旧愚だくさんブログ

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国指定史跡・宇津乃火薬庫跡見学会

2009年10月19日 | カメ的世界遺産・足尾

17日土曜日は足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の勉強会だった。
そして午前中は、何と宇津乃火薬庫の現地見学会まで催された。

宇津乃火薬庫に関しては出来うる限り研究紀要などを読んで宇津乃火薬庫跡再考にまとめ上げ、見学会での説明と照らし合わせても間違えはない様子・・・なので、重複する部分は置いといて、新たに分かったところだけを書いておこうっと。

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↑これは火薬庫とは違った建物で、加工品や導火線の貯蔵庫。
今は赤レンガの防火壁だけが残り、防火壁内部の建物は崩壊し、それに関して記述したものが見当たらずに分からなかったんだよね。
しかし、屋根が鉄板、壁が網筋コンクリートの平屋造りだったと教わった。
網筋コンクリとはコンクリ壁の中心に鉄の網が仕込まれているもので、写真はコレ↓

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↑ちょいと暗くて見えづらいけど、鉄の網が見えると思う。
落雷時には、鉄板の屋根で落雷を受けてから網筋コンクリにて地面に落とすことで、避雷針なしでも雷避けになったらしい。
それと、既に出来上がった網筋コンクリを組み立てて造られた、云わばユニット工法だって。
この建物は昭和9年の竣工で、流石に昭和ともなると建築方法が大きく異なるね。

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↑再度登場の防火壁だけど、このレンガの積み方は下部がイギリス積みで上部が長手積みになっている。
先週見た碓氷線のトンネルも全てこの積み方であったのを思い出したが、これは当時の要塞の壁の典型的積み方であったそう。
頑丈なイギリス積みで下部を丈夫にし、イギリス積みよりは脆く、しかしイギリス積みより使うレンガが少なくて済む長手積みを上部に用いる工法は、当時の主流だったそう。

で、イギリス積みとオランダ積みの差異が今ひとつ分からなかったカメだが、基本的にオランダ積みはイギリス積みの中に含まれると言って良いらしい。

それと、1号~4号までの火薬庫の中で唯一の赤レンガ造りである第4号庫のレンガが「東京型レンガ」とあって、東京って何?と疑問だったけど、JIS規格が定まる前は東京や大阪でレンガの大きさが異なっていたらしい・・それで東京型レンガと。

そして、1号~4号までに取り付けられた屋根は桟瓦で葺かれていたのだそう。
普通、屋根は本瓦だけど、桟瓦は本瓦より軽いそうで、万が一貯蔵している火薬が爆発した時、爆風が縦に抜けて横に抜ける被害を防ぐために敢えて屋根の造りを粗雑にしたことから。
爆発時の横の被害を防ぐためのもう一つの方法として、火薬庫入り口と土塁トンネル入り口の位置をわざとずらしていることも挙げられる。

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大正7年には、火薬庫入り口に「宇津乃請願巡査派出所」を設置し、古河自弁で警護に当たった。
その派出所のあった辺りに現在は半崩壊の建物が何棟か残っているが、それは三養会(足尾銅山独自の生協)や養鶏場、そして養鶏場を管理する人の住居だったらしい。

以上が宇津乃火薬庫に関して新たに得たことをザッと流したもの。
宇津乃火薬庫の見学会の後は、ちょっとだけバスで移動して小滝坑周辺の見学に移った。

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↑青葉寮(独身寮)跡地にひっそりと眠る竈。
先週は、碓氷線にてコンクリ製の竈を見、今週は足尾にて赤レンガ製の竈を見・・・。

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↑足尾にも本格的な紅葉シーズンがやって来ている。
・・しかし、葉っぱの赤よりもレンガの赤の方がエエな~。

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↑坑夫浴場跡。
坑道から上がって先ず入ったのがこの風呂場だそう。此処で流すのは汗や汚れだけでなく、採掘の際に体に付いた重金属類もだった。
坑道から上がっての入浴は大切なことだったらしい。

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↑旧小滝橋。
小振りながらも美しい形だなぁ・・って、見る度に思う。

見学会には、宇都宮大学工学部の先生や、現地ガイドと務めて下さった先生、古河機会金属の担当の方が同行し、ひとつの質問に、建築学としての回答、元住民としての回答、銅山を管理する会社としての回答、と三つの違った角度からの回答が得られたのが、ものすごぉーーーく貴重だった。

今回のような機会に恵まれたお陰で、宇津乃火薬庫への愛慕の念を更に増したカメ。
お世話になった皆さま、ありがとうございました。
心から御礼申し上げます。


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14 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
毎日新聞でその記事を拝見しましたよ。 (ナムナム)
2009-10-19 21:03:00
毎日新聞でその記事を拝見しましたよ。
お風呂を囲んで見ている写真でしたね。
カメ様は写ってない・・ですね?
一番前に出て舐めるように見ている人がいたらそれがカメ様だと思いましたが・・。
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こんばんわ。 (水道ネコ)
2009-10-19 22:22:51
こんばんわ。
詳細なレポートありがとうございました。

私事ですが、以前、危険物貯蔵庫を建てた事があるんですよ。
もちろん仕事でです。自宅にも欲しいですが(笑)

その時は、消防から「ここまで言うかっ」と思うほど細かい細かい指摘を受け、何度も何度も仕様の見直しをさせられて、やっとの思いで許可を受けたのを覚えています。

見学会で説明を聞いていて、その頃消防から言われた事と同じ内容の説明が随所にあり、しばらく忘れていた悪夢(?)がよみがえりました。

逆を言えば、それだけ危険物貯蔵庫として完成度の高い建物であり、多少手を加えれば現在でも十分に機能するのではないかと感じました。

明治・大正の時代に、そこまでやった古河はたいした会社だ!
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水道ネコさんに拍手! (たい焼き)
2009-10-19 23:11:48
水道ネコさんに拍手!

いつ見てもカメさんのレポートはリアルで内容が濃くてすごいですね。17日の興奮がまたまたよみがえってきました。
こういう見学会は小滝だけではなくて他の地区でももっともっとやってほしいものですね。
ワタクシなどきっと皆勤賞でどこにだって出没しますよ! ^^;
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ナムナムさん、 (カメ)
2009-10-20 00:15:00
ナムナムさん、
んーーっと、知人によれば「写ってる」って話なのだけど・・。
足尾話が弾んだ相手が、よもや毎日新聞の記者さんだったとは!

うーむ・・・つくづく侮れぬ、足尾。
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ワタクシも水道ネコさんに拍手! (カメ)
2009-10-20 00:22:44
ワタクシも水道ネコさんに拍手!

当時の銃砲火薬取締法を身を持って知り尽くしていた方、それが水道ネコさんなのですね。

当時の火薬類は軍からの払い下げであった事を考えただけでも、火薬類の取り扱いには慎重に慎重を重ねただろうな、と推測出来ます。・・・が、此処まで保管に気を遣った火薬庫は他に例を見ないと思うのです。

流石は古河!
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たい焼きさん (カメ)
2009-10-20 00:26:10
たい焼きさん
土曜日はお疲れさまでした。

ところで、我々は長井館長から「ヒミツのお誘い」を受けてしまいましたね♪
何やらとっても楽しそうで、今からワクワクものです。
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はいはいっ (笑 (たい焼き)
2009-10-20 09:35:43
はいはいっ (笑

長井館長の「ヒミツのお誘い」・・・とっても嬉しそうでしたよね!

是非ぜひお供したいと思います。
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そうそう、もう「誰かに言いたくてしょーがない」... (カメ)
2009-10-20 14:37:39
そうそう、もう「誰かに言いたくてしょーがない」って感じでしたよね。

ところで、「ちょんまげ市議さん」は面白い御仁であると思いません?
その辺のところも含めて、見学会のこぼれ話をブログネタにしたいと思うております。
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>ちょんまげ市議さんは、 (たい焼き)
2009-10-20 14:58:27
>ちょんまげ市議さんは、

確か、齊○正○さんとおっしゃる足尾出身の日光市の市議会議員の方だったと思います。

私も何度かお見かけしてまして、足尾銅山世界遺産登録の勉強会やグリーンフォーラムにも毎回来てますし、ガソリンカー祭りの時にもいましたよ!

って、毎回見かけてる私って・・・ほんとヒマだよな・・・。
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カメさま (水道ネコ)
2009-10-20 18:38:01
カメさま

>当時の銃砲火薬取締法を身を持って知り尽くしていた

とんでもございません。私は全くの門外漢です。
ある日、危険物庫を建てると言う話になって、「じゃお前やれ」と言われて俄か勉強をしただけです。
付け焼刃はすぐにはがれ、「お前こんなことも知らんのかっ!」とあきれられ、毎回消防署で大汗かいていました。よく見捨てられなかったなあ。懐の深い消防士さんでした。
さいわい、手本となる危険物庫を見学させて頂けて、図面も見せて頂けて、何とか形になっただけです。

思うに宇都野火薬庫が作られた当時は、多分、手本となるような建物も図面も民間には無かったのではないか? かように難しい建物をゼロから作り上げたのであれば、当時の古河の技術力が如何にすごかったかを改めて感じます。
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