ラタナキリの朝。
↓パンが7時までこないってことだったんだけれど、無事到着
ドラゴンマンゴーとかいうマンゴーしかないそうで、スムージーはそのマンゴーで。なかなかおいしい。
↓わたしは焼きそば、ちょっと味が濃かったかなあ・・・・
前日のインタビューでは、いろいろ新情報とか、知らなかったベトナムとの国境付近のカンボジア現代史を知れて、とってもとっても勉強になったわたし。シアヌーク時代に警察官だった夫が、象にのせられて殺害されに連れて行かれた女性にインタビューして、想像を絶する時代の苦しみを感じたのである。
ある女性は、当時36歳で、やはり警察官だった夫が殺された。遠くにいたのだけれど、クメールルージュが、彼女の娘に夫のズボンをわたして、「お父さんは重い病気だ」っていったので、あわてて娘が母のところにズボンを持ってきたそう。実は、彼女の夫が殺されたことは、周囲の人はみんな知っていたのだけれど、妻には遠慮してみんな黙っていて、そのことでよけいに傷ついたそう。彼女は、そのあと、独身を通して、今は地元の政治家として活躍中。今回は、2週間ほど前に不在だったので、電話で話したりしてちょっと縁もあったので、わたしとずーっと一緒にいてくれて、ラオ族の女性とか、わたしのクメール語がいまいちわからない高齢の女性たちに詳しく質問を説明もしてくれたりした。
↓再びイタビューをとりに、子どもとずーっと遊んでくれてた子どもたち
クメールルージュ時代に強制結婚させられて、夫を愛せなくて別れてもらった女性二人にインタビュー。
一人は、夫がクメールルージュのドライバーで、拳銃で2回も脅迫されたそう。一回目は、結婚式の夜、性交渉を拒んだので、拳銃で脅されて、2回目は、解放の後、夫が夜帰って来た時に家にいなくて、実際に発砲までされたそう(怪我はなし)。夫が離婚に応じなかったので、小さい子供を連れて、自分のお姉さんのところに逃げたそう。
↓有機野菜たっぷりのランチ
もう一人も、夫を愛せなくて、解放のときに別々になってたのをいいことに、もう二度と会わなくていいだろうと思っていたら、向こうが必死に彼女と子どもを探していて、みつかってしまったそう。この人も夫を愛せなくて、結局、夫と離婚の合意ができず、自分に経済力があったので、子ども2人をつれて家を出て、自分で家をかって新生活を始めたそう。
4時間ほどインタビューしたら、へろへろ。
途中、トイレに行きたいっていう子どもの相手ができなくて、ちょっとおくれてトイレに見に行ったら、ちょっと年配のおにいちゃんたち2人がちゃんと手伝ってくれて、水を流したりしてくれてて、感激したのである。
インタビュー後、今回の運転手さん、「新しい道ができてるそうだから、そっちを通りたい」と主張。ラタナキリからモンドルきりをとおって、プノンペンへと移動することに。
↓がたがたの道、大勢の労働者が道路建設に従事
↓道ができてるとはいっても、がたがたで、整備されてない・・・
↓橋を建設中、いつになったらできるかな?
暑いのに、大変だなあ・・・女性もしっかり働いてる。ラタナキリからモンドルキリは、さすがに交通量もとっても少なくて、道も悪いし、まだ移動する人は少ないんじゃないかと思う。大変だった運転手さんはかわいそうだったけれど、初めて移動できて、ちょっとうれしかったのである。
↓スノールには、新しい記念塔ができてる!!
少数民族の間では、クメールルージュが来たのは70年、73年にすでに黒い服を着せられた人もいる。クメールルージュだった人にもインタビューしたし、なんとも珍しい貴重な話がたくさん聞けた。妊娠と出産の話もたくさん聞いたけれど、強制結婚の結果の妊娠は妊娠しててもうれしくなく、夫もどこか遠くにいるし、出産後もくやしくかったしイカてった女性が、出産後1週間くらいで子どもには罪がないし可愛いと思えるようになったっていう話をきいたりして、とても励まされた。
今回はノートもまともにとってないので、将来、もうちょっとちゃんと調査をしてみたいかな。外国人がほとんどまったく立ち寄らない地域なので、これまで誰も記録してこなかった事実を書き留められれるし、すでに知り合いがたくさんできたので調査をすることはそれほど難しくないし、とても貴重な歴史を記録できるようなきがする。シアヌーク時代に、フランス人が経営する工場で働いていて学校に行かせてもらったラオ人の女性にも話を聞けたし、長いライフスパンで、女性の人生について、いろんな話を聞きたいかな。