旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

本は楽しい

2006年02月27日 | 本と雑誌

昨夜、宮部みゆき「孤宿の人」読了。上下巻800ページに及ぶ長編の最後の場面には涙腺ゆるみっ放し。
「罪を犯したことで身内にある御仏の加護に気付き、しかしその加護にはもう近づけぬ弱く、儚く、卑しい人が人の中の人だ」・・・読み進む場面々々に出て来るこんな台詞に何度心を鷲掴みにされた事か。
昨日、本屋に行ったら去年の3月に出された村上龍の「半島を出よ!」が平積みになっていた。まるで新刊本みたいに。どらどら・・と思って少し読んでみると、代表的な長編作「コインロッカーベイビーズ」と同じ傾向の村上龍らしい小説の様子。巨大なフィクション。大人の寓話。そんな感じかな。
それにしても、村上龍って煽る人だよねぇ・・・性格かね、なんて。この「半島を出よ!」「コインロッカーベイビーズ」の革命もの(?)はぬるま湯に浸かった日本人の感覚に喝を入れるかの様な扇情的かつ刺激的な作品だし、「あの金で何が買えたか」「13才のハローワーク」で見せた斬新な発想は一時かなりの話題になった。
でもさ、この人って派手派手しく問題提起する割には最後が尻つぼみになるのは毎度の事。自分で投げた問題の大きさに自分が潰されてしまって何も結論付けられないんだよ・・・これも性格かね。

そう言えば、上子カメが「中学の指定図書に‘100万回生きたねこ’が入ってるんだよ。中学生にもなって何で絵本なんだろ」とプリプリ怒ってた時があった。
・・ので「うん、確かに子カメ達が小さい頃に喉が擦り切れそうになるくらい読んで聞かせたけど、あの話の深い意味が分かってる?あれは絵本ではあるけれど絵本を越えた物語だよ」と問うてみたら
「へ~。そうなんだぁ・・・」
「ズバリ!あれは輪廻転生のお話でしょ~!」
佐野洋子作‘100万回生きたねこ’とは、「100万年もしなないねこがいました。100万回もしんで100万回も生きたのです。りっぱなとらねこでした。」から始まる物語で、タイトルの通り何度も何度も生まれては死んでを繰り返すねこの物語。
ある時は王さまのねこで、戦争に連れられたねこは矢に当たって死んでしまう。ある時は船乗りのねこで、ねこは海に落ちて溺れて死んでしまう。またある時は一人ぼっちのおばあさんのねこで、ねこは老衰で死んで行く。そうやって生死を繰り返したある時、とうとうねこは誰のねこでもない自分のねこになる。そして美しい白いねこをお嫁さんにして沢山の子ねこが授かる。そのうちに歳を取って白いねこが死んでしまうと、ねこは悲しみのあまり泣いて泣いて泣き続け、そうして自分も死んでしまう。・・・それっきりもう二度と生き返る事は無かった・・・と言う話。
これってマジ仏教。
途方もなく長い時間、輪廻を繰り返したねこは、遂にありのままの自分を手に入れ、更には全身全霊で愛せる者達にめぐり会える。そうして、もう二度と生き返る事も死ぬ事もなくなる。
「これに仏教用語と充てると輪廻転生を繰り返しつつついに真如を得て輪廻から解脱し涅槃の境地に至ったのだ、となる!」と、上子カメ相手につい熱く語ってしまった。・・・・いや、ホントの事言うと、‘100万回生きたねこ’が仏教スペクタクル物語だなんてのは、単なる思い付きで根拠無いのだわ。
でも、1977年に第1刷が発行されて以来、日本はおろか世界各国でも愛され続けている物語の核が仏教であると想像するだけで嬉しいので、そーゆう事にしとく。

↓あ、そうそう、昨日の亀田兄弟。初のタイトル戦をKO勝ちしたのは次男だそうで。


カメまたまた大興奮!

2006年02月16日 | 仏教・仏像

今日は地元神社の大祭の日。神社の行事は氏子総代さん等の関係者の他に地域の自治会長、班長などが手伝う慣わしになっており、今年はウチが持ち回り班長なのでカメが手伝いに出た。

早朝から昼過ぎまで掛かる出仕は正直言って気が重かったけど、それと同じくらいに普段は関わる事のない神道系行事に触れられる期待もあった。・・・結果、期待を上回るワクワク感・興味津々・発見の連続!「密教曼陀羅フィギュア」「鳥獣人物戯画園バス」に続く大興奮!鼻血ものだった。

大体、何時も身近に感じている神社なのに名前が「日枝神社」であると言う事以外は何も知らなかったのだ。知らな過ぎたとも言うべきか。御祀りする神様が山王大権現だと言う事も、御神体が「杵」だと言う事も、今日初めて知った。仏教関係を調べる資料には事欠かない家なれど、事神道系に関しちゃ何の手立ても無いのでとりあえず広辞苑にて調べてみたら、山王とは、滋賀県の日吉神社に最澄が比叡山の守護神として勧請した神に付けた神号なのだそうで、仏教との縁が深い神様なのだ。それなので全国で山王権現を御祀りする神社は日吉若しくは日枝神社の神社名になるらしい。

そして、御神体に関しては、神社付近エリアは古代から人が住んでいたらしく土器、矢じり、住居跡などが発見されたそうで、その様な出土品の中の「杵」を御神体として御祀りするに至ったらしい。この杵は2本出たそうで、当寺の近所のお宅ではもう1本の杵を大切に受け継いでいるそうな。

何よりも目を瞠ったのは、本殿外側を装飾している彫刻の見事さ!普段は鞘堂に覆われて見る事が出来ない本殿なので、まさかこの様な精緻な彫刻が施されているものだとは思いも寄らなかった。日光東照宮陽明門さながらの彫りの見事さで、鹿沼市が誇る彫刻屋台と同様に左甚五郎の愛弟子による仕事かと思われる。柱、梁、欄干などのあらゆる部分に彫刻が成され、素木のままは廊下の床くらい。兎に角凝りに凝った造りの本殿であるのにはビックリ驚愕。いやぁ・・この威容を普段から見る事が出来るのならば、此処に暮らす人達の郷土の誇りや郷土愛が一段とアップするだろうになぁ。ちょっと惜しい。

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左写真は、祭典の準備で拝殿の掃除をしているところ。この奥が上述の見事な本殿へと繋がっている。この拝殿に掲げられた古い絵馬の一枚が相当価値のあるものらしい。

060216_135601 右上写真は神社境内の湧き水で神器を洗い清めているところ。

氏子総代さんの指示に従って大祭準備作業をこなして行くのも目新しく、この先は出来ない経験(一軒の家にこの当番が回るのは何十年に一度らしい)なので楽しくやらせて貰った。三方に供物を載せる仕事をしながら、全部で十一ある三方の供物の説明をして貰うと、何とこの大祭の為に獲られた雀二羽が供物の中に入っておりこれは山王権現様が手にとって頭からガブリと噛り付くのだそうな。そして、供物は神様から見て頭(鳥、魚の頭、野菜の頭)を左にするのだそうで、その他にも榊の刺し方や供物の捧げ方などに一つ一つ仕来りがあるのだ。・・ま、これは寺も同じだけど。

現在は家が立ち並び、道路が通って判りにくくなっているものの、日枝神社と観音寺とは真っ直ぐ向かい合った位置に在る。神社の祭典に興奮した今だから取って付けた様に言うわけではないけれど、カメは明治まで続いた神仏習合の考え方と言うのは日本人独特の宗教観が作り上げたこの国に似合った考え方だと好ましく思っている。・・・そんな思いからしても、今日の神社出仕は良い経験になった。


ご近所の御仏

2006年02月07日 | 仏教・仏像

夕べ鎌倉の夢を見た。夕ご飯を食べながら上子カメが「小学校の修学旅行の鎌倉で道に迷った」話をしてたのを聞いたからだと思う。何と、江ノ電と同じ速度で歩いて彼方此方の寺院拝観をしてるのだ、この自分が。浄光明寺の境内が印象的だったなぁ・・夢とは思えぬくらいに。こりゃ、夢の形を取った願望だな。

3年前、梅の蕾が二つ三つほころんだばかりの早春に訪れた鎌倉が印象的だったせいか、今頃の季節になると鎌倉が恋しくなる。あの時は、冷たい雨に祟られながら「水月観音」目指して東慶寺まで徒歩で行き、漸くたどり着いて、いざ鎌倉ならぬいざ拝観と思ったら「水月観音拝観は事前に申し込みが必要」と聞いてガッカリ・・目の前で濡れそぼる紅梅が妙に哀しく見えたものだ。

・・・鎌倉ではないけれど、来月28日から東京国立博物館にて「天台宗開宗1200年記念 最澄と天台の国宝」特別展が催される。出展品の中でカメが一番楽しみにしているのが伝・最澄作とされる薬師如来像で、それは何と上野寛永寺根本中堂の秘仏御本尊。・・・鎌倉よりも近い東京に、この様な素晴らしき御仏がおはしたとは!奈良・京都・滋賀も良いけど、近隣寺院の御仏達をもっと知りたい、もっと拝観したい。

カメが「密教の哲学」を受講する新橋の真福寺本堂には、平安期の薬師如来像が御本尊として御祀りされており、長身で厳しいお顔立ちをした優品。・・・機会があれば是非拝観して下さいな。


仏像盗難

2006年02月05日 | 仏教・仏像

今日の午前中、法隆寺西室(国宝)の木製格子を6本も切断して中に侵入し、文殊菩薩像を盗み出した輩が居るそうな。その文殊像は古い時代の御像を昭和期に模刻されたものだそうだけど、模像だろうが何だろうが御仏に手を掛けるなんてトンデモナイ奴!・・・そうしたら、その事件の約3時間後に今度は同県の橘寺本堂に安置された薬師如来像をボストンバックに入れて持ち帰ろうとしている男が職員に取り押さえられて、通報で駆けつけた橿原署員が現行犯逮捕したそうな(お手柄!パチパチ~)。逮捕されたネイルサロン経営の43歳男性は、法隆寺西室事件と同一犯ではないかと追及されてるらしい。

NHK仏教美術専任講師の先生が仰るには、泥棒に魅入られて(そんなのに魅入られたくないぞ!)しまう寺というのはあるもので、痛ましい事にそういう寺は、指定文化財が盗まれると言う辛酸を幾度も嘗めさせられてるそうな。・・・多分、法隆寺はそんな事は無いと思うのだけど、兵庫県の鶴林寺などは相当やられてるよね。

盗まれた仏像は二度三度と「転がされ」出所不明にされた上で、とある好事家の手に渡って独り占めされちゃうのだろうなぁ。・・・金銭に換えられぬまさに掛け替えの無いものが、金銭授受の犠牲になって行く姿は想像するだけで心が軋む。盗まれた御仏は勿論の事、動物や性が売り買いされる姿も知って辛いものがある。


立春に奈良路を想う

2006年02月04日 | 仏教・仏像

此処のところ暖かい日が続いたせいか、今日の寒さは一段と身に堪えた。下子カメの剣道朝稽古の付き添いで道場の隅で正座して待ってる時の辛かったこと!庭には5センチ以上はありそうな霜柱が立ち、こんなに立派な霜柱はこの冬初めて見た気がする。

しかし、厳しい冬の寒さあってこそ春を迎える歓びがあると思って我慢するか。・・・今日は立春。暦の上では春。「春」の言葉で連想するのが、先ずは「桜」そして「お水取り」だなぁ。東大寺二月堂お水取りの大松明は迫力ものでワクワクするけど(実際に見た事は無い)、それ以上に「十一面悔過」とも呼ばれるお水取り修法の御本尊である十一面観世音菩薩立像への憧憬の気持ちが大きい。

長野善光寺の御本尊「阿弥陀如来及両脇侍立像」(一枚の大きな光背の中に阿弥陀如来と脇侍である観音菩薩と勢至菩薩がおはす善光寺式三尊と呼ばれる様式の原型)と共に絶対的な秘仏とされる、この二月堂御本尊・十一面観世音菩薩は、歴代の管主さまですら実際に拝した事は無いのだと、昨年の奈良路の際に堂守のジイサマから聞いた。・・・専門家の間では「絶対的な秘仏と言われる御仏は、本当のところは無いのじゃないか」との見方が濃厚らしい。

二月堂奥の、そのまた奥の御厨子に安置される御本尊・・・それが「安置されていた」のか「安置されている」のかは判らぬまでも、二月堂をぐるり巡る廊下を走る大松明の炎や僧侶の読経の向こう側に、その御姿を感じ得るのだ・・・スラリとした容姿、やや吊りあがり気味の厳しい眼差し、観音相特有の長い御手、冠の様に頭上に載った十の顔、そして秘仏である為にそう剥げる事無く綺麗に残る極彩色。

何て言うのか、こと奈良に関しては非常に感が冴えると言うか、観念的になりがちで、例えば暮れ行く奈良の街中を歩きながら、現代人が眠りに付く時間が迫る程に昔日の天平人の影が少しずつ濃くなって行く様な気がして非常な胸騒ぎを覚えるし、何故だか知らないけれど「元興寺」を目指して歩いて、直ぐ近くまでたどり着いた頃からやはり胸騒ぎを覚え、拝観料を払って境内に歩み進んだ時にはもう全身鳥肌もので毛が逆立ち、訳も無く涙が溢れ、心は頑是無い子供の頃に戻った様な甘やかなノスタルジアで満たされる。・・・どうして元興寺か。どうして天平か。そして、どうして奈良か。判らないけど、カメは勝手に奈良に惹かれ、魅かれて、引っ張られてる。

人に前世があるとすりゃ、ひょっとしてカメの前世は藤原不比等のお手付け端女だったりして!う~む、この空想はナイスかも。