本書の英文タイトルは、『Bioarchaeology』で、アリゾナ州立大学のジェーン・バイクストラ[Jane E. BUIKSTRA]先生とアリゾナ州立博物館・アリゾナ大学のレーン・ベック[Lane A. BECK]さんの編集により、2006年にアカデミック・プレス[Academic Press]から出版されました。アメリカ・カナダ・イギリスの人類学者、27人が寄稿しています。
本書の構成は以下のように、全3部からなります。
第1部.人々とプロジェクト:初期のアメリカの生物考古学
第2部.専門分野の台頭
第3部.21世紀への展望
編著者のバイクストラ先生は、シカゴ大学大学院で人類学の教育を受けた生物考古学、特に古病理学の専門家です。私は、アメリカ留学中の1985年夏に、ノースウェスタン大学の考古学野外実習に3ヶ月参加し、バイクストラ先生に古病理学の手ほどきを受けたことがあります。先生が生物考古学を専攻するようになった理由は、医師のお父様の影響だと私に語られたことがあります。1985年には、弱冠40歳にしてアメリカ自然人類学会会長に選出され、1987年までその重責を果たされました。女性会長は、当時で3人目でした。
この野外実習の経験は、2002年に群馬県埋蔵文化財調査事業団研究紀要第20号に、「ノースウェスタン大学人類学部の考古学野外実習」としてまとめました。
さて、本書の第7章には、女性生物考古学者についての紹介があります。ここには、 19人の女性生物考古学者の紹介があり、私も何人かの先生には直接お会いしたことがあります。その中でも、元スミソニアン国立自然史博物館の故ルシール・セント・ホイム[Lucile E. St. HOYME(1924-2001)]先生との思い出をご紹介します。
ホイム先生は、1942年に18歳でスミソニアン国立自然史博物館の著名な人類学者、アレシュ・ヘリチカ[Ales HRDLICKA(1869-1943)]先生の秘書になりました。ところが、翌年の1943年にヘリチカ先生が死去されたために、今度は著名な法医人類学者、トーマス・デール・スチュワート[Thomas Dale STEWART(1901-1997)]先生の秘書として働くことになりました。ホイム先生は、博物館で秘書として働きながら、ジョージ・ワシントン大学で1950年に学士号を、1953年には修士号を修了しました。1957年には、オックスフォード大学に留学し、著名な人類生物学者のジョセフ・ワイナー[Joseph Sidney WEINER(1915-1982)]先生と著名な霊長類学者・解剖学者のウィルフリッド・ル・グロ・クラーク[Wilfrid Edward Le Gros CLARK(1895-1971)]先生の指導を受け、1964年には博士号を取得しました。博物館では、1963年からようやくキュレーターとして勤務しています。41歳からの、人類学者としての遅咲きのスタートでした。
私は、1988年にアメリカ自然人類学会で、ホイム先生とお会いして親しくお話をさせていただく機会を持ったことがあります。それは、私がホイム先生と同じ大学院の出身だったことや、当時骨組織からの死亡年齢推定という同じ分野の仕事をしていたからでしょう。その時に、ヘリチカ先生やスチュワート先生の秘書だったこと等を伺いました。印象に残っているのは、「旅をする時には、飛行機ではなく、電車や車を使いなさい。」というお言葉でした。それは、「旅をしながら、その土地の地形を良く見るためです。人類学者なら、そうすべきです。」と穏やかな口調でおしゃべりになったことを、今も、肝に銘じています。