↑この日枝神社に来るのは丁度半年ぶりになる。
古賀志山界隈の郷土史に惹かれ、ランニングしながら由緒ありそうな石碑や社寺を見つけていた時、この日枝神社を訪れ、平安時代から受け継がれる宗円獅子舞を知ったのだった。
先日、山寺の御開帳に行った際、タイミング良くと言うかしし踊りフェスティバルが開催されており、宗円獅子舞のことが頭の片隅にあった自分は非常に興味深く拝見し、しし踊り・獅子舞の世界にすっかり魅了された。
それから獅子舞について色々と調べ、本日宗円獅子舞を拝見することになった。
宗円獅子舞から始まって宗円獅子舞に戻った・・・そんな感じで何だか不思議。
↑向こうの小山は日枝神社を開き、宇都宮の祖とされる藤原宗円の墓と言われている。
そして手前はこの地新里町の特産、新里ネギ。
平安時代後期、源頼義の奥州平定の折に従軍し、やがて宇都宮城主となった藤原宗円。
1081年(永保元年)10月に宗円が近江国坂本の日吉神社から勧請したのが日枝神社の始まりと言われている。
↑舞が始まる前に本殿にてお参り。
下を見ると張られた結界の幣束が門の幣束と重なり合って美しい白色。
↑そうして、先ずは鳥居前での舞が始まった。
宗円獅子舞は雄二匹、雌一匹で舞う一人立三匹獅子舞。
↑舞が終わると、一行は本殿前へと移動。
↑神域の獅子たち。
結界の四隅には四季を表した花かごを持つ人が立つ。
↑舞の前に棒術が始まった。
これは、農民が自衛のために杖を用いた技が芸能化したもので、獅子舞を奉納する舞台を清める役割。
戦勝祈願、五穀豊穣、悪霊退散
↑舞の囃子は三匹の獅子が鳴らす小太鼓と笛二人。
そして舞の一部で歌が入る。
↑いよいよ弓くぐりの舞が始まった。
↑弓を前に試行錯誤した雄獅子が意を決して弓をくぐる舞は一番の見せ場。
↑あれ?宇都宮市が作成した動画では、見事弓をくぐった雄獅子は喜びで結界内を駆け回るのだが、今日の雄獅子は大役を果たすやヘロヘロになってしまった。
ハァハァゼィゼィしながら「し、死ぬぅ」の声。
世話役の奥さまが冷たい飲み物を手に駆け寄り、無事に快復。
でも、みんなクスクス笑っていたから表現がオーバーな愛嬌ある方なのかな(笑)
↑そうして最後の舞が奉納され獅子舞は終わった。
この後、一行は日枝神社裏手にある薬師堂に向かい祖先供養と台風よけ祈願の舞を奉納した。
しかし、残念ながら時間がなくて薬師堂までは行けなかった(涙)
こうして、半年間頭の片隅にあり続けた宗円獅子舞をついに見ることが出来た。
そしてそれは想像通りの素晴らしさで、素朴だけれど喜びに満ちた今日を自分は生涯忘れないだろうと思う。
しみじみとした想いを抱きながら、獅子舞の笛の音とは逆方向に走り始めた。
・・・は?
当然ながらランニング参拝ですが、何か。