旅のお供に手に取っていた本がもう一冊。
「吾輩は霊である」 夏目そうしき(深見東州) たちばな出版
深見東州ねぇ~
癖のある人よねぇ~
なんか、あんまり好きではないんだけれど・・・・
なんて批判的に思いながらなぜか手に取ってしまった本。
ま、仕方ないか。
薄いし、小さいし、
ホテルで読み切るにはいいのかも・・・
荒神谷遺跡 2000年前の古代蓮子の花
ここでも、偶然という共時性を信じることにした私。
きっと、お陰様方が読むように導いてくださっているのかもしれないからね。
ということで、結果ですが・・・
この本をお勧めすべきかどうかはよくわかりません(;^_^A💦
きっと人によるでしょうね。
ただ、これも部分的にではありますが
読書がチョー苦手な夫が読んでいましたから
簡単で分かりやすいことは確かです。
で、私にとって新しい知識として参考になったことは
⓵
お供えは20分でよい・・・ということ。
お供えの時間が長すぎたり、供えっぱなしだと低級霊を引き寄せてしまうとのこと。
くわばら、くわばら。
はい、皆様、お供えは20分でよいのだそうですよ。
⓶ 霊や神に使われるだけではいけない。
神人合一こそが人間がこの世に生まれてきた目的・・・ということ。
高級霊は人間の魂の育成と自由なる意志を尊重しているので、
その人間がぎりぎりまで努力した後でないと絶対にお出ましにならない。
神霊と自分が一体になりつつも、最終的には、神の応援を得た自分がする、
それが霊に使われている霊媒と、神人合一の決定的な差である。
「舞台の神がおりた」とかよく聞きます。
本当にあるんですね。
でもそれは、ぎりぎりまで努力し、研鑽を重ねてこそなんですね。
私も描いても描いても納得のいかないときがあるのですが
意識が朦朧とするまで描いて描いて描きこんでこそ、神人一体になれるのですね。
神人一体!!・・・よい言葉を知りました。目指します。
⓷
夫側の祖先と妻側の祖先を一緒には祀らないほうがいい・・・ということ。
仏壇や墓石に依る霊たちはたいてい封建的時代の人なので嫁側の祖先が肩身の狭い思いをする、らしいのです。
なるほどねぇ~~~
あらたいへん、仏壇でも位牌でもないけれど、
夫の父と私の父と、おまけに尊敬する赤の他人のおばさまと
三人の写真を神棚の下に飾り、一緒にお供えしたりお線香を焚いたりしてたわ~~~~💦
うちの父、確かにそういうことすごく気にする人だったから、きっと肩身が狭かったんでしょうねぇ~~~
ごめんなさいね。
おばさまなんて、他人ですものね、もっとご遠慮なさってらしたかも・・・ほんと申し訳ありませんでした。
ということで、33回忌も済んだことだし、おばさまのお写真は
祈りながら、感謝しながら、燃やさせていただきました。
狭いマンションだから
父の写真には私の寝室で我慢してもらいましょう。
それでも気疲れするよりはましよね、お父さん。
義父さま、神棚の下では眩しすぎますか?
でも、ここしかないんです。勘弁してくださいね。
それに義父様も、もう亡くなられて30年にもなられるのですから
そろそろ高みへお上りでしょう?!
依り代もあまり必要ないですよね。
・・・なんて都合の良いことを押し付けて、先祖供養もほどほどにすることにいたしました。
だって、低級な御先祖様に寄り掛かられても困りますのでね。