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スリランカ紀行ーアヌラーダプラ偏

2013年06月07日 | インポート
5月29日から8日間、スリランカ世界遺産探訪のツアーに行って来ました、最初の画像はスリランカの国花ブルーロータスです、綺麗に咲いていました。
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スリランカは1948年にイギリスから自治領のセイロンとして独立。1972年にスリランカの国名になりました、スリランカはシンハラ語で、正確にはシュリー(光り輝く)、ランカー(古くからこの島を示す)の意味をもっている。
現在でもこの国が占める主たる島をセイロン島と呼んでいます。
1983年から2009年5月までシンハラ人とタミル人の民族対立で26年間の内戦が続いた、その間は現在のように観光で島を訪れる事が出来なかったようです。
民族構成はシンハラ人がおおよそ75%でタミル人がおおよそ15%で大半を占めている、宗教は、仏教がおおよそ70%で次にヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の順に続いています。
この国の観光はほとんどが佛教遺跡になります、スリランカ文化三角地帯はセイロン島のほぼ中央の位置する古代遺跡が集中するエリアをそう呼んでいます、アヌラーダプラ、ボロンナルワ、キャンディーの3都市を結ぶ三角形の中に重要な遺跡が多く点在しています。
今回の旅行で巡った順に紹介します、最初は世界遺産アヌラーダプラです。
バスを降りて長い参道を歩いて、ルアンウェリ、セヤ大塔へ向かいます。
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参道にはアカシア属のゴールデンシャワーの花が咲いていました、黄色の花が房状に咲いて名前の通り金色のシャワーの様でした。
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ルアンウェリ、セヤ大塔はスリランカ最大の仏塔を中心とした遺跡です、アヌラーダプラは紀元前5世紀にシンハラ人の先祖にあたる人達が北インドから移住して王国を造ったとされる、王都はここのアヌラーダプラにおかれた。
一時期に遷都した事が有りますが11世紀まで王都として栄えた、スリランカの第一世代の首都です。
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佛教遺跡に入るときは、入り口で靴を脱いで裸足で歩きます、石が焼けて熱い時は靴下をはいても良いようです、帽子もとって入ります。
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初期の大塔の土台部分でしょうか、石の風化の度合いを見るとかなり古い物のようです。
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礎石に開いた穴は塔を建設する時に宝石や金の装飾品を入れた穴のようです、スリランカは宝石が沢山産出されることは皆さまもご存じと思います。
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ルアンウェリ、セヤ大塔を取り囲んでいる象の像です。
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紀元前3世紀にインドのアショーカ王の王子マヒンダが佛教を伝えたとされる、釈迦が菩提樹の下で涅槃になられたインドのブタガヤの菩提樹を株分けされたと伝えられている樹齢2000年の菩提樹があるスリマハ菩提樹の寺院です。
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参道には仏前に供える花を売る店が並んでいます。
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イスルムニア精舎、紀元前3世紀ごろ当時のデンワーナンピア、ディッサ王が仏教の保護を目的に建設した。
当時の僧院の一部を修復して公開している、岩山をくりぬいた洞窟に涅槃像が有る。
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大きな水槽は当時の僧の沐浴場です。 
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岩山へ登る階段、上に登るよ展望出来るスペースが有る。
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上からの7展望、参道が真っ直ぐに伸びている。
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洞窟の中の釈迦の涅槃像、色鮮やかな像は日本の浅草寺の援助により塗り替えられている。
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洞窟の奥には釈迦が弟子に説教をしている像が有りました。
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遺跡から発掘された初期の頃の彫刻のようです。
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遺跡で見た花、ブーゲンビリアの花は分かりましたが、他の花の名前は分かりません。
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世界遺産のアヌラーダプラの遺跡を記事にしました、日本に仏教が伝わって1500年ですが、スリランカに仏教が伝わって2300年になります、ここに来て感じたことは仏教が日常の生活に融け込んでいることです、現地ガイドさんの説明で「お釈迦様は神様では無いのでお願いするのではなく、お釈迦様の教えをどれだけ守る事が出来るかが信仰の真髄です」が心に残った言葉です。

最後までご覧いただきありがとうございます、後日続きを書きます。