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日本の人骨発見史8.スダレ遺跡(弥生時代):石剣が刺さった人骨

2014年01月12日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 スダレ遺跡は、福岡県嘉穂郡穂波町椿(現・福岡県飯塚市)に所在します。1975年に、採土工事中に甕棺と人骨が発見されたため、1975年8月~同年10月まで穂波町教育委員会による発掘調査が行われました。調査の結果、土坑墓17基・木棺墓32基・土坑墓か木棺墓か不明なもの6基・甕棺15基の合計70基が検出されています。

 遺跡の報告書は、1976年に穂波町教育委員会より穂波町文化財調査報告書第1集『スダレ遺跡』として出版されました。出土人骨の報告は、九州大学医学部(当時)の永井昌文[1924-2001]により行われました。人骨は、以下の2体が報告されており、時期はいずれも弥生時代中期中頃と推定されています。

  • スダレK-1人骨:熟年初期の男性。身長158.4cm。
  • スダレK-3人骨:熟年初期の男性。身長162.1cm。

 この内、スダレK-3人骨の第2胸椎には、石剣の先が刺さった状態で検出され、話題になりました。

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写真1.スダレ遺跡K-3号人骨出土状況[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

 このK-3号人骨の頭蓋骨は、渡来系の弥生時代人骨に典型な形質を持っており、頭の高さが高く、上顔高も高く、眼窩も高いという特徴を持っていました。また、身長が高いという点も渡来系の特徴です。

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写真2.スダレ遺跡K-3号人骨頭蓋骨前面観[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

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写真3.スダレ遺跡K-3号人骨頭蓋骨左側面観[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

 このスダレ遺跡K-3号人骨の第 2胸椎には、石剣の先が折れた状態で突き刺さっているのが発見されました。この第2胸椎には骨増殖が認められました。報告者の永井昌文によると、被葬者はこの石剣によって即死したのではなく、約2ヶ月近くしてから死亡したと推定しています。即死した場合は骨増殖が認められず、受傷してからしばらく生きていた場合は骨増殖が認められるからです。

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写真4.スダレ遺跡K-3号人骨第2胸椎と刺さった石剣[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

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写真5.スダレ遺跡K-3号人骨第2胸椎と刺さった石剣のレントゲン(X線)写真[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

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写真6.スダレ遺跡K-3号人骨の第2胸椎に刺さっていた石剣[穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』より改変して引用]

 弥生時代前期末~同中期後半にかけて、北九州及びその周辺地域では、銅剣・銅戈・石剣・石戈等の遺物が多く出土しています。ところが、これらの遺物は、弥生時代中期以後になると、鉄器が普及することで出土しなくなります。また、鉄器は前出の遺物に比べると折れることが少なく、同時に弓矢が多く使用される事と符号するそうです。いずれにしても、当時の戦闘状況がわかる直接的証拠として貴重な事例です。

*スダレ遺跡出土人骨に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 穂波町教育委員会(1976)『スダレ遺跡』、穂波町教育委員会
  • 永井昌文(1976)「Ⅲ.磨製石剣嵌入人骨について」『スダレ遺跡』、穂波町教育委員会、pp.40-45

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