今の黄金町のガード下あたりの景色に
昔の面影を見ることは出来ない
何しろトタンがずら~っと続いているのである
もちろん新しいトタンだ
はげまるが大好きな古びた昭和のトタンではない
おね~さんと畳は新しければ新しいほどいいと言われている
(定説です)
ことトタンに関して書けば このはげまる
古ければ古いほど味がでるので大大大好きなのである
(病気だな)
この黄金町ガード下のトタンがあった場所は4~5年前まで
「ちょんの間」と言われ
好きそうな男ならもちろん大好き
嫌いそうで気難しい顔をしている男でさえ 泣いて喜ぶ
「ちょんの間」形式の店が軒を連ねていた
夜ともなれば
赤い提灯がある和風「ちょんの間」屋さん
コンクリート創りの洋風「ちょんの間」屋さん前で
客引きをする女性達 品定めをする殿方達が
ひしめいていたのである
「ちょんの間」
まあ 簡単に一言で書くとすれば
短時間で事(コト)を済ませる場所
ここで
「え~ん 事(コト)ってなぁに 一体何を短時間で済ませるの~」
なんて言う人がいたら ばっかも~ん
退場
とにかく「ちょんの間」は
安い 早い ウマイの吉牛(牛丼)とは少し違いがあり
安い 早い 行ったれ行ったの世界であると思う
ここで真面目に「ちょんの間」の語源について考察してみる事にする
(行ったれ行ったれ)
「間」であるが
まあ畳の「間」を意味する言葉であると思われる
しかも3疊とか4疊半ぐらいの狭い部屋
せんべい布団がひいてあって 裸電球が怪しく悩ましく
光る薄暗く照らす部屋
けして大広間の天井から光がさんさんと入り込んでくるような
「間」ではない (あたりまえだ)
これを「ちょんの間」の 「間」の独自の解釈とする
それでは明治大正昭和をしぶとく生き抜いて来た言葉(多分ね)
の本題「ちょんの」に話を移す事にする
う~ん 一人で盛り上がって来たぞ~
「ちょんの間」(ちょんのま)
を広辞苑で調べてみたら見当たらなかったので
はげまる独自の解釈で話を進めていく事にする
(御断わり
ここから先は はげまるが「ちょんの間」を「ちょいの間」と勘違いして
調べたものであり そのあたりヨロシクね
「ちょい」が見当たらないので「ちょいと」で見てみると
「ちょいと」
ちょっと と同じ と書いてあった
そこで「ちょっと」を見てみる
「ちょっと」
① わずか。少し。とか④ ほんのついでに。
④の ほんのついでに。
なんかがいいかもな
酒飲んでヘロヘロの帰り道ついでにとか 銭湯の帰りついでにとか
お買い物の帰り道ついでにとか
マラソン大会のついでにとか(そんな奴おらんかなぁ)
う~ん なんか少し盛り上がりに欠けるので
「ちょいちょい」
を見てみると
① 小刻みな動きが気安く繰り返されるさま。
② 同じ物事が時間をおいて繰り返されるさま。
とか他にもいろいろ書いてあるが
①②ともかなりいいではないかいな
テナ事例から考えてみると
「ちょんの間」の語源の中には 「ちょいちょい」も内在しているわけである
これからはみなさんも
「ちょんの間」の言葉を使う時はそのあたりを深く考えて欲しいものである
川沿いで残る数少ない昔からある飲み屋さん
このあたりの「ちょんの間」屋さんの姿はもう無い
ほとんどが壊されて新築されている
あ~昔の景色は雲散霧消
またひとつ横浜の昭和が消えていったのである
先日寒い夜にガード下あたりの散策をした時の写真をこれから見せる事にする
昔からあった感じの「バー」
中に入ろうと思ったのであるが カラオケの文字が見える
はげまるは静かに飲む事を好むので やめる事にした
ここはかなり昔の「ちょんの間」の姿ではないかいの~
なにしろその当時 黄金町ガード下付近「ちょんの間」の店に入ると
そこの店主のママさんが 何を飲むのかなんて
じえんじえん(全然)聞かないで
いきなり入口のドアに鍵をかけて
こちらを見て「にたり」と笑うそうである
(今までの話は全て人づてに また聞きし
はげまるが独自のハゲ頭で考えて書いた話であるぞぇ
はっはっはふ~ん)
はげまるはガード下をとぼとぼと歩いた
歩いてみると 昔の「ちょんの間」風の店舗がそこそこあるのであるが
すべて白い壁にペイントされていて 若者のアート風に改装されている
中にはアートを見に入っている若者達の姿も見えたりする
歩いているのは ほとんど若者カップル
じじぃの姿は皆無であった
嗚呼 ついに黄金町ガード下の「ちょんの間」の景色はついに
消え去ったのである
変わり果てたガード下を寂しく一人で歩いていると
昔からあった感じの居酒屋があった
大衆酒場
ラーメン お食事 とノレンに書いてある
なんでもあるぞ~ と言う感じの飲み屋さん
猫ちゃんが店から のんびりと出てきた
「う~ん ここでも入って 酒でも飲んでみるか~」。
続く