旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる④帰り道

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑来た道を戻って歩いている途中で、運行中のトロッコ列車に会った。
家族連れが沢山乗っていて、カメラを向けると子供達がカメラ目線で手を振りやがる・・・ったく、今日日のガキ共は!

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↑裏妙義。
実はさ、妙義山って初めて見たんだよ。
上信越自動車道を走りながら見えて来た妙義山には度肝を抜かれた!
だって、ゴジラの背みたいなギザギザの山なんだもん!

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↑廃線の上を現代の橋梁が掛かる。
明治期の遺構は下にあり、時代が新しくなるほど上へ上へと伸びて行く。
そんな中で下を這うのは廃墟や廃線マニアだけなのか・・。

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↑「鉄道文化むら」の横をアプトの道は通り、このように沢山の廃車両が横たわっている。
このオレンジ&肌色は足尾駅にもあるキハ車両ですな。←唯一これだけは分かる

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↑そして、片道4.8キロのアプトの道を終え、出発点だった横川駅に戻った。
横川駅の開業は1885年(明治18)と古く、現在は信越本線の終着駅となっている。
かつては碓氷峠越えの拠点となった駅で、急勾配を上り下りするために此処で補助的な機関車を連結したのだそう。

そして、連結作業のために長時間停車するため、その時間に乗客は食事を取った。
そこで登場するのが日本一有名な駅弁「峠の釜めし」。

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↑これが、峠の釜めしおぎのや本店。

かつて、釜めしは販売員がホームで売っており、発車する列車に向かって深々とお辞儀をする販売員の姿は有名だった。

えっと・・・此処で湧いた疑問。
横川駅は「峠の釜めしは駅弁の原点」と言い、おにぎり&おしんこを駅構内で売り出した宇都宮駅は「宇都宮は駅弁発祥の地」と言う。
原点と発祥の地ってどう違うん?(笑)

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↑そして、横川駅から車で移動して「峠の湯」に。
裏妙義を一望出来る露天風呂は気持ち良かった~。

そして、この辺きっての土産屋おぎのやドライブインで峠の釜めしやら何やらをワラワラと買い込んでから帰路に着いた。

でも、必ずまた来ようっと!
今度は第六トンネルが通行可になってから良いな~!

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↑お土産に買った峠の釜めしと軽井沢地ビール6本の詰め合わせ。
その他には長野名物わさび漬け、ご当地もののお菓子など等を買って来た。
釜めしもビールも美味かったっすよ。
そうそう、この釜は益子焼きざんす。

えっと・・・此処で湧いたもう一つの疑問。
食べた後の釜は、どうやって使えば良いのだろう?
ご存知の方が居ましたら、どうぞ教えて下され。

<完>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる③第三橋梁

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑碓氷線遺構最大の目玉、通称めがね橋こと第三橋梁。
碓氷線建造物の中では最大のもので、四連アーチ、アーチの径間は18メートル、高さ31メートル、長さ91メートル。
イギリス人パウエル技師が設計した。

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↑まるでラピュタ帝国だねぇ・・・。

1892年(明治25)に完成し、その当時に使用された赤レンガは約203万個だったと言う。
が、その後の1896年(明治29)年の耐震補強工事により、それまで一重だったアーチが二重になり、橋脚も太くされたことから、計300万個の赤レンガが使用されていると思われる。

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↑うわぁぁぁ~!

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↑どっしりとした橋脚。

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↑何て美しいデザインなんだ・・・。

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↑橋脚を見ると、中心の柱の横にウィングのように出ている部分があって、そこが耐震補強された部分。
そして、アーチを見ると二重になっているのが分かる、その外側部分も耐震補強部分で、この部分を取り除いた第三橋梁を想像して欲しい・・・建設当初は非常に女性的な美しさを誇っていたのが分かるよね。

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第三橋梁から山間深くを見ると、比較的新しげな橋梁が見える。
これは、第三橋梁の上を走っていた初代碓氷線が廃線になった後に敷かれた新線の橋梁。
しかし、この新線も長野新幹線開通のため平成9年に廃線となった。
栄枯盛衰・・・嗚呼!

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↑直ぐ近くにはカマドの跡らしきものが。
住居があったのかな?それとも、橋梁工事に動員された人足17000人の食事を賄った炊事場なのか。

何時までも見飽きぬ第三橋梁に別れを告げ、後ろ髪を引かれつつ横川方面に向かって引き返し歩いて行った。

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↑トンネルの先に見られる木々の煌きがまぶしい。

これにて、今回の探索の全ては終了。
この時点で12時30分(早っ!)。帰りまでには時間があったので、丸山変電所跡近くにあった「峠の湯」に入って行こうか・・などと話ながら歩いて行った。

<④に続く>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる②第一~第五トンネル

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

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↑丸山変電所跡から歩いて行くと北原白秋の句碑がある。

うすいねの南おもてとなりにけりくだりつ思ふ春のふかさ

これは大正12年の春に信濃を訪れた白秋が、帰りの碓氷峠で「碓氷の春」と題して詠んだのだそう。

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↑白秋の句碑から目を離して進行方向を見れば、そこには第一トンネルが。
第一トンネルの長さは186メートル。

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↑レンガの赤と、蒸気機関車が吐き出したススの黒とが入り混じって、何やら迷彩色っぽくなっている。迷彩色って死斑をデザインしたものなんだよね・・・なんて考えたら、暗くて長いこのトンネルに入って行くのが怖くなった。

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↑で、無事に抜けて、これは軽井沢側の坑口。
この軽井沢坑口は、割と最近まで土砂に埋まっていたのだとか。

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↑トンネルの曲がりに沿ってレンガの積み方も違っている。
下側はイギリス積みで、上側は長手積み。

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↑そして第二橋梁に到着。
何で最初の橋梁が第二かと言えば、第一橋梁は破壊され現存しないから。
碓氷線の多くの橋梁は保存されているのに、何故に第一橋梁だけが破壊されたのかは分からない。

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↑この第二橋梁は、橋の上を歩くだけのもので、下に下りることは出来ず、橋を遠望出来る場所もない。橋の両側は急斜面で、下を流れる川までまっ逆さまって感じ。
なので、これだけの写真を撮るだけで精一杯。
かなり分厚いアーチが橋梁の重厚感を出している。

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↑次は第二号トンネルに到着。
長さ113メートル。

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↑と、と、と・・・トンネル直前で遊歩道が大きく歪んでいる。
写真手前のレールが除去出来ないから?

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↑トンネル内部には排水溝があって、親切なことにライトアップされていた。
この排水溝は100年経った今でも現役。

碓氷線の幾つものトンネルのうち、岩盤が弱い所のトンネルは地面までコンクリを敷いたので、水はけのために排水溝が設けられたのだそう。

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↑第二トンネル軽井沢坑口。

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↑第二トンネルから出て直ぐのところに碓氷湖が。

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↑碓氷湖を左に見ながら勾配がきつくなった道を歩いて行くと第三トンネルがある。

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↑第三トンネルの向こうには第四、第五トンネルと続く。
こうやって見ると、エッシャーのだまし絵みたいだね。

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↑長さ78メートルのトンネルを抜けた軽井沢坑口。

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↑第四トンネル。
長さ100メートル。

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↑第四トンネル軽井沢坑口。

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↑第五トンネル。
244メートルと、第一~第五までの間では一番長いトンネル。

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↑第五トンネルを抜けた軽井沢坑口。

この第五トンネル・・・・かなり不気味。
トンネルに入って直ぐのところで男女の話し声が聞こえ、「誰かが前を歩いているのだろう」と最初は気にも留めなかったが、歩いて行ってもその声に近付く様子はない・・・「あれ?何かおかしい」と思うや、上子カメは自分達の背後にもう一つの影を見、カメは恐ろしく足が重くなった(日頃の経験から言って1.5キロずつの負荷を掛けられたのと同じ重さ)。
二人とも「此処では黙っていよう、黙ったままトンネルを抜けよう。でないとパニックになるから」と思いつつ黙々と歩き続け、トンネルの出口が見え始めたところで、聞こえていた話し声はピタリと止んだ。
うーむ・・

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↑第五トンネルの次には第六トンネルが。
しかし、残念ながら現在のところ通行禁止。
長さ551メートル(わお!)で、碓氷線最長のトンネルで、このトンネルを抜けると更に数多くの橋梁などの赤レンガ遺構に出会える。
現在整備中で、何れ遊歩道の延長とともに公開される予定だそう。

そして、不気味だった第五トンネルと通行禁止の第六トンネルの間を結ぶのは・・・かくも美しき第三橋梁だったのだ!

<③に続く>


信越本線・碓氷線、廃線跡の遺構をたどる①丸山変電所

2009年10月12日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

赤レンガの遺構が沢山残る信越本線碓氷線跡地には、前々から行ってみたいと思っていた。
そして、突如として出掛けることを決め、短時間集中で史料を集めて、唐突に行って来た。
突如・唐突・短期集中・・これぞカメ流。

ETCの休日料金割引きが導入されてからと言うもの、休日の高速道路の混雑具合が読めなくなってしまったので大事を取って朝の5時に出発、途中北関東自動車道未開通ルートがあるので国道50号線を走った時だけ多少の渋滞はあったものの、それ以外はスムーズな流れで、2時間30分後には目的地であるJR横川駅に到着。

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↑横川駅旧構内だった場所にある「鉄道文化むら」。

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↑「アプトの道」は、アプト式列車の走っていた旧路線を遊歩道として整備したもの。
なので、この遊歩道を歩いて行けば、碓氷線の遺構に出会えるってわけ。

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↑おーっと!歩き出して直ぐのところでレトロ看板ハッケーン!

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↑元が線路なだけに、ながーく続くまっすぐな道。しかも山際で日が当たらないから寒い!
・・まるで人生のような道だわね。

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↑レールはコンクリに埋められ遊歩道になっても、これ等の設備は残されたまま。
鉄道ファンを意識してのことなのかなぁ。

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↑これは、季節限定で運行されるトロッコ列車用の駅看板。
と言うことで丸山変電所跡地に到着!

横川~軽井沢間の電化工事が着手されたのは1910年(明治43)で、翌1911年には横川火力発電所、丸山変電所などが建てられた。
そして、その翌年1912年から電車が運行するようになる。
つまり、丸山変電所は碓氷線運行のために造られたものなのだ。

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↑丸山変電所はレンガ造りの建物が二棟並んで建っており、この横川側の一号棟は蓄電池室。
此処には312個のバッテリーが置かれ必要に応じて電力を供給していた。

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↑そして、軽井沢側の二号棟が機械室。
横川発電所から送られて来た電気の電圧を変える変圧器と交流電流を直流に変える回転交流機が置かれていた。

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↑軽井沢側第二号棟内部。
2002年に修復工事がなされた際に出た様々なものが整然と置かれている。

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↑二号棟上部。

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↑一号棟の裏手に回ると修復されぬままの建物が・・。
中を見るとコンクリの土台が二つあって、どうやら計器類が置かれていたらしい。

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↑赤錆びた窓枠も、割れたままのガラスも妙に味がある。
それに引き換え、綺麗になった外側は妙によそよそしい。先々保存して行くためには修復は必要だけど、せめて修復前に来たかったなぁ。
ボロボロだけれど、その朽ち果てた姿が時間の重みを感じさせてくれる・・そんな丸山変電所に会ってみたかった。

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↑第一号棟入り口。
丸山変電所ってさ、明治時代の赤レンガ建造物にしては装飾が少ないよねぇ。

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↑丸山変電所を後にしてまた歩き始めた。
長い道に落ちた二つの影・・・どっちかがカメで、どっちかが上子カメの影・・って、そんなんどっちでも良いがな。

<②に続く>