本と旅とやきもの

内外の近代小説、個人海外旅行、陶磁器の鑑賞について触れていき、ブログ・コミュニティを広げたい。

鐘銘事件

2010-08-20 11:16:47 | Weblog
 実際は旧暦だろうが、昨8月19日、片桐且元は駿府に着いた。世にいう鐘銘事件の釈明のためである。しかし、家康は会わなかったという。

 鐘銘事件とは、方広寺の鐘の銘文に徳川側が難癖をつけた事件をいう。その銘文を隆慶一郎の『捨て童子 松平忠輝』から拾ってみる。
「右僕射源朝臣」
右僕射とは右大臣の唐の名称で、右大臣源朝臣を唐風に銘記したということ。ところが、「右僕」の語を無視して「源朝臣を射る」と意訳した。源朝臣とは家康のことだから家康を射るとは何ごとかといちゃもんをつけたわけだ。
「君臣豊楽 子孫殷昌」
これは文字どおり君臣ともに豊かに楽しみ、子孫は栄えるということだが、これを「豊臣を君として、子孫の殷昌を楽しむ」と曲げた。つまり、豊臣家を主君と仰ぎ、その子孫である秀頼の繁栄を徳川は楽しむとする文ではないかとこじつけた。
「国家安康」
これは説明するまでもなく家康の名をバラバラにしたと文句をつけた。

 本を読むと、生半可な覚えをわかりやすく補ってくれる。

 さて、徳川側は片桐且元に対し、三条件を示しそのひとつを呑めとなった。呑めないことは承知の上だった。この条件を、坪内逍遥の『桐一葉』から丸写しするが、これは次回で。


クレジット・カード社会2

2010-08-19 10:05:20 | Weblog
 アメリカのクレジット・カード社会の続き。
 カードは消費者の利便だけではないだろう。カード決済では店が強盗に襲われてもレジに大して現金がない。これもカードの効用だろう。加えると、偽ドルが多いから現金払いは必ずしも喜ばれない。

 ところが、クレジット・カードではダメだという店があった。それはニューヨークからバスで1時間ほどの小さな町のアンティーク・ショップだ。
 田舎町とはいえ、一般に骨董屋はカードを歓迎する。得てして骨董なんぞは衝動買いである。しかも値が張る。持ち合わせの現金では足りないこともままある。いや、骨董店に入る客は地元の者とは限らない。むしろ、旅行者が多い。となれば、臨時の出費はカードに頼る。だから骨董店はカードはありがたいはずだ。

 それなのに、カードでは売らない店もあるのだ。カードは記録に残って、売り上げをごまかせないからだろうか。もっとも、田舎町の骨董店のレジを狙う強盗はいないだろうけれど。


クレジット・カード社会

2010-08-18 10:06:49 | Weblog
 ニューヨークなどの街を歩くときは、胸のポケットに20ドル紙幣か10ドル札2枚を入れておけ、とアメリカ通に言われたことがある。
 横丁に引っぱられて「カネを出せ」といわれた場合、すばやくその20ドルを渡せば放免されるという話だった。10ドルでは少ないので頭にきて暴力を振るわれるし、かといって100ドルを出せばもっと持ちガネがあるだろうとしつこく迫られる。それで20ドルなのだ。幸いそんなワルに出会わなかった。しかし、この話、眉唾ものだろうと思う。

 ただ、アメリカは名だたるクレジット・カード社会だ。その理由のひとつにワルが多いだろうから多額の現金を持たない主義ではないか。であれば20ドルでワルも納得するかもしれない。
 次回に続く。

ハラボジ

2010-08-17 14:49:30 | Weblog
 20年も前に、ソウルの東大門近くでハラボジ(おじいさん)と知り合った。河成春さんという。ハラボジといっても70代前半ではなかったか。若い頃、北海道にいたことがあるということで、それなりに日本語を話す。
 当時、ソウルに出かけるたびに、ハラボジの家に立ち寄った。というのは、正露丸と救心のクスリを頼まれていたからだ。救心は丸々と肥えた奥さんのためとか。正露丸は誰のためか知らない。

 いつも帰りには、白菜一株の自家製キムチを用意していた。美味いキムチだったが、重くて往生した。好意を無にしてホテルの部屋に置きっぱなしにしたこともある。

 その後、ハラボジは転居し、私もソウルを頻繁に訪れることがなくなって交流が途絶えた。もう存命とは思えない。

ファスト・フード

2010-08-16 18:12:45 | Weblog
 ファスト・フード店とは文字どおり手っ取り早く食べられる店だ。むろん、安い、旨いも大事な要素だろうが、せわしない都会の勤め人とりわけ営業マンには、「早い」は魅力かもしれない。

 人口7万5千のこの地方都市にもマクドナルド、ケンタッキー、モス、ミスタードーナツはある。しかし、どうやら外資系のファスト・フード店(モスバーガーは違うが)は、若い人、殊に高校生の御用達で、くたびれた社会人向きではなさそうだ。

 思うに、朝めし抜きで満員電車に揺られたあと腹を満たすために飛び込むとか、営業の合間に急いでめしをかき込むとか、そうしたファスト・フード店は立ち食いそば屋か牛丼屋ではないか。それが、この地にはない。
 確かに、田舎人は都会人ほどせかせかしていないのだ。立ち食いそば屋や牛丼屋がお呼びでないということだろう。