松山日帰り出張の機会をフル活用して伊予松山城(以下、「松山城」)を訪問。全国に12ある現存天守のうち最も新しいもので、1854年に落雷による焼失から再建されたものだそう。標高132mの山の上にあるのに平山城とはこれいかに。天守へのアクセスはプチ登山するか、またはロープウェーに乗るということらしく。当方は当日スーツにビジネス鞄という井出達、しかも時間は限られていたため、必然的にロープウェーしか選択肢なし。案内では路面電車の大街道駅からロープウェー乗り場まで徒歩5分とあるのだが、歩くのが滅法早い自分としても5分はちとないかなあというレベル。
ロープウェーを降りてしばらく石畳の階段を上がっていくと、そこにはなかなか見事な石垣の曲線美、であります。この松山城の石垣は、朝鮮出兵時に現地で築城した経験がある加藤嘉明公が築いたとされているようですが、本丸あたりは後の親藩大名松平氏の手によるものとする説が有力なのだとか。
石垣と言えば、「登り石垣」という、山腹から侵入する敵を阻止するため、山の麓にある建物と山頂にある天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたものがかなり特徴的なものらしいのだが、今回は服装を考慮し、また時間も足りず断念。こちらは戸無門。文字通り扉がなかったようで、その痕跡さえも確認できないんだとか。
戸無門を潜ると左手に見えてくる筒井門。松山城においては防衛上最重要の門らしく、一段と堅牢な作りのように思えました。
筒井門の前で振り返ると既にこんな光景が広がっています。真昼間からスーツ姿でこんなところに立ってると今にも身を投げそうなレベル。
この筒井門のところには、個人的に今回一番印象に残った面白い仕掛けがあったのですが・・・。それはまた次回(いつになるのやら・・・)
(つづく)
ロープウェーを降りてしばらく石畳の階段を上がっていくと、そこにはなかなか見事な石垣の曲線美、であります。この松山城の石垣は、朝鮮出兵時に現地で築城した経験がある加藤嘉明公が築いたとされているようですが、本丸あたりは後の親藩大名松平氏の手によるものとする説が有力なのだとか。
石垣と言えば、「登り石垣」という、山腹から侵入する敵を阻止するため、山の麓にある建物と山頂にある天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたものがかなり特徴的なものらしいのだが、今回は服装を考慮し、また時間も足りず断念。こちらは戸無門。文字通り扉がなかったようで、その痕跡さえも確認できないんだとか。
戸無門を潜ると左手に見えてくる筒井門。松山城においては防衛上最重要の門らしく、一段と堅牢な作りのように思えました。
筒井門の前で振り返ると既にこんな光景が広がっています。真昼間からスーツ姿でこんなところに立ってると今にも身を投げそうなレベル。
この筒井門のところには、個人的に今回一番印象に残った面白い仕掛けがあったのですが・・・。それはまた次回(いつになるのやら・・・)
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