行って来ました「奈良学文化講座第89回講演」。
昨日ブログした様に「蘇我馬子の原像と飛鳥の渡来人」なる演目。それを二部構成仕立てにし、第一部を学習院大学、日本大学、立教大学の非常勤講師を勤める傍ら著作物も多い遠山美都男氏(NHK学園仏教美術講師の吉田先生の大先輩・・多分)による「蘇我馬子の人物像を探る」で、第二部が立命館大学名誉教授山尾幸久氏による「推古時代の東アジアと移住民」だった。
先ず、遠山氏の講演は、推古大王(天皇)を擁立し、その陰で陰謀と策略を巡らせつつ政治を操ったとの印象が強い蘇我馬子に対して「実は良い人だった」なる新説を披露。
権謀術数に長けた政治家だからこそ馬子や藤原不比等に魅力を感じるカメにとって、「そんなのは認めたくないね」って感じでペケ。通しで聴いても押しの弱い説としか思えなかったし。
大体、歴史の新説なんてぇのは、よっぽど信憑性が無い限り受け付けない。芸能人のスキャンダルレベルの「え~っ!」ってな驚きを歴史に求めようとする動きが間々見られるけど、歴史に興味本位の意外性は必要無し。
しかし、次なる山尾氏の講演は良かった。
「飛鳥時代、蘇我馬子や聖徳太子は仏法によって国を治めようとした」なる事は学校で習うし、仏教美術講座でも教えられた事だけど、カメはその「仏法によって国を治める」の言葉だけを記憶に留めるだけで、その深い意味を考えて来なかった。しかし、この講演で、当時の中国仏教の特色が「集団としての共同性・平等性を重んじる」精神と実践を重視した、まさに人民を束ねるのに打って付けの思想であって、新羅・百済・倭国がほぼ同時期(6c~6c後半に掛けて)に中国伝来の仏教によって国家形成を成し得ていた事が分かった。東アジアにおける国家形成と仏法興隆とは不可分の関係にあったのだ。
そして、一番に「わお!」と驚いたのが、日本で初めての出家者が、渡来人の司馬達等の末裔で、有名な止利仏師の兄弟である「島」と言う名の11歳の少女であった事。出家して「善信尼」となった島は百済に渡って戒法を持って帰り10人の尼僧に対して日本で初めての授戒式を行い、島(善信尼)の仏教活動を支えたのは蘇我馬子であった事。日本仏教の黎明を告げたのは尼僧であり、何やらそこに日本古来のシャーマニズムとの深い関係がありそうだ・・の件まで聴いた時点で「なるほど!」と膝を打ちたい気持ちに駆られた。
その他、日本の文字を発明したのは渡来人で、日本語は主に中国の漢訳仏典から作られた経緯の説明なども興味深く、あっと言う間の90分だった。
・・・で、これは本日の会場となった九段下会館外観。日本武道館には数え切れないくらい足を運んだ(剣道じゃありませぬ。外タレのコンサートざんす!)けれど、その近くにこんなに素敵な建造物があったとは、今の今まで気がつかなかった・・。
ちょっとだけ古い建物の中で、かなり古くの時代の断片に触れられて、幸せだった~。