかも複数大会契約でFIFA側の言い値に近い契約金を支払っているはずだ)、そのためには時差などとは関係なく視聴率を上げる必要があるのかもしれない。
その力の入り具合が、このような力の入り過ぎた応援ソングのオーダーになってしまっているのでは?という気さえしている。

今回のロシア大会は、直前で監督交代があり、その後の試合でも良い成績が残せていない。
そのため、世間的にはあまり盛り上がっていないのでは?という気さえしている。
応援ソングというのであれば、日本代表だけではなく世界のトップクラスの選手のプレーが見られる、というワクワク感やドキドキ感を歌詞に反映してもらったほうが良かったのでは?
何より、サッカーの楽しさや嬉しさのようなものが詰まった歌詞のほうが、W杯の応援ソングにふさわしいのでは?という気がしている。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

AIと学歴、そして仕事の関係

2018-06-11 21:18:16 | アラカルト

ForbesのWEB版に、「学歴とAI」というテーマの記事があった。
Forbesjapan:人工知能革命によって「学歴社会」は崩壊する

「現在の職業の多くが、AIによって奪われる」という話は、2年ほど前から盛んに言われるようになってきた。
その結果として考えられるのは、これまで「安泰」とされてきた職業についていた人の多くが、職を失うということだ。
その中でも税理士や公認会計士などの「士業」と言われる職業などが、AIに取って代われると言われた。
既に、WEBなどを使った市場調査などでは集計データなどは、コンピューターが自動的にはじき出しているのでは?と、思っている。
人の手で集計するよりも早くて確実だから。
そのようにして、出されたデータが蓄積されればAIの独壇場となっていくことは、目に見えている。

オートメーション化により、ブルーワーカーと呼ばれる人たちの職が失われた。
そしてAIによって、今度はホワイトカラーと呼ばれる人たちの職が失われる、と言われている。
その予測は半分以上当たっていると思う。
思うのだが、やはり人でなければできない仕事、というモノもある。
何故なら、AIは万能ではないからだ。
だからこそ、AIの普及が「学歴社会を崩壊」させるとは、今は考えにくいと思っている。
何故なら2020年度から、大学入試が大きく変わることになっているからだ。
河合塾:こう変わる!大学入試~2020年度からセンター試験に代わる試験を実施~
そのための予備テストが、昨年秋実施されたことも記憶に新しいところだろう。

変更される内容を見ていると、鉛筆を転がせばある一定の確率で正解となるマークシートから、思考を試される内容に代わるようだ。
この「思考を試される内容」こそが、AIでは対応できないことだと言われている。
AIが苦手とする内容の大学入試試験が、2次試験などで実施されるようになれば、それにあった学習をする必要が出てくるからだ。

言い換えるなら、仕事についても「思考力」が必要な仕事は、AIの時代になっても生き残る仕事、ということになるはずだ。
「思考する仕事」というのは、デザインなどのクリエイティブな仕事だけではない。
「相手を思う」ということもまた「思考」の一つだろう。
違う言葉で言うなら「コミュニケーション力」が問われるような仕事、ということになる。
介護や看護という職種などは、配膳のような仕事はAIのロボットが担当するなど、職場内での棲み分けができるだろう。
そして忘れてはいけないのは「匠」と呼ばれるような、技能を持った人材だ。
このような人たちには、独特の身体的感覚を持っている為、AIでは太刀打ちできない部分があるからだ。

むしろ、問題となってくるのは企業側かもしれない。
AIとの棲み分けが進めば、今よりも少ない人員で仕事ができるようになる。
少子化に向け、AIの活用は「人材不足」を解消する一つの方法となるかもしれないが、問題なのは「今働いている人たち」だからだ。
簡単に配置転換できない人材こそ、AIに対抗できる思考力や発想力、人を思いやる為の観察力を身に付ける必要があるのでは?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

コーチングとティーチングー日大アメフト部事件で考えたことー

2018-06-09 21:46:33 | 徒然

朝、FM番組を聞きながら過ごすことが多い。
今日、何気なく聞いていたら「コーチとティーチ」という言葉の違いを、ある番組でしていた。
プロキャディーの方が「ビジネスに役立つゴルフメンタルの話」をする、という内容の番組だ。
その話の中に「米国のトッププロと呼ばれる人であっても、コーチを付けるのはなぜか?トッププロと呼ばれるような人達に、教える人というのは、もっとすごいプレ―をするのでは?」という話があった。
その時の、プロキャディーの方の回答が、なるほど!と思う内容だった。

まず、「トッププロにゴルフを教えるという(ラウンド)コーチは日本でイメージしているコーチとは違う」ということらしい。
何故なら「コーチとティーチは、違うからだ」という話だった。
「コーチ=指導、ティーチ=教える」ということになるのだが、「指導と教える」ということを一緒にしているのでは?ということだった。

「ティーチ=教える」ということは、手取り足取り基本から技術などを教える、ということ。
すなわち、「ティーチ=教える」というのは、教える側と教えられる側の関係が「縦」になる。
一方「コーチ=指導」の関係は、する側とされる側の関係が「横並び」で、一緒に戦略を立てたりしながら、目標を達成する違いがある。
だからこそ、トッププロであってもコーチは必要で、その時々の(ラウンドの)アドバイスをするのが、コーチとしての役割である、という話だった。

確かに「ティーチ」と「コーチ」を日本語にすると、「教えると指導する」という違う言葉になる。
しかし、様々な現場においては「教える」ことも「指導する」ことも、「縦の関係」で行われていることのほうが多いのではないだろうか?
その「縦の関係」が、「支配と従属」という関係に陥りやすいのが、昔ながらの「体育会」であり、最悪な状態を見せてしまったのが今回の「日大アメフト部」の事件のような気がする。

確かに、新しいことを学ぶ為には「教えてもらう」必要がある。
何故なら、そのための知識も技術もないからだ。
しかし、知識や技術が身につき、自主的に行動をするために必要なのは「指導」だろう。
その「指導」が、組織や個人の目標となるものに対して平等な関係でなければ、自主性は失われてしまう。
同じ目標に向かう為の方法は、一つではないからこそ、最善の方法を選びだす為の「指導=コーチ」が、必要だからだ。
もう一つ、コーチをする上で重要なことは、「考える」ということではないだろうか?
指導をされる側の考えと、指導をする側の考えをすり合わせ、最善策を考える、という作業が「コーチ」の中には含まれているからだ。

今回の「日大アメフト部」のような、古い日本的な「気合と根性の縦関係」は、日本の企業でもあるのでは?という、気がしている。
確かに「考える」ということは、時間を要する「効率の良くない」ことかもしれない。
しかし「考える」ことによって、思いがけない視点が生まれることも確かなのだ。
それが、自主性へと繋がっていけば、明快な目標(=企業の場合は企業理念となるだろう)を達成し、次の発展に結びついていくのではないだろうか?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ゲノム医療の進歩と患者

2018-06-07 20:13:30 | 徒然

今年に入ってから、「ゲノム医療」についての話題が多くなってきた。
国立がんセンターなどを中心に全国10病院が、「ゲノム医療拠点病院」に指定が発表されたのは2月のことだったように思う。
その後、拠点病院と連携をする100の病院が決まり、本格的な「ゲノム医療」の準備を整ったというのが、この半年の医療の動きだった。

もちろん、企業も「ゲノム」に関する様々な事業分野に乗り出している。
「シークエンシング」と呼ばれるゲノムの解析機器の開発から、医薬品の研究開発まで、今や「ゲノム」という市場はこれまでにないほどの市場規模になる、と考えられているからだ。
特に「ゲノム医療」という分野については、世界各国が「世界標準」となるために、しのぎを削っている状態だろう。
今日の毎日新聞には、ゲノム医療の推進の為の議員立法を超党派で目指す、という記事もあった。
毎日新聞:ゲノム医療 推進へ議員立法目指す 超党派議連

何も「ゲノム医療」に限ったことではないのだが、「世界標準」となることで関連する事業を展開している企業にとっては、世界的にシェアを大きく伸ばすことができる。
「ゲノム医療」については、米国や中国に比べ応用研究(実際に薬として使えるような研究)となると、後れを取っている、というのが現状のようだ。

その一つには、治験などに対する生活者の理解が得られにくい、ということがある。
今まで、日本で新薬の承認が遅れがちになっていた大きな理由は「治験」の難しさ、という指摘も度々されてきた。
それに加え「ゲノム医療」となると、「ゲノム=遺伝子情報」を提供してくれる人という問題が出てくる。
現在「ゲノム医療」の中心として考えられている、「がん」の領域に関していうなら、患者数は年々増える傾向にあり、患者個人一人ひとりに合わせた治療薬を選び出す為に必要な総合的なデータが、どれだけ集まっているのか?という、疑問がある。

患者一人ひとりに合わせた治療薬の選定の為には、治療を受ける患者本人のゲノム情報が必要なのは当然だが、それだけでは、治療薬の選定とはならない。
候補となる治療薬一つひとつを、患者のゲノムにテストをしているような時間も費用もないからだ。
そのために必要なのは、過去~現在に至る治療を受けた患者のゲノムデータなのでは?
そして、治験と同様にこのような「ゲノムデータ」の提供に、抵抗感を持っている患者は、少なくないと思うのだ。
例えゲノムデータの提供を了解しても、提供患者に対しての結果報告はどうするのか?という問題もあるだろう。
今現在の状況では「ゲノムデータ」の提供に協力しても、その結果報告はしない、ということになっている(と記憶している)。
理由は、提供されるゲノムを匿名扱いにする、ということだからだが、それで提供する患者は納得するのか?という問題も起きてくる可能性がある。

今後、治療のための遺伝子検査が普及した場合、患者に対する説明やカウンセリングを誰がするのか?という問題が大きいと感じている。
「ゲノム医療」そのものは医療関係者よりも、治療を受ける側の患者のほうが理解と納得が無くては意味がない。

「ゲノム医療」は、様々な期待を持たれる新しい分野だが、そのために必要なことは何なのか?ということを考えた、生活者への教育とサポートがまず必要な気がする。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

再生可能エネルギーだけでは、エネルギー不足になる?

2018-06-06 20:32:55 | ビジネス

東日本大震災以来、太陽光発電などを利用した「再生可能エネルギー」に注目が集まっていることは、ご存じの通りだ。
結果、耕作放棄地や工業団地の誘致が失敗したような場所に、太陽光パネルが所狭しと並ぶような光景をあちこちで見られるようになった。
このような場所だけならまだしも、最近では山を切り崩してまで太陽光パネルを設置している場所を、見かけることがある。
ここまでくると、本当に「再生可能エネルギー」なのだろうか?と、疑問に思うようになってしまう。

これまで、日本の電力政策(というべきか?)は、過疎地に近いような場所に発電所を建設する、という傾向があったような気がする。
その顕著な例が、原発なのではないだろうか?
「再生可能エネルギー」のポイントは、「エネルギーの地産地消」のはずなのだが、これまでのような感覚で、「再生可能エネルギー」の一つである太陽光発電用のパネルが、地方に次々と造られているのだとしたら、日本のエネルギー産業の構造は全く変わらないような気がする。
そのような疑問を呈しているコラムが、今日の日経新聞に掲載されていた。

日経新聞:廃棄物再生利用でエネルギー自立へ

随分前になるのだが、下水道処理の過程で発生するメタンガスなどを使って電力を造り出す、という技術は既に確立していて、事業化することは簡単である、という話を聞いたコトがある。
下水道処理ということを考えれば、人口が圧倒的に多い都市部のほうが、生産コストなどを含め有利であるはずだ。
にもかかわらず、このようなエネルギー事業は実現化されていないように思う。
事実、環境省のHPにはメタンガス化の技術が紹介されている。
環境省:メタンガス化の技術

都市部などでは、環境省が勧める「廃棄物を利用したエネルギー」のほうが、現実的で「都市型の地産地消型エネルギー」と言えるのではないだろうか?
にもかかわらず、普及しない理由があるとすれば、それは「既得権益」という問題だろう。
下水を管理しているのは各自治体で、ガスや電力は民間企業だ。
自治体が電力会社へ売電をするということになれば、これまでの電力会社のビジネスモデルは崩れてしまう。

ただ、これから先電気自動車の普及ということを考えるなら、下水を利用し電力をEVステーションに限定して送電する、ということは考えられるかもしれない。
EV車両の普及の目的が、CO2の削減が目的だからだ。
EV車両で使われる電力そのものが、CO2を発生させる火力発電などから造られているとすれば、EV車両の普及という点では本末転倒になってしまうからだ。
今検討されている水素エネルギーを利用した自動車にしても、水素ステーションそのものの普及がされなければ、意味がない。

今、「再生可能エネルギー」という視点で語られる「エネルギーの未来像」では、電力不足は避けられない現実だと思う。
とすれば、EV車両の普及という点もふくめ、個々の地域に合わせた「廃棄物利用エネルギー」も積極的に、考える必要があるのではないだろうか?

コメント
この記事をはてなブックマークに追加