旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

スナックさいばら

2013年10月29日 | 本と雑誌

最近煮詰まっている。

走れないから心のデトックスが出来ない。

ストレスで癌になる日も遠からず、と思う。
いやマジ。

食いもんは美味くないし、酒も呑みたくない。
って、かなり重症だろ。


それなので、こんな本を注文してみた。

スナックさいばら おんなのけものみち    七転び八転び篇 スナックさいばら おんなのけものみち    七転び八転び篇
価格:¥ 840(税込)
発売日:2013-01-29
生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868) 生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント (文春新書 868)
価格:¥ 840(税込)
発売日:2012-07-20


西原さんサイコー!

ところで、本当に酒がダメになった。
ひょっとすると一時のことかも知れぬが、もしかしたら永遠のことかも知れない。
呑もうとすると消化器が一揆を起こし、そこに呼吸器、循環器までが助太刀し、脳は孤立無援となる。

突然こうなってしまった。
何でかな。
一生分呑んだってことだろうか。

ランも酒もダメになった今、「スナックさいばら」以外行くところがなくなった。


イーハトーブの学び舎

2013年10月21日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

驚いた。
此処で宮沢賢治は生き続けている。


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↑旧盛岡高等農林学校本館

日本で最初の高等農林学校として明治35年に創立された盛岡高等農林学校。
宮沢賢治は大正4~9年の間、本科生および研究生として在籍した。

この建物は盛岡高等農林学校の本館として大正元年12月に建てられた。
一階は校長室、事務室、会議室。
二階は大講堂として学校諸行事に使われていた。
大正初期の盛岡高等農林学校は、この建物を中心として沢山の講義棟や研究棟などが立ち並んでおり、当時を示す絵図を見ると南都六宗が盛んだった頃の東大寺や法隆寺の伽藍配置さながら。
教育や鍛錬の場とはかくあるものか、と思ったりして。

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↑秋の陽射しに映える建物

その後、老朽化に伴い2度の大修復が行われ、良好な保存状態で現在に至る。
国の重要文化財。
近代の建造物は登録有形文化財が多いのに重文とは!

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↑門番所

盛岡高等農林学校正門が明治36年に建てられ、その隣に門番所が建てられた。
正門、門番所共に明治期の貴重な建物で国の重文指定。

正面は八角だけど後ろに長く伸びており、門番さんの宿泊スペースになっている。
それにしても、何て可愛らしい建物!

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↑宮沢賢治の像

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↑本館の前に広がる北水の池

亀が居そうなのだが・・・
ガン見で探したのだが・・・
居なかった(涙)

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↑本館を取り囲む松林では、ナマコみたいな松ぼっくりが落ちていた。


宮沢賢治は優秀な学生でありながらも、生真面目と言うよりは気の向くままに動き回りつつ何かを得ていた・・・そんな感じを受けた。
理系の学生らしくて微笑ましい。
しかし、地質土壌学の権威・関教授との出会いから岩手県の酸性土壌改良や冷害対策のための肥料設計の研究に没頭、古里の農業環境を整えるべく2000枚の設計書を書き上げ、その無理がたたってか肺病に倒れ、夢半ばの37歳で逝去。

だけれど、此処の学生たちは賢治がやり残したことを確実に受け継ぎ、現在も研究が続けられている。
このことに深く感動した。
「君は学んでから食すか。それとも食してから学ぶか」
と、師は学生たちに問い、
「作物は豊かな土壌でこそ育つ」
と教えるのだと、館内を案内してくださった方が仰った。
それはまさに、明治35年に国によって創立された当初からの理念であり、その下で学んだ宮沢賢治の想いであったはず。

この言葉を聴いた瞬間
「今でも賢治は此処に生きている」
と確信した。


足尾2013

2013年10月14日 | カメ的世界遺産・足尾

職業柄、人が遊ぶ時は忙しいのだけど、この三連休は予定たる予定もなく・・・
連休初日に目覚めた時
「あ~!良い天気だ!足尾に行こう!
とごくごく自然にそう思った。

実に1年2ヶ月振り。
それなのに、この唐突さが自然に出るってどう言うことなんだろう。


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↑先ず向かったのは細尾発電所。
秋の日差しに赤レンガが映える。


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↑足尾歴史館

長井館長ご在館で、足尾の世界遺産登録に向けた活動現況などのお話を伺った。
現在、足尾に残るのは精錬所の一部の建物、古河橋、動力コンプレッサー室、選鉱所、間藤水力発電所跡、掛水倶楽部に役宅跡、そして宇津乃火薬庫跡か。
世界遺産登録に向けてもうこれ以上の鉱山施設を減らすことは出来ないんじゃないか。
特に選鉱所は残して欲しい。
・・・けど、残すには莫大な修復金が掛かるわけで古河にそこまでやってもらうのは気の毒なわけで、うーん困ったものだ。


長井館長とひとしきりのお喋りをさせて頂いた後は、歴史館に車を置かせてもらってランニング探索に出た。

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↑車で流すと見落としてしまうが、鉱員社宅跡が残っていた。

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↑社宅の炊事場横に祀られた神さま?仏さま?
大山祇尊とは誰のことだろう。

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↑旧研究棟

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↑本山精錬所に続く廃線路

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↑古河橋

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↑硫酸タンク三兄弟

マンモスの檻を失くした精錬所だけど、現存する三兄弟が僅かながらではあるけど往時の精錬所の姿を示してくれる。
ガンバレ三兄弟!


精錬所から折り返して歴史館に戻る道すがらN女史にお会いし、しばらくの間お話させてもらった。
足尾のこと、福島第一原発のこと、そして個人的なこと・・・

そして、歴史館駐車場で汗を拭ってN女史がやっているさんしょう家さんでお昼ごはん。

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↑鶏山椒揚げは変わらぬ美味しさ!
お土産に鶏山椒照り焼きを買ったけど、こちらも美味。


これにてこの日の足尾行き終了。
唐突な思いつきで来ただけにゆっくりは出来なかったけど、それでも長井館長やN女史と話が出来て実り多い日となった。

良かった、行って。