旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

麦茶、その後

2010年09月30日 | 人間じゃない家族

昨年初冬にウチの周辺に出没し出した野良猫。
日に日に痩せて、皮膚がボロボロになって行くのを見るに見かねた下子カメが、とうとう餌をあげてしまった。

餌をあげた以上は責任が生じると腹を括り、雌猫なので避妊手術の相談に動物病院に行ったら、
「この皮膚病は酷い!先ずは皮膚病を治してから避妊手術を考えましょう」
と、皮膚病(疥癬)治療に突入。
丸2ヶ月間の通院で疥癬は完治。
それでは避妊手術を・・となり、その時を迎えたら、な・な・な~んと、お腹には既に手術を終えた傷跡が!
ウーム・・避妊手術までしておきながら、何故に捨てたのか。

・・と、此処までは過去の記事で書いたが、
赤茶けた毛色をしていたので麦茶と命名した猫が、4ヶ月でどんだけキレイになったか。
以下、その写真。

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↑ウチに来て2週間後くらいの頃。
栄養状態が悪かったせいで毛艶がなく、疥癬と皮膚病による脱毛が酷かった。
ウチに来る人達は
「気持ち悪い猫」
と言っていた。

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↑8月に入って直ぐの頃。
皮膚病が完治し、除々に毛が生え変わって来、脱毛部分も毛で被われて来た。

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↑そして現在。
麦茶色から、限りなく黒に近い色に。
凄みのあった顔も飼い猫らしく柔和になり、ホント可愛くなった。
今は誰からも
「キレイな猫」
と言われる♪

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↑フードをロイヤルカナンやアイムスに変えてから、毛艶が抜群に良くなった。
・・・犬猫に贅沢させる分、人間は質素な食事で我慢しちょります(涙

麦ちゃん、ずっと元気でいよーな。


奈良路

2010年09月12日 | 仏教・仏像

こんなクソ暑い季節に奈良散策をしたのは初めて!
何時もは紅葉も終ろうか・・って頃に行ってたので、夏草萌ゆる奈良路も、また新鮮な風景だった。

モリモリと朝ごはんを食べてホテルを出て、向かった先は唐招提寺。

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↑近鉄線西ノ京駅構内。
薬師寺の寺標に合わせて屋根が三角に変型しているのが奈良らしい。

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↑西ノ京駅から唐招提寺への道。

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↑唐招提寺金堂。
嗚呼・・此処に立つのは何年振りだろう。
平成の大改修工事を終えた金堂は、心なしか小ザッパリと見えた。

金堂内の三尊、毘盧舎那如来坐像、薬師如来立像、千手観世音菩薩立像は何れも素晴らしい。
堂内を拝すると、み仏達が実に開放的に(悪い言い方すりゃ、雑に)安置され、天平テイストムンムン。
この大らかな感じは奈良の寺院でしか味わえないもの。
自分、薬師如来が好きでしてね。金堂改修の間は奈良博にお出ましで、薬師さま会いたさに2度ばかり奈良博に行ったっけ。
当然のことながら、奈良博でお会いした薬師さまよりも、こうして金堂でお会いした方がシックリ来ますな。
「薬師さま、お会いしたかった!お会いしたかった!お会い出来て良かった!良かった!」
と、感激の心持ちで、しばらくの間薬師さまの御前で立ち尽くしていた。

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↑正面右斜め方向からの金堂。
屋根の反りが美しいですな。まさに天平の甍。

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↑金堂裏手には、ご本尊弥勒如来がおはす講堂があり、その手前には鼓楼がある。
鼓楼は舎利殿とも呼ばれ、鑑真和上が請来した三千粒の仏舎利が奉安されていたそう。
また、有名なうちわまき会式では、此処からうちわが撒かれる。
一度行ってみたいんだよねぇ・・うちわまき。

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↑校倉兄弟(笑

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↑蓮池
一蓮托生・・ってか。

唐招提寺境内は、数多くの寺院の中でも一際清浄な空間だった。
きっと、鑑真和上が必死で伝えんとした戒律が守られているためだと思う。
余談だけど(つーか、余談を集めたのがこのブログだが)講堂堂内の拭き掃除をしていた坊さんが、大層な美僧であった!
思わずカメ、クラッ!
あ、イケナイ、イケナイ、戒律、戒律・・っと(汗

それから、新宝蔵で天平のみ仏を拝観し、お守りなどを買い求め、再び薬師さまにお会いしてから、後ろ髪を引かれる思いで唐招提寺を後にした。

次に向かったのは秋篠寺。
西ノ京駅から西大寺駅まで近鉄線で行き、そこからバスで10分くらいのところに秋篠寺はある。

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↑西大寺駅前から押熊行きのバスに乗って、秋篠寺前で降りるのね~

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↑東門

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↑東門から少し歩くと、立派な苔庭がある。
実は、雨不足の天気が続くと、自然とこの苔庭が頭に浮かんで「秋篠寺の苔は大丈夫だろうか」と心配してしまう自分。

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↑本堂
同じ天平建築でも、先の唐招提寺金堂とは違って女性的な雰囲気。

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↑伎芸天立像
秋篠寺ご本尊の薬師如来坐像の左側にスッとお立ちになっているのが、この伎芸天。
美しい・・何度お目にしても美しさに感動する。
秋篠宮家誕生で一躍有名になった秋篠寺だが、それ以前からこの伎芸天を愛する仏像マニアは数多く存在した。

伎芸天は、仏教の天部のひとつで、大自在天の髪際から生まれた天女で、どうも吉祥と芸能で仏法を盛り立てたらしい。
伎芸天信仰は古くは各地にあったらしいが、現存する伎芸天は、日本中でこのみ仏だけ。
寸分の隙もない美しさの伎芸天、しかし、哀しくも災禍に遭っており、その際に胴体以下を破損、頭部だけが残った。
現在の伎芸天は、頭部は天平、体部は鎌倉期の修復によるもの。
でも、統一感を損なわず、完璧に一体化してるよねぇ。

唐招提寺金堂の薬師さまに続き、またまた金縛りになってしまった。
そうして、また後ろ髪を引かれる思いで秋篠寺を後にし、東大寺へと向かった。

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↑近鉄奈良駅から東大寺に行くのに興福寺を横切った。
今回は、興福寺の拝観はなし。
「阿修羅、萌え~」みたいなビギナー仏マニアじゃないんで~

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↑南円堂

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↑東大寺大仏殿
うひゃ~!何度見ても大きさにビックリ!
しかも、木造建築と来たもんだ!

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↑国宝の八角灯篭
この音声(おんじょう)菩薩は、10月8日より東博で開催される「東大寺大仏~天平の至宝~展」にお出ましになる。

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↑二月堂、手前は三月堂
三月堂のみ仏は、修復に入っているとのことで、ごくごく一部のみ仏しか拝観出来なかった(涙

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↑四月堂
此処の千手観世音菩薩立像がイッチャン好き!
唐招提寺・薬師如来、秋篠寺・伎芸天、神護寺・薬師如来、東寺講堂の仏像群、渡岸寺・十一面観音・・・の好きなみ仏の中にあって僅差で勝るのが、この千手観音さま。
そして、その日三度目の金縛りに見舞われ、しばらくの間、千手観音さまと対峙していた。

大半の観光客は、東大寺には南大門と大仏殿だけで
「あ~、観た!観た!お腹いっぱい!」
と満足して帰ってしまい、二月堂、三月堂、四月堂エリアを拝観する人は少ない。
同じ東大寺境内だと言うのに、大仏殿の喧騒が嘘のように静まり返っている。
中でも四月堂は通り過ぎる人の方が多く、自分のように長い時間を熱心に拝観していると、堂守さんが色々とお話をして下さる。
「アンタにだけ特別あげるわ」
と、絵葉書やお守りを頂戴したこともあるし、
「明日、ワシは休みなんやけど、どや、一緒にドライブ行かはんか?色々と案内してあげるで」
とナンパされたこともある(笑
そして、この四月堂西の間から観る二月堂は最高の角度だそうで、雑誌や新聞社のカメラマンはそこから撮るらしい。

一本の線香が燃え尽きるまで、そこに居て、またまた後ろ髪を引かれる思いで四月堂を後にした。

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↑次に向かったのが元興寺

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↑向こう側に見えるが極楽坊の屋根
何と、日本で最初の瓦で葺かれた建物で、色が違っている瓦がそれ。
飛鳥時代の瓦が現役で雨露をしのいでいるのだ。凄い!

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↑境内には夥しき数の墓石があり、墓石の小道になっている。

元興寺には魅力を感じるみ仏が居ない。
神護寺薬師如来に似た薬師さまがおはすが、奈良博に委託され此処では拝することは出来ない。
それでは何故、仏像目当てで古寺巡礼する自分が、奈良に来る度に元興寺を訪れるか。
それは、元興寺には不思議な気持ちにさせてくれる何かがあるから。自分と波長が合う何かがあるから。
子供の頃、学校から帰って友達と遊んで、日が暮れてサヨナラして、それでもまだ遊び足りなくて今度は弟と遊んで、いい加減日が落ちて薄暗くなった頃に母親が呼びに来たものだ、
「もう寒いからお家に入りな」
って。
思い切り遊んで、迎えに来てくれる親が居る・・・その甘やかな思い出が胸いっぱいに広がり、あの頃の自分に戻って行くのだ。
「もう寒いからお家に入りな」
「ごはんが出来たよ」
これ等の母親の言葉は、ごく平凡なのだけど、「子供を愛して守ります」って気持ちの、何よりの表れだよね。
元興寺の力で子供にされた自分は、全身鳥肌立てて、ただただ涙が溢れ、途方もなく立ち尽くす。
此処に来ると、どうしてこんな気持ちになるのだろう。
他では決して湧かない特別な気持ち。
ひょっとして、この墓石の誰かと強い血縁関係にあるのだろうか。


そんなこんなで、2010年奈良の旅は終わった。
とろけるように暑い奈良だったけど、各ご寺院でみ仏パワーを浴びたお陰で元気に歩き回れたことに感謝。
合掌


ひとりが一番

2010年09月10日 | 仏教・仏像

旅行に行った話をすると、決まって
「誰と行ったの?」
と訊かれるが、旅行ってのはひとりでするもんでしょ(笑

ってなワケで、買って来たお土産。
本当は、奈良散策の記事をアップしたいんだけど、写真を加工しているヒマがないのね~(涙

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↑せんとくんグッズの数々

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↑唐招提寺で買ったお香。
唐招提寺の蓮の花が練りこんであって、上品な香。

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↑怒濤の御守り群!
合格祈願守も、こんだけ揃うと嫌味か?

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↑京都の定番お土産。
七味家さんの「おばんざいのもと」は、絶対に外せない!
もう何度リピしたことか。

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↑そして、同じく京土産の定番、「阿闍梨餅」。
JR伊勢丹の地下売り場では、何時も行列が出来ておる。

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↑お土産のついでに泊まったホテル。
必要なサービスを必要なだけ提供します、ってスタンスが気に入ったわ~。
場所の烏丸御池も移動に便利、周りに赤レンガ建造物が沢山あってよろし。

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↑シングルルーム内部

もうしばらくは、ひとりでガンガン拝観する旅行を続けるつもり。


千本釈迦堂

2010年09月08日 | 仏教・仏像

千本釈迦堂は通称で、正式名は大報恩寺
千本通に面しているから千本釈迦堂、千本の卒塔婆が立っていたから千本釈迦堂、いやいや千本の桜が・・・などと、「千本」の由来は沢山ある。
でも、「釈迦堂」と呼ばれるのは、ご本尊さまが釈迦如来だから~。
って、わざわざ言うまでもないか。

快慶作の十大弟子像、定慶作の六観音像を有するこの寺は、慶派ファンにとっちゃ必須ポイント。
「仏像は天平期に限る!」の自分も、一度は拝観してみたいと思っていた。

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市バスを「上七軒」で降りてちょっと歩いたところに千本釈迦堂はある。
普通の住宅地にとけ込んでいるので、ちょっと分かりづらかった。

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↑国宝の本堂
寝殿造で、しとみ戸が美しい。
応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも戦火を免れ、創建当時の姿を伝える。
京都市内最古の建造物だそう。

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↑霊宝館
此処に六観音、十大弟子が安置されている。
うーんっと・・・十大弟子には、「心の引っ掛かり」を感じることが出来なかった。
これは快慶晩年の作だけど、晩年の快慶って宋風の影響ゆえか作品がチンマリしちゃってるのね。
形や彫りは美しくて繊細で美術工芸品としちゃそれで最高なのだろうけど、仏さまだからねぇ・・・心に訴えるような力強さがなくちゃねぇ。
そして、六観音像を拝すると、
お~、来た!来た!ゾクッと来た~!
聖観音にヤラれた!

六観音と言うのは、六道(輪廻転生する六つの世界。天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道)にさまよう衆生を救う六体の観音さまのこと。
六観音信仰の原形は、中国六世紀に天台大師・智ぎが著した「摩訶止観(まかしかん)」の中に説かれる大悲、大慈、師子無畏(ししむい)、大光普照、天人丈夫、大梵深遠(だいぼんしんおん)の六尊。
うーむ・・・大悲、大慈以外はサッパリ分からないや(汗

真言密教では、聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音で六観音とし、
天台密教では准胝観音が不空羂索観音に代わる。

で、ベーシック観音の聖観音にググッと来て、しばらくの間金縛り。
ずーーーっと聖観音さまと対峙していた。

そして、千本釈迦堂は何とB級スポットとしても有名
この古刹を、一体何がB級化させるのか?!
それはおかめ伝説

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↑おかめ塚

「おかめ伝説」
本堂の造営の際、棟梁である高次が掛け替えのない柱の寸法を切り誤って心憂していたのを見た妻のおかめは、「柱の上に枡組を施せば?」と提言。結果、本堂はとても立派に出来上がり大成功をおさめた。
安貞元年十二月二十六日に厳粛な上棟式が行われたが、その日を待たずしておかめは自ら自刃して果てたのである。
女の提言によって棟梁としての大任を果たし得たと言うことが世間に漏れ聞こえては・・と案じたおかめが「この身は、いっそ夫の名声に捧げましょう」と。
妻の情けに打たれた高次は、亡き妻おかめの名にちなんだ福面を扇御幣に付けて飾り、妻の冥福と本堂の無事完成、永久を祈ったと言われている。
(大報恩寺拝観案内より一部抜粋)

だそうだが、唐突に自害するあたり、どーも嘘くさい。
案外、高次に口封じされたんじゃなかろーか、と自分は睨んでいる。

しかし、おかめ信仰は根強く、工事の成功と無事を願う大工さんや、本堂が奇跡的に焼難を逃れていることから災難消除や招福祈願のお参りの人が後を絶たないそう。

そして、本堂・東の間は、そんな人達が奉納するおかめで埋まっている。

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エロだわ~!←大喜び

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アンデルセンおかめ

そんなこんなで、慶派の宝庫として、またB級スポットとして、ダブルに楽しめた千本釈迦堂であった。チャンチャン

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お~っと!智山派だったのね~!


京都市の赤レンガ建造物

2010年09月04日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

碓氷峠の第三橋梁にいたく感動した自分は、琵琶湖疎水関連建造物も観たいと思っており、先の京都・奈良訪問の際に真っ先に実現。
しかも、宿泊ホテルの近くに辰野金吾設計などの日本を代表する赤レンガ建造物が多く、予想外の赤レンガ祭開催♪となった。

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↑南禅寺金堂

目指す琵琶湖疎水水路閣は、この金堂を右手に曲がって直ぐのところにある。
しかし、寺院に居りながら全く別のものを目指すのもオツですな。
ってか、そもそも仏像が少ない禅宗寺院には足が向かないし。

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↑お!緑の向こうに赤レンガ!

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↑重厚で素晴らしい!
しかも、人や電鉄が渡るのではなく、水が渡るのだ。

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↑水路閣図面

アーチの大きさがランダムなのは地形に応じて?

琵琶湖疎水は、明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、舟運・発電・上水道・灌漑用水などの目的で作られたが、現在は京都市に上水を提供するのが主な目的となっている。

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↑近代建築越しに見る南禅院。
二つの歴史が重なり合う風景・・・よろしおすなぁ。

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↑まるで騙し絵。
レンガはイギリス積みだね。

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↑アーチの上に更に小さなアーチを乗せるのは、意匠と言うよりは構造力学的なもの故?

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↑上に上がると水路があった。
此処には毎秒2トンもの水が流れる。

琵琶湖疎水は、この水路閣以外にも蹴上発電所や疏水記念館、そして水路に沿った哲学の道散策など、まだまだ見どころ満載なのだが、どーしてもその日中に拝観したい寺院があったので、またの機会に・・・と言うことに。

そして、件の寺院を無事に拝観し、ホテルにチェックインしたのが17時頃。
重たい荷物を置いて、財布とデジカメ(コレ重要)とケータイだけ持って、周辺をブラブラ散策。

そうしたら、5分も歩かぬ間に辰野金吾発見!
ひゃっほう♪

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みずほ銀行京都中央支店

これは、1906年に第一銀行京都支店ビルとして竣工された。
しかし、時を経た1999年に耐震性に問題アリとして全面取り壊されてしまい、現在の建物は2003年にレプリカ再建されたもの。

当時の意匠をそのまま再現したのだけど、新しいだけに何となく空々しい感じがする。
しかし、考えようによってはこれだけ新しいのだから、相当先の時代まで辰野金吾を伝えるであろう、と喜ばしいことだ。

赤レンガに白のラインが走るデザインは辰野式と呼ばれ、辰野金吾特有の意匠。

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↑明治期の近代化建築ってのは、ホント観ていて飽きない。

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↑こちらは京都文化博物館

みずほ銀行からちょいと歩いたところに、また辰野式発見。
これは、1906年に日本銀行京都支店として竣工されたもので、辰野金吾とその弟子である長野宇平治による設計。
国の重文。

写真が激しく傾いてるのはご愛嬌ってことで・・(汗
何せ、この前の人通りが激しくて、通行の邪魔にならないようにと、とりあえず押したシャッターなので・・

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↑先のみずほ銀行とは、また違った雰囲気

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↑・・と、その並びに河合塾、あ、違った、
中央郵便局

この郵便局は、1871年に郵便制度が発足した時に東京・大阪と共に設置された郵便役所が前身と言った、日本で最も歴史ある郵便局のひとつ。
設計は、当時逓信省営繕課の吉井茂則と三橋四郎。

しかし、明治期の建物では現代の郵便業務に対応出来ないことから、外壁を残して内部は改築されている。
解体して現代ビル建築にするよりもコストが掛かったろうに、残してくれてブラボーだぜ。

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↑ゆうちょのカードを持って来りゃ良かったなァ・・ ←アホ

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京都国立博物館本館

1895年に竣工。
宮内省内匠寮技師の片山東熊の設計で国の重文。

みずほ銀行京都中央支店、京都文化博物館、中央郵便局は烏丸御池にあり、この京都国立博物館は東山七条にあって最終日に観た。

さっすが、国の宝物を収蔵しようって器は素晴らしい。


以上が今回の旅で出会った赤レンガ建造物。
しかし、タクシー・ドライバーさんの話だと、烏丸御池界隈だけでもまだまだあるとのこと。
舞鶴にも沢山あることだし、今度は是非とも近代化建築狙いで京都に来たいなぁ。


開け護摩!

2010年09月02日 | 仏教・仏像

先週の今日(ん?言い方、変?)は奈良に居たわけだが、
平城遷都1300年祭の奈良は、かなりの賑わいかと思ってた・・・
何処も彼処も人!人!人!なのかな、と・・・
しかし、実際は盛り上がりに欠け、って言うか普段通りじゃね?ってなもので、
街の至るところに立てられたせんとくんのぼり旗がなけりゃ、奈良県が総力揚げてのイベント中だなんて思えなかったかも。
シーズンオフの京都の方がよっぽど賑わっていた、この哀しさよ(涙

しかも、興福寺なんざ新たな整備事業に入り、境内はフェンスだらけで景観を損なうこと甚だしい。
100年に一度のお祭りなのだから、この年までに終了するとか、この年が過ぎてから工事を開始するとか出来ないものかねぇ。
何だか、1300年祭キャラ選定と同じく寺院の足並みも揃わない様子が見て取れるんだよねぇ。

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↑興福寺南円堂・・の前のフェンス(笑

それにさ、記念事業は、真新しい大極殿でのイベントがメインで、それ以外には大したものはなし・・ってのが淋しい。
莫大な費用を投じて当時の姿を再現した平城宮跡も、すっかりテーマパーク化してしまった(怒

もし・・もし・・此処で東大寺二月堂ご本尊特別ご開帳なんてことになったら、日本は元より世界各国から人が集まるであろう!

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↑向こうに見えるは二月堂

大松明で有名な東大寺二月堂のご本尊は十一面観世音菩薩で、絶対的秘仏とされる。
つまり、そのお厨子の扉は何があっても開かれることはなく、東大寺別当でも、そのお姿を目にすることは出来ないそうだ。
絶対的秘仏で有名なのが長野・善光寺だけど、専門家の間じゃ、専ら「お厨子の中は空っぽ」だと言われている。
しかし、二月堂ご本尊は確実におはすのね。
江戸時代の火災によりご本尊が損傷を受けた際に取り外された光背が、奈良国立博物館に収蔵されているから。
金銅製の光背なので、ご本尊も金銅仏と思われ、光背の意匠からして薬師寺東院堂・聖観世音菩薩のようなお姿かな・・・でも、悔過会が行われるところからして、更に厳しいお顔をなさっているかな・・・などと想像される。

それにしても、天平時代から東大寺に伝わる仏像であり、しかも脈々と続けられている修二会のご本尊であるなら、文化庁が国宝の指定をして保存修復に努めるであろうものの、
仏法の厚い壁の向こうにおはす仏さまは、何人をも寄せ付けぬのだなぁ・・・。

とは分かっていても観てみたい。
実は、100年に一度のお祭りとあって、
「もしかしたら・・」
なんて期待しちゃったんだよね。
うーむ・・・しかし、やはりあり得ないことだったか(タメイキ