日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

「新潮45」の杉田水脈氏擁護の記事は、炎上商法だったのか?

2018-09-21 19:20:17 | 徒然

この夏、「LGBTと生産性」という内容で、世間から非難を浴びた(と思われる)自民党の杉田水脈氏の記事に対して、擁護の記事が「新潮45」に掲載されている。
元々杉田氏の記事は「新潮45」に掲載されていたものなので、杉田氏に対する批判に対する擁護記事が同じ「新潮45」に、掲載されるのは不思議なコトではない。
ただこの擁護記事を書かれた方の中のお一人・小川榮太郎氏の記事が、杉田氏以上の批判というよりも炎上状態になっているようだ。

実際の記事を読んではいないので、記事の内容について批判するのは止めたいと思うのだが、記事の中に「(LGBTの権利を保障するのであれば)痴漢にも触る権利を保証する必要がある」という趣旨のことが書いてあり、「犯罪を助長させる内容」と非難されても仕方ないだろう。
事実「痴漢」という行為は犯罪であり、杉田氏の記事の問題はLGBTの人権を蔑ろにしているのでは?という、まったく違う内容だからだ。

この「触る権利」という言葉が出てきたのは、「#me too」の動きが米国から世界へ拡がりを見せた時、フランスの大女優・カトリーヌドヌーブさんが「口説く権利がある」と言った発言に触発されたのでは?という、気がしている。
もちろんカトリーヌ・ドヌーブさんは「口説く権利がある=断る権利がある」という意味での発言をされていたのだと思うのだが、小川氏はご自分の考えの都合の良い解釈をされていたのだろう。

むしろ問題なのは、このような杉田氏の書いた内容から大きく外れ、LGBTという問題の本質を考えたとは思えない記事を掲載してしまった「新潮45」側にあるような気がしている。
様々な意見や考えが、自由に述べられる社会というのは、文化的にも経済的にも豊かな社会だと言われている。
だからこそ、一方的な記事だけではなく、反対の考えの記事も掲載する必要があると思う。
なぜなら、いくら雑誌不況などと言われている出版業界であっても、それなりの社会的影響力があるからだ。
残念ながら「新潮45」では、杉田氏に対する反論記事が掲載されていた、という記憶は無く、いきなり「擁護記事」が掲載されてしまったような気がしている。
それだけ杉田氏の記事が、「社会的に問題を提議した」ということであれば良いのだが、問題を提議したというよりも、記事の内容そのものが炎上しただけで終わってしまった、という感じがある。
それに対して、(私が知らないだけかもしれないが)杉田氏の反論が無いまま、今回の「擁護記事」は場外乱闘のような炎上記事になってしまった。

出版側として、このような批判的な内容で雑誌が話題になってしまう、というのは決して良いものではない。
一部の書店では「新潮社」の本を撤去する、というところも出てきているようだ。
Huffpost:新潮社の本、書棚から撤去する書店も。「新潮45」の寄稿に怒り
書籍を扱う書店にとって、「ことばの暴力」を感じさせ、自重できる判断力が新潮社には無いと感じたからだろう。
流石に、この事態になり新潮社側は社長コメントを発表したが、時すでに遅し・・・という感がぬぐえない。
毎日新聞: <新潮45>杉田氏擁護特集で社長コメント「常識を逸脱した」
「常識を逸脱した内容をチェックすることができなかった」ということを認めたに、他ならないからだ。

このような当たり前のチェックよりも掲載を優先させたことを考えれば、販売部数を伸ばしたかった炎上商法と、揶揄されても仕方ないのかもしれない。


 

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「みんな」いう呪縛

2018-09-20 20:09:59 | アラカルト

Huffpostに「みんな化語」という記事があった。
Huffpost:電車での飲食は「日本の恥」なの?蔓延する”みんな化語”の5つのタイプ

まず先に言っておきたいことがある。
この記事を書かれた方は、叱りつけた男性が「日本」を言う言葉を使うことによって、「電車での飲食をすることは、日本人みんなが恥ずかしいとだと考えている」という前提で、書かれているように思うのだが、記事を書いた方の「みんな化語」とする定義と、電車での飲食を「日本の恥」と考えるのは、別の問題のような気がする。
それともこの記事を書かれた方は、叱りつけた男性が「自分が(多くの日本国民=みんなを代表して)『日本の恥』と言っている」と、感じたということだろうか?

多くの日本人にとって「通勤電車などでの飲食は、乗車マナーとしてどうなの?」という、抵抗感はあると思う。
同じ電車での飲食であっても、それが行楽地などへ向かう人たちが多い電車の中であれば、さほど抵抗感はない人のほうが多いのでは?
「車中で食べる」という行為とは別の、非日常的なエッセンス(=行楽)などが、加わることで人の受け止め方は大きく変わるのではないだろうか?
逆に日常の続きの中で「車中で食事をする」という行為になると、抵抗感を感じる人が多い、ということであって、それが「みんな化語」と結びつけるのは、やや違和感を感じる。
車中でパンを食べていた女性が、「日本の恥だ!」と叱りつけた男性が下車した後も体を小さくしていたのは、自分の行為(=車中でパンを食べていた)に対してではなく、人前で叱られたコトに対して「身の置き場がない」恥ずかしさを感じた反応だったのでは?

書き出しの内容と、話しのテーマが一致した内容ではないのでは?、ということをまず押さえておく必要があると思う。
そのうえで「みんな化語」ということを考えてみると、「みんな」と言う言葉を使う様々なシチュエーションで、その「みんな」と言う言葉の力(というべきか?)が、変わってくるのではないだろうか?

子どもの頃、欲しいものがあると「クラスのみんなが・・・・」と言って、親にねだったりした経験を持っている人は多いと思う。
「みんな」と言う言葉を使うことで、「自分だけが取り残され、仲間外れにされる」という、ニュアンスを持っていたように思う。
だからこそ「そんな嫌な思いをしたくない(あるいは「嫌な思いをさせたくないでしょ?」という一種の脅し?)」ということを、言いたくて「みんな」と言う言葉を、使っていたのではないだろうか?
多くの親はそのコトを知った上で「家はうち、他所はよそ」と言い切ることで、交渉を不成立にさせていた(私が子どもの頃は、そのような親が多かったように思う)。

上述の「車中での食事」のような場面の場合、その場面に他の人がいなくても心のどこかで「私だけが、車中で食べているわけではない。他の人もやっていること」という、言い訳のようなものを言いながら自分の行為を肯定している、ということがあるのではないだろうか?
そのような「自分の行為を肯定する時」というのは、もう一人の自分が「でも、やってはマズイよね」という、否定的な気持ちもあるはずだ。
むしろ自分のやっていることに対して、否定的な気持ちがあるからこそ「みんなやっている」という言い訳をすることで肯定しているのではないだろうか?

記事に書いてある内容は、とても興味深いものだと思う。
それよりも「みんな」と言う言葉を使う自分自身を客観的に見ることのほうが、重要だという気がする。

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いつもと違うことをやってみる=新しいワクワクがある?!

2018-09-19 17:33:48 | ビジネス

アメリカの大学で、面白い実験をした結果レポートがあった。
GetNavi WEB:ポップコーンを「箸」で食べると「おいしくなる」という研究が。どういうこと?

この実験は、日本ではなく米国の大学で実施されたものなので、日本で同様の実験をして同じ結果になるのかは、分からない。
ポップコーンではないが、日本では既に「ポテチ用箸」というモノが、商品化され販売をされているからだ。
なんとなくだが、日本では「ポップコーンを箸で食べている」という人が、既にいるのでは?という気がするからだ。
ポテトチップスとポップコーンとでは、どちらが箸で食べやすいのか?という、問題はあるとは思うのだが「潔癖症」と自負されている方などは、案外「箸でポテトチップスはもちろんポップコーンも食べている」のでは?と、想像している。

この記事で、注目する点は「ポップコーンを箸で食べる」という行為ではなく、「いつもと違った方法で食べたり、飲んだりする」と「どのような気分になるのか?」という点だ。
アメリカ人にとって、「ポップコーンを箸で食べる」という行為は、「いつもと違う方法で食べる」ということになるだろう。
この実験では、「いつもと違う方法で、水を飲む」ということも実施している。
その方法は、参加者の自由な飲み方ということになっていたようだが、「封筒に水を入れて飲む」とか「猫のようにペロペロのなめるように水を飲む」など、やや奇想天外な飲み方をされた方もいらっしゃったようだ。
そして、そのような「枠にはまらない飲み方をしたほうが、美味しい」と感じたという。

記事には考察の内容が書かれているが「いつもと違うことをすることで、初めて体験をするような感覚になる」ということが、重要ということだろう。
それは「視点を変える」という点でも、有効な方法なのでは?という気がしている。

「物を買うからコトを買う」ということが言われるようになって久しい。
「商品を買う」ことよりも、「その商品を買う過程の体験を買う」ということなのだが、「商品を買う過程の体験」に何が必要なのか?といえば、おそらく「ワクワク感」や「チョッとした驚き体験」だろう。
だからといって「ワクワク感」や「驚き体験」などの仕掛けは、そう簡単にできるわけではない。
しかし、この実験のように「これまでの常識とか、当たり前」を少しずらしてみるだけで、「新しい体験」と感じるのかもしれない。

多くの企業が「コト消費」ということに対して、悩んでいるような気がしている。
「物」という具体的で、形があれば「つくる」ことは簡単だが、「コト」となると具体性が無く、形が無い。
とすれば、このような「(当たり前を)ずらしてみる」というところから、生活者の「ワクワク感」を探すことも有効な方法だと思うのだ。

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「企画」とマーケティング

2018-09-17 12:36:50 | ビジネス

日経新聞のCOMEMOを読んでいたら、大阪ガス エネルギー・文化研究所の所長池永寛明さんのコラムに目が留まった。

日経新聞COMEMO:「企画」が威張る時代ではない 

 マーケティングの仕事では「企画」は、重要な部分だ。
というよりも、市場調査をはじめとする様々な調査をしたうえで、商品や事業の企画、戦略を立てるのがマーケティングだと言っても過言ではないと思う。
そのことから「『企画』が威張る時代ではない」というタイトルは、耳が痛い。

しかし読み進めているうちに、「わが意を得たり」という気がしてきた。
会社員時代、「成功すれば営業の力、失敗すれば企画の責任」と言われてきた。
池永さんが言うことは、真逆?のことを、言われて仕事をしてきたのだ。
おかげで?現場に出ていくことも多く、そのたびに営業担当者だけではなく、お客様からお話しを伺うことができた。
それが、問題解決のヒントとなり、次への改善のアイディアにもつながっていった。
そのような経験をさせていただいたことで、マーケティング力というかマーケティングに必要な発想力や視点が、鍛えられたと思っている。

その中で一番実感したコトは、このコラム中にもある「マーケティングとは『Market-ing』である。”市場は常に動く”生き物の学問である」ということだ。
ただ残念なことに、日本のビジネスパーソンはこの「市場は常に動く」という視点でモノゴトを見るのが、苦手のように感じている。
なぜならHow toを求めてしまう傾向が強いからだ。
「××なら、○○になる」という、定型的な枠に入れ込めば「マーケティングができる=売れる企画ができる」と、思いがちな傾向が強いように感じている。
それは、「マーケティングを教えてください」といわれたときに感じる違和感でもあるし、実際書店で売れているマーケティングの本の多くは、このような類が多い。

「まず、自分が扱う商品がある場所に行って、生活者がどのような行動をとっているのか観察をしてきてから」というと、大概の方は「それは、企画の仕事ではないですよね」という趣旨のことを話される。
広告代理店に依頼した市場調査のデ―タや自社の考えだけで、企画を立てるということは「企業の考えを生活者に押し付けている」という、感覚が無いようなのだ。
その結果、とても狭い視点で考えた「偉そうな企画」が出来上がってくるし、企業の多くはそのような企画を期待しているように感じている。
あくまでも個人的な感想だが、それが「マーケティング」という仕事の意味を大きくゆがめ、理解されないようにしてしまっているのでは?と、感じる部分でもあるのだ(と、愚痴ってしまい、申し訳ない)。

本来マーケティングは、企業と社会と生活者がより良い関係を築く(あるいは気づく)ためのモノだと、考えている。
だからこそ、マーケターは社会で起きている様々なモノ・コトに興味・関心を持ち、勉強をし、幅広い視野を持ち続けるために好奇心を持ち続けなくてはらない(と、思っている)。
だからといって「威張る」必要はない。
肩の力を抜き、しなやかな感性を磨き続けることが、大切なのだと思う。

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「がん」で亡くなる=壮絶な闘いの死?

2018-09-16 19:32:07 | 徒然

女優の樹木希林さんが、乳がんで亡くなられた。

スポーツニッポン:女優の樹木希林さんが死去 75歳 病気と壮絶な闘いを繰り広げ・・・

その前には、キャスターの浜尾朱美さんの訃報があり、先月には漫画家のさくらももこさんが亡くなられた。
著名な方々の同じ病気による訃報を聞くと、その病気の恐ろしさのようなものを感じてしまうのは仕方ないと思う。
そして亡くなられた方々に共通しているのは、乳がんの治療を10年以上続けられてきた方々だった、ということだ。

通常「がん生存率」は、5年を一区切りとすることがほとんどなのだが、乳がんに限っては10年になっている。
理由は、乳がんそのものは進行が遅いがんであるために、再発・転移が見つかるのに時間がかかるからだ。
しかも、再発・転移が見つかったとき、以前と同じタイプの乳がんとは限らない、という難しさもある。

「同じタイプの乳がんではない」と聞くと、不思議な気がされる方のほうが多いと思うのだが、乳がんに限らず臓器にできる固形がんの場合、同じがんであっても遺伝子の変異が違う為に、同じ治療ができないという場合がある。
私の場合「ホルモン受容体タイプ」の中の「ルミナルA」と呼ばれる、進行も遅く大人しいタイプの乳がんと診断されている(担当主治医に確認済み)。
そして再び乳がんになったとき、同じ「ルミナルA」ではなく、悪性度が高いと言われている「トリプルネガティブ」というタイプで、再発する可能性もある。
そのために、再発・転移が繰り返されるたびに、そのタイプに合わせた治療が必要になる、ということなのだ。

その意味で「長期戦」となるがんの治療は、壮絶な闘いという印象を持たれると思うのだが、本当に「壮絶な闘い」なのか?と、言えば患者さん自身の「がんと向き合う姿勢」で、随分違ってくるといわれている。
乳がんに限らず、大腸がん、卵巣がん、すい臓がん等で亡くなった知人たちの中には、初めての治療の時に「余命」を告げられ、その余命以上の年数を生き切られた方も少なくない。
そのような方々の生き方は「壮絶な闘い」というよりも、穏やかでその人らしい生き方を貫かれたという印象を持っている。
もちろん、治療そのものは辛く厳しいものであったと思うのだが、それ以上の生き方をされた、という気がしている。

随分前だが、血液内科の先生の講演会で、興味深い話があった。
その先生は
「がんは、怖い病気だと思っている人は多いが、実はがんは亡くなる寸前までその人らしさを失わない病気だといえる。糖尿病は、生活習慣病の中でも身近な病気の為、あまり危機感を持っている人はいないが、糖尿病の場合「(細胞の)壊死」によって、足の指を切断することがある。足の指の切断だけならまだしも、足の指の次は足首、膝、大腿部切断といった具合に、治療の為に何度も切断を余儀なくされる患者さんは少なくない。自分の意思で動けなくなるというのは、辛いと言う言葉以上の絶望感を与える。しかも自分の容姿が変わり果てていく過程を見続ける、というのは絶望と言う言葉以外にはないと思う。それに比べがんの場合、適切な治療と緩和ケアを受けることで、自分らしさを最後まで失うことは無く、最期の時を納得できるように迎える患者さんは数多くいる。」
という話をされていた。

確かに度重なる抗がん剤治療で脱毛をしたり、腹水や胸水が溜まり息が苦しいなど、辛いことが多いのもがんの治療だ。
だが、患者さん自身の「がんと向き合う考え方」、何よりも「死生観」によっては、亡くなる直前まで比較的元気に家族と過ごせる病気でもある。
実際、樹木希林さんは一度危篤状態になりながらも生還され、ご家族に看取られた最期だった。
壮絶な闘いの果てに亡くなられたのではなく、穏やかな最期だったのでは?
それはがんの治療を続けながらも、様々な映画に出演をされ、数々の賞を受賞するほどのご活躍をされていた、ということが一番よく表していると思う。

メディアもそろそろ「がん死=壮絶な闘い」という、決まり文句のような見出しは止めてはどうだろう?



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温泉とタトゥー・・・解決策を考える

2018-09-15 19:52:29 | アラカルト

Huffpostに、見事なタトゥーの写真を使った記事が、掲載されていた。
Huffpost:タトゥー入浴、温泉施設の対応は?外国人客は増加、でも根強い拒否感も・・・

「インバウンド」という話題と共に、海外からの観光客のタトゥーとどう向き合うのか?ということが、言われるようになってきた。
個人的には、拒否感というほどではないが、余り良い印象を持ってはいない。
様々な国には「文化としてのタトゥー」があることは知っているし、そのコトを云々する気はない。
ただファッションであっても、カッコ良いとは思えず、「見てはいけないモノを見てしまった」という感覚があるのかもしれない。
最近見た中では、パリス・ジャクソン(故マイケル・ジャクソンのお嬢さん)のタトゥーを見て、「なんだかな~???」という気がしてしまった(彼女の腕のタトゥーは、リストカットの痕隠しとも言われているのだが・・・)。
VOUGE:パリス・ジャクソン、人生に影響を与えたサウンドトラックを大公開 (動画・音声あり)

サッカーのスーパースターであった、デビット・ベッカムなどを見ていると、一度タトゥーを入れ始めると、際限なくタトゥーを入れるようになってしまうのか?という気がしている。
Huffpostで使われたジャスティン・ビーバーにしても、上半身(だけではないような気がするが)様々な絵や文字のタトゥーを入れている。
一度整形美容にはまった女性が「もっと美しく!!」という思いから、際限なく整形美容を繰り返すのと同じような感覚で、自分の体をタトゥーで彩りたくなるのか?ということだ。
一つの「美意識のあらわれ」ということになるのかもしれないが、その美意識を受け入れられない人もまた数多くいる。
とすれば、どこかで折衷案を出すことで、トラブルの回避を考える必要があると思う。

そうはいっても、タトゥーを入れた海外からの観光客が今後増えてくるのは、間違いないだろう。
とすれば、温泉などの入浴施設では、何らかの対策を取らざる得ない状況になってくると思う。
おそらく一番簡単な方法は、「入浴時間の入れ替え制」だと思う。
「タトゥーがある人時間・ない人時間」という、入浴時間の振り分けだ。

本来であれば、のんびりゆったり温泉につかりたい、というのが心情だとは思うが、例えば夕方から夜の9時くらいまでを「ファミリータイム」として家族向けの入浴時間とし、その後の2時間程度を「タトゥーがある人時間」というようにすれば、問題解決とまではいかないが、入浴時に起きるトラブル対策にはなると思う。
本来であれば、「タトゥーの有無で分ける」ということが問題、ということになるとは思うのだが、日本の社会の中でなかなか受け入れられないのだとすれば、このような考え方も一案ではないか?ということだ。



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「東京ラブストーリー」の再放送に思うこと

2018-09-14 22:46:08 | ライフスタイル

しばらく前のYahoo!のトピックスに、「東京ラブストーリー再放送」という、記事がpickupされていた。
オリコン:「東京ラブストーリー」14年ぶり7回目の再放送
1991年に作られたドラマなので、かれこれ27年ほど前のドラマだ。

私と同世代の方はご存じの方も多いと思うのだが、原作は柴門ふみさんで「ビックコミックスピリッツ」に連載されていた漫画だ。
このころは、まだまだバブルの余韻が残る頃で、なんとなく社会全体が浮足立っていたような感じだった。
何より、赤名リカのエキセントリックで自由奔放さは、あの頃の時代感をデフォルメ化した人物像だったかもしれない。
しかし、主人公は控えめで従順そうな女性を選んだ。
それが、昭和から平成へと移り変わる、変化の一つのあらわれだったのかもしれない。

今回の再放送は、新しく始まるドラマの主人公が「東京ラブストーリー」の主人公の2人という、ある意味「番組の宣伝」を兼ねたような再放送であることには、違い無いと思う。
そしてこの再放送を見る人は、どのような人達なのだろう?と、想像してみるのだ。
1991年当時、リアルタイムで視聴していた人たちが、懐かしく見るのか?
それとも、再放送を見ることなく「月9」と言う言葉を定着させた、大ヒットドラマというだけの情報を持った人たちが視聴するのか?
その違いで、新しく始まるドラマの視聴者層も見えてくるのでは?という、気がしている。

そして、14年間再放送されず、13年間の間で7回も再放送をされたという、理由というか社会的、経済的背景の違いのようなものも考えてみる必要がある、と感じている。
「平成」という時代の、前半・後半ともいえるのでは?と考えるからだ。
Wikipediaで2004年の日本を振り返ってみると、今年の日本と似ている部分が多い。
その一つは自然災害の多さだ。
猛暑、大雨、地震と、立て続けに自然災害に見舞われている。
そして作家・池井戸潤さんの「空飛ぶタイヤ」のモデル?となった、三菱自動車の全社的リコール隠しが発覚した年でもある。
今年相次いで発覚した、企業のデータ改ざんを彷彿とさせるようなことも、起きていたのだ。
以来、なんとなく日本の社会全体が「大企業に対する信頼」というモノが揺らぎ始め、それが経済への大きく影響し始めたのかもしれない。
若い世代にとって、就職氷河期から続く「暗く希望が持てない時代」が深刻化し、「東京ラブストーリー」の赤名リカのような自由奔放な生き方そのものが、時代に合わなくなってきたことが顕著になったのかもしれない。
だからこそ、ほぼ2年に1回という頻度で再放送が、14年間も再放送されなかったようにも思えるのだ。

写真で見る28年前の若者たちの姿と、この14年間の若者たちのファッションだけではなく、ライフスタイルや思考などには大きなギャップがあるはずだ。
そのギャップが楽しめる人達が、再放送を楽しみにできる人達なのかもしれない。



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日本の基礎研究の底力

2018-09-13 21:39:37 | 徒然

Yahoo!のトピックスを見ていたら、「日本の基礎研究から応用研究への底力」を感じるような記事があった。
NEWSポストセブン:がん再発率75%下げる夢の新薬「ペレチノイン」が最終治験に

この新薬を研究開発をしたのは、興和という創薬からOTC薬まで製造をしている企業だ。
一番馴染みがある薬は、「キューピーコーワ」だろうか?
そのため、OTC薬のイメージが強く私自身創薬のイメージは、まったくなかった。
というのも、今の創薬(あるいは新薬)を中心に行っている企業は、欧米の製薬企業の傘下になったり業務提携をするなど、巨大化しているからだ。
何故なら、新薬の開発には膨大な時間と労力、何よりお金がかかるからだ。
そのような状況の中で、興和がほぼ単独で研究開発を進めて、このような新薬を創り出した、ということが驚きだった。
その意味では、高額ながん治療薬として話題になった、「免疫チェックポイント阻害剤・オプジーボ」を研究開発した小野製薬と同様の驚きがある。

ここ数年の新薬の研究・開発の基礎となっているのは「ヒトゲノム解析」によって、得られたデータを基にした研究だ。
それでも、このような創薬の為に重要なのは、「ヒトゲノム解析」によるデータを活用するための基礎研究の蓄積が必要だろう。
興和のHPを見ると、2010年には既に学会で第Ⅱ相、第Ⅲ相の治験結果を発表しているようなので、随分前からこの新薬を開発していたことが分かる(第Ⅱ相治験は、少数の患者を対象とした治験、第Ⅲ相治験は大規模治験のこと)。
興和:肝細胞がん再発抑制「ペレチノイン」の第Ⅱ/第Ⅲ相臨床試験データ・・・・(注意pdfファイル)

面白い(といっては不謹慎だが)ことに、この「ペレチノイン」という新薬の効果となる仕組みが確認されたのは、治験が始まった後からのようなのだ。
理化学研究所:肝がん再発予防薬の作用メカニズムを解明(2016年1月8日 リリース)

2010年の治験の時には、まだまだ「ヒトゲノム解析」が高額で時間もかかっていたことを考えると、「ヒトゲノム解析」による「ゲノム医療」としてのスタートではなく、様々な可能性を考える中で薬剤を組み合わせて誕生したのかもしれない。
というのも、化学療法(=抗がん剤など薬によるがん治療)専門医の先生から「昔から使われている抗がん剤の中には、その効果は認められるのだが、効果の仕組みがはっきりしないモノがある」という、話しを随分前に聞いたことがあるからだ。
そして、そのような薬の開発にはこれまでの「がん」についての、基礎研究とデータの積み重ねと研究者のひらめきがあったからこそ、できた薬なのかもしれない。

「がんの治療薬」という分野では、日本は基礎研究はトップクラスだが、応用研究となると欧州の製薬企業に劣る、といわれてきた。
小野製薬の「オプジーボ」の研究・開発以来、日本の基礎研究+応用研究による、新薬への期待が高まりつつあるように感じている。
興和は製薬企業の中でも、欧米の製薬企業に比べれば規模も資本力も小さいと思う(実際のことはわからないのだが、日本の製薬企業で一番大きな企業は武田製薬)。
企業規模では劣る興和という企業が、「がんの予防薬」という新しい切り口の新薬を研究・開発した、ということは日本の企業の基礎研究の底力だと感じるのは私だけではないと思う。


 

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「統計の基本」を学びましょう

2018-09-12 12:42:11 | ビジネス

Yahoo!のトピックスに、これは「統計ではない!」という統計の記事が、取り上げられていた。
Yahoo!トピックス西日本新聞:統計所得、大幅に上昇 政府の手法変更が影響 補正調整されず・・・専門家からは批判も

統計の専門家だけではなく、さほど統計数字を見なれていない方でも「酷い!」と思われる、内容だ。

そもそも「統計」というデータには、2つの見方がある。
一つは、統計がとられた時の状況分析。
もう一つは、以前の統計との比較だ。
そして専門家だけではなく、多くの人たちが注目するのは「統計との比較」だ。
なぜなら、以前や他の統計と比較することで、「今の状況」がつかめるからだ。
そのためには、統計の手法を変えない、という大原則がある。
統計の前提となる条件が同じでなくては、比較する意味が無いからだ。

おそらく、この統計をまとめた担当部局の方々は「目先の良い数字」だけが欲しかったのだと思う。
そして、手法は違うかもしれないが、このような「目先の良い数字」が欲しくて、様々な問題が起きている。
会計上の問題となるのは「粉飾決算」ということになるかもしれない。
最近問題となっている、企業のデータ改ざんなども、その一つといえるだろう。
いずれも意図的に、都合の良い前提条件を基にして「データ」を作り上げている、という点では同じだではないだろうか?

企業などの場合、それなりの社会的糾弾がされるが、国の場合そのようなことはほとんどないと思ているかもしれない。
むしろ「国が出してきたデータだから」という、信頼性があると思ってその数字を見ることのほうが、多いだろう。
企業が発表するデータと違い、「様々な偏り」が少ないからだ。
しかし、その国が出してきた「統計」が、基本中の基本を忘れた内容だとすると、それは国内に対する信用がなくなるだけではなく対外的にも「日本からの統計は、信用できない」という、事になる。

「統計」をとるのは、「客観性」という信頼があるからだ。
その「客観性」は、変わらない前提条件があるからこそ、比較をしたり分析をしたりすることができるのだ。
この統計をつくられた方とこのような統計を出すことを指示した方々は、「統計」の基本をもう一度学び直してほしいものだ。


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判断をするのは、客観性よりも主観? 

2018-09-10 11:21:18 | マーケティング

Yahoo!の「あなたのおすすめ記事」を見ていたら、気になる記事が二つあった。
一つは日経ウーマンの「子宮頸がんワクチン」、もう一つはHuffpostの「イソジン牛乳」という記事。

日経ウーマン:子宮頸がん ワクチンの副反応と罹患率どちらを取るか 接種しない場合のリスクと接種した場合のリスクを見極めよう
Huffpost:医師が提唱「イソジン牛乳」の怪 うがい薬入り牛乳でがんが消える?メールと口コミで拡散も

今や「日本人の二人に一人が、何等かのがんに罹患する時代」とは言え、今だに「がん」と聞くと悲観的に受け止める方は多いと思う。
漫画家のさくらももこさんが、10年という闘病の末乳がんで亡くなられたばかりだ。
その後、民間療法などに頼っていたなど、一部週刊誌などで報道されたが、死因が乳がんであった、ということには変わりない。
だからこそ、「自分ががんにならない為に!」という思いがあり、「がんで死にたくない」という気持ちになるのだと思う。
この二つの記事は「がん」という病気に対する、多くの生活者の受け止め方がよくあらわされているように思うのだ。

まず「イソジン牛乳」についてだが、冷静に客観的に考えるまでもなく、「トンデモナイ治療」だということが素人でもわかる。
しかし、このような「トンデモナイ治療」を藁をもすがる思いで、実行してしまう人がいる、
実行する人を非難する気はないが、「医師が提唱している」と言う言葉は、健康雑誌などで頻繁に見かける文句でもある。
逆に「医師が提唱している」と言う言葉によって、その情報に信憑性を持たせている。

もう一つの「子宮頸がんワクチン」については、副反応が問題となり、現在は積極的なワクチン接種は推奨されてはいない。
当たり前だが、「恐ろしい副反応」による後遺症という情報があれば、どうしてもネガティブな情報を優先に考えるのは仕方ないと思う。
ただ「子宮頸がん」についての知識が無いまま、恐怖心をあおるだけでは「子宮頸がん」の罹患リスクを減らすことはできないし、現実問題として、先進諸国の中で日本だけ「子宮頸がん」の罹患者と死亡者が増え続けている。しかも罹患年齢が30代~40代前半の女性が亡くなるがんといえる。
それだけではなく、場合によっては適切な治療を受けても、妊娠ができなくなる可能性もある(一時期、「子宮頸がんワクチン」の副反応により妊娠できなくなる、という根拠の無い噂があったが、ワクチン接種と妊娠は全く関係が無い)。

人は、自分にとって不利な情報をシャットアウトしてしまう、という傾向がある。
「子宮頸がんワクチン」は、「深刻な副反応」という情報。
「イソジン牛乳」は、「抗がん剤」などの「標準治療に対する限界や副作用の不安解消」だ。
「がん」という病気は「死ぬ病気」という社会認識が根強いので、このような話題が起きやすいと思っているが、もっと些細なことであっても私たちは案外「主観」でモノゴトを判断しているのでは?という、気がしている。

 

 

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