日曜の記事の続き。
謙信様以外で大河ドラマに素朴な疑問なのですが…
年齢設定、ちょっとおかしくないですか?
具体的に言っちゃえば上杉憲政と長野業正。
今実家にいまして、手元に古めの歴史本があるのですが、
上杉憲政は1523年生まれ。
武田信玄が1521年生まれなので、実は信玄より年下です。
1530年生まれの謙信ともそれほど離れてなかったりする。
長野業正は1491年生まれ。信玄より30歳も年上です。
この回が何年頃かというと、河越夜戦(1546年)の後なので
満年齢で行くと憲政は23歳、業正は55歳です。
Wikipediaのキャスト一覧を見るに、憲政役は66歳の市川左團次、
業正役は38歳の小市慢太郎とのことで、当然と言えば当然ですが
憲政は20代には見えず、業正は逆に若すぎに感じてしまいました…。
ちなみに信玄が25歳で謙信が16歳…まあGacktは年齢不詳だから(笑)。
カツラや付け髭やメイクによって若作りしたり老けさせたり
することはある程度可能のはずですが、それも施していないので、
演出サイド(?)が当時の憲政や業正の年齢を把握して
いないのかな~と思いました。まあ2人とも脇役ですし、
史実の生年さえ知らなければ違和感なく自然に見られるんですけどね。
憲政の戦国武将適性のなさなんて特に(笑)。
憲政の方の年齢設定ですが、1988年の大河ドラマ「武田信玄」でも
憲政は信玄や謙信に比べて年上の俳優(当時58歳)が演じてました
(で、北条氏康が杉様って…氏康も二枚目役なの?)。
ちなみに1969年「天と地と」ではそうでもなかったのですが、
何故「武田信玄」と今回で憲政の年齢設定が高くなったなのか
ちょっと理由を考えてみました。
(1) 憲政に関しては、1561年(?)に謙信に上杉と関東管領を
譲る場面が重要。よってその辺りの年齢に合わせればよく、
それ以前の登場で多少若くなくても仕方がない。
(2) 憲政はもっと早くに生まれていたのではないかという異説がある。
(3) 謙信の義父という関係になったので、謙信の親世代という
イメージがある(実際は7歳しか離れていない)。
(4) 憲政の父の憲房が年を取ってから生まれた子ということで、
憲房の生年(1467年)を知ってると、憲政はもう少し早く
生まれているイメージがある。
(5) 憲政が関東管領となったのが1530年なので、幼少で継いだという
ことを知らないと、憲政はもう少し早く生まれているイメージがある。
(6) 何となく、関東管領=北条に追いやられて衰退=若さがない
=憲政自身も若くない、というイメージがある。
(1)だとしても、憲政は38歳ですからねえ。
逆にその後はあまり出番がないような気がするのですが…。
憲政は謙信死後の跡目争いである「御館の乱」(1579年)で
殺された時には56歳でしたが(北条出身の養子に加担するとは…
北条に恨みありそうなのに)、謙信の死まで描きでもしない限り
そこまで出番はありません(両作とも武田メインだし)。
(4)(5)は、ドラマにほぼ無関係なそういう史実を知っているくらいなら
憲政の生年くらい把握してると思うので、あり得ないでしょう。
(2)も聞いたことがありません。1579年まで生きているので、
何十年も早く生まれてたら、逆に当時としては長生きしすぎのような。
(6)はあまりにいい加減なので、そうなると有力なのは(3)ですね。
「憲政が謙信を養子にして義父となる」というところから
「謙信の父親世代である」というイメージが導き出された、と。
「武田信玄」の時にそのように考えられた可能性がありますね。
もしかすると「風林火山」では、主役級はともかく脇役に関しては
(年齢設定まで考慮せず)「武田信玄」での配役に倣った結果、
憲政の年齢設定が高くなったのかもしれません。
…たぶんほとんどの大河ドラマファンにとっては
どうでもいい話だと思いますが(爆)。
謙信様以外で大河ドラマに素朴な疑問なのですが…
年齢設定、ちょっとおかしくないですか?
具体的に言っちゃえば上杉憲政と長野業正。
今実家にいまして、手元に古めの歴史本があるのですが、
上杉憲政は1523年生まれ。
武田信玄が1521年生まれなので、実は信玄より年下です。
1530年生まれの謙信ともそれほど離れてなかったりする。
長野業正は1491年生まれ。信玄より30歳も年上です。
この回が何年頃かというと、河越夜戦(1546年)の後なので
満年齢で行くと憲政は23歳、業正は55歳です。
Wikipediaのキャスト一覧を見るに、憲政役は66歳の市川左團次、
業正役は38歳の小市慢太郎とのことで、当然と言えば当然ですが
憲政は20代には見えず、業正は逆に若すぎに感じてしまいました…。
ちなみに信玄が25歳で謙信が16歳…まあGacktは年齢不詳だから(笑)。
カツラや付け髭やメイクによって若作りしたり老けさせたり
することはある程度可能のはずですが、それも施していないので、
演出サイド(?)が当時の憲政や業正の年齢を把握して
いないのかな~と思いました。まあ2人とも脇役ですし、
史実の生年さえ知らなければ違和感なく自然に見られるんですけどね。
憲政の戦国武将適性のなさなんて特に(笑)。
憲政の方の年齢設定ですが、1988年の大河ドラマ「武田信玄」でも
憲政は信玄や謙信に比べて年上の俳優(当時58歳)が演じてました
(で、北条氏康が杉様って…氏康も二枚目役なの?)。
ちなみに1969年「天と地と」ではそうでもなかったのですが、
何故「武田信玄」と今回で憲政の年齢設定が高くなったなのか
ちょっと理由を考えてみました。
(1) 憲政に関しては、1561年(?)に謙信に上杉と関東管領を
譲る場面が重要。よってその辺りの年齢に合わせればよく、
それ以前の登場で多少若くなくても仕方がない。
(2) 憲政はもっと早くに生まれていたのではないかという異説がある。
(3) 謙信の義父という関係になったので、謙信の親世代という
イメージがある(実際は7歳しか離れていない)。
(4) 憲政の父の憲房が年を取ってから生まれた子ということで、
憲房の生年(1467年)を知ってると、憲政はもう少し早く
生まれているイメージがある。
(5) 憲政が関東管領となったのが1530年なので、幼少で継いだという
ことを知らないと、憲政はもう少し早く生まれているイメージがある。
(6) 何となく、関東管領=北条に追いやられて衰退=若さがない
=憲政自身も若くない、というイメージがある。
(1)だとしても、憲政は38歳ですからねえ。
逆にその後はあまり出番がないような気がするのですが…。
憲政は謙信死後の跡目争いである「御館の乱」(1579年)で
殺された時には56歳でしたが(北条出身の養子に加担するとは…
北条に恨みありそうなのに)、謙信の死まで描きでもしない限り
そこまで出番はありません(両作とも武田メインだし)。
(4)(5)は、ドラマにほぼ無関係なそういう史実を知っているくらいなら
憲政の生年くらい把握してると思うので、あり得ないでしょう。
(2)も聞いたことがありません。1579年まで生きているので、
何十年も早く生まれてたら、逆に当時としては長生きしすぎのような。
(6)はあまりにいい加減なので、そうなると有力なのは(3)ですね。
「憲政が謙信を養子にして義父となる」というところから
「謙信の父親世代である」というイメージが導き出された、と。
「武田信玄」の時にそのように考えられた可能性がありますね。
もしかすると「風林火山」では、主役級はともかく脇役に関しては
(年齢設定まで考慮せず)「武田信玄」での配役に倣った結果、
憲政の年齢設定が高くなったのかもしれません。
…たぶんほとんどの大河ドラマファンにとっては
どうでもいい話だと思いますが(爆)。