幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

もうひとつのしあわせ

2010年08月26日 17時36分53秒 | ひとりごと
 智恵子抄をひもといたついでに
もうひとつご紹介いたしましょう。


こんな「愛」があり
こんなふうに「愛する幸せ」があると思うから・・・。




   梅酒    高村光太郎「智恵子抄」より



   死んだ智恵子が造っておいた瓶の梅酒は

                よど     つつ        
   十年の重みにどんより澱んで光を保み

   いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。

   ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、

   これをあがってくださいと、

   おのれの死後に遺していつた人を思ふ。

   おのれの頭の壊れる不安に脅かされ、

   もうぢき駄目になると思ふ悲に

   智恵子は身のまはりの始末をした。

   七年の狂気は死んで終つた。

                  かほ     
   厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを

   わたしはしづかにしづかに味はふ。

   狂瀾怒涛の叫びも

   この一瞬を犯しがたい。

   あはれな一個の生命を正視する時、

   世界はただこれを達巻にする。

   夜風も絶えた。


                        昭和十五・三






最初の六行で私の目は潤む。
そして思う。

私はこんなふうに愛せるだろうかと。

彼女は狂気して死んでいった。
若くして死んでいった。


しかし
確実に愛する事を成して死んでいった。


私は今生きているのに
こんなふうに
一生懸命、愛しているだろうかと
己に問わずにはいられない。


愛する事は、

愛せる事は、

愛させてもらえるという事は、

愛させてもらえる対象が有るという事は、

どれほど、

幸せであるかという事を、

ついつい忘れてしまっている。
    

小さくて大きな幸せ

2010年08月26日 16時37分03秒 | ひとりごと
 智恵子は東京に空がないといふ。

 ほんとうの空が見たいといふ。




これはご存知、高村光太郎の「智恵子抄」のなかの
「あどけない話」の冒頭



これを知ったのは高校生の時

訳もわからず好きだった。


今、
ことあるごとに私はこれを思う。






今朝11時ごろ。
所用で出かけて戻る時
私は空を見た。


我が家は
昔、山だった所が切り開かれて住宅街になった、その頂上あたりにある。

したがって
家に戻る時
結構急な坂を上ることになるのだが
もうすぐ家というところに公園があり
その手前は池になっていて
そこだけ
空がひろいのだ。



今日の空は美しかった。



夏らしい入道雲(?)が白く立ち上りながらも
わずかに秋の気配を漂わせて
青く澄み渡っていた。


さっき
洗濯物を取り込みに行った二階のベランダから眺めれば
山も随分近くにはっきりと美しい。



けれども
悲しいかな。



その空はあまりにも狭いのだ。




私が記憶している“空”とは数段の差がある。



生まれ育った福井は越前の
白山連邦の上に広がる空は
もっと広く
もっと雄大だった。





智恵子抄は続く。



 智恵子は遠くを見ながらいふ。

 阿多多羅山の山の上に

 毎日出ている青い空が

 智恵子のほんとうの空だといふ。





学生の頃には文面でしか理解できなかったこの詩を
今、私は実感する。



ここに住んで二十余年


切り開かれた丘陵は
あっというまに家が建ち並び
空き地一つなくなってしまった。


同時に
空も
どんどん狭くなっていった。





私の中にある空。




雄大な山々の上に広がり
広くて堂々として
全てを知って
静かに見降ろしているような
美しく大きな空。



そんな空を毎日見て暮らしたいと願うのは
けっして
「あどけない話」どころではないだろう。




今ではとても難しい、
けれど
それができている人には気づかれもしない、
小さくて大きな幸せの概念だ。

巣ごもリッチ

2010年08月26日 15時46分51秒 | ひとりごと
 今日初めて知った言葉
「巣ごもリッチ」
   

      * レジャーや外食にお金を使わず、家の中で豊かに暮らしたい
        と言う人の事。
        例えば、ちょっと高めのワインと高級食材を使った手料理で
        レストランより安価に豪華な食事を楽しむ。
        倹約生活の進化形で、節約だけでなく快適さや贅沢も楽しみ
        家具や家電も“高額でもよいものを”もとめる。


自慢じゃないけれど
時流からはかなり遅れている私。


そりゃぁそうでしょう!!
テレビも新聞もラジオも
殆ど見ないし
見たとしてもNHKばかりなのだから・・・


ってなわけで
今日初めてこの言葉を目にしたわけだが
いったいいつごろからはやっているのだろうか??????




実は
うちの娘
どうも
この
巣ごもリッチ

近い 


と言っても
我が家は決して「リッチ」ではないけれど・・・・・



近頃
富に
○○で食べるくらいなら
家で食べようよ

とにかく外食したがらない。



外食に賛成するのは
本当においしくて
お店の雰囲気も
店員もトイレも
全てが合格点に達している所へ行く時のみ。


当然
そういうところは
値がはるので
決して自分の財布は持っていかない 


で、二言目には
「おうちで食べた方がずっとおいしいし
 気分も悪くならずに済むじゃん 



そうして
野菜の直売所や
お魚の市場へわざわざ出かけ
どんどこ
新鮮でおいしそうなものを買わせる。


先日などは
お米の直売所、三軒も廻り
早々と新米を手に入れたうえ
いろいろな生産者のものを何種類も買わされてしまった 

「高いんじゃない?」
と言えば必ず
「お店で食べたらこの数倍はするよ  」

「どうせ買うなら、いい方にしようよ  」




・・・そりゃまあ、そうなんだけれど・・・ 





う~~~~~ん、と思いながらも
まあ、美味しいことはわかるので
ついついこちらも言うがままになってしまうのだが
たまには
自分で払ったら、と言いたくなる 



確かに
あの「いのちのごはん」の「ゆにわ」のごはんでさえ
「えっ?!・・・これ???」
と言う程度に感じられてしまったのは
普段食べているご飯がおいしいからなのだろうけれど、
そりゃあ
無農薬、低農薬、無化学肥料の産直米を
毎回、ガスと土鍋で炊いた出来たてで食べさせてもらうような食事をしていれば
バイトが作るようなお店の物は食べたくなくなるでしょうよ。





が、しかし
母はここで声を大にしていいたい 


「巣ごもリッチ」は
自分の甲斐性でやって

パワースポットは危険?!

2010年08月25日 23時25分42秒 | 波動
 近頃
なんだか
パワースポットばやり。

雑誌やT.V.にもたくさん取り上げられ
若者までもが神社詣出に余念がない。

これを
神様の力が強くなり
みんなが清い心に目覚め始める前兆だ 

と、喜んでいた私は馬鹿だったかもしれない。


やたら、スピリチュアル本がふえ、
「ザ・シークレット」などの
引き寄せの法則や「聴くだけで○○○」「読むだけで○○○」
が、巷を横行している。


私も
それらのほとんどを読み、取り入れ
恩恵に預かっている。



・・・しかし、だ 

もしかしてこれ自体が
ある力の企みだとしたら・・・?!

「魔」の力が
ある企みのもと、
メディアを利用しているとしたら・・・・・ 



パワースポットや神社に
実は
「魔」が取り憑いている場合も少なくないらしい 


そういうこと、
凡人の私には全然わからないが
努力や忍耐なしに願いが叶う事自体が
「魔」の力だったりすることも多いらしい。



そして
「魔」に力を借りてしまうと
あとで必ず
そのつけは利子をつけて払わねばならないと来るからこわい 



ご利益がすぐ現れる神様や仏様って
結構怪しいらしいの 


神官さんが
毎日、清め祓って下さっている神社でさえ
本当の神様は封印されていたり
いらっしゃらなかったりするらしいし、
ましてや
祓いも清めもされない「処」は
かなりの怪しげなパワーが充満しているとか・・・・・


欲望をむき出しにした人たちがたくさん訪れるような場所では
その人たちの残す「欲」という低波動も重積して
とんでもないことになっている、と言う人もいる。

そんな処で
これまた
欲をむき出しにした自分勝手な願いなどしようものなら
どんなことになるのやら・・・・・・





だから神社やお寺でも願い事はしないのが一番    




  ありがとうございます。
今日、こうしてお参りさせていただいたことに感謝いたします。
いつも、お守りくださってありがとうございます  


 と、感謝しておくのが一番。



例えそこが「魔」にのっとられていたとしても
「ありがとうございます」だけでは
「魔」の契約のしようがない。
よって手出しは出来ない 

逆に本当に神様がいらっしゃれば
感謝されれば神様だって嬉しいから
益々、「ありがとうございます」の状態を作ってくださる

・・・って
これはどなたの本に書かれていたんだったかしら????? 



とにかく
今自分がしようとしている事に
「魔」は取り憑いていないか
「欲」にまみれていないか
よくよく自分の心に聴いて見なければならない。



「ありがとう」のパワーは確かだし
波動が共鳴して物事が起きるのも事実だ。


ただ、
それを利用して
欲望ばかりを満たそうとしていると
知らぬ間に「魔」と契約してしまっている事もあるらしいから
充分にご注意を 



やはり昔から言われているように
人には親切に
いつも笑顔で
陰口、愚痴は言わず
今あるものに感謝して
足るを知りて福となす

これが
ラッキー体質になる一番の方法なのだろう。



くれぐれもパワーグッズや
パワースポットにはご注意を 


・・・と言いながら
10月には絶対に戸隠神社に参拝すると決めている私なのです。

ああ、くわばらくわばら 





今日の幸、不幸はあなたの波動次第

2010年08月25日 11時38分23秒 | 波動
昨日、名古屋のタクシー運転手さんのことを書いた。


私はタクシーに乗る時
その日の自分のラッキー度を計ることにしている。


感じの良い運転手さんなら
今日の自分は  

感じの悪い運転手さんなら
今日の自分は低波動 



前者の場合

「ありがとうございます 
 おかげさまで良い運転手さんに当たりました。
 感謝いたします 」 

と、さらに感謝を積んでラッキー度を増す事を意識する。



後者になってしまった場合

「おっと、いけない
 今の波動が低い。
 波動をあげなきゃ  」

と、いうことで
テンションをさせる。

意識だけでさせるのが難しい時は
ありがとうを呪文のようにたくさん唱える。

あるいは
今、尊敬する、または大好きな人の名前を呼んで
その人の事を考える。

“その人”は
知り合いでなくても良い。
(もちろん知り合いでも良い)

できるだけ、人格がよさげで、運気のある活躍している人が良いだろう。

私は一時
大好きで偉大な私の師匠と
皇后の美智子様
そして
オリンピック金メダリストの荒川静香さんの
力をお借りしていた。

もちろん勝手にお借りしているのだ。

(・・・まさに「借り暮らしのアリエッティ」??????  )



宇宙のエネルギーはひとつに繋がっている・・・
と言う原理から考えると
パワーの強い人のことを考えただけで
その人の波動にアクセスする事ができ
そのパワーの影響を受けるのだそうだ 



逆に考えれば
嫌な人や悪い人のエネルギーともアクセスしてしまうと言う事で
悲しみや怒りに満ちた人とも
共鳴してしまうと言う事だ 


この原理が真実か否か、は定かではない。
が、私は信じている。


だから、
近頃 ニュースを見ない。

将来
ニュースが楽しい事や麗しい事に満ちたならば
そのときは率先して見るだろうけれど
今はまだ
胸がふさがれるようなことばかりが取り上げられすぎて
ニュースが流れ始めると同時に
気分が重たくなってしまうのがわかるから。




「共鳴」

波動は常に「共鳴」する。

共鳴した物を引き寄せ
それが現実を創る。


だから

自分の目の前に起きている事は
自分の波動が引き寄せて起こしている事。


つまり
目の前の現実をチェンジしアップするには
自分の波動をあげる必要があるのだ。



電車が目の前で行ってしまった 

駐車場で丁度いい場所をタッチの差で他の人に入られてしまった 

応対に出た店員さんが感じが悪い 

これらはみな「運の悪いこと」ではあるが
それは自分の波動と共鳴して起きている事、
と言うからくりに気づくならば
そこで
自分の波動をあげることを心がけると良い。



逆にいつも引っかかる信号が今日は通過できた 
欲しかった品物が最後の一個で残っていてくれた 
などなど
ほんの些細なラッキーに敏感に反応し
一つ一つに対して
「ラッキー 
 ありがとうございまーす 

声にして感謝する事により
ラッキーのスパイラルを
より強める事が出来るらしい。




以上
今まで書いた事は
いろいろな本からの受け売りなのだが
しかし
私はこのことを
「チバラキ 愛・感謝」の旅で実感した。


たぶん
事実だと思う。



ただ、かなしいかな 



やはり日常になると
あまりにもすべてが「あたりまえ」になってしまい
自分の波動を意識することも
努力する事も
忘れてしまっている。


おまけに
家族をはじめとする
様々な人の影響を受け
特に
自分より強いものの影響を受けて
知らぬ間に低波動の自分がいたりするのだ 


そうして
冒頭のタクシーのような現象を引き寄せてしまう 





だから、
意識して
自分に起こるいろいろな事を
今の自分のバロメーターにするよう心がけるのだ。



かさばらず
重くもなく
置き忘れることもない
この便利なバロメーターを
今日の幸せのために

・・・自分だけではなくて
私が接して、少なからず影響を与える全ての物の・・・

フル活用しながら
いつも
おだやかで
運気のよい波動を維持したいなぁ

いまさらながら思ったりしている 

          今日もお読みくださりありがとうございました