日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

企業における「ブランドイメージ」という、資産

2020-02-21 20:58:22 | ビジネス

ダイヤモンドオンラインに、興味深い記事があった。
DAIMOND on-line:なぜANAホテルは「桜を見る会」問題で最高権力に忖度しないのか?

ANAホテルが「桜を見る会」について、首相の答弁と食い違った説明をした、という話題があった。
記事にもあるように、「ANAホテルが外資系ホテルだから、忖度しなかったのでは?」という指摘をする記事もあった。
この報道で、自民党の議員さんたちの間では「ANAホテルは使わない」等の発言があったようだが、その一方でこの発言にで「これからは、積極的にANAホテルを使おう!」という、人達も数多くいるようだ。

確かに首相の答弁と違う説明をすることで、安倍さんをはじめとする自民党の議員さんたちからそっぽを向かれ、一時的にホテルの大きな収入源と言われている「宴会」利用は減るのだろうか?という、疑問がある。
というのも、今回の答弁でANAホテルのブランドイメージは、グンッと上がったのでは?という、気がするからだ。

それが「適切な会計処理をしている」ということが分かったからだ。
権力に忖度するのではなく、「当たり前に法に基づいた処理をし、それについて淡々と説明したに過ぎない。特別なことではない」と言う、社会的信頼をANAホテルというホテルをよく知らない人達にまで、知らしめたということになるからだ。
「当たり前のこと」に対して、ブランドイメージがアップする、ということ自体おかしなことではないか?と、思われるかもしれないが、「当たり前のこと」を丁寧に説明する、ということ自体が「誠実な企業である」という印象を、多くの生活者が持つことになったはずだ。
違う言い方をするなら、「未来の顧客に対して、ANAホテルは誠実な企業である」というブランドイメージを与えることに成功した、ということになる。

重要なことは「未来の顧客」に対して、「ブランド力をあげることに成功した」という点だ。
これまで様々な企業が、誠実な対応を怠り生活者からそっぽを向かれ、最悪な場合は倒産にまで追い込まれた。
一見すると、既顧客が離れたために倒産したような印象がもたれるかもしれないが、既顧客だけではなく未来の顧客も企業に対しての信頼を失ったため、様々な再建プランを出しても倒産してしまった、と理解すべきだと思う。

実際、今回の件でYahoo!などのコメントを見ると「ANAホテルを是非、今後利用してみたい」という書き込みが、いくつもある。
実際に利用するかしないかは分からないが、「利用してみたい」というコメントを読んで、「私も、利用してみよう!」という気になった未利用者は、案外多いのではないだろうか?
それは、ネットという一瞬で情報や個人の考えが拡がっていくツールだからこその反応であり、「未来の顧客を獲得する」という視点で考えれば、これほど有効なことはない。

一度失ってしまった「ブランド力」という無形の資産を取り戻すには、膨大な時間とお金と労力を必要とする。
また、「ブランド力」を維持していく努力もまた、相当な労力とお金が必要だ。
社会に対して「誠実な企業である」という、経営姿勢を示す為には企業のトップから現場で働くアルバイト一人ひとりに至るまで、「企業理念と企業が果たすべき使命」を十分理解し、それを忠実に行い・守ることなのだ。
決して、広告やコマーシャルでつくられた「企業イメージ」が「ブランド力」ではない、ということを、今回のANAホテルは示しているような気がする。



コメント

ミヒャエル・エンディの「モモ」が、教えてくれること

2020-02-20 21:29:29 | ビジネス

今日、実家のある米子から名古屋に帰ってきた。
実家で過ごす時間は、独居老人の父の世間話を聞き、時折相槌を打つという、ビジネスとは全く関係のない時間だ。
その父が寝静まった後、ミヒャエル・エンディの「モモ」を読んでいた。
ご存じの方も多い、児童文学の名著だ。
残念ながら、子どもの頃「モモ」を読んだ記憶がない。
もちろん、ミヒャエル・エンディも「モモ」が児童文学の名著であることも知ってはいるのだが、なんとなく手が出なかった本の一つだった。

その「モモ」を読む切っ掛けとなったのは、いろいろな理由があるのだが、実際に読んでみるとある種の「生々しさ」を感じたのだ。
実は、読んでいる途中で、気分が悪くなったこともあった。
その「生々しさ」というのは、おそらく私が長い間ビジネスという世界に身を置いてきたからだろう、ということは暗に想像がつく。
というのも、「モモ」で描かれる「灰色の男たち=時間貯蓄銀行のセールスマン」がつくりだした世界は、今の私たちのビジネスでは「当たり前」とされていることに近いだからだ。

「モモ」に登場する「時間貯蓄銀行」が勧めているのは、「時間を切り詰める合理性」だ。
そこには、人としての感情は一切排除され、効率と合理性ばかりを求めるある種の「エゴ(あるいは自己益)」だ。
「自分にとってビジネス(というよりも「儲け」だろうか?)にプラスになるのなら、相手のことなどお構いなし。判断基準は、自分にとってどれだけ利益になるのか?」という点だ。
それを、ミヒャエル・エンディは「時間」という物差しで、表現をしている。

しかし、ビジネスキャリアを積んできた人たちの中には、「モモ」で描かれているような社会になっていることに気づいていない人たちも数多くいるのではないだろうか?
それは「マニュアル通り。How toに従い、疑問を持つこともなく、自分で考えることを止めている人たち」が、増えているということを実感するからだ。

この「疑問を持たない、自分で考えることを止める」ということは、実はとても「ラク」な方法であり、自分で責任を負う必要が無い、ということでもある。
社会を見渡すと、そのような自分で責任を負う覚悟の無い大人たちの一人や二人、思い浮かぶのでは?
それが今の社会だとすると「モモ」で描かれた「時間貯蓄銀行」に「時間を奪われた人達の姿」と、重なるように感じるのだ。

主人公の少女・モモは灰色の男たちと、相対するキャラクターということになる。
そして最後はモモが、街の人たちの「時間を取り戻す」ことに成功するのだが、今の社会ではモモのような人たちは瞬く間に社会から追い払われてしまうだろう。
ただそのような「自己益追求型のビジネスで良いのか?」という疑問を、持ち始めている人たちもいることは確かだろう。
もし、近い人物がいるとすればグレタ・トゥーンベリさんかもしれない。
だからこそ、彼女の発する一言一言に世界の政治家や経済人が、眉を顰め攻撃的な言葉を繰り返すのだろう。
本来であれば、主人公・モモの役割はビジネスや政治に関わる、大人たちの仕事なのではないだろうか?
と同時に、「疑問を持たない。自分で考えない」ことで起きる社会は、ハンナ・アーレントが指摘した「全体主義」の誕生でもあると感じるのだ。

コメント

改めて感じる「依存症」の問題

2020-02-13 23:07:47 | 徒然

今日から、母の墓参りの為に実家(鳥取県米子市)に帰省している。
帰りの高速バスに乗っている時、スマートフォンに「槇原敬之、覚せい剤で逮捕」という号外ニュースが表示された。
「随分前に、逮捕されても懲りていなかったのかな~」と思ったのだが、一昨年だったか?関係者が覚せい剤で逮捕されていた、とニュースにあったことから、「そんな環境では、治療そのものができない」というきがしたのだ。

昨年、米国の「セサミストリート」が「オピオイド中毒の母親を持つ子供が登場した」ということについて、エントリーをした。
日々是マーケティング:セサミストリートが投げかける、社会の問題

エントリをした内容は、米国で問題となっている「オピオイド(系)」と呼ばれる鎮痛剤の常用による依存についてだった。
ただ「薬物依存」という点では、今回の槇原敬之の「覚せい剤(の他の薬物依存もあった、という報道もあるようだ)」も同じだろう。
大阪大学医学部の教授・仲野徹さんは「依存」と言う言葉だと、本来の患者の姿が見えないような気がするので、あえて「中毒」という表現もしくは「addiction(アディクション=常用癖または中毒)」を使うべき、と著書で書かれている。

そしてこのような「アディクション」から脱却するためには、「身近に対象物となるものを置かない」ということが、一番重要だ、と仲野徹さんは書いている。
おそらく「依存症治療」に関する書籍には、同様のことが書かれているのではないか?と、思っている。
それは「アルコール」や「ギャンブル」であっても同じということだ。
病院などで治療を受け、「自分は大丈夫!」と思っていても、1滴でもお酒を飲むと元の木阿弥。以前と同じように「アルコールなしでは、生活ができなくなってしまう」と言われている。そして、相当の確率で舞い戻ってしまう人がいる、と、著書の中で書かれていた。
病院で治療できないのが「依存症」なのだ。

一番良いのは、最初から「アディクション」の要因となるモノ・コトから離れた生活をすることだろうが、「オピオイド中毒」のように処方薬として使われ、それが常用癖となり結果中毒となってしまう場合もあるのだ。
もちろん「オピオイド」と「覚せい剤」を、同一のものとして考えるわけにはいかないが、自分たちの生活の近くに様々な「常用癖」となるモノ・コトがあふれている、ということをまず知る必要があるのかもしれない。
ただ、「常用癖」となるモノ・コトは「楽しいモノ・素敵なコト」という顔をして、近づいてくるので「自分なら大丈夫」ではなく、臆病なくらいに近づかないという勇気を持つことが、大切なのかもしれない。

お知らせ:上述の通り現在帰省中の為、ブログはしばらくお休みになります。
     再開予定は来週末。宜しくお願いします。



コメント

なぜ日本の企業は、出遅れてしまうのか?

2020-02-12 16:22:53 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトに、「なぜ、日本の企業は出遅れてしまうのか?」という感じる記事があった。
日経新聞:サムスン、Netflixなどと提携 動画対応でアップルに対抗

詳細については、リンク先の日経の記事を読んでいただくとして、配信を利用した様々なエンターティメント事業に関して、日本企業の出遅れ感は否めないと思う。
若い世代を中心に新しい音楽の楽しみ方として、若い世代を中心に人気となっている「ストリーミング」の大手「Spotify」は、スエーデンの企業だ。
記事に取り上げられているNetflixは、ご存じの通り米国企業でオンラインを利用したレンタルDVDを中心に利用者を増やし、今ではアカデミー賞候補作まで制作する「映像企業」となっている。
そしてサムスンは、これらの企業と提携することでIT製品によるプラットホーム化を目指しているのでは?という、気がしたのだ。
だからこそ、「アップルに対抗」ということになるのだ。

この記事を読んでいて気付くことは無いだろうか?
日本の企業名やサービス名が、全く出てきていないのだ。
随分前から「モノ消費からコト消費へ移っている」という指摘は、マーケティング関連の記事だけではなく、様々なところで言われていた。
にもかかわらず、日本の企業は「ものづくり中心」のままで、今に至っているのではないだろうか?
生活者の変化を理解しているようで、理解をせずソニーの「ウォークマン(1979年発売のカセットテープ再生専用の初代ウォークマンのこと)」の頃から、まったく進化していないのでは?という、気すらしてくるのだ。
もちろんその後も、日本企業が世界を席巻した製品は、数々誕生している。
任天堂の「ファミコン」や「ゲームボーイ」等は、世界中が熱狂したテレビゲームや携帯ゲーム機の先駆けとなり、今でそれらの派生製品は根強い人気を誇っている。
確かに任天堂の「ゲーム関連」に関していえば、今でも根強い人気を誇り、新製品が登場する度に熱狂的に迎え入れられているが、日本の産業の中心であったはずの家電をはじめとするメーカーなどは「ものづくり」には熱心でも、今の時代に呼応するようなモノ・コトづくりに興味があるのだろうか?と、疑問に感じてしまうのだ。
というよりも、「生活者の欲しいサービス」を理解していないのでは?という、気がしてしまうのだ。

現在日本企業の中でスマートフォンを製造している企業は、ソニー、京セラ、シャープ、富士通の4社くらいだろう。
サムスンという名前ではなく「Galaxy」という、ブランド名で認知されているように思うのだが、日本の4社が共同で通信サービスの企業と積極的に提携をし、利用者を取り込もうという感じではない。
強いて上げるなら、ソニーの場合エンターティメント事業を積極的に展開していることから、今後事業の提携はあるかもしれないが、今回のサムスンが提携する企業の数を考えれば、その魅力は半減してしまうだろう。

なぜ、日本の企業はこのように「出遅れてしまうのか?」と考えると、メーカーは製品をつくる企業であって、そこから先は利用者の自由、という発想というか感覚があるからだろう。
確かに、スマートフォンで利用するアプリは、利用者が自由に選ぶべきだと思う。
思うのだが、「利用者が自由に選ぶ」という発想の中に、「利用者がどのように使い、生活に反映させているのか?」が、あるのだろうか?という疑問があるのだ。

生活者が「Spotify」などを利用しても、スマートフォンをつくっているメーカー側には、何のメリットもないし関係が無い、と言えば関係はないだろう。
だがそれらのサービスを利用することで見えてくる「生活者の像(というか「具体的な姿」)」があるはずだ。
そのような「生活者の像」は、今後家電などの中心となっていくIOTなどの利用する姿へと繋がっていくのではないだろうか?

日本のものづくりは、確かに素晴らしいものがあったと思う。
しかし今の日本のメーカーの多くは、「生活者を置き去り」にしているのではないだろうか?
いつまでも「1979年のウォークマン」のものづくりでは、日本企業が置き去りにされていってしまうのでは?
そんな心配をこのサムスンの提携の記事を見て、感じている。










コメント

カズヒロさんの「日本国籍を捨てた」発言は、今の日本の閉塞社会の問題点を表している

2020-02-11 21:29:42 | アラカルト

昨日発表があった、米国アカデミー賞。
商業映画における、世界最高の賞と言っても過言ではないと思う。
そのアカデミー賞が、今回異変が起きた。
韓国映画「パラサイト」が主要4部門を獲得したのだ。

数年前なら、考えられなかったアジア発の商業映画の受賞というのは、アカデミー賞選考を行うアカデミー会員の構成メンバーが大きく変わりつつある、ということを表しているのかもしれない。
というのも、数年前まではアカデミー賞選考メンバーの8割は白人男性、と言われ問題となったからだ。
アカデミー賞に限らず先日発表があったグラミー賞でも、受賞楽曲などを見ると選考会員の構成メンバーが変わったのでは?と、感じる部分は多々あり、主要部門を独占したビリー・アイリッシュの受賞は、その象徴だったかもしれない。

その中でメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞したのは、カズ・ヒロさんだった。
2019年に米国国籍を取得された理由を、授賞式後あるインタビューで応えている。
nobicom:カズ・ヒロの国籍なぜアメリカ?辻一弘が日本を捨てた理由に納得の声

「日本を捨てた」という表現は、やや過激な気がしない訳ではないが、米国国籍を取得した理由を知ると、どこかで納得できる。
何故なら、今日本の社会を覆いつくしている閉塞感の要因のいくつかは、カズ・ヒロさんが理由として挙げている事柄のような気がしているからだ。

例えば、「失敗を許さない」ような社会的雰囲気があり、それが「再チャレンジ」の機会を奪っている、という指摘は再三されていながら、まったく変わっていないからだ。
その背景には、日本企業の多くが「減点主義」と呼ばれる、人事考課があると指摘されている。
一度失敗をすると、会社人生のコースから外れるだけではなく、復帰することすらできない。
だからこそ、無難な前例主義を踏襲することで、会社人生のコースを外さないようにするのが、精いっぱいになっている、というのが現状だろう。
だからこそ「自分で考える」のではなく、HOW TOのほうが優先されるのだ。
カズ・ヒロさんのようなクリエイティブな仕事は、常に「自分で考える」ことが要求されるし、手垢がついたような陳腐なHOW TOなどは評価の対象にすらならないのが、ハリウッドだろう。

他にも、ハリウッドで活躍されているカズ・ヒロさんからすれば、「日本人である」ということよりも、「ハリウッドにいる、一人のメイクアップ&ヘアーアーティスト」ということの方が重要であり、日本国籍で仕事をしているわけではない、という自負もあったはずだ。
にもかかわらず、「ハリウッドで活躍し、アカデミー賞まで受賞した日本人の誇り」という枠にはめ込み、縁もゆかりもないのに、カズ・ヒロさんの活躍を「自分の活躍」のような錯覚をしてしまう(少なくとも、そのような報道がされてしまう)ということも嫌気がさしていたのだろう。

自分が努力によって得た賞賛を、「日本人の活躍!」という文字で様々なメディアが報じるのは、オリンピックをはじめとする、スポーツの場面だろう。
最近では「日本の為」ではなく、「自分の為」という言葉を使う選手が随分増えてきたと思うのだが、それでも「自分の為」という言葉に抵抗感を感じる人達は多いはずだ。
まして「試合を楽しみたい」等とインタビューで応えたりしたら、「試合を楽しむとは、何事!」と言われ反感を買うことになることもしばしばあった。
最近特にこのような「日本の為」という圧力は、今いたるところで感じるのは私だけだろうか?
このような「国の為」という社会の圧力(=「ナショナリズム」と言って良いと思う)を利用したのは、あのヒットラーであったということを忘れてはいけないと思う。

縁もゆかりもないのに、日本人というだけで親しげにされるのに、逆の状況になった時「蟻の子を散らす」様に去っていくという、都合の良い関心の持ち方しかされていない、ということを実感されていたのかもしれない。
そのような息苦しさや自分勝手な都合のよさを、カズ・ヒロさんはハリウッドという場所にいながら、感じていたのではないだろうか?
それは日本の多くの人がどこかで感じている「息苦しさ」と通じるモノがあるような気がするのだ。


コメント

新しい味が認知されるまでには、時間がかかる?

2020-02-10 20:33:28 | マーケティング

今週末から、母の墓参りの為に帰省する予定にしている。
そのため、今日帰省の切符を購入するために名古屋駅へ出かけた。
ついでにお土産を買おうと、JR名古屋髙島屋に寄りお土産兼バレンタイン用のチョコレート菓子を買った。
JR名古屋髙島屋では、バレンタイン商戦として毎年「アムール・デュ・ショコラ」というチョコレートの特別催事販売をしている。
JR名古屋髙島屋:アムール・デュ・ショコラ

何でもこの時期、日本で一番チョコレートを売り上げる催事になっているようだ。
当然、それなりの混雑が予想されたので、地下にある洋菓子店で購入したのだが、その時目に留まったのが「ルビーチョコ」だった。


昨年「第4のチョコレート」として、話題になった・・・という記憶があったのだが、ベルギーのチョコレートでは初登場では?と思い。お土産用とは別に購入したのだが、他の商品を見ながらアレコレとチョコレートを選ぶ女性の姿は多いのに、何故か?この「ルビーチョコレート」に関しては、まったく!と言ってよいほど興味・関心を示すお客様がいらっしゃらない。

確かに、安いチョコレートではないが、そもそもこのベルギーの老舗チョコレート店(ゴディバではない)のチョコレートは高めの価格帯が主流なので、このお店としては特別に高い、という印象を持たれるような価格帯ではない。
にもかかわらず、多くのお客様がいる中で、まったく!と言ってよいほど興味・関心がもたれない、というのは
1.「ルビーチョコレート」に対する認知度が低い(あるいは、知らない)
2.食べてみたいが、気軽に買える価格ではない
3.話題になっているのを知らない
ということがあるのでは?と、思ったのだ。

しかし、先日近所のスーパーで「ルビーチョコメロンパン」なるものを見つけた(当然のことながら、購入、試食済み)。

売り場を見ると、そこそこ売れていたようだったが、やはり単価の違いなのだろうか?
確かに、ベルギーの老舗チョコレート店、もう一方は地元製パン会社の新作お試し価格の「メロンパン」だ。
価格そのものが、まったく違うのは仕方ないだろう。
「それでも・・・」と思うのは、バレンタイン商戦の一つとして百貨店で販売されている、という点で気になったのだ。

確かに「これまでにない商品」というのは、生活者から認知され、一定の購入数を得るまでにそれなりの時間がかかる。
「味覚」に関するものだとすると、受け入れられるまでに時間がかかるのかもしれない。
まして「名古屋めし」に代表されるように、名古屋の味は独特のものがある。
その意味で、「ルビーチョコレート」が受け入れられるようになるまでには、まだまだ時間がかかるのかもしれない。

ただ、「話題のルビーチョコレート」とか「第4のルビーチョコレート、いよいよ登場」等のPOP広告が、あれば違うのかもしれない。
特に「話題の・・・」というキャッチの前に「東京でも話題の・・・」と書かれると、案外名古屋人は弱いという気がしている。

もう一つ考えられるのは、「ルビーチョコレート」そのものが一見「ストロベリーチョコレート」と同じように見える、ということもあるだろう。
「ルビーチョコレート」というのは、真っ赤に実るカカオから取れるチョコレートで、着色などがされているわけではない。
当然生産量も限られた「希少なチョコレート」でもある。
そのような情報が売り場で謳われていない、というのも興味・関心をひくことができなかったのかもしれない。

上述したように「ルビーチョコレート」が「ストロベリーチョコレート」と見分けがつかないだけではなく、味そのものが「やや酸味のあるラズベリーのような風味」を持っている。
この「ルビーチョコレート」の登場によって、お菓子としての「チョコレート」ではなく、「カカオという果物」を楽しむという提案も、昨年あたりからチョコレート専門店ではされてきている。
このような、新しい「チョコレートの楽しみ方」も、同時に提案されなくては「ルビーチョコレート」の人気は、まだまだ先なのかもしれない。

コメント

「新型コロナウィルス」の流行に思う

2020-02-08 21:36:20 | 徒然

連日、トップニュースの扱いで報道される「新型コロナウィルス」。
日本での感染者も増加の一途をたどり、収束の目途が全く立たない状態になっている。
それだけではなく、経済関連のニュースも「新型コロナウィルス」の影響による、産業界の停滞と経済の先行き不安というニュースばかりが目立つような気がする。

確かに100年前の大流行し、日本での死亡者が当時の人口4割と言われた「スペイン風邪」を彷彿させるような、世界的大流行となっている。
世界中に感染が拡がった最大の要因は、やはり中国が先手先手の対策を取らなかったことや、「春節」という中国国内だけではなく海外に出かける人達が多くいる時期と重なったこともあるだろう。
日本での感染者第1号となったのは、中国・武漢からの団体旅行者のバス運転手だった。そして同じバスのガイドの方も感染が発覚した。
今日になりバスの運転手さんとガイドさんが、無事退院されたというニュースもあった。

そのような明るい?ニュースよりも横浜港沖に停泊している客船の乗客の新たな感染者や、乗客自身の精神的疲労やイライラなどの報道も出るようになってきている。
乗客のストレスなどは十分にわかるのだが、これ以上感染を日本国内で拡散させない為の手段として、現状の対応しかないのでは?という、気がしている。

そして、今回の「新型コロナウィルス」の流行により、日本各地の中国をはじめとする海外からの観光客が、激減している。
京都の渡月橋などは、いつもなら観光客でごった返すのだが閑散としている写真がネットで話題になっていた。
他にも「中国からのインバウンド」を期待している観光地などは、商売にならないほど来日客がいない、と話題になっていた。

ただこのような状況になって「インバウンド政策」を、見直す必要があるのでは?という気がしている。
何故なら「インバウンド」の対象となる相手国は、中国だけではないからだ。
これまで「インバウンド」というと、「中国からの観光客」ばかりをクローズアップしていたような気がするのだ。
中国ではなく「東アジア」へと広げて考えれば、もっと違った「インバウンド」の発想が生まれてくるのではないだろうか?

例えばインドネシアは、アジアの中でもイスラム教徒が多い国だ。
しかし、日本の観光地ではイスラム教徒を受け入れる体制が整っている、とは言い切れない状況だ。
何より「ハラール食」が、観光地を含めどこでも食べられるわけではない。
以前拙ブログでも紹介しているが、一人当たりの消費金額が多いのも中国ではない。
とすれば、今だからこそ地方自治体は「インバウンド政策」を見直すチャンスなのではないだろうか?
観光地での案内掲示板にしても英語・中国語・韓国語だけではなく、スペイン語やフランス語のような多言語表記が必要になるだろう。
観光地を一つの「国際交流の広場」として考えた時、どのような「広場をつくりたいのか?」という、アイディアを自治自身が積極的に考える機会が、今なのではないだろうか?

発想を少しズラしてみれば、今だからこそ考えるチャンス!となるものが、多くあるのではないだろうか?

コメント

転売ヤーとマスク、C2Cビジネスの影

2020-02-06 16:50:24 | ビジネス

収束の気配を全く見せない「新型コロナウィルス」の感染状況。
WHOも「緊急事態」を宣言するまでに、世界的規模での流行が懸念されるようになってきた。
NHKニュース:「緊急事態」を宣言医療のぜい弱な国への感染拡大懸念

「新型コロナウィルス」の流行が、ニュースのトップとして扱われるようになってから、近所のドラッグストアを含め「マスク」が品切れ状態になっている。
「マスク」だけではなく、除菌効果を謳ったウェットティシュや除菌スプレーなども、売り切れ状態になっている。
そのような状況の中、「メルカリ」等のC2Cサイトで、常識とは思えないほどの価格をつけ、出品しているという状況がある。

「衛生品の一つである「マスク」等を出品するのは、いかがなもの?」と感じる方も多いと思う。
何故なら、「マスク」をはじめとする衛生品は、封を切った時点でその商品価値は無くなってしまい、ネットでは実際の状況が分からないからだ。
しかし「メルカリ」側の見解は、違うようだ。
huffpost:【新型コロナウィルスで品薄】マスクの高額転売、なぜ禁止されないの?メルカリに聞いた。

「出品禁止品ではない」というのが理由のようだが、なんとなく説得力に欠ける気がする。
何より、正規の価格よりも10倍以上の高額で出品している、という点で「出品禁止」に当たるような気がするのだが、どうなのだろう?
「メルカリ」等に出品されるものの多くは、「自分が使い用済みとなったものを、必要としている人に」という物が出品するのが通常だと思うのだが、新品を高額な値段をつけて出品する、というのは違うのでは?
「禁止品以外の出品を規制するわけにはいかない」という回答に、「メルカリ」をはじめとするC2Cサイトのビジネス倫理に疑問を感じてしまうのだ。

今回の「転売ヤーによる高額マスク出品」は、C2Cビジネスの問題点を示したような気がする。
一つは「衛生品」のような、封を切ったら使い物にならない出品は「出品禁止品」とすべきなのでは?という点。
もう一つは、たとえ新品であっても「市販品よりも高額な出品」に対して、運営側のビジネス倫理観が問われた、という点だ。
C2Cビジネスが、発展していく為には「当たり前」に目を配る、ということも必要なのだ。

それにしても転売ヤーたちの「マスク買い占め」の動きの速さには、驚くモノがあった。
「儲け」ということになると、人は想像以上に素早い行動を起こす人が少なからずいる、ということだと思う。
ただこのような転売ヤ―による「高額な出品マスク」に対して、すぐにネット上での批難と「不買の声掛け」があったことを考えると、まだまだ生活者の多くは、バランス感覚が崩れていない、と安心もした。

コメント

地方の魅力を創り出すのは、地元のルーツを探ることでは?

2020-02-05 20:09:49 | ビジネス

日経新聞のWEBサイトにあるCOMEMO。
その中で、気になるコラムがあった。
COMEMO:地域に埋もれた「魅力」は掘り出しても魅力的ではないというお話

確かに「埋もれた地域資産となるものを掘り出しても、魅力的ではない」というのは、一理あると思う。
ただこれまで「地方創生」等と言われながら、行政の多くはどこか他人事のような感覚だったのでは?と、感じることが多々あった。
「埋もれた地域の魅力すら、掘り出そうとしていなかった」、というのが本当のところなのでは?という、気がしているのだ。
その背景にあるのは、「お上(国)が、何等かの指示を出し、そのガイドラインに沿ってやる」という「他人任せ」というか「よそ事感覚」が、地方行政にあるような気がしていたからだ。

実家に帰省すると、「何のアイディアもなく、ただただ寂れていくのを待っているのでは?」という気がする時がある。
それほど街全体に活気が無く、何より地元の人たちが他人事のような感覚で、成功した自治体の姿を羨み、「自分の地元には、そのようなモノがないからな~」という思考で、止まっているような印象を持っている。
そしてそのような地方は、数多くあるのでは?という、気もしている。

コラムにあるように「魅力を掘り起こしたが、どのように全国に発信していいのか分からない」というのであれば、打つ手はある。
その道のプロにお願いすれば、費用は掛かるがいくらでも提案をしてくれるからだ。
いっそのこと「掘り起こし」からプロにお願いすれば、もっとスムーズにいくかもしれない。
だが、それは一時のことだ。
継続的に「地域資産の魅力を発信し、常に新しくしていく」というのは、自治体側には相当の努力と手間が必要だ。
そのための人財育成も同時に行う必要がある。

おそらく「人財育成などが必要だ!」と、考えている人は少なくないだろう。
国も手をこまねいているわけではない。総務省肝いりのプランとして「地域おこし協力隊」という、縁もゆかりもない若い人を派遣して、地域の魅力を掘り起こし、発信してもらう為の事業プランがある。
にもかかわらず、成功事例の数よりも多い数の失敗があるのでは?という、気がしている。
というのも、以前「地域おこし協力隊」の活動状況を知る機会があり、任期3年の内1年以上は、地域の人たちに顔を覚えてもらう為の活動に充てている、などの話を聞いたことがあるからだ。
地元の協力は必要だが、そのためのスタート時点でコケているような気がするのだ。

それよりも効果的なのは、自分たちの街のルーツを知り街全体のリノベーションをする、とではないだろうか?
拙ブログでは度々書いてきているのだが、戦後の高度成長期に地方が目指したのは「ミニ東京化」だった。
その結果、地方色が失われ本来あったはずの「魅力」も失せてしまったのではないだろうか?

「地域の魅力を掘り起こし、発信する」前に、街のルーツを探る・・・ということを、考えてみてはどうなのだろう?






コメント

JASRACの徴収と分配から「利益の再配分」を考えてみたい

2020-02-04 11:36:20 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに取り上げられていた「JASRAC」の2019年度の徴収・分配の記事。
Yahoo!弁護士ドットコム:JASRAC、徴収・分配ともに過去最高の見込み・・・動画サイト・音楽サブツク好調

「徴収額と分配額が一致していない」という、ツッコミがあるとは思うが(徴収額が1,157億円に対して、分配額が1,173億円と、分配額が16億円ほど多い)問題なのは、「何にどれだけ使われたのか?」という明細が情報として公開されていない為、様々な憶測を呼ぶ結果になっている。
そこで、ネットで公開されているJASRACの2018年度の事業報告書を探してみた。
JASRAC:2018年度事業報告書 (注意:PDFファイル)

事業報告書からわかることの一つは、役員が多いのでは?という印象があること。
職員数も500名弱というのは、この業務に対して適正な人数なのか?という、疑問を持たれる方も多いかもしれない。
というのも、記事にあるように、動画サイトや音楽サブツク(正しくは、ストリーミング再生回数だと思われる)による、徴収額が増えている、という点を考えるとJASRACができた時代のような徴収システムではなくなってきている、と考えられるからだ。

例えば音楽チャートデータを毎週発表しているbillboard誌などには、動画やストリーミング、カラオケなどの再生回数が一桁まで発表されている。
billboardJapan:Charts (2020年2月3日付 最新データに代わることがあります)
これらのデータが明快に発表できるのは、インターネットなどの通信システムを利用している為で、特にサブスプリクションを利用したストリーミングデータ=売上と見ることができる。
これらのデータを利用するのに、多くの人達はCDショップに行き購入しているわけではない、ということはご存じの通りだ。
スマホにアクセスするだけで、自動的に課金(ただし利用者の多くは「サブスプリクション」という月額定額を利用している為、課金されているという認識はないだろう)されるからだ。
言い換えれば、人の労力によって徴収しているわけではない、という点を考えれば、本当にこれだけの職員数が必要なのか?という、疑問が出てくる。
まして役員数と職員数の比率を考えてみると、役員数が多いのでは?という、印象を持たれても仕方ないのでは?という感じがする。

更に、事業報告書をみて驚くことがあった。
それは「音楽文化の振興に資す取り組み」という項目だ。
JASRACが音楽教室もどきの「音楽講座」を開設しているのだ。
ヤマハなどの「音楽教室」から徴収をし、自前の「音楽講座」を開設し、音楽文化の振興をしている、というのはいかがなものだろう?

今回の徴収額を伸ばしたストリーミングで聞かれた楽曲は、official髭男dismやKing-Gnu、米津玄師、あいみょんなどだった。
その中でもofficial髭男dismの主に作詞作曲ヴォーカルを担当している藤原さんは、子どもの頃からクラシックピアノを習い、Baseとsaxを担当している楢﨑さんは、音楽教師の免許を持っている。同様にKing‐Gnuの作詞作曲を担当している常田さんは東京藝大音楽学部中退、ヴォーカルの井口さんも東京藝大音楽学部の出身だ。昨年ヒット曲を出した代表的バンドは、音楽の基礎教育をシッカリ受けてきた人たちでもあるのだ。
彼らの活躍を考えると、ヤマハの「音楽教室」をはじめとする市井の「音楽教室」が音楽振興を支えてきていた、というのは間違いないだろう。
そのような役割を果たしてきた市井の「音楽教室」を蔑ろにし、自前の「音楽講座」を「音楽振興の資」と謳うことに、大きな違和感を感じるのだ。

むしろ自前の「音楽講座」よりも市井の「音楽教室」をサポートすることで、より多くの人たちが音楽に触れ、将来の音楽クリエーターとなるのではないだろうか?
このような音楽を楽しみクリエイトする市井の人達への「利益再配分」こそが、JASRACの事業の目的のような気がするのだ。

JASRACが社会からなかなか理解が得られないのは、このような「自前でやっていることは凄い」が、市井の音楽振興へのサポート意識が無い、ということなのではないだろうか?

コメント