幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

どっちを選ぶ?!

2013年02月26日 23時31分16秒 | ひとりごと
 努力

という言葉…お好きですか?あまりお好みではありませんか?


 最近「努力」の素敵な解釈を読みました。
ご紹介いたしますね。


〝好きで、好きでたまらないから、つい寝食を忘れてそれをしてしまう。

 それに没頭していると
 楽しくて楽しくて
 つい時間の過ぎるのを忘れてしまう。

 一度や二度
 いや
 たとえ100回、200回と失敗しても
 どうしても諦められず
 やっぱりそのことに没頭してしまう。

 その結果
 成果が得られ
 成功してしまった。



 ・・・これをひとは「人並みならぬ努力」という。

 しかし
 本人にしてみれば
 それは苦しいことではなく
 むしろ
 我を忘れるほど楽しい事だったのである。


 本当の「努力」というものはそういうものなのである。

 努力は本来、楽しいものなのである



 …というような内容だった。

なんだか、「目からうろこ」だった。 
読んだ瞬間、心が晴れ晴れした。

この考え方ステキ~~~~~~、と思った。



 

 それから数日して
どこぞやの新興宗教の読本がポストインされていた。


往々にしてこういうものは
書いてあることは「なるほど」とうなるものが多いので
私は、とりあえず読むことにしている。


 が、その表紙にこんな言葉があった。

努力 
 
  怠け心に打ち克ち
  コツコツと努力を続ける忍耐力、克己心、誠実さを育てます”


これを、目にした途端
なんだか
気持ちが憂鬱になってしまった。

重い。
苦しい。

「努力」って忍耐と克己心がないとできないほどつらいものなんだ。
やっぱり「努力」はたいへんなんだ。

・・・そんな風に感じた。
そしてズシリと気分は暗くなった。


なんだか
イヤーな気分になったから
読まずにすぐに廃棄してしまった。



 けれど、考えてみれば
多くの人の中の「努力」は
このようなイメージではないだろうか。

「苦しくても、負けずに頑張る」
「できないことを努力して、努力して克服する」
「血を吐くような努力」
「努力する人はエライ」
「努力してエラくなった人は立派」

わたしたちはずっとそんな風に教え込まれてきた。

でも、それって本当だろうか?
それって
人間の幸せにとって大切なことなのだろうか?




 

 ま、どちらの「努力」のイメージを選択するかは個人の自由だろう。

けれど、どちらを選択するかで
生き方の根本が代わってくるような気もする。

 それに、後者の「努力」のイメージでは
「努力」という言葉自体がかわいそうな気もする。
「努力」だって好感持たれたいだろうに。



 私自身は
一つの言葉をイメージするとき
軽くて楽しいイメージが浮かぶ方を選択したい。
だって
そのほうが
私も言葉も幸せだから。




 とまあ、こんな具合で
本日のこんがらかりそうな「努力」論はこのへんにいたします。


 お読みくださりありがとうございました。