赤い彷徨 part II

★★★★☆★☆★★☆
こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

出張の合間の京都紀行(1)

2019-01-14 16:50:11 | アウェイじゃないけどぶらり旅
もう1年ほど前の話になってしまいますが、昨年冬に出張で京都に行った際、合間の時間を縫って、最近の上役の趣味に付き合って寺社仏閣をめぐった際の模様をお届けします。今回のコースとしては概ね賀茂御祖神社(下鴨神社)⇒(クラフトビールバーを経て1泊)⇒東寺⇒伏見稲荷⇒泉湧寺(御寺)という流れで、まず1日目に京都駅で新幹線を降りて夜の仕事まで時間があったので、早速市バスに乗り込んで賀茂御祖神社に向かいました(仕事しろ)



この賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)は数多ある京都の寺社の中でもかなり古い部類に入ります。とはいえ、創建年ははっきりしないようで、第10代崇神天皇元年に創建という見方もあるようですが、そのあたりは「諸説あります」ということになるようです。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と共に、天神系の賀茂建角身命(天神系)を祖とする賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社をあわせて「賀茂神社」と総称します。写真は中門と思われますが、バス停を降りて西参道から入っての1枚です。



当日は流鏑馬か何かの奉納演芸?の日だったようで、それに向けた準備や警備が行われていました。学生時代に藤沢に住んでいた頃に鎌倉の鶴岡八幡宮でみた流鏑馬の儀式を思い出して懐かしくなりました。この賀茂御祖神社は本殿右に上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母にあたる玉依姫命、そして左にはその玉依姫命の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀っています。



ただ、今回の我々が賀茂御祖神社を参拝した目的は敷地の東端に佇むこちらの井上社(別名:御手洗社)でした。井上社は井戸の上に建てられたのがその名の由来のようで、この御手洗社から湧きだす清水で葵祭の斎王代の禊ぎや、あるいはいわゆる土用の丑の日に行われる足つけ神事が行われるそうです。



この井上社の祭神が瀬織津姫命(せおりつひめ)で、一部には「神話から消された神」と言われる神です。ここはややオカルトチックになりますが(笑)、皇祖神とされる天照大神は女性神とされているところ、日本書紀や古事記が出来た際に歴史の書き換えがあり、実は本来男性神であるという見方があるようで、その妻と位置付けられる神と言われています。明治時代に時の政府の意向で神話にない神々は姿を消したものが多いようですが、その荒波も乗り越えて生き残っているということなのでしょうか。興味深いところです。



その井上社を参拝した上で本殿にも参拝し(内部は撮影禁止)、女性陣へのお土産にお守りなどを買い込んだところで時間もあまりないので本殿を後にします。帰路といってもこちらの南からのアプローチは小川が流れ、パワースポットとして知られる糺(ただす)の森や河合神社などかなり距離がありました。こちらは帰り際に振り返り楼門を撮影したものと思われます。



南口の鳥居で、右側には手水舎、左側にはお茶やお菓子を楽しめる休憩所がありました。



誠に神社らしいというか、信仰の場らしい長い長いアプローチです。



参道の途中には賀茂御祖神社の摂社で、最近いわゆる「インスタ映え」スポットである河合神社があります。こちらの祭神は神武天皇の母にあたる玉依姫命(たまよりひめ)が祀られ、玉依姫命が「玉の様に美しい」として美麗の神としての信仰も深いということで、こちらでは「鏡絵馬」と呼ばれる手鏡形の絵馬が数多奉納されています。この絵馬を自分の顔に見立てて美しい女性になれますよう、にとお化粧を施して奉納するのだそうです。



そしてなぜか河合神社には「行く川のながれは絶えずして」の出だしで知られる鎌倉時代のエッセー「方丈記」の著者である鴨長明の庵を再現したものがありました。どうやら鴨長明はこの河合神社の神官の子だったということで、この地にこの庵が再建されたようです。



こちらは御磨通(みかげどおり)を渡ったところと思われます。



驚いたのは途中表参道の両脇に平屋(2階建て?)の高級マンションが続いていたことです。そういえば都内の地下鉄の広告で売り出しているのを見かけたような気もしますが、こちらになるのでしょうか。こんなところに住むのは有難いのか恐れ多いのか測りかねますが、よりによって観光地にわざわざ住むというのは個人的にはあまりポイント高くはないですかね…(笑)



(つづく)

最新の画像もっと見る

post a comment