本題に入る前に「本牧チャブ屋」散策でもお世話になった
この本から話を進めて行く事にする
この本の作者はすごい人である
早稲田大学を出てから全国の遊郭跡を旅して写真を撮っていたのである
しかもポジフィルムとモノクロフィルムを使ってである
並みの変人ではあるまい 奇人に近いかもなぁ
野毛散策仲間の宮○さんもたしか早稲田だったから
早稲田大学は変人を育てる大学なのかもなぁ
でもですね このような人が居たから のちのちのはげまるみたいな
奇人変態変人が楽に散策が出来るのである
(感謝)
参考資料
これはネットから拾った記事であります
<16号線の東側にカフェ街があり、旧安浦港の一部を埋め立てて出来た新開地でした。
大正末期には80軒以上の遊郭があったといわれ、最盛期には150軒もの店がありました。
軍都・横須賀には戦前から軍関係者や関連産業で勤める労働者を慰安するために街の
各所に遊郭が作られた。
もちろんそれらは昭和33(1958)年の売春防止法施行により
かつての華やかな面影は感じられませんが
区画された路地にカフェ街が あります>
う~~~ん
昭和33年といえば はげまるが小学3年の頃
当然チ○○コに毛なんか生えてない頃である
くやし~~~ぃ
それでは安浦遊郭跡散策と行きます
路地を入って行く ふんふん 渋い家があるなぁ
家の庇あたりが真金町の遊郭跡にあったカフェー風である
(にんまり)
東通りに入ったところに
どんどんどどっどん
ありましたよ 安浦遊郭ぽい建物が
なんたって角の壁がタイル張りである
この遊郭風民家さん 普通の民家さんみたいであり
もう遊郭跡で細々と○○○販売はやっていない感じである
でも☆☆☆さんが
「はげまるさん 安浦に有名な遊郭があったの知ってますか
今でも隠れて細々とやっているみたいですよ」
そう
「今でも隠れて細々とやっているみたいですよ」
この言葉が頭からこびりついて離れないのである
あ~~ 今でも隠れて細々とは どのあたりにあるのかなな~
なんたって昭和33(1958)年の売春防止法施行により
遊郭はもう廃止されているからなぁ
しばらく歩いていたら
そこそこ大きな家構え そこそこ広い駐車場があった
若いお巡りさんが警備していたので
こりゃ~ 渡りに船である
その若いお巡りさんに確認のために
「あの~ ここいらで隠れて細々とやっている遊郭ありませんかね?」
と尋ねてみたかったが やめて
「あの~ ここいらが安浦の遊郭だったあたりですよねぇ~」
と尋ねてみた
(ホントの話)
「はぁ~ よく分からないですが・・・」
そりゃ~そうである 若い人なんかはそんな遊郭の事なんか
知るわけは無いし興味は無いのである
それにしてもなんでお巡りさんが警備しているのかなぁ
後で調べてみたら
ぬぁんとぬぁんと小泉元総理大臣の御邸宅であった
(実家かどうかは知りまへんへん)
安浦遊郭の真ん前に家があったとは 流石 変人宰相は違うなぁ
ところでですね
今一度戻って上の写真を見てください
二階の窓の両側にある変わったデザインの壁
これはですね
(日の出町の竜宮美術旅館の横の写真)
またまた ぬぁんとぬぁんと
日の出町の竜宮美術旅館 の壁にあったデザインと同じなのである
ほれほれ このデザインの壁
今回の安浦遊郭風民家さんの壁と うり二つなのである
この事からしましてもねぇ
「竜宮美術旅館」は正真正銘 縦から切っても横から切っても
遊郭だったはずである
余談ではあるが
3~4年前 飲むと記憶が無くなる友達の工○君が
深夜福富町のフィリピンパブで飲んで
有り金1万円を巻き上げられ どつかれて野毛の「阿武茶」に
タクシー代1000円をへろへろ状態で借りに来た
(この時阿武茶で飲んでいたはげまるもエライ)
何処で飲んだか記憶がまったく無い
なにやら夢ごごちで
「綺麗なおね~さんが沢山いてさぁ~竜宮城みたいだったよ~」
と後々 はげまるに供述していたので
<広辞苑から
竜宮城は深海の底にあって竜神の住むという宮殿>
「竜宮美術旅館」は竜宮城みたいに綺麗で若いおね~さん達が
わんさかわんさか悩ましい姿で踊っていたから
竜宮美術旅館となったのかは定かではないが
どんどんどん (パソコンの机を叩いている)
バカも休み休み言え 遊郭だぞ
「美術旅館」 はねぇだろうが
そのあたり今度「竜宮美術旅館」を書く時にでも調べてみる事にする
もちろん工○君記事もそのまま転用して載せます
載せる使命があるのである
本人も節に望んでいる
と思う
(前に確認したら へろへろ状態で 「も~~ 好きにして」と
申しておりました)
いいぞいいぞ
こんな感じの建物は真金町遊郭跡に今でも残っている
七五三食堂 へんな名前であるなぁ
忙しいので先を急ごう
お~~ あったあった 遊郭跡ぽい建物が
くんくんくん
まさしく浦安遊郭の痕跡がぷんぷんぷんと匂うぞ~
くんくんくん あお~~ん
タイル壁 くんくんくん あお~~ん
くんくんくん あお~~ん
(アホだね)
(お断り 同じ建物で色が異なって写っているのは
二台のコンデジで撮っているからであります)
さらに安浦遊郭の跡地を巡って路地裏を徘徊し続けていると
お~っ 銭湯の煙突が見える
はげまるは5年ほど前に横浜銭湯散策をしていたから
煙突には敏感なのである
そう銭湯の煙突探しのプロ
現在はトタン探しのプロである事は書くまでも無い
これは杉田あたりの銭湯探しをしている時に撮った小ぶり煙突
喜び勇んで近づいてみたら豆腐屋の煙突であった
銭湯の燃料の木が積まれている
う~~ん 間違いないぞ 現役の銭湯だ
うれしいなぁ
日の出湯さん
うれしいなぁ
真夏の散策で汗びっしょりである
銭湯でも入って汗でも流す事にするか
まだまだ安浦遊郭跡散策はつづくのである。
この本から話を進めて行く事にする
この本の作者はすごい人である
早稲田大学を出てから全国の遊郭跡を旅して写真を撮っていたのである
しかもポジフィルムとモノクロフィルムを使ってである
並みの変人ではあるまい 奇人に近いかもなぁ
野毛散策仲間の宮○さんもたしか早稲田だったから
早稲田大学は変人を育てる大学なのかもなぁ
でもですね このような人が居たから のちのちのはげまるみたいな
奇人変態変人が楽に散策が出来るのである
(感謝)
参考資料
これはネットから拾った記事であります
<16号線の東側にカフェ街があり、旧安浦港の一部を埋め立てて出来た新開地でした。
大正末期には80軒以上の遊郭があったといわれ、最盛期には150軒もの店がありました。
軍都・横須賀には戦前から軍関係者や関連産業で勤める労働者を慰安するために街の
各所に遊郭が作られた。
もちろんそれらは昭和33(1958)年の売春防止法施行により
かつての華やかな面影は感じられませんが
区画された路地にカフェ街が あります>
う~~~ん
昭和33年といえば はげまるが小学3年の頃
当然チ○○コに毛なんか生えてない頃である
くやし~~~ぃ
それでは安浦遊郭跡散策と行きます
路地を入って行く ふんふん 渋い家があるなぁ
家の庇あたりが真金町の遊郭跡にあったカフェー風である
(にんまり)
東通りに入ったところに
どんどんどどっどん
ありましたよ 安浦遊郭ぽい建物が
なんたって角の壁がタイル張りである
この遊郭風民家さん 普通の民家さんみたいであり
もう遊郭跡で細々と○○○販売はやっていない感じである
でも☆☆☆さんが
「はげまるさん 安浦に有名な遊郭があったの知ってますか
今でも隠れて細々とやっているみたいですよ」
そう
「今でも隠れて細々とやっているみたいですよ」
この言葉が頭からこびりついて離れないのである
あ~~ 今でも隠れて細々とは どのあたりにあるのかなな~
なんたって昭和33(1958)年の売春防止法施行により
遊郭はもう廃止されているからなぁ
しばらく歩いていたら
そこそこ大きな家構え そこそこ広い駐車場があった
若いお巡りさんが警備していたので
こりゃ~ 渡りに船である
その若いお巡りさんに確認のために
「あの~ ここいらで隠れて細々とやっている遊郭ありませんかね?」
と尋ねてみたかったが やめて
「あの~ ここいらが安浦の遊郭だったあたりですよねぇ~」
と尋ねてみた
(ホントの話)
「はぁ~ よく分からないですが・・・」
そりゃ~そうである 若い人なんかはそんな遊郭の事なんか
知るわけは無いし興味は無いのである
それにしてもなんでお巡りさんが警備しているのかなぁ
後で調べてみたら
ぬぁんとぬぁんと小泉元総理大臣の御邸宅であった
(実家かどうかは知りまへんへん)
安浦遊郭の真ん前に家があったとは 流石 変人宰相は違うなぁ
ところでですね
今一度戻って上の写真を見てください
二階の窓の両側にある変わったデザインの壁
これはですね
(日の出町の竜宮美術旅館の横の写真)
またまた ぬぁんとぬぁんと
日の出町の竜宮美術旅館 の壁にあったデザインと同じなのである
ほれほれ このデザインの壁
今回の安浦遊郭風民家さんの壁と うり二つなのである
この事からしましてもねぇ
「竜宮美術旅館」は正真正銘 縦から切っても横から切っても
遊郭だったはずである
余談ではあるが
3~4年前 飲むと記憶が無くなる友達の工○君が
深夜福富町のフィリピンパブで飲んで
有り金1万円を巻き上げられ どつかれて野毛の「阿武茶」に
タクシー代1000円をへろへろ状態で借りに来た
(この時阿武茶で飲んでいたはげまるもエライ)
何処で飲んだか記憶がまったく無い
なにやら夢ごごちで
「綺麗なおね~さんが沢山いてさぁ~竜宮城みたいだったよ~」
と後々 はげまるに供述していたので
<広辞苑から
竜宮城は深海の底にあって竜神の住むという宮殿>
「竜宮美術旅館」は竜宮城みたいに綺麗で若いおね~さん達が
わんさかわんさか悩ましい姿で踊っていたから
竜宮美術旅館となったのかは定かではないが
どんどんどん (パソコンの机を叩いている)
バカも休み休み言え 遊郭だぞ
「美術旅館」 はねぇだろうが
そのあたり今度「竜宮美術旅館」を書く時にでも調べてみる事にする
もちろん工○君記事もそのまま転用して載せます
載せる使命があるのである
本人も節に望んでいる
と思う
(前に確認したら へろへろ状態で 「も~~ 好きにして」と
申しておりました)
いいぞいいぞ
こんな感じの建物は真金町遊郭跡に今でも残っている
七五三食堂 へんな名前であるなぁ
忙しいので先を急ごう
お~~ あったあった 遊郭跡ぽい建物が
くんくんくん
まさしく浦安遊郭の痕跡がぷんぷんぷんと匂うぞ~
くんくんくん あお~~ん
タイル壁 くんくんくん あお~~ん
くんくんくん あお~~ん
(アホだね)
(お断り 同じ建物で色が異なって写っているのは
二台のコンデジで撮っているからであります)
さらに安浦遊郭の跡地を巡って路地裏を徘徊し続けていると
お~っ 銭湯の煙突が見える
はげまるは5年ほど前に横浜銭湯散策をしていたから
煙突には敏感なのである
そう銭湯の煙突探しのプロ
現在はトタン探しのプロである事は書くまでも無い
これは杉田あたりの銭湯探しをしている時に撮った小ぶり煙突
喜び勇んで近づいてみたら豆腐屋の煙突であった
銭湯の燃料の木が積まれている
う~~ん 間違いないぞ 現役の銭湯だ
うれしいなぁ
日の出湯さん
うれしいなぁ
真夏の散策で汗びっしょりである
銭湯でも入って汗でも流す事にするか
まだまだ安浦遊郭跡散策はつづくのである。