ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

「時」を待つ。

2023-02-24 08:09:06 | 日記
最近テレビのニュースは、NHK、民放も併せてあまり観なくなりました。
全ての番組ではありませんが、賑やか過ぎて落ち着かないからです。
キャスターも以前と比べますと、ゼスチャー過多で饒舌。
説明もサービスが多すぎて、うるさい。
天気予報なども、解説が丁寧に過ぎる様な感じ。
「夕刻には雨になるでしょう」
との予報に続けて、
「折り畳み傘を持参した方がいいでしょう」
と、細やかな指示まで与えてくれています。
こうした「話し方」が当世の標準なんですかねぇ。
(昔びとのばーさんの感性です。ごめんなさい。)

今朝の毎日新聞(2/23)の「仲畑流万能川柳」欄に、次の様な作品が載っていました。
 『静けさが なくなってきた NHK』 大阪四句八句 氏
好きだったニュースキャスターなども、私にとっては賑やかになり過ぎて、疲れを覚えたりしてしまいます。

NHK、朝の連続テレビ小説・「舞いあがれ」は、楽しんで観ています。
この番組を観るまで、「ネジ」のことなど改めて考えたことなどありませんでした。
でも、「ネジ」って、すごい働きをしていることに思いを馳せています。
決して目立はしないのに、いや隠れて見えないのに、それぞれのパーツを繋ぎ合わせる大きな働きをしていて・・・
自己顕示などしないだけに「存在美」すら覚えます。

考えてみると、世の中には、こうした「ネジ」に当たる「人」や「働き」って、沢山在るのではないでしょうか。
「長」とか「役」とかが付いて、全体的なまとめ役する人は居なくてはならないのですが、「ネジ」に当たる人たちは、あまり目立ちません。
でも、埋もれた宝石の様な存在なのでしょう。

昨日は体調が良好でしたが、本日は少々すぐれません。
まあ、様々な日があるのでしょう。
良いことも長くは続きませんが、悪しきことも、また、いつか終わりが・・・
すべての事には「時」がありますから。

  【コヘレトの言葉】 第3章1~8節
    天の下では、すべてに時機があり
    すべての出来事に時がある。
    生まれるに時があり、死ぬに時がある。
    植えるに時があり、抜くに時がある。
    殺すに時があり、癒すに時がある。
    壊すに時があり、建てるに時がある。
    泣くに時があり、笑うに時がある。
    嘆くに時があり、踊るに時がある。
    石を投げるに時があり、石を集めるに時がある。
    抱くに時があり、ほどくに時がある。
    求めるに時があり、失うに時がある。
    保つに時があり、放つに時がある。
    裂くに時があり、縫うに時がある。
    黙するに時があり、語るに時がある。
    愛するに時があり、憎むに時がある。
    戦いの時があり、平和の時がある。
               (聖書協会共同訳)


ウクライナにもロシアにも「平和」の訪れる「時」を祈念するばかりです。
コメント
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