旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

Eric Carmen

2009年04月26日 | 音楽

昨夜、you-tubeでこんなのを観てウルウルしていた。

EricCarmenってご存知かなぁ~。
カメが小中学生の時に大好きだったミュージシャンで、その後今でも聴き続けているのだよ~。

↑「Never gonna fall in love again」

70年代当時のEricは、クリンクリンの巻き毛と、これまたクリクリとした瞳が愛らしかった♪

Never gonna fall in love again・・・この歌詞、共感するなぁ。
そっ、恋に燃え尽きた人は、もう人を愛せないのだよ。
おじいちゃんと呼ばれる歳になっても「異性を好きになってしまった」と告白する人が居るけど、きっとその人の心には燃え残った残滓があるのだろうね・・・。
それを燃やし尽くすか否かは、その人次第だけど。

↑これは、ソロになる前のEricCarmenが在籍していたRaspberriesの「Let's pretend」。

この曲を、あのBayCityRollersがコピーしてたっけ。
彼らのコピーも好きだった・・・けど、やはり本家本元には敵わない。
これは名曲だと思う、マジで。

昔の音、昔の映像・・・埃を被ったみたいなくすんだ感じが、何故だか甘やかな気持ちにさせてくれる。
デジタルのシャープな音に慣れた耳には、とっても心地良い。

・・・にしても、イケメンだよな~、EricCarmen♪


ジュピター病院に行く

2009年04月24日 | 人間じゃない家族

今日は愛犬ジュピターの、
狂犬病接種
健康診断
フィラリア薬
フロントライン薬(ノミ、ダニの退治薬)
で動物病院へ・・。

計36000円也。
うわっ!

昨日はトリミングに連れて行ったので、その代金も含めると
ザッと50000円!
( ̄ω ̄;) ブヒ~

このブログにも何度か書いたが、大型犬は金が掛かる。
体重に比例して料金アップの薬代は掛かるし、トリミングもペットホテル代も小型犬の倍。
その上アフガンハウンドなので、トリミングの回数も半端じゃないし、大型犬の料金プラス別料金になる。

うーむ・・・
/(-_-)\

しかし、ま、美しい犬♪・・・なので、連れて歩くとちょっと自慢。
今日、動物病院に行ったって、待合室に居並ぶどんな犬よりもグレ~ト!
人を差別しちゃいけないように、犬だって差別しちゃいけない。
それに、誰だって「ウチの子、一番」って思ってるんだし。

でも・・でも・・・・でも・・・・・・
ずぇったいにジュピターが一番!
と、内心思ってた。
( ̄ー ̄)ゞ フフッ

ところで、犬や猫の性別を
男の子、女の子
と言う人が多いが、まったくバカじゃなかろーか、と思う。
郷ひろみじゃあるまいし。
幾ら美しくても、愛しくても、自分にとっちゃ犬は犬であり獣だ。
なので、
雄、雌
これで良いんだよ。

・・・来月はワクチン接種だぁ。また掛かるなぁ。ふぅ

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↑病院の待合室にて。かなり不安な表情。

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↑早く帰ろーよ、とアピール。


現実逃避

2009年04月20日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

廃墟とか遺構ってのは、静寂の中で対峙するからこそ良いのだよね。

時に山を登り、草むらをかき分け、瓦礫を踏みしめて、
そうして目の前に現れた「時間を止めた建物」の声に耳を澄ます・・・それが、たまらなく好き。

人の手から離れた瞬間から時間を止めているにも関わらず、皮肉なもので、時は確実に建物を朽ちさせて行く。

自分が見ているその時にも、建物は朽ち続けている。
自分は、確かにそれを見届けている。
そう思うと、ちょっとだけ熱いものが込み上げて来る。

なので、世界遺産登録を目した軍艦島に修復工事の手が入り、遊歩道まで作られ、終いにゃツアーまで企画された、と聞いて
「もう終った・・」
とガックリ来た。
大勢のツアー客に混じって、ガイドの説明を聞きながら見る軍艦島?・・そんなのあり得ない!

今、愛して止まぬ物件(アレとアレとアレ)も何れそうならないとは限らない。
そうなった時に悔いを残さぬように、今のうちに行っておかなきゃ。

・・って、結局コレが言いたかったんだな。

・・つーか、こんなブログ書いて現実逃避してんだよ。
忙しくてやんなちゃう。


足尾銅山坑内作業員募集

2009年04月18日 | カメ的世界遺産・足尾

友人が、こ~んな素敵なものを見つけて送ってくれた。
感謝♪

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昭和21年8月に出された新聞広告だそうで、昭和21年と言えば終戦の翌年、未だ人々の生活が安定しなかった頃・・・この年の5月に「食糧メーデー」が開かれ、7月には渋谷で闇市の乱闘事件が起きている。

募集要項の中の
「復員者歓迎」
「主食は一般配給の他、加配米あり」
なんてところに、その時代を感じるね~。

それと、
「単身者には寮の設備あり、事情により寝具貸与、その他設備完備す」
とあるから、身体ひとつで行っても生活に困らない厚遇ぶり!それも、応募面接の旅費支給だ。
当時の人にすりゃ有り難かったろう・・。

古河の名前と並んで「足利勤労署」とあるけど、勤労署ってのは今のハローワークみたいなものかな?
つーか、勤労署→職業安定所→ハローワークになったんだろか?
足尾銅山は足利の管轄だったんだねぇ。

・・・と、この求人広告からその頃の足尾銅山&古河鉱業が垣間見えて、カメ狂喜。

ところで、募集年齢が20歳~40歳以下だって・・・・自分、ダメじゃん。(泣)


宇津乃火薬庫跡再考

2009年04月14日 | カメ的世界遺産・足尾

以前の記事「足尾の小ネタ」で、宇津乃火薬庫跡の「全5つの建物がどんな用途で使われていたか」をカメなりに推測してみたけれど、その後の調べによって、その推測はことごとく撃沈だったと判明。

なので、宇津乃火薬庫跡再考

先ず、撃沈した第一の理由は此処。
太田貞祐・著「足尾銅山 小滝の里」の中にある「(略)煉瓦塀の雷管倉庫も見受けられる(略)」なる記述から、向かって右端の煉瓦塀倉庫が雷管倉庫として、それをベースに他の4棟の検討をして行った。
が、しかし、宇津乃火薬庫跡の研究紀要3冊を読んでみたが、そのどれもに「右端の煉瓦塀建物は、火薬の加工作業所兼導火線の貯蔵庫である」と書かれており、どうもこちらの方が本当らしいのだ。

で、3冊の研究紀要をまとめながら考えてみた。

↓全体の配置図

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①火薬加工作業所・導火線貯蔵庫

竣工時期・大正10年
昭和9年に、それまであった建物と防火壁を壊し、新たに建物と防火壁を竣工。
現在は、煉瓦積みの防火壁だけ残る。建物についての資料はなし。

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②雷管倉庫

明治45年竣工。大正8年土塁の入り口を一部改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床8尺×11尺、高さ12尺。
窓には摺りガラスを用い、亜鉛板の防火扉を有する。屋上に避雷針1本。

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③火薬・導火線貯蔵庫

明治45年竣工。大正8年土塁の入り口を一部改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床15尺×31尺5寸、高さ13尺。
窓と扉は②に同じ。屋上に避雷針2本。

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④ダイナマイト倉庫

明治45年竣工。大正7年保温装置取り付け、及び基礎の改修。
石造平屋建。切石積み(花崗岩)。
床や高さは③に同じ。
窓と扉は②に同じ、避雷針は③に同じ。

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⑤ダイナマイト・導火線貯蔵庫

大正6年竣工。
煉瓦造。東京型煉瓦。イギリス積。
床15尺6寸×31尺2寸。高さ13尺。
入り口扉と窓は共に木造、表面は鉄板張り。
屋上に避雷針2本。

参考にした研究紀要3冊の中の1冊は、
「③④のほぼ同じ造りの建物がダイナマイト倉庫で、⑤の煉瓦の建物が導火線・火薬庫」
としており、此処でどちらが本当かと考えてみた。
④は大正7年の改修の時に保温装置が取り付けられ、⑤は竣工当初から保温装置があり、それは今でも残っている。しかし、③は保温装置の後付けの記録がないことから、ずっとないままだったと思われる。
宇津乃火薬庫の保温装置とはスチーム暖房のことで、凍結によるダイナマイトの爆発防止のために取り付けられた。なので、その保温装置が見られない③にダイナマイトを保管したとは考え難く、やはり③は火薬・導火線貯蔵庫だろう。

全部で5つある建物だが、火薬庫と呼ばれるのは②~⑤で、①は多少分類が異なる。

現在、全ての建物の屋根が抜け落ちてしまっているが、爆発時には衝撃を上に抜けさせるために、元々屋根は頑丈に造られなかったそう。
なるほどねぇ・・・。

明治~大正初期に掛けて、火薬類は軍から払い下げられて宇津乃火薬庫に保管され、そこから毎日本山・小滝・通洞の事務所へと鉄道馬車によって運ばれ、そこから更に各坑内には人が背負って運搬していた。この運搬業務は女性の仕事だったそう。
やがて、足尾を縦横無尽にガソリンカーが走るようになると、火薬の運搬はガソリンカーに任されるようになる。

全国の鉱山施設跡や軍事施設跡に火薬庫は付き物だが、現存する中で、このように山の中腹をえぐり抜いた中に、まるで仕舞いこむようにして建物が建てられているのは、この宇津乃火薬庫だけだと言われる。
そこまで手の込んだ構造から、古河が火薬類の管理を徹底していたことが分かる。
此処から運び出されたダイナマイトで足尾の銅の産出量は一気に伸びて、足尾銅山は成熟期を迎えて行く・・・それを支えた施設が宇津乃火薬庫なのだ。

う~~ん・・・浪漫を感じるな~。


足尾日和

2009年04月12日 | カメ的世界遺産・足尾

桜が観たくて、
呑龍寺の花まつりが観たくて、
小滝地区のオゾンに満ちた空気が吸いたくて、
足尾に行って来た。

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↑まず向かったのは小滝地区。
来る度に思う・・・此処は空気が違う!って。
カメも随分と空気の良い所に住んでいるけど、単に「キレイな空気」とかのレベルではなく、もっと神々しい何かが満ち満ちているように感じられてならない。例えば、神泉(神域の泉)の水に触れるような・・・そんな感じ。
それと、オゾンが多く含まれる気もするね~。これは、この直ぐ傍を庚申沢川の清流が流れるせいかな。

ところで、上写真の「小滝の碑」の下側に鉱山遺構があるのを、この後で行った「足尾歴史館」で知ることになる。
今度は、下側にも行かなくちゃ!

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↑「小滝の里」碑と道を挟んで反対側にある製錬所跡。

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↑保存状態の良い石段。

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↑往時の写真を見ると、在りし日の製錬所は、この分厚いレンガ壁で造られた要塞のようだった。

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↑一見、落ち葉に埋もれて分からないけど、よぉ~く見るとこのような排水口が沢山ある。

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↑小滝地区から足尾街中に向かう途中で見た集落の跡。
今は石積みされた土台しか残っていない。

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↑小滝地区で清々しい空気を沢山吸った後に向かったのは、満開の桜の足尾駅。
「足尾駅博物館」でボランティア活動をする鉄ちゃん方々が、起動車を覆うシートを掛け替える作業をしていた。
その中に、究極のお鉄Sさんハッケ~ン!ハハッ

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↑足尾駅構内にあるレンガ造りの小屋。
畳一畳分くらいのプチプチサイズがめっさカワイイ。

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↑駅職員の宿舎だった建物。
見た目以上に老朽化が激しいそうで、中に一歩踏み入れた途端に、上から物が落ちて来るそう。
コワ・・・でも、見たい。

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↑足尾駅からわたらせ渓谷鉄道線路沿いに歩いて行くと、鉱夫住宅だった頃の名残か、路地があちこちに見られる。

路地を抜けて向かった先は、「花まつり」が行われている呑龍寺(どんりゅうじ)。

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↑仏旗(ぶっき。仏教を象徴する旗)で飾られた呑龍寺の周囲。

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↑幾つもの模擬店が出た境内は、人・人・人で大変な賑わいだった。

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↑カメも、甘茶を灌いでお釈迦さまのお誕生を祝わせてもらった。

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↑余興の「直利音頭」のセッティング。
直利音頭ってのは、足尾独特の節回しを踊りを持つ盆踊り歌で、元からあった女性たちの仕事歌を盆踊りに転用したそう。
歌詞を読むと、足尾の人達がどんなにか鉱山の仕事に誇りを持ち、鉱山の仕事にひた向きだったかが感じられて、胸がジーンとしちゃう。

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↑目に付いた石仏。
多分、六地蔵だと思うけど、見事なくらいに首が落ちてしまってる。
この他にも、この呑龍寺には意味深い石碑や墓石が伝えられているので、今度は静かな時に訪れてそれ等を拝見させて頂こう。

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↑次に向かったのは「足尾歴史館」。
長井館長ご在館で、1時間以上もの間色々と教えて頂いた。特に「宇津乃火薬庫跡」に付いての貴重な資料の数々を見せて頂き、思わずメモメモ。
その他にも、未踏の地へのアクセスポイントを幾つか教えて頂いたので、これは是非とも足尾組の皆さんにお教えしないと♪

足尾をより深く楽しむためには、やはり鉱山と建築の知識があった方が・・と思う。
あ、それともう一つ、古河市兵衛の人となりを知っていた方が良いかな。
それを知るためのあらゆる資料が、この歴史館には揃っているのだ・・・宝の山っす。

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↑歴史館の皆さまイチオシの「川本」にて昼食。
中でも美味しいと大プッシュされた鳥丼を頼んだ・・・・ら、ウマ~~~ッ!マジウマ!激ウマ!嗚呼、毎日でも食ひたひ。
歴史館にいらしてた「昭和レトロな建物が好きで足尾にも来てみた」って方と、此処でバッタリ。鳥丼を食べながら、「足尾の何処が好きです?」と訊かれ、足尾への熱き想いを語ってしまった。

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↑「川本」を出ると、近くにはこんな昭和テイスト満載の物件が。

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↑「川本」から少し歩いた所にある和菓子店「安塚」で、名物のあんこ玉を買った。
先の人とは此処で別れた。何となく探究心旺盛そうな人だったので、もっと足尾に魅せられて通ってくれたら良いのにな~、と思う。
・・って、すでに足尾人の感覚になっている自分がコワイ。

でも、ま、小滝の独特な空気を吸って、地元の人達に混じって「花まつり」をお祝いし、古河市兵衛と長井館長の人柄に魅せられ、「川本」の美味しいご飯を食べたら、脳細胞も脂肪細胞もメイドイン足尾だわな~。

それにしても、楽しい一日だった♪

今日の大収穫の「宇津乃火薬庫跡」に関しての記事を、近々アップするで~。


散華

2009年04月10日 | 仏教・仏像

入学式二連チャンで、今日は地元小学校。

同じ義務教育中でも、中学校と小学校じゃ随分と違うね。
中学校は厳粛な式典って雰囲気だったけど、今日のは「新1年生歓迎会」のノリで明るいったらありゃしない。
小学生は、君が代斉唱も校歌斉唱も高らかな声で元気いっぱい!

やっぱ、子供が無邪気でカワイイのは小学生までだな~。

そんな子供達の姿と重なるようにして校庭の桜が目に入った。
満開を過ぎようとしている桜がハラハラと絶え間なく花びらを散らしており、風に乗った花びらは、まるで雪のように屋根に落ち、地面に落ちて行く。

式典中申し訳なかったが、そんな光景を目にしながら散華(さんげ)に思いを巡らせた。

散華とは、御仏が来迎した時に、それを歓び讃えるために天部の神々や衆生が華を降らせた・・・と言う故事に倣った言葉。
つまり、華を散らしむ供養のことで、華の芳香によって悪い鬼神などを退却させて道場を清めて御仏を迎える、との意味合いも含むらしい。
寺院で法要を厳修する時に、御仏を供養するために花(紙で出来た蓮の花びらの形をしたもの。これも散華と言う)を撒き散らし、当寺では大施餓鬼会の時に行う。

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↑東大寺「聖武天皇1250年御遠忌」法要で撒かれた散華。

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↑上写真の散華が、僧侶たちによって撒かれて東大寺大仏殿を舞う。
こうして見ると、ホント桜だね・・・しかも幻想的ですらある。

パッと咲いてパッと散る桜は、武士道に根付く日本人の精神の象徴。
桜は自衛隊や警察の紋章に使われ(これが菊だと激ヤバ!)、戦時中に特攻隊が戦死するのを(玉砕と同じく)散華と言った。

インドで生まれた散華の故事が、こうして日本の桜につながったわけだけど、果たしてインドには桜のようにハラハラと花びらを散らす木があるのだろうか?
例えあったとしても、桜には及ばないと思う。

そんなことから、釈迦が最初に説法をした時から、仏教は最後に日本に到達すべきものであった気がしてならないなぁ・・・な~んて考えてた。

・・ら、入学式は終ろうとしていた。


国宝阿修羅展

2009年04月04日 | 仏教・仏像

興福寺創建1300年記念の特別企画「国宝阿修羅展」。

最初に言ってしまおう、今回の売りぐるり360°阿修羅は、予想外にツッコミどころ満載・ネタ満載なのだった。

国民的アイドル仏・興福寺阿修羅だが、カメとしちゃ「そんなに・・」程度。
何せ、一番好きなみ仏が東大寺四月堂の千手観音菩薩立像ってくらいに、ちょいとクセのあるお像に惹かれるのだなぁ(人間も同じかも)・・・それくらいだから、キレイにまとまり過ぎる阿修羅は、心に引っ掛かって来ない。

それでも、お像の“側面感”や“背面感”を大事にするカメとしちゃ、「この機会に、阿修羅の背面をジックリと拝ませてもらおう」と、それを楽しみに観覧したのだが・・・。

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↑ズバリ、背面はこんなであった。(図録写真より)

開口一番「ええ~っ?!」。
ブーイング。
こんなだったの・・・つーか、こりゃ~ね~だろ。
何故なら、カメとしちゃ↓こんなのを期待していたからだ。

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↑これは滋賀県渡岸寺の十一面観音菩薩立像で、このお像も正面の両脇に大きな顔がある。
しかし、背面を見ると一つの頭として破綻なく収まっているのだ。
阿修羅の左右両面は、渡岸寺像よりも大きく正面とほぼ同じ大きさであるけど、だからと言って頭を2つに割ったままの造形は、ちょいと稚拙だろうと思ってしまう。芸なさすぎと言うか。

館内の殆どの人達は、これが最初で最後かも知れない阿修羅の背面に食い入るように見詰め、感嘆の声を漏らしていたが、カメと上子カメは「ププッ!」と噴き出してばっか。
「これってマンガ!」と・・。

阿修羅は「八部衆」の中の神で、八部衆と言うのは釈尊に教化された異教の神々の集まり。
つまり、仏教が興隆するに従って、元からあったインド土着の神々を取り込んで行った結果、天部のみ仏達が誕生して行った。
梵天・帝釈天、四天王、仁王などに代表されるのが天部のみ仏で、その天部に八部衆も居る。

しかし、今回の展示では、八部衆の中で阿修羅だけが別格扱いで、単独別室展示となっている。
ま、「国宝阿修羅展」なる名称だし、阿修羅の前で人垣が出来るのを考えれば別室展示も致し方ないと思うのだが、惜しいのは阿修羅に当たるライトだけ他の部屋より強めで、阿修羅が持っている色が飛んでしまっているのだ。
裳裾に残る僅かな金箔だけが光り輝くだけで、あとはどんな色なのかが不鮮明に。
これは東博に物申したいところ。

興福寺八部衆の中で、カメが一番に好きなのはこのお像!

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↑鳩槃荼(くばんだ)立像。
相変わらずのアウトロー路線好きで。(汗)
何処が良いか・・・それは、真横にグワッと開かれた口で、この口角がもうちょっと上に上がれば泣く子も黙る憤怒の相になるものを、何せ真横一文字、怒ってるのか笑ってるのか分からない。ハーモニカを吹いているようにも見える。
その曖昧なところに深いユーモアを感じ、「やられた!」と思ってしまうのだな。

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↑それから、この五部浄(ごぶじょう)像も素晴らしい。
他の7躯がほぼ完全な状態で伝わっているのに、何故にこの五部浄だけがこれ程欠損が激しいのか・・・美少年好みの光明皇后が毎晩抱いて寝ていたのだろうか。
しかしながら、少年のあどけなさの中に憂いをたたえたこの表情は阿修羅に匹敵するもので、返す返すも胸部から上しか残っていないのが惜しい。
辛うじて残った右腕部分が別展示されていたが、その指の動きには表情があり、それを見ただけでもこのお像の完成度の高さがうかがえる。
この五部浄には隠れファンが沢山居るのだ。もし、完全形で伝えられていたら、阿修羅と組んで国民的ブラザーズ・アイドルになっていたであろう。

そうそう、この五部浄の破損部分を見ると、八部衆の造像技法である脱活乾漆造の様子が良く分かる。
脱活乾漆造と言うのは、心木を組んだところに塑土でもって大まかな造形をする。その上に麻布を漆で塗り固めて貼り付けていく作業を5回くらい繰り返し、乾いたところで中の塑土を取り出して、最後に細部を木と漆を混ぜ合わせた木屎漆(こくそうるし)で成型して行き、乾いたところで彩色を施す。
つまり、お像の中は心木だけの空洞な状態で、張子の玩具のようになっている。
五部浄の胸の辺りから、麻布の張り合わせ方が良く見て取れる。

ところで・・・

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↑この迦楼羅(かるら)立像だけが異形なのは何故なんだろう?
他の7躯は、ほぼ人の顔をしているのにこの迦楼羅だけは、まんま烏。
幼稚園児に八部衆を見せて「仲間はずれはだ~れ?」と問うてみたら、きっと八割以上が「この人~!」と迦楼羅を指すだろうなぁ。

八部衆を拝し終り、次なる展示に向かったら・・・
わお!慶派仏満載だ~♪
それも、慶派も慶派、運慶の父であり師でもある康慶(こうけい)作!

いや~、迫力満点の四天王。
思わず息を呑み、その後呼吸を忘れるくらいに寸分の隙のない造形。

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↑四天王の斬り込み隊長、持国天。
四天王全てが2mを越す大きさ。

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↑邪鬼の踏まれっぷりも良いね~。

流石は慶派だ!
これだけの迫力がありつつも、破綻のない造形。この匙加減が絶妙なんだな~。

その他、法隆寺から特別に「伝橘夫人念持仏」が出されていた。
これは興福寺を発願した藤原不比等にちなみ、藤原不比等夫人であり八部衆像を発願した光明皇后の生母であった橘三千代の念持仏の公開となったのだろう。
カメにとっては、法隆寺で拝して以来の7年振りだ。
念持仏の尊名は阿弥陀三尊で、制作された飛鳥年代特有の童顔童形であるのが愛らしい。

以上、思い付くままツラツラと書いてみたが、冒頭で書いたように阿修羅の背面は(この際、ハッキリ言おう)期待はずれだったものの、伝橘夫人念持仏や康慶による四天王像、八部衆の中の五部浄・鳩槃荼像には、カメ熱狂。
花見で狂乱中の上野にあって、奈良を感じさせてくれ、仏浴させてくれた「国宝阿修羅展」であった。

合掌


足尾魂

2009年04月02日 | カメ的世界遺産・足尾

スポーツクラブで、バイク乗りの男子と話をしていた。

「暖かくなって来たし、そろそろツーリング再開ですね。」
と嬉しそうに言う男子に、
「足尾とか行く?」
と訊いたところ、
「足尾?行きますけど、足尾は通過点ですよ。」

通過点!!!
その一言が、カメの足尾魂に火を点けちまったぜ!

「足尾が通過点?そんな勿体ない!」
と口火を切った後は、我ながら良くぞ続くと思うくらいに足尾礼賛の言葉を並べ立てた、立てた、立てまくった。

「うわぁ~、カメさんがそんなに足尾が好きだとは。イヤ、俺もね、一度は何とか鉄道ってのに乗ってみたいとは思ってるんっすよ。」
「あ、わたらせ渓谷鉄道。通称わ鉄ね。」
「わ鉄つーんすか。」
「そ。通はわ鉄って言うの。」
「へ~。それと、足尾で何か美味いものってありますかね?」
「イチオシはますやのコロッケ!」
「おおっ!コロッケか~!そりゃ食ってみたい!」
「・・って、実は私も食べたことないんだけどさ(オイオイ)、何でもジューシーで美味しいって評判で、コロッケ買いにわざわざ足尾に来る人が居るくらいだって。」
「(ケータイを取り出し)えっと、メモしとこう。ますやの・・」
「ま・す・やって平仮名だからね。」
「ハイハイ。」

そんなこんなで、春のツーリングには足尾に通過・・ではなく、しっかりと途中下車すると約束させたのであった。
勿論、「足尾歴史館もよろしくネ♪」と付け加えたのは言うまでもない。

自分の中の足尾魂燃焼の発火温度が、どんどん低くなって行く・・・。

●追記●●●
ところで、そのバイク乗りの男子は、日足トンネル(日光から足尾に抜けるトンネル)を抜けて松木渓谷に至るルートは2~3度走ったことがあるらしい。
日足トンネルから松木渓谷に行く間には製錬所があるので、
「それじゃ、製錬所を見たでしょ?足尾の魅力は製錬所に凝縮されてるんだよ。」
と言いながら、製錬所の様子を話したところ、
「そんな大きな工場、あったっけ?全然見た記憶がない。」
と・・。

あの製錬所が目に入らないなんて!驚いた!

つくづく、興味のない人の目には映らないものなんだぁ、と感じた。
かく言うカメの目には「花」が映らない・・・って、女子たるもの、それでイイのか?!