本日86歳を迎えました。
「ヘェー」「イヤー」
自身に対して、そんな言葉が漏れ出て来ます。
86年前に生まれ、取り上げて下さったお産婆さんから、「育つかどうか分からない」と言われたという超未熟児の私です。
末っ子ということもあって、貧しい暮らしではありましたが、ちっぽけな「いのち」の私を、親は勿論、姉や兄も大切に可愛がってくれました。
いつも誰かに、抱っこや、負んぶをねだっていたような気がします。
幸い、徐々に成長はしたようですが、何をやっても「出来の悪い児」でしたので、家族の誰も私の事は当てにはしません。
もちろん、期待もされません。
みんなの邪魔にならない様にだけして育ちました。
長じて私が結婚する時、母の一番の気がかりは、家事も良く出来ない末っ子が、子どもを産み育てて行けるだろうか、・・・これが母の大きな心配の種だった様です。
その後、病も色々得ましたし、現在も症状こそありませんが肺にガンを抱えています。
ひ孫が今春一年生になります。
新しいランドセルも買いました。
下のひ孫も幼稚園へ。
嬉しい限りです。
「生きた」のではなく「生かされている」というのが実感です。
特段、役に立つことなどしていない私です。
これでいいのかしらん、との反省は抱いていますが。
でも、次の「ことば」に支えられて生きています。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙(一)5章16~18節)
何もできない私を、叱咤激励するのではなく、『いつも喜んでいなさい。』と言って下さる神さまに感謝です。
「ヘェー」「イヤー」
自身に対して、そんな言葉が漏れ出て来ます。
86年前に生まれ、取り上げて下さったお産婆さんから、「育つかどうか分からない」と言われたという超未熟児の私です。
末っ子ということもあって、貧しい暮らしではありましたが、ちっぽけな「いのち」の私を、親は勿論、姉や兄も大切に可愛がってくれました。
いつも誰かに、抱っこや、負んぶをねだっていたような気がします。
幸い、徐々に成長はしたようですが、何をやっても「出来の悪い児」でしたので、家族の誰も私の事は当てにはしません。
もちろん、期待もされません。
みんなの邪魔にならない様にだけして育ちました。
長じて私が結婚する時、母の一番の気がかりは、家事も良く出来ない末っ子が、子どもを産み育てて行けるだろうか、・・・これが母の大きな心配の種だった様です。
その後、病も色々得ましたし、現在も症状こそありませんが肺にガンを抱えています。
ひ孫が今春一年生になります。
新しいランドセルも買いました。
下のひ孫も幼稚園へ。
嬉しい限りです。
「生きた」のではなく「生かされている」というのが実感です。
特段、役に立つことなどしていない私です。
これでいいのかしらん、との反省は抱いていますが。
でも、次の「ことば」に支えられて生きています。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。(テサロニケの信徒への手紙(一)5章16~18節)
何もできない私を、叱咤激励するのではなく、『いつも喜んでいなさい。』と言って下さる神さまに感謝です。