「十二国記」 小野不由美 著
〝「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしの何が傷つくわけでもない。
裏切って卑怯者になるよりずっといい」
「卑怯になったが勝ちサァ。ここは鬼の国だからなァ。お前に誰も親切にしたりしないんだぜ。
親切な人間なんかいないんだからよォ」
「そんなの、私に関係ない!」
追い詰められて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。
善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。
絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど
優しくされるのでなければ、人にやさしくできないのか。
「・・・・・そうじゃないだろう」
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。
陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。
ひとりでひとりで、この広い世界にたったひとりで、助けてくれる人も、慰めてくれる人も
誰ひとりとしていなくても。それでも陽子が他者を信じず卑怯に振る舞い、見捨てて逃げ、
ましてや他者を害することの理由などになるはずがないのに。
「強くなりたい・・・・」
世界も他人も関係ない。胸を張って生きることができるように、強くなりたい。"
「月の影 影の海 」下巻P79 より
あるエッセイにこの本が薦めてあって
それで、どんな本ともわからず読み始めたのだが
読んでみれば、SFのような、若者向けの漫画のような本。
先に抜粋したのは、その本の中で私の中に強く飛び込んできた言葉。
「強くなりたい・・・・・」
と主人公、陽子はつぶやく。
そして私も考える。
「強くなりたい。
思い切り誰でもを信じる強さを持ちたい」
と。
振り込め詐欺や、横領など、寂しいことが後を絶たない昨今。
それでも人はきっと、皆、誰かを本気で信じたいに違いないのだ。
けれど、損得を幼いころから叩き込まれている私たちは
「損をする」ことが怖くて信じ切ることを拒否したりするのだ。
信じた結果がどうであれ
「信じる」ことができる自分をいつも意識していたいし、
自分に恥じることのない毎日を重ねていける、そんな強い人でありたいとあらためて思う。
〝「裏切られてもいいんだ。裏切った相手が卑怯になるだけで、わたしの何が傷つくわけでもない。
裏切って卑怯者になるよりずっといい」
「卑怯になったが勝ちサァ。ここは鬼の国だからなァ。お前に誰も親切にしたりしないんだぜ。
親切な人間なんかいないんだからよォ」
「そんなの、私に関係ない!」
追い詰められて誰も親切にしてくれないから、だから人を拒絶していいのか。
善意を示してくれた相手を見捨てることの理由になるのか。
絶対の善意でなければ、信じることができないのか。人からこれ以上ないほど
優しくされるのでなければ、人にやさしくできないのか。
「・・・・・そうじゃないだろう」
陽子自身が人を信じることと、人が陽子を裏切ることは何の関係もないはずだ。
陽子自身が優しいことと他者が陽子に優しいことは、何の関係もないはずなのに。
ひとりでひとりで、この広い世界にたったひとりで、助けてくれる人も、慰めてくれる人も
誰ひとりとしていなくても。それでも陽子が他者を信じず卑怯に振る舞い、見捨てて逃げ、
ましてや他者を害することの理由などになるはずがないのに。
「強くなりたい・・・・」
世界も他人も関係ない。胸を張って生きることができるように、強くなりたい。"
「月の影 影の海 」下巻P79 より
あるエッセイにこの本が薦めてあって
それで、どんな本ともわからず読み始めたのだが
読んでみれば、SFのような、若者向けの漫画のような本。
先に抜粋したのは、その本の中で私の中に強く飛び込んできた言葉。
「強くなりたい・・・・・」
と主人公、陽子はつぶやく。
そして私も考える。
「強くなりたい。
思い切り誰でもを信じる強さを持ちたい」
と。
振り込め詐欺や、横領など、寂しいことが後を絶たない昨今。
それでも人はきっと、皆、誰かを本気で信じたいに違いないのだ。
けれど、損得を幼いころから叩き込まれている私たちは
「損をする」ことが怖くて信じ切ることを拒否したりするのだ。
信じた結果がどうであれ
「信じる」ことができる自分をいつも意識していたいし、
自分に恥じることのない毎日を重ねていける、そんな強い人でありたいとあらためて思う。