旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

勉強会こぼれ話

2009年08月23日 | カメ的世界遺産・足尾

昨日の第10回勉強会は14時開始だったので、早く家を出て細尾発電所に行き、それから宇津乃火薬庫に行って川本で鳥丼を食べてから勉強会に行く「カメ企画!赤レンガ巡りツアー」を開催しようかと思ったけれど、何かと忙しくて出るのが遅くなってしまったので、金谷ホテルに寄ってランチを食べてから足尾に向かうことにした。

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↑金谷ホテル外観。
箱根・富士屋ホテル、奈良ホテルに並ぶクラシカルなホテル。

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↑金谷ホテルと言えば百年カレー
蔵から発見された大正時代のカレーのレシピを再現したカレーだそうで、コクがあって美味しい♪

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↑セットのアイスクリーム。
銀の器に盛られたそれは、思わず“あいすくりん”と呼びたくなるよね。

それと、食器もカトラリーも、ほぼ金谷ホテルオリジナルなのが嬉しかった。
あのさ・・・洋食系の店って、カトラリーの重さで良し悪しが分かると思わん?
高級感を漂わせながら、揃えられたカトラリーが安っぽいものだと、もうそれだけで逃げ出したくなるよ。

勉強会の話に戻って・・・
講師の村上安正氏はダンディな老紳士!
鉱山を勤め上げられた経歴と温かみのある文章から、カールおじさんみたいな人を想像していたら大違いだった!

それから、勉強会の後に歴史館ロビーに展示されている削岩機の説明を受けていたら、背後にヒシヒシと感じる美男オーラ!
振り返ってみれば、あの町田さんだった!ひゃっほぅ♪
ガソリンカー祭の時のように目深に帽子を被ってなかった町田さん、その整ったお顔をよぉ~く観察させて頂きました。
町田さん、マジでイケメン!カッコイイ~♪

そして、勉強会の最中に隣から聞こえる声・・・
「(石見銀山に)行きてぇ~!」
「うわっ!スゲ~!」
「え?こんなに凄いの?マジ?」
これ全部、たい焼きさんのつぶやき。
カメ、笑いを堪えるあまり肺が潰れそうになったで。
そのたい焼きさん、帰りは本山製錬所方面に向かった様子・・・製錬所はどうだったかな?

で、最後に・・・

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↑日光有料道路の大沢ICがこぉ~んな事態になってた!

車が列になって、何時までも開きそうになかったので
「隣の一般車レーンでお金を払った方が早いかな?」
などと思ったけれど、ETCゲートをくぐって入ったらそこから出ないワケには行かないよね~。
一般車両ゲートを行く車の冷笑を浴びる辱めに耐えていたら、やっとこさでゲートが開いて通過出来た。ヤレヤレ
でも、貴重な一枚が撮れて、カメ満足。

足尾に行って楽しくない日などないが、昨日も楽しく充実した一日だった。
たい焼きさん、お疲れさまでした。


カメ、心は足尾に置く

2009年08月23日 | カメ的世界遺産・足尾

昨日は、サワリだけ書いて激沈しちまった。
なので改めて・・・

足尾銅山の世界遺産登録を推進する会主催の「第10回世界遺産登録を推進する勉強会」に参加して来た。

お招きした講師は、古河機械金属に勤務されていた村上安正氏で、氏は勤務時代の経験やその時に得た鉱山の知識を元に、実に沢山の著書をお出しになっている。
今では、歴史館の長井館長を始めとする皆さまや足尾組の皆さまに教わることが出来る幸せな身の上となったカメではあるが、足尾の魅力を知ったばかりの頃は右も左も分からず、だたひたすらこの村上氏の著書を頼りに自力で歩いていた。
なので、村上安正氏と言ったら、カメにとっちゃ三蔵法師(インドの経典を漢訳した高僧)のような存在なのだ。

その村上氏に会える!講話が聴ける!
・・と、もうワクワクものの勉強会だった。

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「わが国鉱山での世界遺産登録運動の状況と取り組むべき方向」と題した講演で、村上氏は、日本の経済産業省の鉱山に対する知識不足と学識者の融通の利かない理論こそが“近代産業に於ける鉱山の功績”を貶めていると述べられた。
その他、世界遺産に登録された石見銀山と世界遺産候補物件となっている佐渡鉱山等と足尾を比較した話があり、その結論として、
・足尾鉱山遺産の入念な調査
・調査した上で、再現出来るものは可能な限り再現して世の中にアプローチする
・裏づけの史料が不足なのでその収集と開示に努める
・企業と自治体とで産業遺産としての足尾を盛り上げる
等が世界遺産暫定リスト入りには必要だと説かれた。

そして、その話の中には驚くべきことが含まれていた!
何と、小滝地区には小滝発電所に水を送る赤レンガ製水路が残っているそうで、明治期の赤レンガ製アーチも残っているのだそう!
なので、早速調査の手を入れるべきだと村上氏は強調していた。
明治期の赤レンガ建造物!そんなのが小滝の山中にヒッソリと残されているなんて!
是非観たい!観たい!観たい!
カメ、その調査隊に加わりたい~っ!

その他、足尾銅山の特徴的なものとして、早期からの運輸網の整備と運輸手段の開発であると言われ、
・日本で一番古いであろうと言われる小滝の索道
・馬車鉄道→カソリンカーへの変遷
等が挙げられた。

ま、他にも興味深い話が多々あれど、更にマニアックになるのでこの辺で・・。

前回参加した勉強会の講師であった小野崎敏氏は、足尾の現状を全て認めた上で世界遺産登録に向けた手段を講じたが、今回の村上安正氏は「一から勉強し直せ!」と檄を飛ばされたような感じだった。
同じ演題でも、講師によってこんなにも切り口が違うものか、と大変勉強になった。

しかし、切り口の違うお二方が異口同音に言われたことが一つ。
それは「田中正造、あれは如何なものかね?」

足尾の問題点として「極度に鉱毒問題を意識しすぎる」を挙げた村上氏はこうお話になった
「田中正造はホラ吹きで金遣いが荒かったんだよな。でも、田中正造は下野新聞のアイデンティティなもんだから、こうして変に大事にされてるんだよ。」
一方の小野崎氏はこうお話になってた
「田中正造の直訴、ありゃ瓢箪から出た駒のようなもんで、役所に被害届けを出そうと歩いていたところでつまづいて、転んだ先がお偉方だったわけさ。それで直訴、と。」
更に村上氏の話には続きがあって
「これは良いことなのか悪いことなのかは分からないが、神岡鉱山で公害や鉱毒の話はご法度。昔、その話をして村を追われた者も居るんだよ。足尾もね、もっと胸を張っても良いと思うんだよ。」

確かにさ、足尾の鉱毒は未だ続いているし(古河は、年間15億もを公害防止につぎ込んでいる)中国人強制連行労働問題も未だくすぶっている。
それを見ない振りしての世界遺産登録運動もないだろ・・とカメは思わないでもない。
しかし、最近、麻生セメントがオーストラリア人二人から強制労働させられた旨でイチャモン付けられたことを見ても分かるように、自らの歴史に悲観的であると、他からドンドン突っ込まれ補償に追われる破目になる。
どう言うワケだか日本人は自虐的歴史観を好む。
壮絶な人生に同情してゴッホの絵を愛好するのは日本人くらいだと言う。
歴史教育では「伝教大師最澄は天台宗を開き、弘法大師空海は真言宗を開きました」とあり、空海は一時代の高僧だけの扱いだが、世界的には「宗教、語学、薬学、土木技術、書、詩歌に幅広く通ずるダヴィンチと並ぶ天才」と評価されている。
そして、足尾銅山を生んだ古河市兵衛も、歴史教育は田中正造は正義の味方で市兵衛さんは悪者扱いだが、世界的には「カーネギーと並んだ鉱山王」との高い評価を得ている。
「つまらないものですが・・」「粗茶ですが・・」の謙遜の精神は日本人の美徳だろう、しかし、これから益々対外的には使い分けて行かないとならないだろう。
「拙ブログ」「愚妻」なんてぇ言葉は、カメにとっちゃ謙遜でも何でもない事実だが(汗

操業時には常に時代の最先端技術を有していた旧古河鉱業は、富裕な銅と共に数々の技術者を輩出した。
世界遺産に向けた活動を通して、もっと足尾銅山が近代産業史にもたらした鉱石ならぬ功績を世に知らしめたい!・・カメはそう願っている。

さて、佐渡・石見・足尾と並んで金・銀・銅の世界遺産入りとなるか!


「村上春樹1Q84をどう読むか」くだらね~

2009年08月21日 | 本と雑誌

村上春樹『1Q84』をどう読むか 村上春樹『1Q84』をどう読むか
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2009-07-22

本屋に行ったら、こんなのが平積みされてて驚いた。
いや、呆れ返ったと言うべきだろう。

果たして「1Q84」にアンチョコ本の必要があるのか?
・・・んなモン、ねーだろ!

人物設定や場面描写が独特で沢山の示唆に富んでいるから、もうそれだけで奥が深くて難解に思えるけど、どう考えたってこれは駄作だ。
それを、たまたま話題が話題を呼ぶドミノ倒し現象を起こし、恐ろしく売れたからって、「どう読むか」まで出すとは・・・。

大体さ、「どう読むか」を買ってまで「1Q84」を知りたいと思う人なんざ居るのかね?

ったく、未曾有のベストセラーにトコトンぶら下がろうとする魂胆が浅ましい。
昔の気骨は何処に行ったんだ?出版社。

ハッキリ言うよ、こんなインチキ商売するなんざ、出版業界の先は暗いね。


町田さんのこと

2009年08月09日 | カメ的世界遺産・足尾

昨日に引き続き「足尾ガソリンカー祭ネタ」だが、会場整備ボランティアとしてその場に居ながらも、仕事らしい仕事もせずに終始フラフラしていたカメの目を惹いたのが、町田さんの姿だった。

町田さんこと町田洋氏は、ガソリンカー復元の立役者で、RailMagagine今月号に掲載された「甦る!フォード万歳!~足尾のガソリンカー復活~」によれば、
「街一番の自動車修理業を営み、足尾歴史館理事の町田洋社長が(ガソリンカー復元の)指揮に当たることを約束。実はこの町田氏、自動車修理はもとより、内燃機関であれば修理できないものはないと言う凄腕の持ち主で、かつては足尾駅で活躍していた入換機関車の修理も行っていたと言う・・・」

それ程の技術の持ち主で、その技術を惜しみなくガソリンカー復活に捧げ、それが結実して晴れの日を迎えたのに・・・
この大舞台の立役者なのに・・・
作業着の町田さんはガソリンカーの点検やらスピーカーやらマイクの設置やらと、黙々と働いておられるばかりだった。

そして、その朴直な姿は、何時如何なる時でもカメの目に飛び込んで来た。

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↑式典のためにマイクを準備する町田さん。

カメの周りにも仕事熱心な人は幾らでも居る。
仕事に熱心になるのは、仕事が好きって以外に収入や昇進のためと言う気持ちもあろう。
しかし、まるで何かに突き動かされるように・・・まるで、天から降りた紐で操られるマリオネットのように仕事に従ずる人が居る。
その姿には神々しさすら感じ、そこに損得勘定が入り込む隙はない。

そんな風に仕事をする人を、これまでに二人見て来た。
一人は父親で、二人目は内緒(笑)。
そして、町田さんは三人目になる。

これまで、ガソリンカーの話を聞くことは何度もあって、その度に町田さんの名前が出たけれど、こんなにも働く姿が美しい人だとは思わなかった。

ゼロからガソリンカーを作り出した人は、完成間近の時に自分の生き様をガソリンカーに吹き込んだのだろう・・・そして、ガソリンカーは見事に息吹いた。

町田さん、マジでカッコエエ!


足尾歴史館ガソリンカー祭

2009年08月08日 | カメ的世界遺産・足尾

本日、目出度くガソリンカー祭。

先ずは、案内チラシの抜粋でガソリンカーのあらましを・・・

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伝説の機関車がいよいよ復活!

大正の末期・・・足尾銅山工作課ではアメリカ・フォード社製自動車のエンジンを利用して、自力で機関車を作り上げました。
銅山の資材や生活物資の運搬用トロッコや小さな客車の牽引に、馬に代わって登場したのがガソリン機関車です。
ガソリン機関車は「ガソリンカー」とか「定時」とも呼ばれ、足尾の風物詩として親しまれました。
残念ながら、昭和28年にトラックやバスに代わられ廃止となりましたが、今でも懐かしい思い出として語られています。
その「ガソリンカー」が完全復活しました。

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足尾組も集結し、イベントの手伝いをしながら思い切り楽しんで来たで。
(たい焼きさん、お疲れさまでした!)

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↑これがガソリンカーだ!

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↑ガソリンカー給油のため?
懐かしくて・コンパクトで・可愛いガソリンタンク。

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↑会場内ではオート三輪も!
もう直ぐ脱アラフォーのカメ(涙)の子供の頃は、オート三輪とボンネット・バスが我が物顔で走ってたんだよ~。

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↑足尾歴史館名物(?)マニアック・ボランティアの方々はチビ・ガソリンカーまで作っちまった!凄い!

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さ、いよいよお披露目式の始まり!
↑ガソリンカーのお清めは、な~んとカメがいっちゃん好きな〆張鶴~!
ああっ!ガソリンカーになりてぇ・・。

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↑挨拶をされる足尾歴史館長井館長。

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↑長井館長の次は、ガソリンカーの神様・町田氏がガソリンカーへの熱き想いを語って下さった。

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↑来賓として祝辞を述べられるJR東日本副社長。
この方は足尾のご出身で、今や副社長にまでなられた方の第一歩は“足尾通洞駅の切符切り”だったそう。

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↑ガソリンカー祭に集まった沢山の人達。

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↑ガソリンカーのボンネットはこんな風に開く。

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↑そして中のエンジン。

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↑運転席。

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↑最後に記念撮影。
皆、完成までの苦労を分かち合ったメンバー・・・熱いぜ!
ちなみに、矢印の御仁は「究極の名刺」のOさん。
Oさ~ん、ホルモン食べて明日も気張って下さいね~。

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↑イベントの合間を縫って、足尾組はお昼ごはんを食べに「川本」に・・。

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↑鳥丼キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!
「川本」と言えば鳥丼だわな~。

そんなこんなで、ガソリンカー祭は大盛況のうちに終わり、わたらせ渓谷鉄道にて帰る面々(テンジンさん、1192さん、ケイさん)を見送りに通洞駅まで行って、その後は流れ解散となった。

皆さま、今回も楽しいオフ会でした。
また秋にお会いしまshow☆

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↑足尾組とお別れした後にカメが向かったのは此処、製錬所。
足尾に来たからには、やはり製錬所と対話しないことには気が済まぬ。

少しずつ・・・でも確実に解体が進む製錬所。
時代の流れで姿を消したガソリンカーは、今日こうして復元されたけど、一度壊されてしまった製錬所は・・・・・(涙

何はともあれ、ガソリンカー復活に掛ける長井館長の“熱き想い”と、それを実現すべく実動された方々の“技”に感服し通しのイベントだった。
スタッフの皆さま、本当にお疲れさまです・・・・・明日もあります(笑


カメの願ひ

2009年08月03日 | 大久野島の軍事遺産

今は国民休暇村施設がドーンと構えてリゾート地の様相の大久野島。

しかし、休暇村本館は各種の毒ガス工場が密集していた場所で、10面もあるテニスコートはやはり毒ガス工室が立ち並んでおり、東に面する海水浴場には医務室があった。
この様に周囲4.3キロの小さな島がまるごと毒ガス兵器工場だったのだ。

これが残っていたなら、軍艦島に匹敵する「一島まるごと廃墟」だったろう。

休暇村なんざ造らず、そのまま捨て置いて欲しかった・・。

残留毒薬の危険性が高いから工場内部の探索までは出来なくとも、圧倒的な外観や街並みだけでも充分に楽しめたよなぁ、きっと。

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・・・などと、毒ガス製造当時の地図を見ながら空想するカメ。
アホです。


地図から消された島

2009年08月02日 | 大久野島の軍事遺産

1902年、軍都広島と軍港呉を守るために瀬戸内海の島々や岬に砲台が建設された。
これが芸予要塞。
その主要な要塞のひとつとして大久野島にも同年、北部・中部・南部に3つの砲台が置かれ、合わせて16門が設置された。
それ以降、大久野島は軍隊と深いつながりを持つ島としてその歴史を刻んで来た。
そして、日露戦争の終結により大久野島並びに芸予要塞は無用の長物と化す。
しかし、軍用の地であったので、やがて陸軍によって毒ガス製造工場が建てられ毒ガス島に変貌して行く。

大久野島で製造された毒ガスの総生産量は、全人類を滅亡させる量と言われる3000トンの2倍以上の6616トンで、日中戦争で2000回以上に渡って使用された。
そのため、中国の軍民9万4000人以上が死傷したと言われている。
いや、それ以上に痛ましいのは、此処で作られた毒ガスが、先ず731部隊による人体実験を経て効能を確かめてから実践に使われたことだ。
731部隊による実験と言えば「マルタ」だ・・・マルタと呼ばれた中国人がこの陰惨極まる毒ガスの第一犠牲者になった。

しかし、毒ガスによって苦しんだのは敵地の民だけでなく、製造に携わった人達もだった。
「此処で働けば高給がもらえるよ」の甘い誘いに乗り、その恐るべき危険性を知らさせずして毒ガス製造に職を求めた人達は、やがて深刻な呼吸器疾患に罹り、死に至るか一生涯の苦しみを背負うことになる。

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↑毒ガス資料館。
1988年建設。
毒ガス製造と戦争の実態を多くの人に知ってもらい、忌まわしい歴史を繰り返さないよう毒ガスに関する資料を展示している。

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↑資料館内部。
防毒装備が何やら不気味・・・。

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↑毒ガス製造器具。

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↑毒ガス資料館裏手には国旗掲揚台があった。
地図から消し去るほどに隠匿した島でも国旗掲揚はしたのだろうか。

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↑南部砲台跡。

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↑これは毒ガス貯蔵庫として使われたそうで、証拠隠滅のためか埋められてしまっている。

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↑中部砲台跡。
何て美しい建造物だろう!

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↑内部。
両端の部屋以外は、こうして繋がっている。
中部砲台跡には兵舎があったとされるが、これが兵舎だったのだろうか?

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↑中部砲台への石段。

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↑北部砲台跡。

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↑水没した建造物。

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↑北部砲台跡には赤レンガ建造物群の間にトンネルがあり、トンネル内部にも部屋がある。

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↑トンネルを抜けて西側の建造物。

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↑検査工室跡。

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↑自動交換器室跡(通信壕跡)
空襲に備え、非常の場合の電話の自動交換器が置かれ、普段は人が居なかった。

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↑赤筒防空壕跡。
元防空壕だったこの穴には、戦後の毒ガス処理の時に「くしゃみ性毒ガス(通称・赤筒)」が埋設されたと言われている。
何と、島内の防空壕10箇所に約65万本の赤筒が埋没されているらしい。
うさぎ達が駆け回るその下には毒ガスが眠っているのだ。

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↑毒ガス貯蔵庫跡。

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↑貯蔵庫内部の毒ガスタンク台座。
此処には、猛毒で皮膚がただれるびらん性ガス「イペリッド」が貯蔵されていた。
大きな筒状タンクがこの台座に置かれ、工場から管を伝ってイペリッドが送られていた。

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↑長浦毒ガス貯蔵庫跡。
島内で一番大きな貯蔵庫で、当時100トンタンクが6基置かれていた。
此処にもびらん性毒ガスの「イペリッド」「ルイサイト」が貯蔵されていた。

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↑左右両側に3つずつの部屋があり、それぞれに巨大なタンクが置かれていた。
壁面が黒いのは、戦後処理の際、毒性を取り除くために火炎放射器で焼き払って黒く焼けただれたためで、今でもその凄惨さを物語っている。

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↑6つの部屋それぞれに残っている巨大なコンクリ製台座。

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↑当時の毒ガスタンク見取り図。

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↑左右3つの部屋の端には小部屋があり、それは毒ガスを送るための真空ポンプ室と換気室であった。
これはどちらの部屋になるのか・・沢山の千羽鶴や地蔵が手向けられてた。

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↑さぁ、このゲートの向こう側には・・・

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↑発電所跡が!

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↑それでは中に失礼します・・・

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↑な、なんてデカイんだぁ~っ!

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↑は~い!何か用かい?
それにしても落書きが多いなぁ。

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↑この発電所の電力が毒ガス工場を支えていた。
重油炊きの発電所で、当初は240ボルト発電機が3台。
1933年に3.3キロボルト発電機3台、1934年には2台を増設した。
更に、1941年には(株)広島電気忠海変電所から22キロボルトを海底ケーブル2本によって受電し、既設の発電設備と併用して敗戦まで電力を賄った。
また、敗戦前には女子動員学徒による風船爆弾の制作と実験が此処で行われた。
終戦後は、アメリカ軍が弾薬庫として使用し、その時の「MAG2」と言う黄色いペンキ文字が数箇所に見られる。

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↑海水ポンプ室。
発電所敷地内にあり、真水や海水を汲み上げて冷却水の調整をした建物。

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↑重油タンク。

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↑海上から見た発電所ゲート。

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↑同じく海上から見た発電所。

・・・以上、カメが見てきた大久野島毒ガス兵器工場跡群。

整然と積み上げられた赤レンガや巨大な空間を有する発電所跡に、廃墟の美を感じまくりだったものの、次第に心が重たくなって来た。
それはやはり、人を殺傷する目的で造られた軍事遺産ゆえのものなのか。

この大久野島は、1932年頃から戦争中は秘密の島として地図から消されていた。
勿論、それは毒ガス製造を隠蔽するためのもので、その情報管理は徹底され、製造に携わる人々ですら実態を知らされていなかった。

此処で殊更に戦争反対などと叫ぶつもりはないが、毒ガスで人を殺そうなんざ全く馬鹿げた話だと思う。
最先端の化学技術を最も原始的な欲求のために捻じ曲げたのが毒ガスを始めとする化学兵器であろうと思う。
殺し合いなんて原始的なことは、もう止めようよ・・そう言いたい。

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↑大久野島毒ガス障害戦没者慰霊碑。
此処には、危険で過酷な毒ガス製造、あるいは戦後の毒ガス処理に従事して傷害を受け亡くなった人々の名簿が納められている。

合掌。


大久野島

2009年08月02日 | 大久野島の軍事遺産

7月27日~30日まで、瀬戸内海に浮かぶ広島県の島、大久野島に行って参りやした。

東京→岡山をのぞみ号、岡山→三原をこだま号と乗り継ぎ、三原→忠海までをJR呉線で約20分。
そして、忠海駅から徒歩で5分のところにあるフェリー乗り場から大久野島行きフェリーに乗ること15分で、大久野島に上陸することが出来る。ふぅ・・

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↑JR呉線の車両。
三島~忠海の間は瀬戸内海に面して走るので、車窓の景色が素晴らしい!

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↑JR忠海駅。

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↑大久野島休暇村の周囲。
海外のリゾート地みたい・・。

あ、大久野島は周囲4.3キロの小さな島。
体力自慢のカメなら余裕で走れる距離。

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↑休暇村の建物。
この写真、イーグルス「ホテル・カリフォルニア」ジャケっぽくね?

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↑大久野島には約300羽のうさぎが住んでいる。

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↑海水浴場にあるうさぎの耳。
これで聴くと海の音がよぉ~く聴こえるらしい・・・らしい、ってのは軍事遺産巡りに夢中で、これに耳を当てる余裕もなかった。

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↑大久野島名物・蛸うどん。
美味かったっす。
この辺は蛸漁が盛んで、蛸!蛸!蛸!

この風光明媚な島が、かつては「毒ガス島」と呼ばれ、毒ガス兵器製造隠蔽のために地図から消されていたのだ・・。
それを現在に物語る軍事遺産の数々を、次の記事にレポートするで~。