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赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



F東京戦の日は、午前中から多摩地方で墓参りをこなし、昼はきら星@武蔵境(後刻レポ)で昼飯を喰らい、そして試合時間までの時間潰しに京王多摩動物公園駅にある「京王れーるランド」へ。しかしこの京王れーるランド、思いのほかしょぼ・・・いや規模が小さく、またむしろ展示物よりNゲージやらプラレールやらが充実していて夏休み中のガ・・・いやお子さん方で芋洗い状態。30過ぎたおっさん2人が長居できるわけもなく早々に撤退を余儀なくされる(いや、しつこいようだが自分は鉄ではないんですが)。鉄分の入ったお父さんが子供と、そう長くて半日くらいかな、潰すにはもってこいの場所とは言えるのかもしれないけど。



山の中にあって駅の周辺には「多摩動物公園」のみ。おっさん2人で灼熱の動物園を歩くってどんな罰ゲームやねんというところだが、残念ながら他に行く宛もなく特攻。迷走する浦和強化担当が獲得に動いていると報じられている本田圭佑(「ゴリラ」の意、以下同じ)が動物園に居るに違いないと思い、ついでに浦和移籍を断念するよう直接説得交渉を行うこととした。



空調が効いて涼しい小屋にはモグラ類が展示されていた。写真は惰眠を貪るモグラの図。しかし死ぬまでにモグラを撮影できる日が来るとは思わなかった、しかもこんな形でこんな場所で(涙)



三十路のおっさん2人がガキに囲まれながらコアラを見学の図。三十路のおっさんふたりでどこまで行けるのか限界に挑戦というのは幣ブログの普遍的テーマのひとつであることは認めざるを得ないところだが、ガチホモとかでは決してありませんのでそこのところは誤解しないでやってください。



「タイリクオオカミ」の名前には何やら懐かしい名前がちらほらと。やっぱり悲劇的な場面で絶対的エースに抱きついてしまったり、その名のとおり故障が多かったりするのだろうか。ここでいう「タイリク」は欧州大陸のことらしいが、そう欧州と言えば旬のあの方・・・。



いよいよ、本田圭佑に対して欧州に留まり浦和に来ないよう、連れの極太うぃあーさんから半ば懇願に近い説得を試みるものの、回答は「それはごもっともだけど、オレの考えは違った」というつれないもの。とはいえ交渉の甲斐あってかこのような報道もあったが、いずれにせよ本件はまだまだ余談を許さないだろう。それにしても、この件に関して「強いチームなら当たり前。来るなら来ればいい」とかさらっと言えちゃう相馬のメンタリティ、こういうところは大好きだなぁ。てかそんなことよりそれってゴリラじゃなくてオランウータンじゃね?なんて冷静な突っ込みは勘弁な。まさかゴリラのいない動物園なんてあると思わないじゃんかよ・・・。



締めはやはりフラミンゴ。「手の空いている者は左舷を(ry



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前回からのつづき)

再び銚子電鉄に乗り込み銚子駅まで戻る。鹿島方面に行く電車まではまだ大分時間があったので市内をぷらぷらして誘われるように銚子港へ向かう。暑さのせいなのか人影はまばらでただただパチンコ屋の駐車場だけは満杯というのはいかにもな光景。

海近くにあったお神輿を戴く神社だが、ネットで調べたところ(恐らく)白幡神社。夜に来ると結構ヤバい的な話もあって今思えばちょっと怖い。何も映ってなくてよかった・・・。これがお祭りで街中の神社のあいだを練り歩くという神輿だろうか。



利根川を跨ぎ、千葉県銚子市と茨城県神栖市を結ぶ銚子大橋。全長1.5km近くに達し、架橋当時は日本最大級の橋だったが老朽化のため2010年完成を目指して斜長橋が建設されているんだとか。赤いトラス橋が古い方。



銚子港には、昨年4月頃に訪れた際より多くの船が。燃料高騰の影響とか思うのは勘ぐり過ぎだろうか。であるならば、食べるものの肉から魚へのシフトが年々加速度的に進んでいる身分としては憂慮すべき問題なのだが。



銚子市内をぷらぷらしていたらこんなお店が・・・。言わずと知れた某元アルゼンチン代表と同じ名前になるわけだが、一体全体これどういう意味なんだろ。代表者の方の苗字に「丸」がつくからそのせいだろうか。



その葬儀屋さんの隣には「公正」図書館なる、レトロな雰囲気の建物が。ヤマサ醤油の店主が設立した「公正会」という財団の建物が市民に開放されていたものが、戦後銚子市に移管されたという、実に銚子らしいエピソードのある建物だった。なるほど通りの向こうには醤油工場が。



しかし何より銚子における一番のサプライズがこれ。避暑と時間潰しのために寄った駅前の喫茶店の本棚に見かけて一瞬我が目を疑った。第2巻だけ全部読んだが(読んだのかよ)、どうやら「セパハン」という渾名の非ヤンキー走り屋青年の青春バリバリ疾走ストーリーといったところか。どうも「セパレートハンドル」の略なのかな?いずれにせよ今でこそ検索サイトで「セパハン」と入れれば真っ先にヒットするのはイランのフットボールクラブばかりになっちまったけど、古はなぁ・・・というところなんだろうか。



(つづく)

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前回からのつづき)

そんなわけで海の幸・犬吠埼編でございます。灯台の周辺には数件の食堂があったが、食べたことのない「キンメ漬丼」を掲げていたあった店を選択。身がぷりぷりしていてなかなかのものだった。しかしまあ衝撃を受けるというほどのものでもなかったが、コストを考えればそんなところかなと



値段が600円だったのでやや躊躇しながらもあら汁をあわせて注文。するとこんなデカいものが出てきて600円も納得。どのくらい大きいかはG-SHOCKとの比較でお確かめを。これには早起きして疲れていた体も癒された。



犬吠駅と犬吠埼のあいだにあった高浜虚子の句碑。景色のよいところ故、昔から句人、歌人や文人が沢山訪れていたのだとか。



確かに風光明媚ではあるのだが、太平洋側にありながら何となく日本海側的というか演歌的な雰囲気が漂う場所のように感じられた。Tommorow Never KnowsのPV風の絵を撮ろうとしても、↓のとおり2時間ドラマで犯人が追い詰められた挙句に悔恨のシーンみたいになってしまう。当日の冴えない空模様のせいもあったのだろうか。


♪さぁ 眠りなさい 疲れ切った… (※)船越英一郎ではありません。

「犬吠埼」という名前については現地の看板に記述が。曰く、源義経が奥州に向かう道すがらここに立ち寄った際、愛犬の「若丸」が平家の亡霊に取り憑かれてしまいやむなくこの地に置き去りにした。そしてその置いていかれた犬が主人を慕って吠えつづけたことが名前の由来なんだとか。後にwikiで調べたところでは諸説あるようだが、犬派のオレ的にはグッと来るエピソードだった。



ひとしきり犬吠埼を散策後は銚子電鉄で再び銚子へ戻ることにする。ここ犬吠駅のホームにおいてもヲタがへばりついて列車を撮影中の図。まあ人のことはまったくもって言えないような気もするが、あくまで鉄はオレの守備範囲外なのだ。



銚子電鉄といえば「ぬれせんべい」だが、便乗してこんな商品まで売り出している模様。何でも濡れてればいいのかと。ちなみに車両には「伊予鉄道」というラベルが貼ってあったで、連れと「まさか四国から持ってきたんだろうか・・・」などと話していたのだが、wikiによればやはりそういうことのようだ。いや、だからオレは鉄ヲタじゃないんだってば!!



(つづく)

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例年どおり、敢えて電車にことこと揺られていく鹿島遠征。長閑な田園風景を眺めながらゆったりと敵地に向かう、年に一度のこの贅沢な時間の使い方が最近ではすっかり気に入ってしまった。まあそもそも東京東部に住んでいるので東京駅まで出てバスに乗るのがかったるいというのもあるのだが。

そして今年も昨年に続いて銚子経由鹿島行き。そんな悠長なことやってるから帰れなくなりそうになったり勝てねーんだこのヌルサポがと言われれば返す言葉もございません・・・。今回は微妙に旬を過ぎた感もあるが「ぬれせんべい」で一躍有名になった銚子電鉄に乗車。銚子駅でJRから銚子電鉄に乗り換える。



客層は年配の方々、家族連れに加えて鉄ヲタ少々というところか。さすがにここ経由で鹿島に行く人はいないだろうと高を括っていたら「KEITA 13」というTシャツの背中が飛び込んできて度肝を抜かれる。どこへ行こうともうぃあーから逃れる術はないのか・・・、あな恐ろし。



単線を古めかしい列車に揺られてゴトゴトと揺られる。全開になった窓の向こうには紫陽花とトウモロコシ畑が時折広がる。随分と「桃電」のサポートを受けているようで、そこかしこに桃電の痕跡が。途中「観音駅」の駅舎を目にした鉄ヲタが「うぉぉぉい」と悶絶していたが、何に声を上げていたのだろうか。しつこいようだがオレは決して鉄ヲタではないので感情を共有できず。そして目的地の犬吠駅に到着。



そう、何故か犬吠埼へ。何かもう最近では海を見ないアウェイはあり得ないかのような勢い。犬吠駅の近くには過分なほど手作り感の伝わってくる案内板(?)。周辺にはそこかしこに"Welcome"という看板が見られたが、英語圏の人間が犬吠埼に来るとは到底思えないとか無粋は突っ込みはなしでしょうか。オーシャンビューの温泉がたくさんあるようだったがさすがに試合前にそこまでアグレッシブにはなれず。



行き交う自動車のナンバーは関東各所のもので、お手軽な観光地なのだなあと実感。足立ナンバーのヤン車を見かけたときは区民として苦笑を禁じえず。この犬吠埼、地質的に珍しい場所らしいのだが、どう珍しいかまで詰める気力も余裕もなかった。てかまあ、ご覧のとおりっつーことで。家族連れが岩場で戯れるなか不自然に赤い物を身に着けたおっさんがうろうろしてすいませんでした。



おっさんたちも岩場に出てみた。恒常的に波を受けているせいなのか結構不思議な感じの形の岩。蟹のハサミがちらっと見えるのわかりますかね。空の怪しい雲行きに、この夜の試合の雲行きを重ね合わせてやや陰鬱な気分になりつつ。




灯台にはそれなりに人々が。隣接する水族館にもそれなりにお客が入っていて地味ながらも堅実な観光地という感じ。そうこうしながら、ここまで来たら、また時間的にも昼飯に海の幸でしょうということに当然のようになっていく幣ブログの傾向でございます。



(つづく)

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前回からの続き)

悪夢はみたが、明けない夜はない。2日目は午後の早い時間の飛行機で帰京する予定だったため、とりあえずひとっ風呂だけでも浴びていこうと一路別府へ。何せ昨年は土壇場に追いつかれて勝ち点2を失ったことに加え、別府に泊まったってのに飲んだくれて手湯と足湯しか入れなかったので、ある意味リベンジでもあるわけで。

この日も日差しはキツく暑かった。別府の街にはちらほらと赤い人たちが見られたが、一様に冴えない顔のように見えたのは気のせいだろうか。8月にジャズのイベントが開催されるらしい。帰ってからネットで調べてわかったことだが、別府がその昔米軍が駐留していた影響で昔からジャズの流れる街だったというのはちょっと意外だった。てか良く見たら"Be-BEPPU"ってダジャレかよw



今回、野郎だけでオーシャンビューの温泉に特攻(ぶっこみ)をかけようと画策したものの午前中から日帰り湯を受け付けているホテルが見つからなかったため断念。結局時間も限られているので有名な竹瓦温泉へ。いわゆる市営温泉なのだが、明治時代に建築された際に竹屋根葺きの浴場で、これが瓦葺きに改修されたため「竹瓦温泉」と呼ばれるようになったとか。そんな背景もあり、ご覧のとおり実に風情のある佇まい。



100円払って入ってみると、予想どおりというか何というか、浦和者が席巻w ともかくお湯が熱くて慣れるまで時間を要したが、昨年お湯に疲れなかった恨みを原動力にそこそこの時間じっくりと浸かったら気持ちよかった。しかし暑かったせいもあってか脱衣所の窓が全開になっていたため、何の気なしに外に向かってお宝を完全にディスクローズしていたかもしれない。別府市民の方々お見苦しいものをお見せして申し訳ございませんでした・・・。



さっぱりして大分空港に向かうバス乗り場に行ってみると、バスも軒並み浦和者によって混雑しているようで、臨時便が来るとの事。本当にすべてにおいて大分を席巻してましたね、いや、あのサッカー以外は・・・。空港に到着して時間的に余裕があったのでお土産などを買い、空港内の寿司屋である「鮨 海甲」で豪勢な昼飯。



城下鰈や関鯵などご当地の魚を、これまたご当地ものの「かぼす」をまぶしてお寿司を頂くというのはなかなかのもので、人懐っこい職人さんといい実に幸せな時間を過ごした。そんなわけで調子に乗ってしまい最後の最後で本格的に散財、しかしそれでも大いに満足だった。ま、平日の貧相な食生活の反動ということで自分にはいいわけしておこう。



見渡す限りの水平線。さよなら大分。しかしまあ、うまいもん食べたり観光もいいんだが、今度来るときこそは絶対勝ち点3が頂きたいもの。いや場合によってはシャムスカさんか夢生選手で手を打つ用意はありますが・・・。



(終わり)

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前回からの続き)

朝っぱらから魚介類を堪能して博多港を後にし、博多で気になったラーメン屋(別途記述)できっちりと麺を喰い、タクシーで博多駅に向かった。13時台に博多を出るソニックにちりん(小倉経由)で一路大分へ。乗車したソニックしかり、JR西日本の列車は特急列車のみならず在来線の車輌までカラーリングやデザインがクールな印象で感心。地方都市の車輌というと旧E電みたいな旧式の列車が走っている印象があったが、なかなかどうして。

そのソニック号では経由地の小倉で進行方向が変わるいわゆるスイッチバックという方式が取られていて、座席の向きをマニュアルで変えなければならず座席通路側の足元にあるペダルを押して座席を回転させる。いちいち面倒ではあるが、今回はそれにあたって隣の席に座っていた素敵なお姉さんと少し言葉を交わせたという点でおいしくはあったw



大分に到着してまずは市陸そばのホテルにチェックイン、暑い日だったので着替えて再び駅方面へ。大分駅前から九石ドームに向かうバスは昨年の記憶を遥かに超える大行列でびっくり。ってまあ、そのほとんどが我が軍なわけですが。。。この日は7:30羽田発の便だったのでバス車内ではぐっすり眠ってしまい、所要時間はよくわからないが結構時間を食っていたような気がして、結局キックオフ30分までの17時半前くらいにスタジアムに到着。



その後の出来事は、ボールボーイの地元の高校生がDJ OZMAの歌にあわせて「ナーナーナナナー」と恥ずかしそうに踊らされていたのと、大分のスポンサーになった企業の社長として元ペニシリンのベース?とやらが出てきたことくらいしか記憶していない。そんなわけで九石ドームでひとしきり昨年以上の悪夢を見て呆然としていたところ、選手たちがゴール裏に来るのを待たず、直ぐに連れに急かされるようにしてスタを後にする。最近阿部や梅崎が蹲っている姿をみると胸が締め付けられるような思いがして辛いので、さっさとスタジアムを出て正解だったのかも。帰りのバスは埼スタ同様周辺を脱するまで時間を要するが、往路同様爆睡。帰りしなメキシコ人の兄ちゃんたちが「パチューカ」とカタカナで書かれたTシャツきて歩いていて気になったが、どっかの高校のバスで帰って行ったので親善試合か何かで来日した記念に観戦したんだろうか。クソ試合でごめんな。

駅についてから仲間と合流し、極太うぃあーさんが予約しておいてくれた駅前の居酒屋で残念会。チェーン系のお店だったようだが、居酒屋でもなかなかイケる食べ物、その量もハンパなく多く、また飲み放題ひとり500円と破格で少しは溜飲を下げることが出来た。駅前のアーケード街からお店の2Fまで浦和者が完全制圧という感じで真っ赤っか。圧倒的じゃないか我が軍は・・・、ピッチ以外ではorz



それもそのはず。翌朝モーニングを頂いたアーケード街の喫茶店にあった地元の「一般紙の社会面」にも、昨年のACLの時みたいにこんな記事が。5000人集まってあの体たらくでホントすんません・・・。そういえばその右側には旬なネタもありますな。



と、こんな恥ずかしい我々ですが、頂いた梅崎は大切にしますので許してやってください。バーモス、ザビエル、バーモス、ザビエル!(違)ということで大分を後にし、帰りの飛行機に乗る前にひとっ風呂ということで在来線で別府に向かう。



(つづく)

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ようやくGWの話が終わったところだというのに、今度は土日と福岡経由で大分まで旅行してきたのでその件をば。なぜ大分かって言うとなんつーか教師になりたくてね。サッカー?そういえば何か土曜の夜に地獄をみたような気がするけど、まあ大分だから地獄見るのはフツーでしょ?

今回は往路は大分便が取れず、福岡in。朝7:30に羽田を出て9時半前くらいに福岡到着。羽田ではいつもどおり赤い服来た人がちらほら見られたが、鳥栖で試合があるんだろう横浜FCサポのお姿まで。いやその節は大変お世話になりました。今はさらに底であります。

福岡に到着するや否や一路地下鉄空港線に乗って赤坂駅へ。もはや当ブログ名物と言えるかもしれない港湾インフラ調査博多編。まずは腹ごしらえということで、鮮魚市場市場会館内の福魚へ。同行の極太うぃあーさんがリサーチしておいてくれたお店だ。



普段のメシでケチっている分こういうところでは金に糸目はつけまいとて特上丼?(1500円)を躊躇なくチョイス。たまたま会館内でさかな祭り?みたいなものが開催中でいつもよりウニが多めだったようだ。まあ説明は余り要らないだろう。飯がもっと欲しいくらい盛り沢山の具に圧倒される。うまくないはずがない。お醤油は九州っぽく濃厚でまろやか。これにわさびを溶かして丼にかけて頂くのだが、これをあんまりかけ過ぎるとしょっぱくなってしまうので注意。



朝っぱらから1500円の飯を喰らった後は、うぃあーと煙は高いとこということで満腹のまま13階の展望スペースへ。港と一望できて気分が良い。左手を臨むとこんな感じ。遠くに福岡ドーム、いや今はヤフードームだっけ?が見える。



ベイエリアというのは社会インフラの見本市みたいになっているところが多く、かつてインフラ関係の仕事をしたことがあってインフラには目がない自分としては結構好きなのだ。海原を背に斜張橋が映えますな。



右手。飛行機が下りていったので福岡空港はこちら方面と思われる。



祭りの一環で子供たちが和太鼓を披露していて、勇壮で引き込まれるものがあった。長靴を履いたおっさんがジャズバーのオヤジみたいに足でリズムを刻む姿も漁港ならでは。司会の綺麗なお姉さんに目を奪われがちだったが、演奏も大変良かった。



魚に関する情報がいろいろ勉強できる「魚っちんぐプラザ」。「魚っちんぐ」と聞いてエド・はるみよりもまずマチコ先生を思い浮かべるオレは華麗。ふーん いぇいいぇい♪



博多に向かう地下鉄の車内で見つけたポスター。どの口が「LOVEサッカー」などとのたまうのかと、すこぶる胸糞が悪くなった。ちなみに地下鉄に乗り間違えたのはないしょだ。



(つづく)

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細貝五輪代表選出おめでとう、健闘を祈る
梅崎は残念、ブログみて正直もらい泣きしそうになった・・・
でも梅崎なら大丈夫だろう、きっと乗り越えていけるさ

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(前回からのつづき)

もはやそこどころではないが岡山~姫路の旅。何はさておき天守閣に入ろうということで行列に並ぶ。前述のとおりGWでただでさえ人手が多いのに加え、隣接地で開催中の菓子博から流れてくる人たちが更に加わってご覧のような大行列。



それでようやく中に入ってみるとゆっくり見れるどころか延々と行列が続いて密集状態となり、所々で前に進むのが制限されさながら地獄絵巻のような様子。6階の最上階まで堪えられず諦めて途中離脱する方々もちらほら。楽しみにして来たであろうお年寄りや、親に連れられてきた小さな子供たちにはちと可哀相な状況だった。



多くの城が後世に人工的に再構築され、あまつさえエスカレーターやエレベーターのあるような城もあると聞くなか、「現存」する天守閣を階段をえっちらおっちら登っていくのは大変ロマンのあることなのだが、如何せんそんな状態だったので展示物を見ることさえできず、明らかに時期を誤った感じ。それでもやはり天守閣からちらっと臨んだ眺めはなかなかのもの。



こうした眺めもゆっくりとは楽しめず、急き立てられるように降りて行かざるをえず。残念。



降下中に見かけた天守閣の骨組み?の模型。



駆け下りるようにして天守閣から出ると、そこには姥が石(うばがいし)と呼ばれる石が。秀吉がこの城の築城中に石集めに苦労していたところ、城下で焼き餅を売っていた貧しい老婆が石臼を秀吉に献上し、それを秀吉がたいそう喜んだという伝説があるんだとか。



もう調子に乗ってバシャバシャ写真を撮ってしまった。美しいものは人を惑わせますな。ま、そんなこんなでひっぱりまくったアウェイ神戸戦前後の奈良~神戸~岡山~姫路旅行は終了。もはや神戸遠征のついでってレベルじゃないが、まあGWだったもので・・・。この翌日はホーム千葉戦だったので自業自得ながら慌しい連休になった。



そういえば城から姫路駅に戻る途中で「美木良介の喫茶店」というのがあって何事かと思ったが、氏が姫路の出身なのだとか。どうでもいい話だが、怪しい喫茶店好きな自分としてはちょいと気になった。さすがに立ち寄りはせず。



(終わり)

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(前回からのつづき)

何だかんだ言ってやっぱり美しい姫路城。特に城ヲタでもないつもりのオレでもまあ撮ったわ撮ったわバシャバシャと。そんなわけであちこち立ち止まっちゃあ写真を撮りつつも、時折パラつく雨の中順路を進んでいく。まずは下の写真の手前に見える西の丸の渡櫓へ。



要はワの櫓から中に入り、いくつかの櫓を結ぶ百間廊下という、薄暗くて細長い廊下を延々と歩いていくわけだが、この段階で既に混雑は始まっており前後をぴったりと家族連れに挟まれながらの行軍となりゆっくりとは見ることはできず。それでも途中には狭間(さま)と呼ばれる射撃用の穴や、石・鉄砲などで攻撃するための石落しなどが見られて要塞らしい側面を見せてくれた。



化粧櫓。江戸時代に入って少しして本多忠政がこの城に移ってきた際に有名な「千姫」のために建てた櫓とか。薄暗い櫓のなかで妙に色白な人形がやや不気味・・・。



内側から見ると百間廊下はこんな感じ。前述のとおり、狭くて薄暗く、しかも混んでいる空間をずっと歩いていたので外に出たときは言い様のない開放感。しかしまだまだ本当の地獄はこれから待っていたのだった・・・。



(つづく)

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(前回からのつづき)

アウェイ神戸戦前後の関西~岡山エリア遠征もやっとこさ佳境(嗚呼あの頃はまだましだった・・・)。5月5日の最終日は午前中に岡山城を見学して新幹線に乗り、一路姫路へ。しつこいようだがまた城なわけであります。世界遺産・姫路城へは姫路駅を降りて徒歩でまっすぐ。



GW期間中ということである程度の混雑は覚悟していたが、折悪しくそれに加えて姫路では菓子杯ならぬ菓子博が開催されており、観光客が更に増えていたようで後ほど地獄を見ることになる。菓子博の何たら大使とからしい、姫路出身の松浦亜弥の顔をあちこちに貼られたポスターで久しぶりに見た。



コテコテの観光地には違いないのだが、やはり絵になる。岡山城のところでも言った白鷺城(はくろじょう)というこの城のニックネームも納得。しかし「暴れん坊将軍」等の時代劇で江戸城として遠写しで使われていたというのは言われてみればという感じ。浦和銘菓?は「白鷺宝」(はくろほう)だったでしょうか。



明治時代に陸軍で城の建築・修繕を担当していた中村重遠(しげとお)大佐が上層部にに姫路城の保存を願い出て、ようやく姫路城修復の端緒をつけたんだとか。そんなわけで残る氏の顕彰碑。なぜか最近「大佐」という言葉に滅法弱いオレがいる。



(つづく)

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前回からのつづき)

恥ずかしい件名を曝したまままだまだ続く岡山旅行記。岡山城天守閣内をひとしきり見学した後は下に下りて城の周りを散策。何つーか本日の記事はいわゆる「石垣萌え」ってヤツですよ。まずこういう光景を目にしただけでご飯3杯はいけちゃうオレは異常でしょうか。



当ブログお約束の苔アップ。早朝で城の周りにはまだ人気がなかったので石垣にガン寄りして撮影。世が世なら石を投げつけられるか熱湯を浴びせられるところ。



火縄銃を外に撃つための穴。ちなみにオフィシャルサイト等によれば、岡山城の石垣は宇喜多、小早川、池田それぞれの統治時代に建設されたものに分類できるとのこと。



これは月見櫓のところだったろうか・・・(記憶が既に朧げ)。だとすれば池田期の石垣ということになるらしいが。いやでも地図で確認すると違うっぽいな。多聞櫓か干飯櫓か三階櫓かなあ。



何期なんでしょう・・・、すいませんわかりません。当方城ヲタでもましてや石垣ヲタでもありませんのでご容赦ください。こんな写真撮って嬉々としてブログに掲載していては説得力もないか。



小早川期かなと思われる石垣の前に忽然と姿を現した鉄棒。他に遊具があるわけでもなし、何故か鉄棒だけポツンと。一スクール☆ウォーズファンとして、鉄棒を見てしまったらやることはひとつしかない、そうだよな?



そうだ懸垂だ。画面に向かって目一杯「イソップー!!」と叫んでみましょう。ちなみにそのイソップよりも懸垂できた回数が少なかったことはナイショだが。負けたぜ、ラグビーに負けたよ・・・。



こっから先は見ようによってはひたすら石ころが写っているだけw



宇喜多期のものに小早川が手を加えたものかもしれないし、そうじゃないかもしれない・・・。



六十一雁木下門?



石垣下から見上げた天守閣。これは宇喜多期の石垣のようだ。



後楽園に向かう橋からの1枚。といっても時間がなくて後楽園は散策できず、このまま路線バスで岡山駅に向かって新幹線に飛び乗り、一路姫路へ。ええ、また城ですよすいませんね。



(つづく)

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前回からのつづき)

GWの神戸戦前後の関西・岡山遠征最終日の5日は、岡山の「桃太郎ホテル」というまたコテコテの名前、お世辞にもキレイとは言えない宿泊先でこれまた頑張って早起き。観光先だと言うのにあろうことかマックでサクっと朝飯を済ませ、路面電車に揺られて9時の開門?時間ちょっと前の岡山城へ。曇り模様の朝空の下、旭川の水面に映える光景が何とも鮮やかだ。その水面に映る吊橋のようなトラス橋のような橋は岡山城から後楽園を結ぶもの。



岡山城は、もともと宇喜多直家がこの地に石山城を築城していたが、秀吉の寵愛を受けたその子秀家の代になり大大名の居城としては手狭になり、秀吉の指導の下に8年がかりで建設された城であるとか。その後関が原で敗れた宇喜多秀家が流刑になり、その戦いで見事な裏切りを演じた小早川秀秋が城主となった。



その小早川秀秋、一説によると裏切りの後ろめたさからかいわば「ご乱心」あそばされ若くして亡くなってしまったということで、小早川家当主が城主となったのは彼1代きり。結局この岡山城はその後関が原で東軍についた池田氏に明け渡されることになった。それでこの写真、何だったっけな・・・。



位置的に「干飯櫓」だったろうか。余り自信はありませんが、それであれば本段の南にある二層の櫓。



不明門。本段にある城の正門ということになるらしい。下の天守閣の黒とのコントラスト的にも見える白。



天守閣は黒漆塗の外観が特徴的で、このため「烏城(うじょう)」とも呼ばれることもあり、「白鷺城(はくろじょう)」と呼ばれる姫路城と対比されることもあるとか。実はこれからその両方ともわずか一日で見ることになるわけだが・・・。姫路城の白も鮮やかだが、この岡山城の黒い外観も引き締まって見えて結構好きだな。



天守閣からの眺め。天守閣は太平洋戦争で焼失し、その後再建されたもの。天守閣内は城主縁の品々や歴史についての展示が充実していて、ライトな歴史ファン的にはなかなか楽しめた。しかし本当のお楽しみが天守閣を出てから待っているとはこの時は知る由もなかった。



(つづく)

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前回からのつづき)

阿智神社の拝殿。境内案内図を見返してみたところ、先日「菅原神社」と紹介した写真は実は本殿だったんじゃないかという気がしてきた。間違ってたらごめんなさいっつーことで。



随神門を見上げた図(と思われる)。周辺はツツジの花がきれいだった。まあ柄にもないですがね。



その随神門を降りて絵馬殿、高灯籠を下から見上げた図。いわゆる「キヨブタ」っぽい。絵馬殿には当然ながら絵馬がたくさん見られた。前回の美観地区俯瞰図は確かこの絵馬殿からの眺めだったと思う。



そして幾ばくか人通りの減ったと思われる美観地区へ戻る。けどそれでもやっぱり多い。



夜にはライトアップでもするんだろうか。歩きつかれて川縁に座り込んだら少しだけ癒されたような気がした。



「美観」地区のはずが見事にブチ壊しの図。まあ露天自体は嫌いじゃないのだが、どんなもんかね。奥に見えるのが確か大原美術館だったと思う。



キレイな絵が取れたが、パラソルだけが街並みから明らかに浮いているのが残念。ちなみにこの先には「星野仙一記念館」などという代物が。そういえば倉敷出身だったんだね。どちらかと言うと星野が嫌いな自分は華麗にスルー。



途中強烈な便意を催し、やっとさ発見した公民館のトイレを開放してくれているところに駆け込む。しかし和式便所に跨いだ瞬間、「コトン」という音とともに携帯が便器に落下。素で、すこぶる狼狽しながらホリのキムタクの物まねのよに「ちょ、待てよ!」と叫び、便意と戦いながらも慌てて取り上げる。それでもかれこれ1ヶ月以上経った今でも正常に動いてます。洋式だったら死んでたなと。っつーことで和式マンセー。



アイビースクエア。そういえば「アイビー」って蔦って意味だったんだな。江戸時代の倉敷代官所跡に明治22年に建設された倉敷紡績の旧工場を改修したもので、ホテルやレストランもあったらしい。が、軽くぷらついただけで終了。蔦と聞くとどうしても高校野球を思い出してしまうオレは加齢。



いやさっきから何かケチばっかりつけてますが、もっと人気のないときに歩いたらきっといいものだと思いますよ、マジで。



(つづく)

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前回からのつづき)

阿智神社の特徴として、古代インドの仏教の宇宙観を表現した「石組」の存在と「阿知の藤」について語られていることが多いようだ。GWでごった返す下界の喧騒を離れ、山の上には凛とした空気が立ち込めているように感じられてなかなかいい気分だった。



岡山県の天然記念物らしい「阿知の藤」。見ごろのピークは逃したようだが、なかなかのスケールで満開の頃はさぞかし壮観なんだろう。ちらっと見えるが、この藤の隣ではやはり雅楽の演奏パフォーマンスが行われていて、それに耳を傾ける人もちらほら。



石組といっても寺社仏閣を中心に日本庭園には見られるものなのだが、ここの石組は「古代の石組の起源を探る貴重な存在として注目されている」んだとか。鶴・亀石組というのはそもそも「蓬莱思想」において、長寿延年を祈願するため、鶴・亀等の長寿の動物をかりて、その形を庭に意匠したものらしい。



菅原神社、だったと思う・・・。それが正しければ天神様(菅原道真)が祭られているということらしい。いい歳こいて今更天神様に祈ってもなぁ。7月に福岡経由で大分に行ったとしてもさすがに大宰府はないな。(以下6/6追記)と思ったけどこれは菅原神社じゃなくて本殿だったかも。



どうみても弾丸だよな、と気になって撮って、敢えて横向きに掲載してみた一枚。ネットで調べたところ、兵器マニアっぽい方のサイトに記述があり、曰く「日本海海戦之遺物」と書いてある「奉納物」らしい。旧日本海軍あたりが使っていた砲弾なのだろうか。



山上からの美観地区俯瞰図。現場の人ごみにいるよりは、こうして少し離れたところから見下ろした方がよっぽど風情があって有難みを覚えるというもの。なるほど確かに美しい街並みだなあとここでやっと確認できた。



(つづく)

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前回からのつづき)

まだまだだらだら続く岡山編。5/4は午前中備中高松城を見学し、やまと@岡山で昼食を取り、その後山陽本線で倉敷へ向かう。倉敷駅北口にはチボリ公園というのがあって覗いてみようかと思ったが有料かつどうも遊園地っぽいので止めにする。つか男だけで遊園地という羞恥プレイはもうこりごりw ちなみにデンマークのコペンハーゲンにある「チボリ公園」を模倣して?造られたとか。



反対の倉敷駅南口の近くにあるお店で出しているらしい「らうどん」。要はらーめんにうどんをブチ込んだだけのようにも思えるのだが・・・w さすがにこれは試していない。つけめん的なものも出していた模様。恥ずかしながら岡山=うどんというイメージは今回実際行くまでまったくなかったのだが、まあ香川も近いしそりゃ冷静に考えてみれば自然なことだよなと。



倉敷といえば一番に思い浮かぶのはやっぱりこの「美観地区」なのだろう。倉敷は江戸時代に幕府の天領に定められて、以来地域の物資の集散地として発展して、美観地区はその当時をしのばせる白壁の屋敷や蔵が並んでいるエリア。しかしGWということでもう人がうじゃうじゃして芋洗い状態。風情もへったくりもない感じで正直萎えた。人通りがもちっと減ればきっといいものなのだろうとは思うが・・・。



ということで、とりあえず偶然見つけた山の上の神社に退避してみることに。鶴形山というこの小高い山の上に建つその神社は阿智(あち)神社という神社だったのだが、実は事前にはノーマークでまったくの偶然で登ったのだが、なかなか風情のある神社だった。



倉敷の氏神様が祭られているようで、その昔鶴形山が島だったころには海上交通の神様でもあったとか。まずは、参道?で見つけた、既に紹介済みの苔にとりあえず見とれてみる。磐座(いわくら)という、古くから神座と信仰されてきたものなのかな? ネットで調べてもこれについてはよくわからず。神座といってもらーめん屋ではありません。



風情のある小道をさらにてくてくと進んでいく。右手にある白壁はお寺のものだったのかな? 左手は倉敷駅方面が高台から一望できた。苔を見たあたりから何となく期待値が高まってきていた。



とりあえず気持ちがいい。これだけでも朝から歩いたり立ったりしっぱなしでへろへろながらも意を決して登ってきた甲斐があったというもの。そうして疲れ切った体に鞭を打ってさらに歩を進めていく。



(つづく)

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