ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

胸を張って生きてください。

2016-07-30 06:23:33 | 日記
おぞましい殺人事件の植松容疑者は、
「障がい者は不幸をつくることしかできない」
などと語っていたとのこと、何ともやりきれない思いに駆られます。

障がいの程度に軽重があったとしても、私は、障がいを持っている方々を、
「障がい者」と呼びたくはありません。
気の毒な方々と、言いたくもありません。
ただ、この社会に生きていくのには、ハンディを持っている方と、だけ思っています。
ハンディ、という事であれば、私などの高齢者なども、生きるための多くのハンディを、
持っています。
家族や、社会制度に助けて頂かなければ、生きてはいけないのです。
以前、このブログにアップした記事の一部を再掲いたします。

   《「障がい者」は私です。(2013・11・28)
    …………………………………………………………………
   JR駅前。
   バスターミナルで、私はバスの到着を待っていました。
   駅構内から出てくる人、バスを待つ人、誰もかれも忙しそうです。
   バスが到着。
   バスの行き先表示など見もせずに、私はタラップに足をかけました。
   すると、誰かが背中をトントンと軽く叩くのです。
   振り返りますと、
   一人の男性が、私が乗ろうとするバスの「行き先表示」を指差しています。

   そのバスは、私の乗るバスではなかったのです。
   急いでタラップを降りました。
   背中をトントンと叩いて教えて下さった方は、話し方に障がいがある方です。
   時々、私と同じバスに乗り合わせる方で、知人とまでは言えない顔見知りの方。

   バスを乗り換え、外を見ましたら、
   その方は、立ったままバスを見送っていて下さいました。
   軽く うなずきながら、
   「良かったね」の表情で。

   もし、その方と私が逆な立場だったら、
   「あなたが、いつも乗るバスではないよ」
   と、多分 私は教えなかったでしょう。
   友人でも 知り合いでもない人の乗るバスの行き先など、
   私は気にもかけなかったはずです。

   あぁ、世の中 忙しく動いていても、
   こんなにも 気持ちに余裕のある方だっているのだ、と嬉しくなりました。
   「話す」という機能に障がいがあっても、
   「話す」という、人と人との絆からすれば、
   私の方が障がい者なのでしょう。

   誰もかれも忙しい夕方のバスターミナル。
   私はゆったりしたものを いただいたのです。

   『ありがとう』
   と、心の中で言いました。

   風も冷たかったのに、
   何だか、あったかーくなった今日の夕方でした。》

若いころ、障害を持つ方たちとの交流がありました。
〈目の不自由な人は、他の人の「耳」となり、
耳の不自由な方は、他の人の「足」となり………………〉
それぞれが助け合って生活を営んでいる姿に、
いつも感銘を覚えていたのです。

「寝たきり」で家族に面倒をみてもらっている ある方が、文字盤で、
〈あなたのために、祈っている〉
と、語って下さったとき、私は、涙がこぼれました。
そして、「あぁ、障がい者は私の方だ」と、思ったのです。
私は、障がい者と呼ばれている方々から、沢山 たくさん教えられ、
大切なことに気づかせていただいています。

こんな、いやな事件がありましたが、皆さま、胸を張って生きてください。
こうした事件が起こらないように、私たちも注視いたしますから。
                               〈ゴマメのばーば〉
コメント (2)
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