幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

親孝行?親不孝?

2018年07月14日 18時58分21秒 | ひとりごと


                                       2018・7・10 6;17


この世もあの世も同じくらいのウエイトで考えてる私にとって
「死ぬ」」ということは決して不幸ではないし、気の毒でもない。 


自分の死に方、母たちの死に方についてよく考える。

実母も義母も90歳を前にして
気力も体力もかなり衰えてきている。

自ら「気枯れ」しているような気もするのだが
それも自分が選んでいる生き方なのだから
娘だからといえども、どうのこうのという筋合いではない。
ましてや嫁としてはなおさらである。

義母はまだ、食欲もあるし、旅行に連れ出すこともできる。
それで喜んでくれたりもする、

けれど、実母は
カラダが悪いのでもう、家から出ることはできないし、しない。

食べることにはもともとこだわらないし、趣味もないので
終日、「ちっともおもしろくない」といいながら、
見たくもないテレビばかりを見ている。

カラダはあちこち痛いらしい。

「こんなで生きていても、楽しくもなんともないけれど
 お迎えが来ない限りは逝けないしねぇ」

と時々ぼやく。



そんな母たちを見ている私は
「長生きしてくださいね」とは思はない。

それどころか
仏壇やお墓に手を合わせるときには必ず

「母たちが楽にそちらに逝けるようにお導き下さいね」

と祈ってしまう。 
                      
                            2018・7・13 5;08


これってはたから見れば
「なんという冷たい娘!!
 なんという鬼嫁!!!」

ということになるのだろうか。


長生きが良いこと。

延命こそが医学。

と信じ込まされている現代医学の環境の中で
本当の親孝行を実践するのは難しい。



幸せを許す

2018年07月14日 18時24分52秒 | 波動
「幸せになりたい」
「豊かになりたい」

ってみんな思っているはずなのに
でもそうならない理由の一つは
自分が自分にそれを許していないから・・・


と私が読んだ本のどれにも書いてあった。

                      

                          日本平ホテルの庭 遥か彼方に富士の頂上が見えるはず。

では、私はどうなのか?

決して豊かではない家に生まれ育ち、
父は職人気質でお金儲けは上手ではなかったから
いつもお金に困っていたようだ。

母はそんな我が家の経済を助けるために撚糸工場で女工をしながら
田んぼや畑を耕し、家事育児をこなし
いつも馬車馬のように働いて、疲れていた。


だから、私の中には「お金は働いても働いても少ししか手に入らないし
すぐに出ていくもの」という観念がしみ込んでいた(る?)に違いない。


でも、その観念が私の中にある限り私は豊かにはなれないし、私の望む幸せにもなれない。


そこで、自己改革、自己実験を始めてもう何年になるだろうか。

まず
「私は幸せになってよい!!」
「自分の望む状態になる!!」
と決めた。

それから毎日自分にインプットする言葉を唱えることにした。
いわゆる「クレド」である。

「ハッピー、ラッキー、リッチ!!!」

リッチ・・・もちろん金銭的に豊か。
でも、それだけではない。
人間関係、時間的、愛、・・・すべてにおいて恵まれている状態、それをリッチと呼ぶ。

この言葉をここ数年、毎朝欠かさずに大きな声で唱えてきた。

そして信じるという一番大切なことを自分に課している。

「だいじょうぶ!!
 わたしにもお陰様がついている。
 わたしは絶対しあわせ!!

 お金は天から降ってくる。
 お金は愛の表現とすてきな経験のために使えばいい。

 そこに愛や感謝があればお金は楽に手にしていい。
 お金は楽しく手に入る」

一瞬一瞬、このことを自分に言い聞かせている。

「すべてはペイフォワード!!
 愛も感謝もお金もすべて私が先に出す。
 それはやがて利子がついて戻ってくる」

                          
                               ホテルの部屋からの朝日

・・・これが信じられるかられないか。
信じて実行できるかできないか。
それによって私の未来は変わるはず。



中途経過の手ごたえとしては
少なくともこれを始める前よりは豊かになっていると感じているのだが・・・・・

                            
             そして、少なくとも、こうして山並みを美しいと思って眺めていられるいる豊かさは手に入れている




お供え物は20分

2018年07月14日 17時35分41秒 | 暮らし
旅のお供に手に取っていた本がもう一冊。

「吾輩は霊である」 夏目そうしき(深見東州)  たちばな出版


深見東州ねぇ~
癖のある人よねぇ~

なんか、あんまり好きではないんだけれど・・・・

なんて批判的に思いながらなぜか手に取ってしまった本。

ま、仕方ないか。
薄いし、小さいし、
ホテルで読み切るにはいいのかも・・・


                             

                             荒神谷遺跡 2000年前の古代蓮子の花 

                              


ここでも、偶然という共時性を信じることにした私。
きっと、お陰様方が読むように導いてくださっているのかもしれないからね。

                       





ということで、結果ですが・・・

この本をお勧めすべきかどうかはよくわかりません(;^_^A💦
きっと人によるでしょうね。


ただ、これも部分的にではありますが
読書がチョー苦手な夫が読んでいましたから
簡単で分かりやすいことは確かです。


で、私にとって新しい知識として参考になったことは

⓵ お供えは20分でよい・・・ということ。
  
  お供えの時間が長すぎたり、供えっぱなしだと低級霊を引き寄せてしまうとのこと。
  くわばら、くわばら。
  はい、皆様、お供えは20分でよいのだそうですよ。

⓶ 霊や神に使われるだけではいけない。
  神人合一こそが人間がこの世に生まれてきた目的・・・ということ。

  高級霊は人間の魂の育成と自由なる意志を尊重しているので、
  その人間がぎりぎりまで努力した後でないと絶対にお出ましにならない。

  神霊と自分が一体になりつつも、最終的には、神の応援を得た自分がする、
  それが霊に使われている霊媒と、神人合一の決定的な差である。


  「舞台の神がおりた」とかよく聞きます。
   本当にあるんですね。
   でもそれは、ぎりぎりまで努力し、研鑽を重ねてこそなんですね。

   私も描いても描いても納得のいかないときがあるのですが
   意識が朦朧とするまで描いて描いて描きこんでこそ、神人一体になれるのですね。
   神人一体!!・・・よい言葉を知りました。目指します。

⓷ 夫側の祖先と妻側の祖先を一緒には祀らないほうがいい・・・ということ。
  仏壇や墓石に依る霊たちはたいてい封建的時代の人なので嫁側の祖先が肩身の狭い思いをする、らしいのです。

    なるほどねぇ~~~
    あらたいへん、仏壇でも位牌でもないけれど、
    夫の父と私の父と、おまけに尊敬する赤の他人のおばさまと
    三人の写真を神棚の下に飾り、一緒にお供えしたりお線香を焚いたりしてたわ~~~~💦

    うちの父、確かにそういうことすごく気にする人だったから、きっと肩身が狭かったんでしょうねぇ~~~
    ごめんなさいね。
    おばさまなんて、他人ですものね、もっとご遠慮なさってらしたかも・・・ほんと申し訳ありませんでした。

    ということで、33回忌も済んだことだし、おばさまのお写真は
    祈りながら、感謝しながら、燃やさせていただきました。

    狭いマンションだから
    父の写真には私の寝室で我慢してもらいましょう。
    それでも気疲れするよりはましよね、お父さん。

    義父さま、神棚の下では眩しすぎますか?
    でも、ここしかないんです。勘弁してくださいね。
    それに義父様も、もう亡くなられて30年にもなられるのですから
    そろそろ高みへお上りでしょう?!
    依り代もあまり必要ないですよね。

・・・なんて都合の良いことを押し付けて、先祖供養もほどほどにすることにいたしました。
だって、低級な御先祖様に寄り掛かられても困りますのでね。

光と影の法則

2018年07月14日 16時53分30秒 | 波動
心屋仁之助 「光と影の法則」経済界

沢山のスピ的な本を読んできて、
今更ではあるかもしれないけれど・・・
と思いながら
一泊どまりのお出かけのおともにこの本を図書館で借りた。

これはスピ的な本ではなく
心理学の臨床心理士によるカウンセリングの本。
自称「性格リフォームの匠」の彼が
誰もが抱える心の奥底と現実に起きる事柄との関係と対策を
とても分かりやすく説いてくださっている。


文字は大きく
行数は少なく
余白が広い。

きっと片道40分の新幹線の中で読み切っちゃうんだろうな
と思えるくらいの簡単そうな本。


図書館で本を借りるとき
わたしはいつも見えない存在たちにこうお願いをする。

「今の私にぴったりな本、今読むべき本に出会わせてください」


で、今回時間の余裕もない中で
たった数分で手にしていた本がこれだったのだ。



思った通り、すぐ読めた。

目頭がちょっとウルウルした。

同行した夫が珍しく読破した(それほど簡単な本)
そして、泣いていた。


きっと誰もが内容に心当たりのある本。
きっと誰もが再確認する必要のある本。


よろしければまだの方、ぜひお読みになってみてくださいませ。




                          2018・7・10  4;50
                     おお! あれは富士山か?!
                             ・・・な、わけはない(;^_^A



                          2018.7・10  4;58
                      久しぶりに日の出の瞬間を見る
                      冬ほどきれいじゃないのでねぇ~




                          2018・7・10  5;02
                       朝のウォーキング、また再開しよう!!・・・と思いながらさぼり気味のこの頃・・・






置かれた場所で咲く⁈

2018年07月14日 16時08分03秒 | ひとりごと
暑い暑いさなか

熱中症になりそうや~~~~~~

と思いながらも
どうしても済まさねばならない用事のために出かけた。

運が悪いのかよいのか、は知らないけれど
交通量の多い一号線を渡る横断歩道の長~~~い信号にまともに引っかかってしまった。

「ちっ!!」

・・・あら、失礼。
暑さのせいか心ががさついた。

おっと、いけない!!
と思いながら、でも

「はぁ~~~」

と思わずため息。

暑いよ~~~~
早く渡りたいのにぃ~~~

・・・これも決して良い反応ではない。


淡々と、そう何事も淡々と受け止めよう。
些細なことに心を動かさない、ぼやかない、まして悪態などもってのほか。

なぁんて、自分の中でいろんな自分を見ていた。


その時ふと目についたもの


                       

昼顔の小さな花たち

可憐で美しいピンク色

思わずシャッターを切る



そして、その時、ふと心に浮かんできた言葉

「置かれた場所で咲きなさい」

どこかのシスターの本のタイトルにもなっていたっけ・・・



そうね、
自分で歩けない彼らは
そこで咲くしかないものね。
どんなに不満に思っても
自分で望む場所には行けないものね。


こんな騒音と排気ガスの激しい場所で      

それでもけなげに咲いて・・・えらいもんだわ。



どんな過酷な境遇でも
植物たちは置かれた場所で
一生懸命に成長し、花を咲かせようとする。

幹線道路の中央分離帯に実生で生えたような木はもちろんのこと
植栽されている木々を見るにつけ
そんな健気さがかえって気の毒に思われてしようがない。



確かに
「置かれた場所で」まず「咲けるように」頑張ることは大切だ、とは思う。
ふてくされていても、ぼやいていても物事は進展しない。
今、目の前にあるものに感謝し、一生懸命できることを行動しているうちに道は開く、
というのは間違いのない真理だと思う。


けれど
人間は「意志設定」ができる生き物であり
それこそが未来を創る大いなる力なのだから
「置かれた場所」に甘んじている必要はないと、私は思う。

ぼやかず、嘆かず、受け入れることは大事。

でも、それだけではなく
夢と希望を抱いて、自分はそうなるんだと意志設定して
そうなれることを信じ、前へ進んでこそなのではないか!!




なぁんて
暑い炎天下の一号線の騒音を聞きながら
信号待ちの私の頭は私自身にささやいていた。