旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

一日研修旅行で山梨県へ

2009年10月30日 | カメ見聞録・国内編

昨日、寺庭婦人研修旅行で山梨県に行って来た。
山梨ってさ、何時も通過点で訪れたのは初めてなんだよね。
勝沼のワイン工場見学、そしてこの日のメインであるぶどうの寺として有名な大善寺参拝、そして富士宮方面に向かってホテル鐘山苑での昼食、富士花鳥園訪問の行程だった。

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↑白百合醸造株式会社にてワイン製造過程を見学。
これはワインタンク。

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↑ワインセラーに案内されたら、こぉんな箱を発見!

そうそう、中央自動車道勝沼ICを下りて勝沼に入った途端ビックリしたよ。だって、家と言う家の庭にぶどう棚があるんだもん!
今や、日本国中何処に行っても街の顔が同じになりつつあるでしょ。新しい家は地域性を感じさせない同じデザインだし、郊外に行けば全国展開の量販店が顔を並べる。
でも、この勝沼には地域性を感じ、久々に街の顔を見た気がして嬉しかったな~。

そして、白百合醸造から10分ほど走って真言宗智山派大善寺へ。

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↑拝観受付所の上にはぶどう棚。

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↑大善寺は山の中腹にあるので、参道は石段になっている。
石段を半分まで上ったあたりで立派な山門が見えて来る。

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↑この山門は仁王門。
仁王像が睨みを利かせつつ三宝を守護しておられる。

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↑それにしても、メヂカラ強いな・・。

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↑木鼻の獅子がカッコエエ!

●大善寺縁起●
養老二年(718年)僧行基が甲斐の国を訪れた時、勝沼の柏尾にさしかかり、日川の渓谷の大石の上で修行したところ、満願の日、夢の中に右手に葡萄を持った薬師如来が現れました。行基はその夢を喜び、早速夢の中に現れたお姿と同じ薬師如来像を刻んで安置したのが今日の柏尾山大善寺です。
以来、行基は薬園を造って民衆を救い、法薬の葡萄の作り方を村人に教えたので、この地に葡萄が栽培されるようになり、これが甲州葡萄の始まりだと伝えられています。
(大善寺HPより抜粋)

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↑国宝薬師堂。
1286年(弘安9年)建立。元寇の数年後に建立されたそう。
山梨県内最古の建物で、屋根は檜皮葺。

薬師堂内は、秘仏の薬師三尊像が安置されるお厨子(国宝)を中心に、両脇を鎌倉時代の日光月光菩薩像、その周囲に同じく鎌倉時代の十二神将像などのお像が配されている。

Gakkos

Nikkos

↑鎌倉時代、運慶快慶の兄弟弟子である蓮慶による日光月光両菩薩。
お身体が黒いのは、金箔が剥げて漆の色が出たのか、それとも護摩火にあぶられ黒くなった信仰焼けなのか。
何れにせよ、この両菩薩、ご住職が力強く太鼓を叩きながら読経を始めるや、まるで法力を得たかのように玉眼の眼があやしく光り出した・・。

山門の仁王像と言い、此処のみ仏の眼光は鋭い。
何故だろう・・・修験の寺だからかな・・。

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↑境内の様子。

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↑参道から眺めた風景。

拝観を終えたところで、大奥さまがお茶のご接待をして下さった。

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↑お茶のご接待と言っても、出して下さったのはワインだが・・(汗)
何と自家製ワインで、さっきのワイナリーで試飲したワインよりもずっと美味しく、思わず駆けつけ三杯してしまったカメ・・恐縮です。
辰巳啄郎さんも、此処のワインにすれば良いのに・・なーんて。

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↑客殿から眺めることが出来る庭園は江戸時代(寛永末)に造園されたもので、高野山の普門院、鳥取の興禅寺と共に江戸時代の日本の三名園と言われている。
手前に見える丘(?)は亀だって。

飾り気のないお人柄の大奥さまとの歓談は楽しく、もう少しゆっくりしたかったものの時間が押して来たので、大善寺を後にすることに。
ご住職とツレアイが仲良し(笑)ってことで、葡萄やらワインやらと沢山のお土産を頂戴してしまった。
本当にありがとうございました。

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勝沼から40分ほど走ったところの鐘山苑へ。
此処は2万坪(ワオ!)の庭園が売りのホテル。

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↑お料理は出汁が利いた薄味で、どれも美味しかった。

施設も庭園も立派な宿だけど、此処ってあまり好きじゃない。
おもてなしの心全開の従業員、うざっ!夢を売ると勝手に思い込んでるディズニーランドと同じ臭いがするんだよ。
此処に泊まったら逆に疲れちゃうな、自分。

鐘山苑を出て、最終地となる富士花鳥園へ。

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↑割と地味めな入り口。
この富士花鳥園は、主にベコニアの栽培と猛禽類の飼育に力を入れているらしい。

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↑中に入るや、受付のところにフクロウが二羽。
あまりにジッとしているので、最初は置物かぬいぐるみだと思ったよ。目がクリックリで可愛い!
写真が撮れなかったので、富士花鳥園サイトから頂戴した写真で代用。

何種類ものフクロウ、ミミズク、コノハズクを見た後に奥の扉を開いたら・・・

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↑そこはベコニアが彩る楽園だった。

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↑このような大輪のベコニアが沢山!
パッと見はバラかボタンで、ベコニアの概念を覆されたって感じ。
ウチのベコニアなんて、雑草の間から気弱そうな花を咲かせているから、雑草もろとも刈られてしまうんだよ~。←お前がガサツすぎる

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↑ベコニアの回廊。

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↑ベコニアに囲まれながら、お茶や食事も楽しめる。

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↑ベコニアの隣には、フクシアが沢山!
「女王様の耳飾り」の異名を取るフクシアだけあって、芸術的な形をしている。

・・・と、そんなこんなで本日の全行程終了。
初めての山梨を、このように楽しめたことに感謝。
ご同行の皆さま、ありがとうございました。
そして、行基開山の古刹の魅力を教えて下さった大善寺ご住職と、心づくしのご接待をして下さった大奥さまとお嬢さまに心から感謝いたします。

そのお嬢さまが寺の跡を継がれるそうで・・・ウチと同じじゃん!
何か嬉しい♪

あ、それと、美味しいワインを頂いたのは良いのだけど、何せ空きっ腹だったもので意外に回ってしまったカメ、ご朱印代を払い忘れると言った失敗を演じてしまった!
す、すみませんっ!


後は任せたぜ!

2009年10月26日 | 音楽

9年振りに来日するAC/DCのチケットを取りたいと思ったものの、会員になっているチケットセンターの先行予約開始は、何と17日土曜日10時から・・・そう、宇津乃火薬庫見学会真っ只中の時間!こりゃ~無理だわ。アタシャ、AD/DCよりも火薬庫を取るよ・・・と諦めた。

それを上子カメに話したところ、
「AC/DCって、チョーオジサンバンドでしょ?」

チョーは余計だっての。

「なーんだ!言ってくれたら私が取ってあげたのに!それに、お母さんが操作するよりも私のほうが早いから、私がやった方が確実に良い席が取れると思うよ。」

そうか!コイツはもう何度となくポルノグラフィティのライブに通ってるのを忘れてた!

上子カメが日々成長して大人になって行くのは分かってた。
しかし、リアルに分かっていたわけじゃないんだなぁ・・ってことを改めて感じた。
知力、体力、そして日常の色々なことが、もう自分よりも上だし、この平成ど真ん中をリアルタイムに生きてるんだ・・ってことをすご~く実感した。
自分に出来て上子カメに出来ないことと言ったら車の運転くらいだろう。アイツは酒も呑むし。

・・ってなワケで、チケットセンターのログイン情報を全て上子カメに託し、今後のチケット取得はお任せすることにした。

Zeppelin来日の折には、ずぇったいに頼むよ、アリーナ!
↑ワールドツアー&来日公演を信じているカメ。
アリーナだからね!アリーナ!


遥かなる影

2009年10月25日 | 音楽

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秋が深まると、毎年必ずこの曲が聴きたくなる。
Carpenters「CloseToYou」

きっと、一番最初に聴いて感動したのが晩秋だったのだと思う。
小学生の時だったか中学生になっていたか・・。

自慢じゃないがIQは高い方で、しかし使い道を間違えっ放しなものだから、ずっと「アホ」と言われ続けて来た。←今でも
感受性も豊かな方だが、これまた向ける方向を間違えっ放しなものだから、ずっと「変人」と言われ続けて来た。←今でも

でも、目にしたもの、耳にしたものがキラキラと煌きながら残り続けているのはアホで変人なお陰だと思ってる。
自分が幸せならばそれで良いのだ。

・・ってなワケで、CloseToYouを聴きながら変な自分に乾杯!
↑結局呑むんかいっ!


またまたまた蔵の街とちぎ

2009年10月23日 | 蔵の街とちぎ

通ってるなぁ、栃木市。
ま、足尾ほどじゃないか・・。

行楽日和の昨日、reiちゃんと蔵の街とちぎ散策をして来た。
秋の青空の下をゆったりと流れる巴波川、手入れの行き届いた蔵や日本家屋に、何時もとは違った時間の流れを感じつつ栃木市内を徘徊。ゆるゆるとした一日を過ごした。

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↑巴波川の水位観測所。
1メートル四方ほどの小さな建物なのだけど、造りがちゃんとしている。

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↑巴波川の舟行。
この後、自分達も乗ったのだけど、舟から見た蔵並みも良かった。
盛夏の時の舟行は、この巴波川を渡る風がひんやりと心地良いのだそう。

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↑お昼ごはんは、旧足利銀行建物の“カマヤ”へ。

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↑チキンカツレツを頼んだよ~。
此処のお料理は特別に何かが凝っているわけではないのだけど、丁寧に作られているから好きだなぁ。

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↑蔵の街には古いものが息付いている。
旧式の蛇口と屋号が付けられた雨どいの集水器。

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↑ラッキーなことに“お蔵のお人形さん巡り”開催中だった。
これは、重陽の節句に、桃の節句や端午の節句に飾った人形を再び飾る“後の雛”の風習にちなんだ行事だそう。
合計80の店舗や個人宅が古いお雛さまを飾り、観光客は自由に観ることが出来る。

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↑前にも画像を上げたけど、大松と日本家屋がシックリと来る家。
元材木問屋だって。

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↑レトロ看板ハッケーン!
しかもニッポンビール!
今はないブランドの看板は超が付くレア物。

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↑とある個人宅に飾られていたお雛さまは、何とカメのお雛さまと同じだった!
ガラスケースに入った小さなお雛さまを中学生の時には既に見ていなかったと記憶しているので、約30年振りに見たんだわねぇ。懐かしい!

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↑それから“油伝味噌”に行った。

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↑水琴窟

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↑大きな蔵
味噌の原料が置かれていたのかな。

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↑ポンプ式井戸(とお釜)

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↑謎の石段

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↑此処にもお雛さまが飾られていた。
立派なお雛さまだなぁ・・。
精巧に作られたお道具類に、女の子の成長を願う気持ちが見えるようだった。

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↑油伝名物のみそ田楽。
“田楽盛り合わせ”を頼むと、コンニャク・里芋・豆腐の三種類が出て来る。
どれも美味しかった~!

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↑みそ田楽が食べられる建物内には旧式の道具類が沢山残っていた!写真は電話機に銅の蛇口と流し台。
その他、大正時代のレジスターは何と現役稼動しており、レジスターより更に前の時代の“銭箱”もあった。

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↑事務所に貼られていたこの2枚のポスターには目を瞠ったね!
「濃艶な美貌もおみそ汁から」・・・うーむ、ヤバイくらいにキテル!
「楽しい家庭はおいしい味噌汁から」は映画とタイアップした宣伝かな。
五所監督、平岩弓枝原作、池内淳子が主演だって。しかもタイトルは「女と味噌汁」・・・かの田嶋陽子センセが見たら怒り狂いそうな映画だわな。

舟遊び、国登録有形文化財で頂いた美味しいお昼ごはん、老舗味噌屋で田楽でお茶して・・・と充実した(つーか食ってばっか)蔵の街巡りも終わりに近付き、最後にたこ焼きと餃子を買って(更に食うか)家路を急いだ。

reiちゃん、楽しかったね~。
また何処かに行こうね~。

↓そうそう、昨日の戦利品。

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↑骨董屋さんで買った揃いの盃。
手描きのスズメに一目惚れしてしまった・・・値段も手頃だったし。
例え普段使いの食器でも、古い物は持つと手にシックリと馴染むんだよね。
冷たいはずの陶器にあったか~いものが感じられるから古い物って好きだな~。


国指定史跡・宇津乃火薬庫跡見学会

2009年10月19日 | カメ的世界遺産・足尾

17日土曜日は足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の勉強会だった。
そして午前中は、何と宇津乃火薬庫の現地見学会まで催された。

宇津乃火薬庫に関しては出来うる限り研究紀要などを読んで宇津乃火薬庫跡再考にまとめ上げ、見学会での説明と照らし合わせても間違えはない様子・・・なので、重複する部分は置いといて、新たに分かったところだけを書いておこうっと。

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↑これは火薬庫とは違った建物で、加工品や導火線の貯蔵庫。
今は赤レンガの防火壁だけが残り、防火壁内部の建物は崩壊し、それに関して記述したものが見当たらずに分からなかったんだよね。
しかし、屋根が鉄板、壁が網筋コンクリートの平屋造りだったと教わった。
網筋コンクリとはコンクリ壁の中心に鉄の網が仕込まれているもので、写真はコレ↓

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↑ちょいと暗くて見えづらいけど、鉄の網が見えると思う。
落雷時には、鉄板の屋根で落雷を受けてから網筋コンクリにて地面に落とすことで、避雷針なしでも雷避けになったらしい。
それと、既に出来上がった網筋コンクリを組み立てて造られた、云わばユニット工法だって。
この建物は昭和9年の竣工で、流石に昭和ともなると建築方法が大きく異なるね。

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↑再度登場の防火壁だけど、このレンガの積み方は下部がイギリス積みで上部が長手積みになっている。
先週見た碓氷線のトンネルも全てこの積み方であったのを思い出したが、これは当時の要塞の壁の典型的積み方であったそう。
頑丈なイギリス積みで下部を丈夫にし、イギリス積みよりは脆く、しかしイギリス積みより使うレンガが少なくて済む長手積みを上部に用いる工法は、当時の主流だったそう。

で、イギリス積みとオランダ積みの差異が今ひとつ分からなかったカメだが、基本的にオランダ積みはイギリス積みの中に含まれると言って良いらしい。

それと、1号~4号までの火薬庫の中で唯一の赤レンガ造りである第4号庫のレンガが「東京型レンガ」とあって、東京って何?と疑問だったけど、JIS規格が定まる前は東京や大阪でレンガの大きさが異なっていたらしい・・それで東京型レンガと。

そして、1号~4号までに取り付けられた屋根は桟瓦で葺かれていたのだそう。
普通、屋根は本瓦だけど、桟瓦は本瓦より軽いそうで、万が一貯蔵している火薬が爆発した時、爆風が縦に抜けて横に抜ける被害を防ぐために敢えて屋根の造りを粗雑にしたことから。
爆発時の横の被害を防ぐためのもう一つの方法として、火薬庫入り口と土塁トンネル入り口の位置をわざとずらしていることも挙げられる。

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大正7年には、火薬庫入り口に「宇津乃請願巡査派出所」を設置し、古河自弁で警護に当たった。
その派出所のあった辺りに現在は半崩壊の建物が何棟か残っているが、それは三養会(足尾銅山独自の生協)や養鶏場、そして養鶏場を管理する人の住居だったらしい。

以上が宇津乃火薬庫に関して新たに得たことをザッと流したもの。
宇津乃火薬庫の見学会の後は、ちょっとだけバスで移動して小滝坑周辺の見学に移った。

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↑青葉寮(独身寮)跡地にひっそりと眠る竈。
先週は、碓氷線にてコンクリ製の竈を見、今週は足尾にて赤レンガ製の竈を見・・・。

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↑足尾にも本格的な紅葉シーズンがやって来ている。
・・しかし、葉っぱの赤よりもレンガの赤の方がエエな~。

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↑坑夫浴場跡。
坑道から上がって先ず入ったのがこの風呂場だそう。此処で流すのは汗や汚れだけでなく、採掘の際に体に付いた重金属類もだった。
坑道から上がっての入浴は大切なことだったらしい。

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↑旧小滝橋。
小振りながらも美しい形だなぁ・・って、見る度に思う。

見学会には、宇都宮大学工学部の先生や、現地ガイドと務めて下さった先生、古河機会金属の担当の方が同行し、ひとつの質問に、建築学としての回答、元住民としての回答、銅山を管理する会社としての回答、と三つの違った角度からの回答が得られたのが、ものすごぉーーーく貴重だった。

今回のような機会に恵まれたお陰で、宇津乃火薬庫への愛慕の念を更に増したカメ。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。
心から御礼申し上げます。


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる④帰り道

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑来た道を戻って歩いている途中で、運行中のトロッコ列車に会った。
家族連れが沢山乗っていて、カメラを向けると子供達がカメラ目線で手を振りやがる・・・ったく、今日日のガキ共は!

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↑裏妙義。
実はさ、妙義山って初めて見たんだよ。
上信越自動車道を走りながら見えて来た妙義山には度肝を抜かれた!
だって、ゴジラの背みたいなギザギザの山なんだもん!

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↑廃線の上を現代の橋梁が掛かる。
明治期の遺構は下にあり、時代が新しくなるほど上へ上へと伸びて行く。
そんな中で下を這うのは廃墟や廃線マニアだけなのか・・。

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↑「鉄道文化むら」の横をアプトの道は通り、このように沢山の廃車両が横たわっている。
このオレンジ&肌色は足尾駅にもあるキハ車両ですな。←唯一これだけは分かる

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↑そして、片道4.8キロのアプトの道を終え、出発点だった横川駅に戻った。
横川駅の開業は1885年(明治18)と古く、現在は信越本線の終着駅となっている。
かつては碓氷峠越えの拠点となった駅で、急勾配を上り下りするために此処で補助的な機関車を連結したのだそう。

そして、連結作業のために長時間停車するため、その時間に乗客は食事を取った。
そこで登場するのが日本一有名な駅弁「峠の釜めし」。

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↑これが、峠の釜めしおぎのや本店。

かつて、釜めしは販売員がホームで売っており、発車する列車に向かって深々とお辞儀をする販売員の姿は有名だった。

えっと・・・此処で湧いた疑問。
横川駅は「峠の釜めしは駅弁の原点」と言い、おにぎり&おしんこを駅構内で売り出した宇都宮駅は「宇都宮は駅弁発祥の地」と言う。
原点と発祥の地ってどう違うん?(笑)

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↑そして、横川駅から車で移動して「峠の湯」に。
裏妙義を一望出来る露天風呂は気持ち良かった~。

そして、この辺きっての土産屋おぎのやドライブインで峠の釜めしやら何やらをワラワラと買い込んでから帰路に着いた。

でも、必ずまた来ようっと!
今度は第六トンネルが通行可になってから良いな~!

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↑お土産に買った峠の釜めしと軽井沢地ビール6本の詰め合わせ。
その他には長野名物わさび漬け、ご当地もののお菓子など等を買って来た。
釜めしもビールも美味かったっすよ。
そうそう、この釜は益子焼きざんす。

えっと・・・此処で湧いたもう一つの疑問。
食べた後の釜は、どうやって使えば良いのだろう?
ご存知の方が居ましたら、どうぞ教えて下され。

<完>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる③第三橋梁

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑碓氷線遺構最大の目玉、通称めがね橋こと第三橋梁。
碓氷線建造物の中では最大のもので、四連アーチ、アーチの径間は18メートル、高さ31メートル、長さ91メートル。
イギリス人パウエル技師が設計した。

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↑まるでラピュタ帝国だねぇ・・・。

1892年(明治25)に完成し、その当時に使用された赤レンガは約203万個だったと言う。
が、その後の1896年(明治29)年の耐震補強工事により、それまで一重だったアーチが二重になり、橋脚も太くされたことから、計300万個の赤レンガが使用されていると思われる。

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↑うわぁぁぁ~!

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↑どっしりとした橋脚。

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↑何て美しいデザインなんだ・・・。

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↑橋脚を見ると、中心の柱の横にウィングのように出ている部分があって、そこが耐震補強された部分。
そして、アーチを見ると二重になっているのが分かる、その外側部分も耐震補強部分で、この部分を取り除いた第三橋梁を想像して欲しい・・・建設当初は非常に女性的な美しさを誇っていたのが分かるよね。

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第三橋梁から山間深くを見ると、比較的新しげな橋梁が見える。
これは、第三橋梁の上を走っていた初代碓氷線が廃線になった後に敷かれた新線の橋梁。
しかし、この新線も長野新幹線開通のため平成9年に廃線となった。
栄枯盛衰・・・嗚呼!

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↑直ぐ近くにはカマドの跡らしきものが。
住居があったのかな?それとも、橋梁工事に動員された人足17000人の食事を賄った炊事場なのか。

何時までも見飽きぬ第三橋梁に別れを告げ、後ろ髪を引かれつつ横川方面に向かって引き返し歩いて行った。

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↑トンネルの先に見られる木々の煌きがまぶしい。

これにて、今回の探索の全ては終了。
この時点で12時30分(早っ!)。帰りまでには時間があったので、丸山変電所跡近くにあった「峠の湯」に入って行こうか・・などと話ながら歩いて行った。

<④に続く>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる②第一~第五トンネル

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑丸山変電所跡から歩いて行くと北原白秋の句碑がある。

うすいねの南おもてとなりにけりくだりつ思ふ春のふかさ

これは大正12年の春に信濃を訪れた白秋が、帰りの碓氷峠で「碓氷の春」と題して詠んだのだそう。

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↑白秋の句碑から目を離して進行方向を見れば、そこには第一トンネルが。
第一トンネルの長さは186メートル。

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↑レンガの赤と、蒸気機関車が吐き出したススの黒とが入り混じって、何やら迷彩色っぽくなっている。迷彩色って死斑をデザインしたものなんだよね・・・なんて考えたら、暗くて長いこのトンネルに入って行くのが怖くなった。

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↑で、無事に抜けて、これは軽井沢側の坑口。
この軽井沢坑口は、割と最近まで土砂に埋まっていたのだとか。

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↑トンネルの曲がりに沿ってレンガの積み方も違っている。
下側はイギリス積みで、上側は長手積み。

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↑そして第二橋梁に到着。
何で最初の橋梁が第二かと言えば、第一橋梁は破壊され現存しないから。
碓氷線の多くの橋梁は保存されているのに、何故に第一橋梁だけが破壊されたのかは分からない。

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↑この第二橋梁は、橋の上を歩くだけのもので、下に下りることは出来ず、橋を遠望出来る場所もない。橋の両側は急斜面で、下を流れる川までまっ逆さまって感じ。
なので、これだけの写真を撮るだけで精一杯。
かなり分厚いアーチが橋梁の重厚感を出している。

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↑次は第二号トンネルに到着。
長さ113メートル。

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↑と、と、と・・・トンネル直前で遊歩道が大きく歪んでいる。
写真手前のレールが除去出来ないから?

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↑トンネル内部には排水溝があって、親切なことにライトアップされていた。
この排水溝は100年経った今でも現役。

碓氷線の幾つものトンネルのうち、岩盤が弱い所のトンネルは地面までコンクリを敷いたので、水はけのために排水溝が設けられたのだそう。

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↑第二トンネル軽井沢坑口。

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↑第二トンネルから出て直ぐのところに碓氷湖が。

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↑碓氷湖を左に見ながら勾配がきつくなった道を歩いて行くと第三トンネルがある。

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↑第三トンネルの向こうには第四、第五トンネルと続く。
こうやって見ると、エッシャーのだまし絵みたいだね。

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↑長さ78メートルのトンネルを抜けた軽井沢坑口。

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↑第四トンネル。
長さ100メートル。

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↑第四トンネル軽井沢坑口。

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↑第五トンネル。
244メートルと、第一~第五までの間では一番長いトンネル。

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↑第五トンネルを抜けた軽井沢坑口。

この第五トンネル・・・・かなり不気味。
トンネルに入って直ぐのところで男女の話し声が聞こえ、「誰かが前を歩いているのだろう」と最初は気にも留めなかったが、歩いて行ってもその声に近付く様子はない・・・「あれ?何かおかしい」と思うや、上子カメは自分達の背後にもう一つの影を見、カメは恐ろしく足が重くなった(日頃の経験から言って1.5キロずつの負荷を掛けられたのと同じ重さ)。
二人とも「此処では黙っていよう、黙ったままトンネルを抜けよう。でないとパニックになるから」と思いつつ黙々と歩き続け、トンネルの出口が見え始めたところで、聞こえていた話し声はピタリと止んだ。
うーむ・・

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↑第五トンネルの次には第六トンネルが。
しかし、残念ながら現在のところ通行禁止。
長さ551メートル(わお!)で、碓氷線最長のトンネルで、このトンネルを抜けると更に数多くの橋梁などの赤レンガ遺構に出会える。
現在整備中で、何れ遊歩道の延長とともに公開される予定だそう。

そして、不気味だった第五トンネルと通行禁止の第六トンネルの間を結ぶのは・・・かくも美しき第三橋梁だったのだ!

<③に続く>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる①丸山変電所

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

赤レンガの遺構が沢山残る信越本線碓氷線跡地には、前々から行ってみたいと思っていた。
そして、突如として出掛けることを決め、短時間集中で史料を集めて、唐突に行って来た。
突如・唐突・短期集中・・これぞカメ流。

ETCの休日料金割引きが導入されてからと言うもの、休日の高速道路の混雑具合が読めなくなってしまったので大事を取って朝の5時に出発、途中北関東自動車道未開通ルートがあるので国道50号線を走った時だけ多少の渋滞はあったものの、それ以外はスムーズな流れで、2時間30分後には目的地であるJR横川駅に到着。

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↑横川駅旧構内だった場所にある「鉄道文化むら」。

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↑「アプトの道」は、アプト式列車の走っていた旧路線を遊歩道として整備したもの。
なので、この遊歩道を歩いて行けば、碓氷線の遺構に出会えるってわけ。

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↑おーっと!歩き出して直ぐのところでレトロ看板ハッケーン!

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↑元が線路なだけに、ながーく続くまっすぐな道。しかも山際で日が当たらないから寒い!
・・まるで人生のような道だわね。

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↑レールはコンクリに埋められ遊歩道になっても、これ等の設備は残されたまま。
鉄道ファンを意識してのことなのかなぁ。

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↑これは、季節限定で運行されるトロッコ列車用の駅看板。
と言うことで丸山変電所跡地に到着!

横川~軽井沢間の電化工事が着手されたのは1910年(明治43)で、翌1911年には横川火力発電所、丸山変電所などが建てられた。
そして、その翌年1912年から電車が運行するようになる。
つまり、丸山変電所は碓氷線運行のために造られたものなのだ。

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↑丸山変電所はレンガ造りの建物が二棟並んで建っており、この横川側の一号棟は蓄電池室。
此処には312個のバッテリーが置かれ必要に応じて電力を供給していた。

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↑そして、軽井沢側の二号棟が機械室。
横川発電所から送られて来た電気の電圧を変える変圧器と交流電流を直流に変える回転交流機が置かれていた。

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↑軽井沢側第二号棟内部。
2002年に修復工事がなされた際に出た様々なものが整然と置かれている。

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↑二号棟上部。

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↑一号棟の裏手に回ると修復されぬままの建物が・・。
中を見るとコンクリの土台が二つあって、どうやら計器類が置かれていたらしい。

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↑赤錆びた窓枠も、割れたままのガラスも妙に味がある。
それに引き換え、綺麗になった外側は妙によそよそしい。先々保存して行くためには修復は必要だけど、せめて修復前に来たかったなぁ。
ボロボロだけれど、その朽ち果てた姿が時間の重みを感じさせてくれる・・そんな丸山変電所に会ってみたかった。

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↑第一号棟入り口。
丸山変電所ってさ、明治時代の赤レンガ建造物にしては装飾が少ないよねぇ。

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↑丸山変電所を後にしてまた歩き始めた。
長い道に落ちた二つの影・・・どっちかがカメで、どっちかが上子カメの影・・って、そんなんどっちでも良いがな。

<②に続く>


ちょっくら蔵の街とちぎ

2009年10月07日 | 蔵の街とちぎ

昨日モブログしたけど、蔵の街とちぎに行って来た。

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↑残念なことに、大正のモダン建築が美しい栃木病院は只今塗り替え中。
工事用網に被われていて見られなかった。

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↑栃木病院は見られなくても、放置物件の軍人病院(通称)は見られるのね~。

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↑・・・と、これを見た同行の友人が指摘した。
「なーにが鉄格子みたいだっての!こりゃ網戸だよ!」
うわっ、確かに!
写真じゃ良く分からないだろうけど、確かに網戸の網が残っているじゃないか!
そうかぁ・・これって逃亡防止用、若しくは飛び降り自殺防止用の格子ではなかったんだぁ。
しかも網戸とは!
この格子が不気味なことから軍人病院と名付けられたのだけど、誰もこの網に気付かなかったのだろうか?
勿論、カメも気付かなんだ。
きっと軍人病院のネーミングから来る先入観が網を見えなくしていたのだろう。
・・って、バカか自分ら!

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↑雰囲気バッチリの日本家屋。

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↑通りの辻に鎮座する庚申塔。
何処の古い街並みに行っても、こんな風に信仰の形が残されてるんだよね・・・素敵だな~。

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↑季節外れの朝顔。

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↑ミョーに存在感のある朽ちかけた蔵。

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↑昭和レトロ①

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↑昭和レトロ②
これって東芝の掃除機!
でもさ、今流行のサイクロン型掃除機に似てね?紙パックを使わないところも同じ。

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↑昭和レトロ③
目玉みたいな昔の日立のマーク。
昔のマークの方が味のあるのが多かったなぁ・・・味の素とか。
日航の鶴マークも雄雄しくて好きだった。
前代未聞の経営難に陥っているのは、もしや鶴の呪いなのか?

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↑ラーメン屋「永華」でお昼ごはん。
永華のラーメン&餃子、ホント久し振り~。
昔からじゃ値段は上がったものの、味の良さと餃子の大きさは変わらかった。

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↑此処の餃子って大きいんだよ!女性の握りこぶしくらいあるの!
なので、大抵の女性は半ラーメン&餃子3個なのだけど、大食いのカメは、男性と同じラーメン&餃子5個をペロッと食ひます。

あ~!今日の蔵の街めぐりも楽しかったな~♪