本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

言葉の勘違い

2010-08-25 10:41:08 | Weblog
 喫茶店にいた時、他の客の話し声に「乳製品」と聞こえた。てっきりバターやチーズの話かと思えば、「ニュー製品」のことだった。

 以前、勘違いを起こす言葉というものがあった。うろ覚えだが、こんな類いである。
・ お夜分失礼します    ・ 親分失礼します
・ お電話ありますか     ・ おでんはありますか
・ それ、被れますよ     ・ それ、かぶれますよ
・ あの頃試合でやられた  ・ あの殺し合いでやられた

 まァ、作り話とはいえ笑えます。

KKR

2010-08-24 13:05:15 | Weblog
国家公務員共済組合連合会が経営する「KKR」のホテル等の赤字補填に税金を投入している、と新聞が報じている。「KKR」とは何の略かと思ったら「こころ」とか。国家(K)公務員(K)リゾート(R)ではないのかね。

冗談はさておき、所管の財務省は「赤字のホテルの公費投入は、当初から経営の前提条件」と開き直っている。ハナから採算見込みなしの経営を前提するとはおどろきですな。親方日の丸とはこのことですね。
厚生年金を財源とした福祉施設の赤字を税金で補填したとは聞かない。ただし、年金から埋めただろうからこれもわるいが、KKRの赤字も共済年金の財源から補填すべきだろう。

厚生年金で建てた福祉施設なるハコモノは、このほど二束三文で売却している。それだけ年金原資を減らしたわけだ。
そのうち、税金補填の批判を受けた赤字KKRも売却されるかもしれない。まさか損失を税金で補償しないでしょうね。


委嘱発令

2010-08-23 16:06:03 | Weblog
 基本条例策定の市民ワーキンググループの委員として初会合に出た。当然、委員に委嘱するとう委嘱状を発せられると思ったが、それがない。
 特段に委嘱状なんぞほしいわけではない。しかし、市の選任により長期に亘りその職務に当たる。例え無報酬、非常勤であっても、私的な集まりのメンバーではない。委嘱状を交付してしかるべきではないかと思う。そうでなければ、行政の認知を受けていない宙ぶらりんな立場となる。

 といった主旨のメールを担当課に送りつけた。さて、次回の会合でどんな説明があるのだろう。 まさか、あわてて交付することはしないだろうなァ。


コンビニの防犯

2010-08-22 15:40:10 | Weblog
 コンビニを襲う強盗が多い。売上金は多いと思えないが、深夜や早朝に狙いやすいということだろう。24時間営業を止めてしまえばよいのだ。第一、煌々たる電気の費消はエコに反する。

 逃げたコンビニ強盗の犯人は、身長何センチぐらいと報道している。身長の正確さがどれだけ犯人捜しの決め手になるか知らないが、もし、重要な手がかりになるならば、レジの近くに棒高跳びのポールのように長さの目盛りのついた棒を立てて置いてはどうだろう。ほぼ正確な身長がわかる。

 ニューヨークのおもちゃ屋のトイザらスのキャッシャーの位置に感心した。風呂屋の番台風に、いやそれよりも一段と高い場所にレジはあるのだ。これでは、スキを狙ってレジスターからカネをわしづかみすることはできない。仮にレジ係りにピストルを突きつけても、レジ係りはすばやく通報ボタンを押すだろうし、レジからカネを取り出すふりをして逆にピストルで反撃できるだろう。なにしろ、高い位置にいるレジ係りの動作は見えないのだから。それに、高い所から店内を見渡せるので万引き防止にもなるのではないか。

 日本のコンビニでも採用してはどうだろう。少なくとも24時間営業を止めないのであれば、深夜から早朝までは番台風はセキュリティに役立つ。

鐘銘事件その後

2010-08-21 10:47:18 | Weblog
 昨日の続き。
 鐘銘事件に端を発した徳川側の要求した条件とは何か。
 その条件を、坪内逍遥の『桐一葉』では淀君に語らせている。以下丸写し。

「ナニナニ、三ヶ条の難題とは『秀頼どの、要害の地に居城あるゆゑ、世上の雑説止む時なく、天下動乱の基ゐなれば、暫く大阪をお開きあって、郡山大和国又は其の他望みの処へ』所替へとは慮外至極」

「『さもなくば諸大名同様に、毎年将軍家へ参勤あるか』エエ参勤とは何のたはごと」

「『ただしは御母公人質として、江戸表へお下りあるか』エエ穢らはしい、慮外千万」

 要するに、大阪城を出るか、参勤交代するか、淀君を人質に出すかというのが条件である。このひとつを呑めばよいとされていたが、徳川側としては、淀君がどれも受け入れないことを承知のことだろう。

 片桐且元は、淀君を江戸に行かせるのがよいとした。それで糾弾される。これが、『桐一葉』のテーマである。文語体で読みにくい面もあるが、たまに明治前半の戯曲もよいものだ。