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赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



前回からのつづき)

そろそろ城や石垣が見られるのかなと思っている奇特な方がいたら申し訳ない。ここは城「跡」であり、そもそもその城も「平城」で石垣なんかそもそもなかったのだ。従って今となってはそう言われなければここに城があったことさえもわからないような場所。事実1周したときもどこに何があったのかさえよくわからなかった。まずは蓮が枯れてしまって見るも無残な池。でもハイシーズンにはかなり綺麗らしい。



本丸跡あたりにあった水攻め予想図(って日本語としておかしいか・・・)。簡単に言えば堤防を造って城を水浸しにしちまおうという戦法らしいのだが、こう絵でまじまじとみると非道い、余りに悲惨な図だ。高松城主は毛利方・小早川家に忠誠を誓う清水宗治。彼は秀吉からの好条件の勧誘も突っぱね、前述の和議にあたっても「自らが腹を切ることで城と兵が助かるのならば」として自刃したとか。辞世の句は”浮き世をば今こそ渡れ武夫の 名を高松の苔に残して”、いやはや「漢」ですな・・・。



ご覧のとおり現在の城跡は田園風景にぽっかりと浮かぶように存在する公園といった風情。遠くに見えるのが本丸跡で、聳え立って見える首塚などがそこにはあったが、さすがにそれらをアップで撮影するのは憚られた。二の丸三の丸は既に私有地になっているとか。



えーと、これなんて花でしょう・・・。キレイでした。



入って直ぐのところに「資料館」という建物があって、1周してからそこに入ってみた。中には展示物とともにボランティアとおぼしきご老人がいらして、お城について詳しく説明して下さって、だったら最初に聞いておけばよかったと後悔。歴史好きならためになる話かと。「東京から来た」と言ったら妙に感心されたがw、私は城ヲタではありませんから。あと、資料館の中にあった、地元の高校生が作ったという水攻め立体模型がわかりやすかった(下の写真は航空写真)。



高松城跡からも見えた最上稲荷の大鳥居。何気に周辺で一番高い建造物なんじゃないかというくらいデカい鳥居。最上稲荷については「日本三大稲荷」と書いてあったのでちょっくら足を伸ばしてみようかとも思ったが、かなり遠くて備中高松駅から徒歩30分ほどかかるらしくあっさり断念。



そんなわけでとりあえず昼飯ついでに岡山まで戻ることにする。実に長閑な沿線風景。しつこいようだがまさに「スタンドバイミー」。とまあ、終始「城感」がまったくなくて申し訳ないっすw



(つづく)

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前回からのつづき)

5月4日は8時前後に起床、新神戸からのぞみで一路岡山へ。また桃太郎スタジアムに島流しされるようなことがなければなかなか訪れる機会のない場所であり、何よりこの地方に点在する城をできる限り見てみたいという思いからの訪問。そして↓はとりあえず岡山に来たぜえええという一枚。前に横たわる死体は人の世の生き血を啜られたのか、はたまた不埒な悪行三昧の末成敗されたのか。



岡山市内を走る路面電車。後述の岡山城やラーメン屋に行くのに重宝した。運転手のおっさんの背中に「MOMO」と書いてあったのはちょっとかわいい。何でもMOMOっていう低床式の車両が走っているらしい。とりあえず「桃」つけときゃいいんだろ的な感じだよなぁw



まずは備中高松城へ向かおうと思い、荷物をしまうべくコインロッカーを探すがGWのせいか駅構内に点在するロッカーは軒並み満杯。敢えなくバッグを抱えたまま行動する羽目になってげんなりするが、気を取り直して岡山駅から吉備線に乗って最寄の備中高松へ向かう。ディーゼル単線2両編成、こんな電車に乗ったのは幼い日に乗った八高線以来だったかもしれない。なお、当方「鉄」ではありませんので誤解なきよう。



駅前に建つ案内板。最上稲荷、吉備津神社や古墳など他にも見所はたくさんあるようだが、如何せんそれぞれ結構な距離でもって離れており、車で来ない限りは複数箇所を回るのは相当な苦行になると思われますのでご注意。案内板に使われている武士は高松城主だった清水宗治公だったかしら。



高松城に限っては備中高松駅から余裕で歩ける距離。映画「スタンドバイミー」みたいな果てしなさを感じさせる線路の脇を通り、踏切を渡って田畑と農家ばかりののどかな風景を10分ほど歩いただけであっという間に到着。とはいえ夏に行くなら駅前の自販やコンビニチックな店で飲み物を調達しておくことをお勧めする。



備中高松城は、織田信長から毛利征討の命を受けた羽柴秀吉が苦戦の末に黒田官兵衛の提案を受けて「水攻め」にして攻略しようとしたお城としてその名を知られる。そしてその水攻めの最中に「本能寺の変」が起こり、和議を結んでやおら引返したという歴史のドラマの大きな節目の舞台になった場所。そんな城跡でいきなりこんな看板が・・・。



どんな音頭やねんと。やっぱりこういうのって地元の小学生が運動会で踊らされたりするんだろうか・・・。いや、オレも小学生の頃に地元の源平時代の武将・熊谷次郎直実の「直実節」というのを踊らされたので、何となくそんなことを思ってしまった(先日のアド街でも紹介されてたとかorz)。

(つづく)

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前回からのつづき)

5/3午前中を奈良で過ごし、そこから試合会場の神戸に向かうため近鉄で鶴橋に出て環状線に乗り換え。そして乗り換えの鶴橋駅構内で謎のドアを見つけて一瞬ギョッとした・・・。




ネットで「鶴橋 途中下車」で検索したところ、どうやら駅構内に「途中下車」という名前の喫茶店があるらしいのでその裏口か何かなんだろうか。開けてみたいような、やっぱり開けたくないような不思議なドアだった。

15時過ぎに三ノ宮駅に到着してカプセルホテルにチェックイン。前日なんばで泊まったカプセルホテルに比べれば随分と清潔でよいところだったが、プライバシーのほとんどないカプセルに2夜連続泊まるのは結構しんどいことがわかった。

その後試合前までやや時間があったので三ノ宮をぷらぷら。↓は三ノ宮で見つけたモスク。モスクというのは日本には余りないと予備校の先生から聞いて思い込んでいたのだが、調べたら結構な数のモスクが国内にもあるようであり、この神戸のモスクは戦災にも震災にも耐えた歴史の古いものであるらしい。



ホテルに荷物を置いて手ぶらで出て赤ユニのままだったので、野郎3人ということもあってGWで人手の多かった神戸の街には明らかにそぐわず。特にこういうところには近づいちゃいけない感じ。



高校時代に学校傍の、今はもう閉店してしまった駄菓子屋さんでよく飲んだ懐かしき「チェリオ」の自販機を発見。「ライフガード」なんてほんと大好きだった。てか今でも好きか・・・。関西(高槻)が本社だったんだねぇ。



02年以来2度目の訪問だった「ホームズスタジアム神戸」。当時神戸在籍だった岡野のアシストによる三浦知のゴールと、その後の浦和ゴール裏に向けての岡野のガッツポーズは今でも瞼の裏に焼き付いている。当時はまだネーミングライツをやっていなくて「神戸ウィングスタジアム」という名称だった。



快晴だったが夜になっても暑かった。屋根と屋根のあいだには真っ青な空。



そして夜の神戸の街へ消えて行った。結果は残念ながら引き分けだったけど、それでも試合後のビールが五臓六腑にしみわたった。



(つづく)

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前回からのつづき)

本当はもうちょっとゆっくり見たかった春日大社を足早に後にしてお次は東大寺。南大門の前はGW真っ只中とあってごらんのとおりごった返していた。外国人観光客はやはり多いが、ここ奈良でもやはりアジア系の方々の姿が目立った。在留の方々だったのかもしれないが。



その南大門の近くではややお疲れ気味の鹿さん数匹がぐったりと座り込む。フェアな条件じゃない日程のせいでしょうか(笑) 当方冴えない中年男ですが、残念ながら今回鹿に話しかけられることはありませんでした(わかるひとだけわかればいいんです)。



東大寺南大門と言えば、という感じの木造金剛力士立像。口を閉じているのが吽形(うんぎょう)、口を開いているのが阿形(あぎょう)。高さは8mほどとか。運慶と快慶が中心になって造られたなんてよく日本史で覚えさせられたもの。




南大門の内側。「大仏様建築」というらしい。狛犬が進行方向を向いていたのだが、これってよくあるのだろうか。個人的には初めて見るケースだった。




人多すぎの図(2)



金堂(大仏殿)。日本最大級の木造建築で、圧巻の大きさ。その巨大な建造物が好天の下の緑に映える。何度か建て直しを経ており、その昔はもっと幅が広かったというのだからすごいもんだ。



説明不要の盧舎那仏(大仏)。ちょうど法事が行われていたため、真正面に入ることはできず。また境内ではお茶会も催されていたようで着物姿の方々もちらほら。



その大仏の裏。



虚空蔵菩薩像。大仏に向かって左隣。


広目天像。大仏の左のちょい奥。


多聞天像(金堂東北隅)。大仏の右のちょい奥。


如意輪観音菩薩像。大仏の右隣。


そしてもったいないことに大仏殿だけ見て東大寺を去り、近くの露天の広島風お好み焼きを昼飯代わりに頬張って循環バスに飛び乗る。GWのためか道は混雑気味、バスも満杯状態だったが無事近鉄奈良駅に到着。

往路はJRだったのに復路にわざわざ近鉄を選択した理由は他でもない、泣かず飛ばずだったドラマ「鹿男あをによし」の最終回で玉木宏が近鉄の車内から「朱雀門」を見かけるというシーンを実体験したかったからに他ならない。もう完全に韓流オバサン的発想であることは認めます、生まれてきてすいません。

そんなこんなで不完全燃焼なまま奈良を後にし、一路試合会場の神戸へ向かう。

(つづく)

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前回からのつづき)

着到殿。朝廷からの使者か何かが来たときに着到の儀が行われた場所だそう。しかしこの件名もいい加減気恥ずかしくなってきたな・・・。



鳥居をくぐって坂を上ったところになった若宮神社。この若宮神社や夫婦大国社を始めとする本殿東側の十二社は、「福の神十二社めぐり」として古来より崇敬を集めているとか。しかし「夫婦円満、良縁などのご神徳がある」という夫婦大国社に三十路独身男が独りで迷い込むというのは、それはもう筆舌に尽くしがたいほどの屈辱でございました。およよよ・・・。



若宮神社あたりから南門・本殿へ続く道には灯篭が整然と並ぶ。すこぶる暑い日であったが、この光景を見ただけ少しだけ涼やかに感じられた。



本殿に続く南門。南門の前には「神石」と呼ばれる柵で囲われている石があって、太古の時代に神様が降臨する憑代(よりしろ)として祀られた磐座など諸説あるらしい。

が、思いっきり見逃しましたorz



「南門」をくぐったところに「神拝所」。奥にチラっと見える赤い建物が「中門」。これより奥に行くには別途料金である上、時間もなくてケチっていかなかったのだが、どうもその辺が肝だったらしくがっくり。まあまたの機会にじっくりと拝見したい。



回廊を歩いていると途中で別途料金部分がチラ見できたのでとりあえず撮ってみた一枚。この後は急ぎ足で東大寺方面に向かったのだが、途中雅楽が聞こえてきたりしてなかなかの雰囲気だった。



春日大社の末社のひとつで、交通安全、旅行安全、悪霊の進入を防ぐ神様を祀るという船戸(ふなど)神社での一枚。浦和レッズ関係者、というかもはやJリーガー全員にマジオススメ。



(つづく)


それでセルよ、おまえは何を言っているんだ?
まずやるべきことをやってからでしょうが・・・

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前回からのつづき)

東大寺に行くなら南大門から入るべし、との手持ちの観光ガイドのアドバイスもあって、まずは奈良にある世界遺産のひとつ・春日大社から攻めることに。そして春日大社参拝についてもわざわざ参道を歩いていって気分を高めることにした。藤原氏を始め広く一般国民より奉納されてきたという灯篭が道の両側に林立する参道を歩いているといやでも厳かな気分になる・・・と言いたいところだが暑いわGWで人多すぎだわで正直そんな気分も吹っ飛ぶ。



春日大社公式サイトなどによれば、鹿島神宮(茨城)から迎えた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、香取神宮(千葉)から迎えた経津主命(フツヌシのミコト)、枚岡神社(大阪)から迎えた天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と比売神(ヒメガミ)の4神が祀られているとか。この4神はかの藤原氏の氏神らしい。何となく「鹿島」神宮というのが気にくわないがw、まあ気にしない。しかしライトな苔ファンのオレとしてはどうしても目線が下へ下へ行ってしまうわけで。



境内?の「神苑」は藤の花が見ごろということでそこには一際多くの人だかり。入場料を払って中へ入ってみると、苑内はその藤を始めとして植物がたいそう美しくて素晴らしいのだが、いかんせん藤にはもれなくクマンバチがセットでついてくるので気が抜けない。



この辺ではたと自分の周りを見渡してみると、ひとりで歩いているのが自分だけであることに気づかされる。普段一人旅というのは一向に気にならない性分なのだが、やはりGW真っ只中の観光地をひとりぼっちでうろうろするというのは否が応にも浮きまくり・・・。加えて三十路の独身男とくればもう救いようがない。幸いこの奈良訪問後の神戸戦以降の行程はずっとひとりじゃなかったのでまさに「救われた」が、今後気をつけます。



鹿に加えて「磯の嵐」とはあな恐ろし。



春日大社のMVK(Most Valuable Koke)。しばし見入って撮影していたら外国人観光客に怪訝そうな顔で見られた。これだから侘び寂びのわからないニワカは困るw



手を清めてすぐのあたりにあった祓戸(はらえど)神社。「お祓いの神」というであればオレよりもむしろ浦和レッズが拝むべきか。春日大社には大小合わせて60以上もの社あるらしく、時間があればいちいち拝見しておきたいところだったが。



この後はいよいよ(というより「もう」か)本殿の方へ向かう。



(つづく)

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前回からのつづき)

神戸戦当日5/3の朝、試合の日によせばいいのに欲張って早起き(といっても8時くらいだが)して大阪から奈良へ向かうことにする。眠い目を擦りながらカプセルホテルを出て、大阪シティエアターミナルと同じ建物であるJR難波駅に向かう。駅構内の案内板に気になる名前の場所を見つけ、電車のホームでなくまずそこへ向かってしまう。



この広場何と名前が・・・






ジーク・ロビー! 既に有名なことかもしれないけど、個人的にはちょっとびっくりしたのと、早期回復祈願ということで。いつか浦和にもこんな名前の広場が出来ればいいななどと思うのは些か瓦斯臭いでしょうか。形が橋っぽいから「イタリア語で橋=ポンテ」ってことなのかな? 何でもwikiによれば「ストリートダンスの練習のために多く若者が集まる人気スポットと化している。」とか。「16時にポンテ集合だぜメーン↑」みたいな世界なんでしょうか(違)

JR大和路線大和路快速奈良行で一路奈良へ。15時までには三宮に到着する予定で時間もなかったため、中学の修学旅行以来の奈良だったがハナから春日大社と東大寺ともう1箇所くらい見られたらラッキーという程度だった。てか、ぶっちゃけ「鹿男あをによし」というさして人気のなかったフジテレビのドラマが面白くて先日まで熱心に観ていて、つまりは「ドラマの舞台のあの場所に行きた~い」という韓流オバサン的観光だったわけで。



40分ほど電車に揺られて朝9時半には改装工事中のJR奈良駅に到着。サンマルクカフェで一服してから観光地を回るバスに飛び乗り一路奈良公園・春日大社方面へ向かった。GWということでさすがに道も混んでいて朝っぱらから人が多くて、暑さも相まって先が思いやられる。



(つづく)


しかしベレーザに大勝とは恐れ入った

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5月3日の神戸戦を口実にしてのGW関西~岡山歴史とラーメンを巡る旅についてぼちぼちと書いていく(ラーメンについては別カテゴリーにて)。何とも寒い件名だが、旅を通して列車内で必ず見かけて頭に刷り込まれてしまったHISのポスターが悪い。つか東京に帰ってきたら普通に関東にも貼ってあるしorz


初めて「ぷらっとこだま」のチケットで自動改札を通った

試合前日の5/2に大阪に入り、市内で昼食を取ってからの夜までの時間を持て余したため、大阪在住経験のある仲間のアドバイスをもらって堺市にある仁徳天皇陵へ。実家の隣町・行田に「日本最大の円墳」というがあって社会科見学で見たことがあったので、いつの日か「日本最大の前方後円墳」も見てみたいと小さい頃から思っていたところ手ごろな距離でちょうど良かった。その仁徳陵、JR阪和線百舌鳥駅から歩いてすぐのところに横たわっていた。


堺市駅ホームにて。よっちゃん乙

そんなわけで何の下調べもしていなかったため、まずは外周を適当に歩いて入口を探してみるが歩けども歩けども見つからず、それもそのはず、根拠もなくてっきり中に入れるものだと思っていたがまさに「仁徳天皇の陵墓」として宮内庁の管理下にあり立ち入ることはできないのであった(´・ω・`)ショボーン。我ながら何とも浅はかなことである。


がびーん

仕方なく、せっかく来たのだからとてくてくと外周を行く。台形の右下あたりから歩いたところ普通に住宅街のなかにあって多少驚く。しかもその住宅街、何となく暗くなったら治安が悪いんじゃないかと思われ、まあこれはずっと治安の悪いところで過ごしてきた自分の勘でしかないので、これで当たらなかったらおめでとうってところ・・・じゃなく外れていたらごめんなさいというところだが。


しばらくはひたすらこんな光景が続いた。これは「円」部の上の大通りのあたりだったかと。

さらに歩き続けていくと宮内庁管理下の天皇のお墓に隣接してひっそりとラブホテルが…w 何とも罰当たりな話だが、かえって興(ry しかしこういうカオスっぷりは大阪っぽくて嫌いじゃなかったりする。そういうしているうちに時間は17時を回り、住宅街には「遠き山に日は落ちて」が流れ始めてやや焦りを誘う。


銅亀山(方墳?)という、陪塚(ばいづか)のひとつらしい。


こんな感じで自分の現在位置を一応は把握できる。

さらにさらに足を進めていくと台形の下に辿り着き、右手に大仙公園を見ながら進んでいくと、ようやく「正面」とされる台形の真下に辿り着く。その正面にあるのがこの↓「拝所」。ここで一番陵に近づくことができるが、精々3つある濠のうち2つ目くらいまでで、余り有難みはないかな・・・。



しかしどこから見ても林にしか見えないため、このためだけにわざわざ観光に来るのはさすがにどうかと思う。教科書でみたこういう絵を想像してわくわくしながら来るとかなり(´・ω・`)ショボーンとすることになる。しかもデカいので、歩くのはかなり速い方の自分でも、とぼとぼ歩いたにしても1周45分もかかった。そんなわけで疲労困憊して後ほど淀屋橋駅の階段でよたって足を踏み外しそうに・・・。



鳥や亀など、お濠にいる動物を見るのもまあ時間潰しくらいにはなる。こうした亀の甲羅干し的光景を2箇所で目撃。



これは番外編か。ちなみに公園では集めた空き缶をおっさんが潰しているという実にアダチックな光景が展開されていていやに親しみがわく。



時間も余りなく、他の古墳群までは見られず残念と言えば残念。堺は港のあたりも面白そうなので、また関西方面に来たときにもう一度訪れてみたい。しかし名所旧跡好きでない人にはまったくオススメできない。

(つづく)

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前回からのつづき)

二条城の次は平安神宮へ。最初は車でここまで来ようとしたものの、周辺も含めて駐車場が全然空いていなくてやむなく地下鉄で訪れた。平安神宮が明治時代に建立された比較的新しいものであること、そして桓武天皇、孝明天皇のお二人が祭られていることは恥ずかしながら今回調べて初めて知りました。ちなみに当社比で明らかなように、大鳥居の赤は強いて言えば現在首位の名古屋っぽい赤か。



応天門。以下写真とは関係ないが、明治の東京への遷都(?)によって衰退した京都の町おこしの一環として平安神宮が創建されたということも自分にとってはちょっと意外だったが、同様に、有名な「時代祭」もそういう文脈で始まったもので、こちらもやっぱり比較的新しいものだったのもこれまた意外。



神楽殿(?)。そういえば巫女さんに写真を取らせている不埒な輩がいたが、近づいてみたら渦中の五輪開催「予定」国からの観光客の方々でしたw まあ旅行ガイドとかもそこまで細かくはフォローしてないから仕方ない面もあるのかもしれないけど・・・、なんだかなぁと。だったら注意しろって話かもしれませんが。



平安神宮散策後は西京極での試合までちょっと時間があったので平安神宮に程近い「オシャレな」カフェでしばしまったり。野郎3人でお店の軒先にふんぞり返って営業妨害だったら大変申し訳なかったw



この時には、まさかこの後西京極で柳沢の幻のゴールを2年ぶりに見せられるとは夢に思っていなかった・・・

ちなみに今週末の京都遠征、こんな状況ですが財政的に行けません、ごめんなさい

(終わり)

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前回からのつづき)

京都御苑散策の後、昼食を取ってから紆余曲折あって二条城へ。中学生の修学旅行以来の二条城だったが、いきなり駐車場に浦和のエンブレムを着けたバスが停まっるのを見つけてノッケから笑わされた。

唐門。桧皮葺らしい屋根と、その下にある彫刻が見事。



二条城の苔は、全体的に日当たりが良過ぎるせいかジトっと感が足りない。というか、うれしそうに身をかがめて苔にカメラを向ける大男という絵の方がよっぽどヤバげだっただろうが。



二の丸御殿の車寄せ(見学者出入口)。二の丸御殿の内部は撮影禁止。書院造や襖絵などが見応えがあったが、ここも微妙な英訳がなかなか面白い。老中執務室が"Minister's Office"とは・・・。しかし修学旅行の時の二条城の思い出と言えばここで廊下がキュッキュッと鳴っていたことくらいなのだから今思えば何とも勿体ない話だ。



二の丸庭園。植木の上に職人さんの長靴がおもむろに置いてあったのは何ともはや。



天守閣跡地の高台からの1枚。本丸御殿と呼ばれる敷地内にあるものの、写真に写っているのは後年どちらからか移設されてきた屋敷であり、本丸御殿は再建されていないとのこと。つか、二条城にも天守閣なんてあったのね。



ネットで調べたら「トサミズキ」という花らしい。しかしこういう風に花をアップで取り始めたら「老いたな父上」ということなんだろうななどと思う。時既に遅いのだがな。二条城内にもライトアップの準備が進められていた花見スポットみたいなところはあったが、桜には1週間早かった、残念。



この後は平安神宮へ足を向ける。

(つづく)

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前回からのつづき)

京都御苑の中を歩き疲れた後はらーめんを食べに高倉二条に向かうついでに御苑周辺をふらふら。御苑の西を通る烏丸通りに出るとまず目についたのがこの↓教会。聖アグネス教会といって、明治時代に建立されたものらしく、近くにある平安女学院の礼拝堂という位置づけらしく。「平安女学院」と聞くと聖ならざるものを想像してしまうのはオレが汚れちまっているからでしょう。



また話が戻ってしまうが、御苑の「下立売御門」(しもだちうりごもん)。聖アグネス教会のすぐそばにある。この門の北にあるのが歴史上の事件の舞台として有名な「蛤御門」(はまぐりごもん)だったらしいが、当日は知らずにスルーしてしまった。って「蛤御門の変」の何たるかも記憶が風化していますが・・・。



菅原院天満宮(すがわらいんてんまんぐう)。菅原道真生誕の地とされる場所だったらしい。時間がなくて見られなかったが、境内には産湯の井戸が残っているらしいので一見の価値はあったのかも。大宰府に左遷されて不遇の生涯を送った菅原道真の怨念で御所に落雷がなんて話を昔聞いたことがあるようなおぼろげな記憶が。



寺社仏閣の木陰にじっとりと広がる苔も大好きだが、都会の喧騒に佇む苔というのもそれはそれで悪くはないなどと思い始めた今日この頃なわけで。そういえば苔口っていつの間にか千葉にいたのね。ちなみにここまでずっと烏丸通りを南下してきました。



(つづく)

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エコパ遠征も清水遠征に続き、いわゆる「弾丸」でツアーバス行ったので周辺をぷらぷらしたのみ。到着時間がキックオフ2時間前くらい(周辺滞在時間は結局4時間半くらい)で、スタジアム前の売店(物産展的なものだったのかな?)でとりあえず昼飯。


富士宮焼きそば(400円)。売店の人いわく「もちもちした麺が特徴」とのことだが、まあ言われてみれば。しかし埼スタ周辺の屋台の焼きそばに慣れた身としては400円でこの量は物足りない。


そんなわけでうなぎおにぎり(300円)と豚とろ串(300円)も購入。うなぎはご飯の中にわずかにまぶされているのみで、まあうなぎを食べた気分になれるという程度。他方豚とろは焼きたてだったのでおいしくないはずがない。

また、浜松と云えば、知る人ぞ知るだが、宇都宮と日本一の餃子タウンの座を争う街。この物産展?でも浜松餃子が売られていてかなり惹かれるものがあったが、さすがにゴール裏でニンニクテロもあれなので断念。

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「アウェイの旅」といっても今回の清水遠征は平日夜ということで往復新幹線による弾丸ツアーで観光はなし。それでも「ぷらっとこだま」で17時に静岡駅に到着したので、多少静岡らしいことをということで駅ビルのレストラン街にある「沼津魚がし鮨」にて近海にぎり(1900円、蟹の味噌汁つき)を喰らう。それなりに美味い鮨、何より生しらすの軍艦巻きを堪能できたのでとりあえず満足。しかし酒も飲まずに物凄い勢いで寿司を平らげて会計に向かったので店のおばちゃんもポカーンとしていた。ちなみに東京駅にも支店があることはこの際忘れよう。

日本平へは初めて新静岡駅からのバスで向かったが600円して30分くらいかかるので多少空いている以外は余りメリットは感じられない。帰りは新静岡駅行きのバスと清水駅行きのバスどっちにしようか迷ったが、清水駅発22:06静岡駅行きの臨時電車があるというので清水駅行きにし、なんだかんだと22:10静岡駅発のひかりに乗れて23:10には東京駅に到着できたのでよかった。逆転勝ちで意気揚々と引き上げたものの、翌日になってどっと疲れが出たのは歳のせいか・・・。

しかし今更ながらコールリーダー氏はやっぱり盛り上げがお上手だなぁと。試合前の席つめは勿論、「こんなスタンドぶっ壊しちまえ!」的な掛け声とともにみんなで目一杯足を踏み鳴らしているうちにチャントが始まったり何かしたら、平日日本平に到着できただけで一安心してしまっていたようなヌルなオレでもそりゃ一気にスイッチが入ってしまいます。

さて、早く寝ないと・・・

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前回からのつづき)

本能寺を後にして、途中京都市役所を右手に見ながら京都御苑へ。何となく「京都御所」と当日は呼んでいたのだが、ネットで調べてみたところ正確には「京都御所、仙洞御所を囲む面積約63haの公園」のことを「京都御苑」と呼ぶらしく「東西約700m、南北約1,300mの広大な敷地は、江戸時代には二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた場所」だったとか。

京都御苑は自由に入ることができるものの、さすがに「京都御所」は事前に宮内庁の許可を得ないといけないとのこと。下の写真は「建礼門前大通り」とされる通りで、ご覧のとおりもう果てしなく広い。彼方に見えるのが建礼門で、その向こうに京都御所が広がっているという具合。



これが建礼門のアップ。開門されるのは天皇や国賓の来場や一般公開など、特別な行事の時のみとのこと。この門を入って、更に承明門(じょうめいもん)という門をくぐると、正面に天皇の即位式、立太子礼などの最重要儀式が執り行われたという紫宸殿(ししんでん)があるらしい。



京都御所の外壁のコーナー(?)。何かいわれのある木かと思って調べてみたがよくわからず。赤い格好をした人が案内板をガン見してるから浦和者かと思って近づいたら一般人(?)だったので違う意味でびっくり。



さすがに桜にはちょっとタイミングが早すぎたこともありまだまだ全然咲いていなかった。その代わりというわけでもないが桃林と梅林を通り抜けてみたが、何か絵的に風情がない色の服でサーセンw



彼方に小さく見えるのは大宮御所の正門かな? しつこいまあだだっ広いったりありゃあしない。ご覧のとおり犬の散歩に来ている人がたっくさんいたが、犬的にもこんだけ広けりゃ歩き甲斐があるってもんです。



(つづく)

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前回からのつづき)

イノダコーヒで朝っぱらから腹いっぱいになり腹ごなしに歩き始める。師匠の案内でぷらぷらとまずは本能寺へ。日本史のひとつのターニングポイントの場所としてあまりに有名なお寺ではあるが、当然焼失してしまったため現存するわけもなく、加えて場所も現在は本能寺の変以後に秀吉によって移されたという場所。何の変哲もないアーケード商店街にポツンと建っており、やや拍子抜けする。山門の右手に見えるは日蓮上人像(らしい)で、左手にみえるのはアーケードの柱w



山門をくぐって左右にある寺務所と大寶殿は思っていたより近代的な建物でさらに拍子抜け。そして山門の正面に見えるのが本堂。大寶殿には宝物館というのがあったが、残念ながら時間が早すぎてまだやっていなかった。



そしてその本当の右側を進むと更にその正面に信長公のお墓が。わかりにくいが我々の他にもいたうぃあーさん1名が写っていて、つまり敷地内に正味3うぃあーが確認されたと。しかしどこのスポットに行っても必ず1名はいるのがすごい。ちなみにイノダコーヒにおいても最低でも1名は確認できた。



こちらが信長公のお墓「信長公廟」。阿弥陀寺というところにも彼のお墓はあるようなんだが、そことの関係はよくわからない。いずれにせよ、やっぱり人様の墓とされる場所を写真に撮るというのはなんとなく抵抗がある・・・。左手の木の枝の上にちょこんと座っていた猫がこっちをじーっと見ているような気がして余計にバツが悪かった。この左手には本能寺で討ち死にした家臣のお墓もあった。



本能寺見学が思いのほかあっけなく終了したので、その足で京都御所に向かうことにする。途中通りがかった京都市役所の建物はなかなか趣がある。つか、最近ではすっかり「疑惑の総合商社」みたいな感じで有名のようですが・・・。



つづく

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