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信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる③第三橋梁

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑碓氷線遺構最大の目玉、通称めがね橋こと第三橋梁。
碓氷線建造物の中では最大のもので、四連アーチ、アーチの径間は18メートル、高さ31メートル、長さ91メートル。
イギリス人パウエル技師が設計した。

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↑まるでラピュタ帝国だねぇ・・・。

1892年(明治25)に完成し、その当時に使用された赤レンガは約203万個だったと言う。
が、その後の1896年(明治29)年の耐震補強工事により、それまで一重だったアーチが二重になり、橋脚も太くされたことから、計300万個の赤レンガが使用されていると思われる。

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↑うわぁぁぁ~!

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↑どっしりとした橋脚。

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↑何て美しいデザインなんだ・・・。

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↑橋脚を見ると、中心の柱の横にウィングのように出ている部分があって、そこが耐震補強された部分。
そして、アーチを見ると二重になっているのが分かる、その外側部分も耐震補強部分で、この部分を取り除いた第三橋梁を想像して欲しい・・・建設当初は非常に女性的な美しさを誇っていたのが分かるよね。

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第三橋梁から山間深くを見ると、比較的新しげな橋梁が見える。
これは、第三橋梁の上を走っていた初代碓氷線が廃線になった後に敷かれた新線の橋梁。
しかし、この新線も長野新幹線開通のため平成9年に廃線となった。
栄枯盛衰・・・嗚呼!

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↑直ぐ近くにはカマドの跡らしきものが。
住居があったのかな?それとも、橋梁工事に動員された人足17000人の食事を賄った炊事場なのか。

何時までも見飽きぬ第三橋梁に別れを告げ、後ろ髪を引かれつつ横川方面に向かって引き返し歩いて行った。

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↑トンネルの先に見られる木々の煌きがまぶしい。

これにて、今回の探索の全ては終了。
この時点で12時30分(早っ!)。帰りまでには時間があったので、丸山変電所跡近くにあった「峠の湯」に入って行こうか・・などと話ながら歩いて行った。

<④に続く>


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2 コメント

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こんばんわ。 (水道ネコ)
2009-10-13 21:21:06
こんばんわ。
碓氷峠の写真、見てたら私も行きたくなってしまいました。
その昔、会社の慰安旅行でJRのお座敷列車で碓氷峠を越えたことがあるのですが、峠に差し掛かった時、お座敷の上に散乱したビールの空き缶だの一升瓶だのがドドドと音を立てて一斉に後ろに転がりだしたのを覚えています。如何にすごい勾配か、良く判りました(笑)。

小滝の青葉寮跡にも似たような3連カマドが残ってますね。小滝のはレンガ造りですが。
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帰って来たら、ふくらはぎに激痛!・・筋肉痛なん... (カメ)
2009-10-14 09:51:39
帰って来たら、ふくらはぎに激痛!・・筋肉痛なんです。普段から鍛えている足を襲った痛みが、片道4.8キロがどれだけ急勾配だったかを教えてくれました(涙
第三橋梁は、横川側から軽井沢側に向かって6メートルも上がっているそうです。全長たった91メートルの橋の高低差が6メートルってのは急傾斜ですよね。
アプト式じゃないと運行出来なかった情況がよぉーく分かります。

小滝の三連カマドは残念ながら見たことないのです。写真で見ましたが、生活の匂いを感じさせる遺物ですねぇ。
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