旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

東京奇譚集

2008年01月20日 | 本と雑誌

今、村上春樹「東京奇譚集」を読んでいるのだけど・・・。

読みながら、
村上春樹って文章、変わった~。
と思う。

此処に来て突然変わったのでは無く、「海辺のカフカ」あたりから徐々に落ち着いて来た(?)気がする。
その前に書かれた「ねじまき鳥クロニクル」は春樹節健在で、「昔は、コレが堪らなく好きだったけど、今は鼻に付いて読めないなぁ・・・」と、ちょいとウンザリだった。

春樹節は大分こなれて来て、今じゃかつての大文豪の様な文章になった。
と思う。
流石は世界が認めた春樹。

村上春樹ってさ、日本よりも海外での評価の方が高いんだよね。
空海もそーなのさ・・・日本じゃ「真言宗を開いた弘法大師さま」だけど(ま、それで充分なのだが)、海外では「医学・薬学・土木建築に優れ、書・作詩と何でもこなす、レオナルド・ダ・ィンチに匹敵する天才」と評されているのだよ~。(さっすが、空海!)

・・と、少々、話が逸れてしまったが、「東京奇譚集」の中に、こぉんな素敵な一文があった。
「手帳に書き留めといていいですか?」
「いいけどさ、それくらい頭で覚えられないの?」
「ニワトリとおんなじで、三歩あるくと記憶が全部ころっと消えちまうんです。だから何でも書き留めます。アインシュタインもそうしてたんですよ。忘れっぽいことは問題じゃないんです。忘れることが問題なんです。

これって、お年頃(笑)故に忘れっぽくなった人(って、自分だし)への朗報だと思う~。
忘れっぽくなった自分を嘆いても何のプラスにもならぬ、要は忘れぬ様に努める事、ってね。


泳ぐのに、安全でも適切でもありません

2008年01月13日 | 本と雑誌

↑本日読了の江國香織の短篇集。

このタイトルの上に「人生は」を付けると、中々良い言葉になる。

人生は、泳ぐのに、安全でも適切でもありません

・・ってね。

作者のあとがきにこんな一文があった。

瞬間の集積が時間であり、時間の集積が人生であるならば、私はやっぱり瞬間を信じたい。

・・で、その一文からEXILEの歌にある

ときめきを失くした永遠より、熱い刹那を・・・

って、メッチャ好きな一節が想起された。

瞬間。刹那。
そう、その集積が時間になるのだけど・・・何気なく、無意識に集積しているのが日常なのだけど・・・時として瞬間や刹那が非常に際立つ事がある。

その際立った時の鮮やかな感動、その際立った時を与えてくれた人への思慕(時に、それは情念だったりする)は、ずっとずっと退色せぬまま脳裏に居座り(時に、それは鎮座だったりする)続けるのだなぁ・・・。

・・と、まぁ、江國流にはこうだが、岩井志麻子流だと、

そりゃ、未練ちゅーものだのぅ。

かも知れぬ。

ま、どうでも良いけど。(何なんだ?!)

ところで、志水辰夫って面白いか?
新潮社がやたらとプッシュしとるが、カメは退屈だと思うな~。
瞬間・刹那を好むオナゴ故に、緩慢は苦手じゃ。


奈良に帰りたい・・・

2008年01月03日 | 仏教・仏像

Photo_hotoke_seikannonbosatu_2 奈良県観光協会が出している「奈良大和路カレンダー」(カメは「御仏カレンダー」と呼んでいる)の今年一番最初は、

薬師寺東院堂御本尊 聖観世音菩薩

白鳳時代の御像で、その御顔を見ただけで「白鳳!」と叫びたくなるくらいに白鳳仏している。

材は金銅。
今まで金銅仏って好きになれなかった・・・温もりを感じられないし、型に流して鋳造するのでチープなレプリカみたいな感じがしたし。
しかし、帚木蓬生「国銅」を読み、足尾銅山の歴史を読むうちに、昔の銅の生産にどれだけの工人の苦労と犠牲が有ったかを知り、「銅は尊い物」と改めて感じ入り、金銅仏への見方も変わった・・・尊い。

上述したのは些細な事であるけど・・・何て言うのか、こんな風に、重ねる歳や経験によって評価や判断に広さと深みが出て、「嫌いが好きに転じて」行ったら素敵だなぁ・・・と思う。
で、最期は「好き♪好き♪好き♪」で終われたらなぁ・・・。

嗚呼・・・・奈良に帰りたい。