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宇津乃火薬庫跡再考

2009年04月14日 | カメ的世界遺産・足尾

以前の記事「足尾の小ネタ」で、宇津乃火薬庫跡の「全5つの建物がどんな用途で使われていたか」をカメなりに推測してみたけれど、その後の調べによって、その推測はことごとく撃沈だったと判明。

なので、宇津乃火薬庫跡再考

先ず、撃沈した第一の理由は此処。
太田貞祐・著「足尾銅山 小滝の里」の中にある「(略)煉瓦塀の雷管倉庫も見受けられる(略)」なる記述から、向かって右端の煉瓦塀倉庫が雷管倉庫として、それをベースに他の4棟の検討をして行った。
が、しかし、宇津乃火薬庫跡の研究紀要3冊を読んでみたが、そのどれもに「右端の煉瓦塀建物は、火薬の加工作業所兼導火線の貯蔵庫である」と書かれており、どうもこちらの方が本当らしいのだ。

で、3冊の研究紀要をまとめながら考えてみた。

↓全体の配置図

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①火薬加工作業所・導火線貯蔵庫

竣工時期・大正10年
昭和9年に、それまであった建物と防火壁を壊し、新たに建物と防火壁を竣工。
現在は、煉瓦積みの防火壁だけ残る。建物についての資料はなし。

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②雷管倉庫

明治45年竣工。大正8年土塁の入り口を一部改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床8尺×11尺、高さ12尺。
窓には摺りガラスを用い、亜鉛板の防火扉を有する。屋上に避雷針1本。

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③火薬・導火線貯蔵庫

明治45年竣工。大正8年土塁の入り口を一部改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床15尺×31尺5寸、高さ13尺。
窓と扉は②に同じ。屋上に避雷針2本。

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④ダイナマイト倉庫

明治45年竣工。大正7年保温装置取り付け、及び基礎の改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床や高さは③に同じ。
窓と扉は②に同じ、避雷針は③に同じ。

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⑤ダイナマイト・導火線貯蔵庫

大正6年竣工。
煉瓦造。東京型煉瓦。イギリス積。
床15尺6寸×31尺2寸。高さ13尺。
入り口扉と窓は共に木造、表面は鉄板張り。
屋上に避雷針2本。

参考にした研究紀要3冊の中の1冊は、
「③④のほぼ同じ造りの建物がダイナマイト倉庫で、⑤の煉瓦の建物が導火線・火薬庫」
としており、此処でどちらが本当かと考えてみた。
④は大正7年の改修の時に保温装置が取り付けられ、⑤は竣工当初から保温装置があり、それは今でも残っている。しかし、③は保温装置の後付けの記録がないことから、ずっとないままだったと思われる。
宇津乃火薬庫の保温装置とはスチーム暖房のことで、凍結によるダイナマイトの爆発防止のために取り付けられた。なので、その保温装置が見られない③にダイナマイトを保管したとは考え難く、やはり③は火薬・導火線貯蔵庫だろう。

全部で5つある建物だが、火薬庫と呼ばれるのは②~⑤で、①は多少分類が異なる。

現在、全ての建物の屋根が抜け落ちてしまっているが、爆発時には衝撃を上に抜けさせるために、元々屋根は頑丈に造られなかったそう。
なるほどねぇ・・・。

明治~大正初期に掛けて、火薬類は軍から払い下げられて宇津乃火薬庫に保管され、そこから毎日本山・小滝・通洞の事務所へと鉄道馬車によって運ばれ、そこから更に各坑内には人が背負って運搬していた。この運搬業務は女性の仕事だったそう。
やがて、足尾を縦横無尽にガソリンカーが走るようになると、火薬の運搬はガソリンカーに任されるようになる。

全国の鉱山施設跡や軍事施設跡に火薬庫は付き物だが、現存する中で、このように山の中腹をえぐり抜いた中に、まるで仕舞いこむようにして建物が建てられているのは、この宇津乃火薬庫だけだと言われる。
そこまで手の込んだ構造から、古河が火薬類の管理を徹底していたことが分かる。
此処から運び出されたダイナマイトで足尾の銅の産出量は一気に伸びて、足尾銅山は成熟期を迎えて行く・・・それを支えた施設が宇津乃火薬庫なのだ。

う~~ん・・・浪漫を感じるな~。