人類学のススメ

人類学の世界をご紹介します。OCNの「人類学のすすめ」から、サービス終了に伴い2014年11月から移動しました。

私の仕事:発掘調査・ロタ1.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエべス遺跡)

2010年10月28日 | D5.私の仕事:発掘調査・ロタ島[Excava

 ロタ島は、ミクロネシアの北マリアナ諸島に属す島々の内の1つです。北マリアナ諸島の主な島は、北から、サイパン・テニアン・ロタ・グアムとなり、太平洋戦争中激戦地となった、サイパン島とグアム島に挟まれていますが、飛び石戦略をとった米軍は、このロタ島には上陸作戦を行っていません。

 私は、1992年7月11日~13日に、このロタ島のラッテ・ストーン遺跡で発掘調査を行いました。1992年7月4日~7月10日、私はパラオのペリリュー島で日米合同調査を行っていました。帰国準備をしているところへ、グアム大学の考古学者・倉品ヒロ先生から連絡があり、ロタ島で人骨が出土したので掘りあげて鑑定をして欲しいという依頼がありました。

 倉品先生は、日本人研究者ですが、高校からアメリカへ留学し、その後、カリフォルニア大学バークレー校で考古学を中心とした人類学を専攻した方です。実は、ペリリュー島の調査も倉品先生からご推薦をいただいて参加したという経緯がありました。

 そこで、早速、グアム経由でロタ島へ行きました。グアム島へは、飛行機で約30分という行程です。

Rotamap

ロタ1.ロタ島の地図(*画像をクリックすると、拡大します。)[ロタ島公式ホームページより]

 ロタ島に人々がやってきたのは、約4,000年前~3,500年前だと考えられています。主に、インドネシアやマレーシアからやってきたと推定されているようです。

 ロタ島には、ラッテ・ストーン公園があります。この「ラッテ・ストーン(Latte Stone)」とは、サイパン・テニアン・ロタ・グアム島等のマリアナ諸島に見られる「石柱」のことです。かつて、タガと呼ばれる王様がいたことから、別名「タガ・ストーン」(Taga Stone)とも呼ばれています。

 ラッテ・ストーンは、チャモロ人が9世紀~17世紀に築いたと考えられています。直立した石の角柱(チャモロ語でハリギ)の上に、お椀型の石(チャモロ語でタサ)が乗っており、通常、6本の柱が2列に並んで発見されています。

 ラッテ・ストーンについては、祭祀説・お墓説・家の土台説等が提唱されていましたが、倉品先生は、インドネシアのボロブドゥール仏教寺院遺跡の壁画の1つにラッテ・ストーンの上に立てられた家屋が彫られているのを発見し、家屋の土台説が有力となりました。

 ラッテ・ストーン公園は、アス・ニエべス遺跡と呼ばれるラッテ・ストーンの石切場です。中には、かなり大きなものもありますが、実際、テニアン島のハウス・オブ・タガ遺跡では、高さが約5.5mもあるラッテ・ストーンが発見されています。ここのものは、完成すると、約6.5m~8mにも達すると推定されています。ただ、何故、石切の途中で放棄されたのかは謎のままです。

 以下の写真は、すべて、1992年7月11日に私が撮影したものです。これではわかりにくいと思いますが、次回(2010年10月30日)のものを見ていただくと理解できると思います。

Rota1

ロタ2.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)1[1992年当時]

Rota2

ロタ3.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)2 [1992年当時]

Rota3

ロタ4.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)3 [1992年当時]

Rota4

ロタ5.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)4 [1992年当時]

Rota5

ロタ6.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)5 [1992年当時]

Rota6

ロタ7.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)6 [1992年当時]

Rota7

ロタ8.ラッテ・ストーン公園(アス・ニエベス遺跡)7 [1992年当時]


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。