旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

冬支度

2008年11月30日 | カメ見聞録・レトロな街編

今日で11月も終わりかぁ・・・。
早いなぁ・・・・寝て起きたら月が変わってた、ってくらいに早く感じる。

今日は、上子カメのスクール用コートを買いにショッピング・モールに行って来た。
ETCレーンをくぐりたくて、わざわざ遠回りして高速乗っちった。 アホ
ETC、良いね~!便利だね~!
一般レーンだと、幅寄せがヘタくそなカメは通行券を抜き取るにも一苦労だった。シートベルトを外して身体を目一杯伸ばして「ううっ!指先が攣りそうだ!」なんてやってたので(つくづく情けない・・)、それがなくなっただけでも嬉しい。

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スクール用コートは予算の半分以下で素敵なのが買え、カメは←コレを買った。
指輪形のキーホルダーとカードケース。
アチコチのポイントカードでお財布がパンパンなので、カード専用ケースが欲しかったんよ。
どちらもフランフランで買いますた。フランフランが好きで、此処に入ると手ぶらで出て来ることはないな~、何か買っちゃう。
そうそう、此処にも湯たんぽが沢山並んでた。
湯たんぽ、ブームだね~。可愛らしいカバーが付いた小さ目サイズの湯たんぽは、ドラッグストアや雑貨屋さんの主力商品。

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そして、買い物途中でインド料理店でカレーセットを食べ(美味しくなかった・・)、買い物済んでからスタバでクリスマス限定メニューでお茶。
星の形のケーキ・・・見た目は可愛いのだけど、甘くて参った。

・・・持って行ったお金の3分の1で済んだのに、妙なくらいに充実した買い物だったなぁ。

モール内には若いファミリーが沢山居て、パパが赤ちゃんと荷物が乗ったベビーカーを押して、短パン&ブーツ姿のママが身軽に歩く姿が多かった!
今の若いママ達は子育てでやつれたりしないのかな・・・何だか、すご~く元気。


道連れ

2008年11月29日 | 本と雑誌

本や雑誌の読み方には、案外その人となりが出ると思う。
「文庫本の解説から読む人」ってのは珍しくないらしいし、カメの友人に「どんな雑誌でも、最初のページから(例え広告でも)一枚一枚キッチリと読まないと気が済まない」って人も居る。

カメの場合、小説は何ページか読み進んだところで、イキナリ最後のページの最終場面を読むのだなぁ。
一つの物語の最後には印象的な文章が多く、それを頭に焼き付けた上で再び本文に取り掛かり、佳境に入って行くわけだ。

今読んでいる東野圭吾「流星の絆」もそれをやった・・ら!三兄弟の両親を殺害した真犯人が分かってしまった。
しかし、これまでの東野圭吾作品の場合、犯人を推理する謎解きよりも、事件を柱とした人間模様を描く作品が多かったので、真犯人が分かろうと面白く読めるであろう、とタカを括っていた・・ら!な~んと、この「流星の絆」は真犯人が最後に分かるドンデン返しで盛り上げようとする推理小説の典型(オールドスタイル)、一気に興醒め。
あーあ、知らなきゃ良かった。

自分一人つまらない思いをするのも何だと思って、ドラマの「流星の絆」にハマっている子カメ達にバラしてやった。
カメ「三人の両親を殺した犯人、知ってる?」
子カメ達「そんなのとっく前から知ってるよ。」
カメ「誰よ?」
子カメ達「戸神だよ。」
カメ「違うんだな~!」
子カメ達「うそぉ~っ!」
カメ「真犯人は、刑事の柏原だよ~!」
子カメ達「うそぉ~っ!(絶叫)一番熱心に捜査していた刑事?」
カメ「イェ~ス!」
その後、「何で教えるの!マジ、ムカつく!」の大絶叫の嵐。
フフン!道連れにしてやったわい。 何て親だ!

・・・ところで、コメント欄に刺激されて持っているDVDを漁ってみたら、↓こぉ~んなのが出て来た。

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一通り観ただけで仕舞いこんでしまったので、おぼろな記憶しかないけど、シブいっす。


日々是足尾

2008年11月23日 | 本と雑誌

先ずは足尾の特ネタ。

http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/top/news/20081122/78713

昭和8年の足尾を調べてみると、産銅量、就労人口共にピークだった大正6年からでは随分と下降しているものの、まだまだ現役操業、町が活気に満ち溢れていた時代。
そんな時代の記録フィルム、是非観てみた~い!
今はなき小滝地区も映っているのかな?足利市庁舎になった鉱業所事務所は?足尾駅と製錬所は勿論映っているだろうな~。
あ~、観たい!観たい!

ところで、今朝読了した(目が覚めてからベッドの中で1時間読んでた)篠田節子「ロズウェルなんか知らない」は面白かった。
特産もなく地の利も悪い“ないない尽くしの村”を何とかしようと立ち上がる若者達。彼らが村の特産にしようと目を付けたのはUFOと怪奇現象で・・・ってな話。
村おこしのために若者達が必死になる場面で、足尾歴史館館長を思い出し、閉鎖になり放置されたままの遊園地を解体・更地にして公園整備をしようとする行政や町の老人達に抗って、
「公園やテーマパークには、もう飽き飽きの時代なんだ。寂れた遊園地廃墟はこのままだからこそ味があって、これを見せた方が人は集まる。」
みたいな台詞を吐く場面では、おおっ!廃墟フリークの気持ち、きっちり分かってるやん!と嬉しくなった、まさにカメ好みの小説だった。
何と、この小説の参考文献の中には、廃墟界のご意見番・栗原亨の「廃墟の歩き方」があるのだわ。

で、小説の中の気に入った一節。
『幽霊を見た話と出来の悪い嫁をもらった話は、仲間うちで話しているうちに歯止めなくエスカレートする。自分に経験がなければ無意識に作っている。しかも他人よりも大きな話をしないと負けたような気分になる。人間の性だ。』
・・・うんうん、まったくよのぅ。
人間の性と言うより凡人の性。
『顰蹙は金を出しても買え。地雷は戦車で踏め。石橋は壊してでも渡れ。』
凡人を極めると、このような狂人になる。
しかし、こ~ゆう考え方、メッチャ好きだ。

さてさて、今夜から、ドラマ(と言うより、宮藤官九郎の妙なシナリオ)で話題の東野圭吾「流星の絆」を読むつもり。
文庫本になるのが待ちきれず、久々にハードカバーを買ってしまった。
1700円だよ、高いなぁ。
文藝本にこんな立派な装丁は不必要で、その分価格を落として欲しいところだけど、その立派な部分にデザイナー、製紙業者、インク業者、印刷屋など等がぶら下がっているのだと思うと、「仕方ないか・・」って気持ちにもなるけどね。


豊かな時間

2008年11月18日 | 本と雑誌

時たま、ひょいと思い出したように子カメ達が
「お母さん、小さい時に絵本を沢山読んでくれてありがとう。」
と言うことがある。

上子カメなんざ、高校生なってもこう言うのだから、よっぽど良い思い出なのだろうねぇ。

それはカメにとっても素敵な思い出。
それどころか、大人になったカメが絵本の素晴らしさと出会えたのは子カメ達のお陰で、こちらこそ子カメ達に感謝したいくらい。

上子カメが2歳くらいの時からほぼ毎晩続いた「寝る前の絵本」。
「お母さん、今日は何冊?」と訊くのは寝る前のお約束。
「ひとり3冊ね!」と言ったり、
「ふたりで合わせて5冊!」
「お話の短い本なら5冊、長いのは2冊かなぁ」
「今日は頭が痛いから、ひとり1冊ね」
と、その時の忙しさや体調で色々だった。
面白いのは「ひとり1冊」と言った時で、貴重な1冊を何にしようかと、本棚を前に真剣に悩む子カメ達の姿・・・可愛かったなぁ。

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↑佐野洋子「100万回生きたねこ」は、輪廻転生の物語であり、最後にねこは涅槃に入るんだよねぇ・・・深いっ!
「14ひきシリーズ」で有名ないわむらかずお先生に、何とカメはイラストを教わっていた。
先生の偉大さを知ったのは、こうして絵本に詳しくなってから。あの頃は、先生の原画を当たり前のように見ていたし、自分の作品の手直しまでしてもらってた!
今なって、それがどんな贅沢なことだったかと驚いてしまう。

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↑これは一番最初の絵本で、谷川俊太郎「もこもこもこ」。
不思議な図形と、最小限の言葉だけの絵本で、読み手のアレンジでどんな物語にも変わりうる素敵な絵本。
文章はないので、ブック・スタートにピッタリ。

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↑エリック・カール「ことりをすきになった山」は、大きくなった子カメ達とカメとで感動で泣きながら読んだ本。
たった1本の草すら生えぬ硬い山が、ある時ことり(渡り鳥)を好きになり、ことりを想うことで涙を流し、それが川となり・・・そこにことりがひと粒の種を蒔き、山は豊かになり色々な動植物に囲まれて山は幸せになる。
そんな物語なのだけど、読み始めて直ぐに“山は人の心である”と気付き、何時しか“山は自分自身の投影”となり、胸にジーンと響いて来る。
人生を考えさせる絵本として「はっぱのフレディ」が人気を呼んだけど、我々はフレディよりもこっちだったなぁ。

そして、片山令子・片山健「たのしいふゆごもり」は、読んだ回数がダントツに多かった本。
冬眠前の熊の母子の一日を楽しく描いたもので、晩秋の野山を駆け回り、お腹いっぱい食べて温かいベッドで春まで眠る・・・子カメ達は小熊と自分を重ね合わせてホッコリとした気持ちになっていたのだろうねぇ。
そのせいか、今でも冬眠前の母熊が撃たれたニュースを聞くと、子カメ達は激怒する。(勿論、カメも)

毎晩の絵本の時間、それは時に10分で切り上げてしまうこともあったけど、子カメ達と探った絵本の世界はとても深く、そしてとっても豊かな時間だった。

・・・しまじろうもアンパンマンもトーマスも好きだけれど、動く画面を見るのと自分で動かすのとは大きく違う。
アニメと違って、絵本は心で動かすもの、ひとりひとり違った心で違った風に動くもの。
ちっさい子達よ、アニメを見たら、それと同じだけ絵本を読んで“もらって”おくれ。・・老婆心ながら。


足尾銅山遺産と歴史を探る

2008年11月16日 | カメ的世界遺産・足尾

↑と、昨日頂いたレジュメからタイトルを拝借。エヘヘッ

NPO法人足尾歴史館の長井一雄館長を先達に、足尾オフ会は第二章の幕を開けたのであった。

と、物々しく始まってみたものの・・・

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↑しょっぱなの写真が、足尾ならぬ細尾発電所。
この日は「先ず細尾発電所に行こう!」と、早朝この地に集合したのだ。

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↑しかし、晩秋の朝日を浴びる発電所遺構は何処か神々しく、まるでカテドラルの趣だった。

そして、細尾発電所から車で20分移動し、足尾へ。
足尾歴史館駐車場で待つこと少々、すると本日のガイドさんと思われる方の車が到着した。
降りて来られた方のネームプレートを見て、カメ驚き!
長井館長ご自身じゃないの!

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↑そして、館長御自ら案内の最初が、通洞駅と駅前に鎮座していた足尾きっての旅館「泉屋」跡地。
この泉屋は、かつて古河の幹部や古河が招いた客人の定宿で大変な賑わいだったらしい。
ちなみに、通洞駅の「通洞」は鉱山用語で、それが駅名になり現在も使用されているのは、全国でも足尾だけだそう。

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↑泉屋の裏手には「置き屋」だった建物が。
ちょっと小洒落た造りが一般住宅とは違った雰囲気。
この玄関から、粋な姐さん達が火打石切られてお座敷へと向かって行ったのだねぇ。

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↑更に少し歩いた所に、真宗「蓮慶寺」があり、此処には銅山の隆盛を祀った簀子神社の大鳥居がある。

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↑足尾駅。
現在のように輸送の主力がトラックでなかった時代、足尾駅は銅山の貨物流通拠点であったそう。
製錬所の硫酸タンクとパイプラインでつながれた「硫酸出荷用タンク」を2つも備え、需要先に鉄道輸送されていたと言うから驚き。
長井館長は、この足尾駅に「博物館構想」(構想と言っても8割方は現実化している)を抱き、今はなき硫酸出荷用タンクを何処からか調達し、秋田県の何某かに払い下げられた古河の硫酸専用の貨物車を取り戻して、当時の足尾駅を再現するのだと仰っていた。その他、博物館構想のメインとなる古い客車を見せて頂き、色々な説明を受けたが、鉄子ではないカメはチンプンカンプンだった。

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↑足尾駅を発車したばかりの、わたらせ渓谷鉄道二両客車。
風情あるよな~。

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↑足尾駅にあったレンガ造りの小屋。
とても小さな建物なれど、流石は赤レンガ、存在感バッチリ。

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↑古河屈指の英傑と讃えられる木村長兵衛、「木村長兵衛功業の碑」跡。
銅板で造られた碑で、第二次世界大戦中に供出され、現在は拓本とこの跡を残すのみ。 ウチの釣鐘も供出でなくなってしもーた
篆額・井上馨、文・陸奥宗光、書・日下部鳴鶴、銅工・小幡長五郎、と言う凄い顔ぶれで、かつての古河の威光を感じる。

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↑木村長兵衛碑跡の近くに社宅があり、社宅に住まう人達のための銭湯。
ちなみに、入湯料は200円ほど。
昔、この辺りに土俵が切られ、古河が1億円相当を出して呼んだ「足尾場所」が開かれたのだそう。
東京場所の次が足尾場所だったと言うのだから、古河、すごっ!

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↑次に訪れた間藤水力発電所跡の、原動所の基礎部分の更に一部分。
渡良瀬川から突如現れた赤レンガ遺構~!萌え~!

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↑未だ住人が多い南橋(なんきょう)社宅群。

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↑昔ながらの物干し台。

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↑社宅の青い屋根越しに製錬所が見える。

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↑そして製錬所に移動して、これは古河橋。
明治時代にドイツから輸入し、約半年間の工事を経て完成。
この型の橋は、ヨーロッパから開発途上国に輸出したものだそうで、その当時の日本の産業がどれだけ遅れていたかが分かる。

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↑製錬所から松木沢へと向い、これは東洋一と言われる砂防ダム。

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↑高原木(こうばらぎ)社宅跡地。
緑の矢印が指す台地に、かつて1000人以上の鉱員が住んだ社宅群があった。
銅山の朝鮮人労働者はこの社宅群に集められ、日本人と一緒に居住したそう。

長井館長による「ガイド3時間コース」は此処で終わり。
足尾歴史館まで戻り長井館長とはお別れ。
何でも午後には、あと2つのガイドを頼まれているそうで、館長、激務の様子。「私の後任ガイドが育たないのが唯一の悩み」と仰っていた。
そうかぁ・・・幸運なことに館長のガイドに当たったのではなく、館長しかガイドが居ないのかぁ。

それから「若竹食堂」にて昼食を取り、先程の足尾砂防ダムの向こう側、松木渓谷に出掛けることになった。

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↑植樹用キャリア。
このキャリアに乗って、山肌に植樹して行くそうで、植樹と言っても苗木を植えるのではなく、種みたいなものが仕込まれたコンクリ的なものを吹き付けて行くらしい。
このキャリア、オリンピックのラージヒルジャンプ台よりも高低差と勾配があるのだって!
現代版インクライン・・と言うより、絶叫マシンじゃ!

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↑荒涼とした風景が続く。
文明の利器(←死語?)を使っての植樹、またはボランティアさん達の懸命な植樹によって、鉱毒で丸ハゲになった山に随分と緑が戻ったものの、まだまだ殺伐とした風景。

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↑と、そこに突如現れる墓石。
ひょえ~っ!何て素敵なんだ!

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↑砂防ダム。

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↑長く続く鍰(からみ)の山。
鍰は、銅の精錬で出来る廃物。黒色で大きさは中粒の砂くらい。

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↑鍰の採取現場。
足尾の愛宕下社宅跡には、この鍰を使った鍰レンガの防火壁が今も残っている。
鍰は、道路工事の路盤強化材料として脚光を浴びた一時期があったそうだが、それも今は低迷している。

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↑採取現場に置かれた古いタンクローリー車。
廃車かと思ったら、ガソリンタンクとして現役の様子。
廃車復活、なんつって~。

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↑更に進むと、左手に廃・つり橋が・・。
ムムッ!橋の向こうに廃墟めいたコンクリ塊、発見!

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↑川に沈むこのコンクリは、一体何?
・・と、色々なサイトを当たってみても、ヒット数ゼロ。

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↑うーむ・・。このつり橋と一体だとすりゃ、一体どんな・・?(と、またオヤジギャク)

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↑「何だろね~?あの廃墟」と、皆と首をかしげながら先を進んで行くと、また茫々たる景色の中に祠が現れたりするのだよぉ!
やられちゃうなぁ。
・・・つーか、先の墓石同様、旧松木村村民が此処に生きた証なのだから、茶化しちゃいけません。

松木渓谷トレッキングに2時間を要した後(良い運動じゃった)、再び足尾歴史館に・・。
午後に2本のガイドが入ってると仰ってた長井館長はまだお帰りにならないかな、と思っていたら在館されており、熱いコーヒーをご馳走になりながら、しばらくの間話をさせてもらった。
話の中で、「(足尾)村おこしの人」長井館長の、足尾への熱き想いがヒシヒシと伝わって来た。
高校卒業後に足尾を出て、会社を定年退職してからようやく戻って来たふるさと足尾・・・長井館長は、足尾の変容ぶりに驚き、また長い間のブランクがあったからこそ足尾の良さが新鮮な魅力として心に響いたのだそう。それからは、「こんな廃れた町、もうどうにもなんないよ」と諦めきっている住民と無理矢理二人三脚を組んで、足尾復興に向かって進め!進め!進め!の日々が始まり、ついには世界遺産登録に大手を掛けるまでになった。
午前中に案内された木村長兵衛の碑跡の木村長兵衛が、古河中興の祖だとすれば、この長井館長は先々足尾中興の祖(まだまだお若くて、祖は失礼ですが)となるのではないか・・・などと考えつつ話を聞いていた。

・・・・それにしても、皆で何度か
「製錬所の中には入れないかな~。入りたいな~。」
と、遠まわしに持ち掛けてみたものの、ことごとく失敗。撃沈だった。
「何かあった時に困りますから」と。
どうしてもダメなのかぁ・・・ううっ!(嗚咽)

今まで幾度となく来ている足尾だけど、足尾の達人の説明を聞きながらの探索で、足尾が更に身近になった。
身近どころか、古河全盛期の頃に生きている感じにすらなっている・・鉱夫達の闊達な会話や、工場や鉄道から絶え間なく流される金属的な音が耳に貼り付き、母親の手編みのセーターを着、頬を真っ赤にしながら走り回る子供達の姿が見えるようだ。

最後に・・・

Syugou

↑(栃さん、勝手に画像を右クリックで拝借しました。すいません)
栃さん、テンジンさん、1192さん、そして長井館長、夕刻の歴史館でお知り合いになったHさん、ありがとうございました。

何時までもあると思うな親と廃墟。
足尾の各部解体は進んでいます!(泣)
そう遠くないうちに、足尾オフ会第三章をやりませう。


足尾オフ会第二章

2008年11月15日 | カメ的世界遺産・足尾

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紅葉目当てで日光に出向く真っ当な人種とはルートを異にし、目指すは足尾!

本日、6月以来の足尾オフ会。

いや、なんか、ものごっつい充実した足尾探索であり、めっさ楽しかった♪

今、「足尾銅山写真帖」なる足尾の写真集を見ながら、本日の探索ルートを復習しておるところ。
明日の「寺参り日和」は足尾色で紅葉するでしょ、きっと。

栃さん、テンジンさん、1192さん、そしてガイドを務めて下さった足尾歴史館の長井館長さん、
本当にありがとうございました。


我がアフガンハウンド

2008年11月07日 | 人間じゃない家族

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(↑これは去年の写真)

ワンをトリミングに連れて行った。
朝9時に入って、お迎えは18時。それでも終らず明日も続行。

アフガンハウンドのコート管理は大変っす。
長毛の大型犬ゆえブラッシングだけでも手間だし、トリミング料金はチワワの5倍、ゴールデン・レトリーバーだったらそこに特別料金が加算される。
ま、その辺は覚悟してワンを迎えたものの、どうしても手入れが行き届かず毛玉だらけにしてしまうし、週イチのシャンプー&月イチのトリミングが理想であっても、とても守れやしない。

そんな厳しい現実(!)があるせいか、アフガンハウンドに憧れて飼ったものの手入れの大変さに音を上げて飼育放棄する人が多いらしい。
保健所や動物愛護センターに持ち込まれる犬種でアフガン率は高いそう。
おいおい・・・ショー・チャンピオンを獲得したりTVに出て来るようなアフガンハウンドは、それこそお抱えトリマーさんが居て四六時中面倒を見てるんだよ。
普通の家庭で飼われるアフガンハウンドは、皆“それなり”のコートで、毛玉あり、不揃い部分あり、艶があったりなかったりと、完璧なんてぇものじゃない。
そんなにコート管理が大変だと思うなら、ペット用バリカンを買って何時も短く刈り込んでしまえばオッケー、冬の間だけ服を着せてね。
理想どおりの姿にならないからと、簡単に保健所送りになんざしないで欲しい。
その人(家)なりの心さえこもっていれば、飼われた犬は幸せなんだ・・・例え虎刈りにされたアフガンハウンドでもね。

アフガンハウンドって、その容姿の美しさが最大の魅力ではあるけど、見た目とはずぇんずぇん違うはじけた性格も、かなり面白い。
犬なのに限りなく猫に近い気性で、犬が持つ“忠実”とか“一途”“賢明”なんて美徳はおよそ持ち合わせていない。
多少は主人に敬意を払うものの、あくまで自分。自分、自分、自分。
そしてヤンチャ、悪く言えば落ち着きがなく、猟犬としちゃ優秀なのだろうけど(時速75キロは平気で出す)、あの気性じゃ獲物を咥えて何処に行ってしまうのか分かったもんじゃない。
でもさ、そこが良いんだよ、見てると予想外のことばかりやらかしてくれるから、ちっとも飽きない。
そのクセ、妙なところに学習能力が高く、「そう来たかぁ!」の連続。
猫派のカメにはピッタリな犬。

ワンのトリミング代を捻出するために美容室に行く回数が半分になってしまったけど、そんなの全然ヘーキだし、辛いことがあった時には、大きくて温かいワンを丸ごとギューッと抱きしめるだけで、何とかやって行けそうな感じになれる。
ワンだけでなく、亀もアカハライモリも烏骨鶏も、ちゃんと向き合って世話をすれば意思の疎通はあるし、確実に何かを投げて寄越して来る。

これ等が寿命以外で目の前から消えるなんて考えられないし、あり得ない・・。
それどころか、長寿の亀'sには、こっちが看取られるんじゃないかなぁ。(笑)

あ、ウチのワン、ジュピターって名前ね、いちお。
(木星みたいに色々な色の毛だから)


城下町真壁探索

2008年11月02日 | カメ見聞録・レトロな街編

一昨日、茨城県桜川市真壁に行って来た。

かねてから、限りなく天才に近い変人の友人より「真壁は良いらしいよ~」と聞いており、この夏成田に行く道中で真壁を通過した時、ふる~い石造りの店や土蔵を目にして、「真壁!一度は行かねば!」と思っていた。

『真壁は、戦国時代に真壁城の城下町として形成され、江戸時代初期完成を見た。それからは、この地方の商業の中心地として栄え、江戸末期から明治・大正期にかけて沢山の蔵や門が建てられ、それが現在も残っている。』・・・と、観光マップの説明を要約すると、こんな感じ。

確かに古い!そして数が多い!
ではでは、GO !

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↑奉安殿。
街の中心部からちょっと外れた駐車場に車を停めると、近くにこれがあった。
奉安殿とは、戦前戦中にかけて全国の学校に作られた、天皇皇后両陛下の御写真と教育勅語を納めていた建物。
終戦後は殆どが解体撤去されてしまったそうで、これは貴重な戦争遺跡であるらしい。

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↑真壁のシンボリックな建物、旧真壁郵便局。
昭和2年建設。

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↑旧郵便局前の赤ポスト~♪

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↑潮田家住宅。
明治時代。
かつて「関東の三越」とまで言われた豪商屋敷。

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↑村井醸造外観。
長く続く板塀横を歩きながら、塀から見える古い住宅や蔵の連なりを見ているうちに「マジ、平成?」ってな気持ちになって来る。

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↑塚本家住宅。
明治・大正時代。
かつて酒造業を営んでいた旧家。

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↑猪瀬家住宅の薬医門。
明治時代。
大きな旧家揃いのこの街の中で、一際大きく立派なお屋敷。
猪瀬家は、かつて県議や町長を務めて来た家柄だそう。

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↑猪瀬家薬医門の木鼻。
木鼻が二重になっており、下段の木鼻には精巧な彫刻が施されている。

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↑酒屋さん。
指定を受けておらず、散策マップにも載っていないので詳細、分からず。
でも、良いよね~。

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↑橋本旅館。
昭和時代。

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↑とある民家の名もなき蔵。

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↑中村家住宅。
大正時代。

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↑街中にあった薬師堂。
お参りしてから、中をのぞかせてもらうと・・・何と、木彫の薬師如来像&十二神将がお揃いだった。
普通、この手のお堂には石仏が安置されているものなのに、それが木彫像!それも十二神将まで!と、カメ大興奮。

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↑川島書店の見世蔵。
江戸末期。

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↑川島書店見世蔵に飾られていたお雛さま。
この見世蔵は、中に自由に入れ、親切なことにお茶の用意までされていた。
お雛さまの他に、かつて薬屋を営んでいた時の薬弦やガラス瓶、家具も展示され、ちょっとした博物館の様子。

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↑「旅籠ふるかわ」と仲町休憩所。
この「旅籠ふるかわ」は、1日1組限定だそうで・・・。

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↑「旅籠ふるかわ」前に流れる小さな堀。

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↑歩きながら見つけたレトロなゴミ箱。
未だ現役だよ!凄いな~。

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↑上宿の薬師堂。
貞享5年建立。
先の薬師堂と違って、こちらは若干由緒正しき、と言うか。
このお薬師さまは「上宿の薬師様」と呼ばれ、真壁に伝わる民話の中にも登場する。
お参りさせて頂き、中をのぞくと・・・むむ?何やら数体の木彫像が安置されており、「これが民話の薬師さまか!それも日光月光両菩薩を従えて!」と、思わず胸躍ったものの、良く見りゃ何れも阿弥陀如来。
それも、何処からかの寄せ集め的な阿弥陀さまだった。
先の無名の薬師堂の御像の方が素晴らしかったな~。
で、ちょっと前までこの境内で「輪投げ」に興じていたオバチャン達の輪投げセットが、お堂の中に無造作に置かれているのだわ!
どうやらこの薬師堂、レクリエーション用具収納庫として自由に開閉されているらしい。(泣)

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↑「母子健康センター」廃墟。
これは文化財でも何でもなく、正真正銘廃墟。
昭和中期の典型的コンクリ建築で、この辺のテイストに郷愁を感じるね~。
きっと、この建物が現役バリバリだった頃は、カメ母年代の女性が子供(カメ年代)の予防接種や検診に訪れたのだろうな・・。

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↑またまた歩く途中で、こんなのを見つけた。
大八車、長柄杓、消防ホース・・・って、もしやむか~しの消防車?

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↑無指定だけど、かなり味わいのある薬局。

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↑小林商店。
手前が米蔵(明治時代)で、奥が店舗(昭和時代)。
代々米穀店を営んで来、かつては水車を利用して精米を行っていたそう。

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土谷家の土蔵。
江戸末期。
土谷家は、かつて酒造業を営んでいたそう。
なまこ壁の蔵で、単なる意匠としての平坦ななまこ壁が多い中、この蔵はしっかりとなまこ型に盛り上がった壁を四方に有する贅沢な造りをしている。

以上、紹介しないのも含め全部で30軒以上もの住宅・蔵・門などを見て回った。

素晴らしい・・・のだけど、何軒か見て歩くうちに「どれも似たようなものばっか」と、少々飽きてしまった。
それと、街の人が観光客慣れしておらず、そこに多少の不便を感じた。
先ず、車の往来が激しく、通りの反対側からの撮影が難しかったこと、如何にも余所者を見るような目でシゲシゲと見られたこと。
シャッターポイントに軽自動車や自転車が停められ、カメラを構える前を平気で通り過ぎる人も多数。
それと、トイレ数が少ない。
まあ、土地の人にすりゃ「生活の場」なのだから仕方がないとは思うものの、観光客誘致で町おこしを狙うのであれば、もうちょっと観光地たる弁えを持とうよ~、と思ってしまった。
それと、国の登録有形文化財に指定された家屋を持ちながら一般公開や街の観光化に協力的じゃないお宅も結構見受けられ、古い街は古い街なりに抱えるジレンマってものがあるのだろうなぁ・・・などと、余計なことまで考えつつ街を散策していた。

ちなみに、真壁の特産品は「真壁米」ブランドの美味しいお米と、「真壁石」ブランドの御影石で、街中には古くからの醸造業、米穀店、石材店が数多く存在する。

それにしてもさ、戦火にさえ遭わなければ、日本の至る所に真壁や栃木市のような「身近な古都」が残っていたはずなのだよね。
それをバカスカと焼きやがって、言った言葉が「京都・奈良は残してやった」だと、ふざけるな。
自作自演の9.11にあれだけヒステリックになれるのも、一度たりとも自国が戦場になったことがないからであろう。
例の航空幕僚長の投稿文、ちょっとは「うんうん」と頷いた人、多いんじゃないかな・・実際のところ。

・・と、最後のつぶやきはさて置き(笑)、身近な古都散策を楽しんだ一日だった。
明治時代の土蔵も良いが、やはり明治は赤レンガ・・・と、今度は隣県群馬の富岡製糸工場跡や丸山変電所跡を見に行くぞ!