旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

美中の美

2006年11月30日 | 仏教・仏像

やっと・・やっと・・・やっと、渡岸寺の十一面観音様にお会い出来た。

東京国立博物館。
前回来た時の10倍は居ようかと思えるくらいの人!人!人!
開館と同時に入館したカメだったけど、それでも館内は既に人で埋まっていた。その小一時間後には入場制限まで成されてしまい、待ち時間が最長で50分にもなったらしい。

「仏像~一木にこめられた祈り~」展。
会場に入るや、少しだけ後ろめたさを感じつつも居並ぶ御像を横目だけで見やりながら足を止めることなくズンズンと進んだ!
そうして辿りついた3室目。
嗚呼!あの方がいらっしゃる・・・人垣の真ん中にスッとお立ちになって・・・。
遠目にしただけで早くも胸の鼓動は早まり、鼻の奥がツーンとして来て、緊張で足がもつれ加減になる。
そうして更に距離を縮めて行く・・・コツコツコツ(←足音)・・・やっと御前に出られた。

うっ!やはりダメ、堪えきれなかった!人目も憚らず・・・と言うか、そんな気遣いする余裕も無くツーンとした鼻の奥は涙腺を刺激し、カメ、感涙にむせいでしまった。

「渡岸寺十一面観音様、お久し振りでございます。初めてお会いしたのが平成8年11月6日、実に10年振りの邂逅となりました。」

Kan_photo01

日本に現存する十一面観音像の白眉と言われるこの気高く美しい観音様は、滋賀県琵琶湖の北部高月町にある向源寺境内の観音堂の本尊として伝来し、平安時代9世紀の作。

10年前にカメが拝観した折には、町の「保存会」の人達(紺地に保存会の名称が白く抜かれた揃いの法被を着ていらした)が案内して下さり、それは今も変わらないらしい。
その拝観の折、純朴そうな高月町のじい様達と、彼等に守られる女王の如き気高き観音様のギャップと言うものが、観音様の美を更に強調させている様な気がして、「こんな美の在り方もあるのだなぁ・・」と、少しばかり不思議に感じたのを良く憶えている。

カメが思うに、この観音様の大きな特徴は「大胆でありながら破綻が無い」であると思う。
頭上の化仏(けぶつ)と御顔の左右両脇の化仏が他の十一面観音像と比べると恐ろしく大きいし、御手の長さも、幾ら観音菩薩の特徴が「御手が長い」であってもこの観音様のは長過ぎる。タップリとした量感ある体躯も、腰の捻りも随分と強調されたものである。
それなのに、破綻無くまとまっているのだ、実に見事に。
大胆なパーツ同士が見事な調和を見せるとなれば、そこから生み出されるは圧倒的な存在感でしかなかろうと思う。

もう一つカメが思うに、この観音様にたった一言捧げるとすれば、それは「麗」であろうと思う。
鼻梁が通った端整な御顔には意思のある美しさが宿り、衆生を救わんと一歩踏み出した右足、差し伸べた右手の動きは慈愛に満ちた雰囲気を醸し出し、肉厚な体躯をくの字に捻った御姿と、捻った時の衣文の動きの軽やかさが艶やかな空気を振りまくのだ。
華麗にして端麗。
まさに麗人であると思う。

うーむ・・・賞賛の言葉しか浮かばないや。
今宵は少し興奮気味で上擦った文章しか書けそうにない・・・なので、また後日。

ところで、拝観(?)の合間にお昼ご飯を食べようと館外に出たら、かつてNHK学園仏教美術国内スクーリングの旅を3回も御一緒した御夫人と偶然の再会!
嬉しさ込み上げて思わず、「○野さぁ~ん!」と走り寄ってしまった。
その方も、「此処でカメさんにお会いするなんて!これは紛れも無い仏縁よね!渡岸寺の十一面観音様が私達を引き合わせてくれたのよね!」と感激して下さって(何と、その方は感激と驚きで顔や手に鳥肌を立てていらした)、その後二人で軽い昼食を取りながら積もる話に花を咲かせた。
その御夫人は70代後半で、深窓の令嬢→会社社長夫人なる陽が当たり花咲き乱れる道を真っ直ぐに歩いて来られた方。何せ「人生で一番の屈辱は、戦後アメリカ兵にDDTの白い粉を吹き掛けられた事よ!」と仰って憚らぬくらいに苦労らしい苦労を知らぬらしく、それ故に、少女の様なあどけなさと瑞々しい感性を何時までもお持ちでいらっしゃるので、カメは大好きなのだ。
しかし、大好きなれどもひと度離れてしまうと、遠距離、年齢差、環境の違い等々の理由あってか疎遠になる一方だった。最近では年賀状と暑中見舞いの交換だけになってしまい、「今は続いているこの季節の葉書の交換だって、何時か途絶えてしまうのかも・・」と、葉書を頂戴する度にうっすらとした哀しみを感じていたから、今日こうして、よもやの再会が出来た事が心から嬉しい。

その御夫人とは渡岸寺の御堂にても御一緒で・・・・今日、渡岸寺十一面観音様のおはす場所にて奇遇なる邂逅を遂げようとは・・・・何て言うのか仏縁を強く感じてしまった。
十一面観音様のお導きだろうか・・。


今日はちゃんと月輪観

2006年11月28日 | 仏教・仏像

昨日の続き・・・

昨日、校外学習と称して来寺した中学1年生が体験した「月輪観」とは、全ての修行者がマスターしなければならない密教修行の入り口であり、密教にとっては要の修行。
密教には、瞑想により世界と自分は一つである事を実感する「観相」と言う考え方があり(仏教での「観」は、単に見ると言う意味ではなく智慧を持って分別照見すると言った重要な言葉)その本意を得る為に行うのが月輪観から始まり阿字観、五相即身観、字輪観などと深くなって行く禅の修行。
禅と言っても禅宗の禅とは内容が異なる。
禅宗の禅は「心を無にする」のに対して、密教の禅は「心に御仏を観じる」ものになる。

・・・で、世界と自分は一つであるのを実感し、やがては心に御仏を観じる初歩的瞑想法「月輪観」の実践法を簡単に説明すると、

Aji4 座り方は「結跏跌坐」」(左足に右足を乗せて足を組む座り方)で、手は「法界定印」(右手を左手のひらに乗せて、両手の親指の先で輪を作る)。
そのスタイルで自分のペースで深く大切に呼吸をしながら、目の前の←「月輪観本尊」を良く見て心に留め置き、目を閉じても見えるくらいになるまで意識を集中する。
そして、目を閉じても見える様になった月輪を強く心の中に引き寄せて、それを白い光を放つ球体に変化させ、その球体をどんどん大きくして行く。
先ずは自分の身体がスッポリと覆われるくらいの大きさ、そして家の大きさ町の大きさ国の大きさ地球の大きさ、最後に宇宙全体を覆うくらい大きな球になる様に月輪を広げて行く。
次に、極限まで大きくした月輪を少しの間維持する。
月輪を安定した状態で維持させる事が出来たら、次にこの月輪を徐々に小さくして最初の大きさに戻して行き、最後に自分の胸中に納める。

心に描いた月輪をどんどん大きくして行くのを「広観(こうかん)」と言い、宇宙が包まれるくらいに大きくなった月輪を維持するのを「斂観(れんかん)」と言い、この2つによって月輪観は終了する。

Cimg299330small

Cimg299430small

中学生達は、こんな様子。
密教修行なんて初めての体験だと思う。そのせいもあってか、皆、真剣に取り組んでた。

自分の心に月輪を形成し、それを自由自在に変化させるこの修行から得られるのは、精神の集中力と強大な想像力。
こうして頭脳を覚醒して行くと、殆どの人が気付かずに終る「人が本来持っている筈の能力」を引き出す事が可能であるとも言われている。

10代前半の瑞々しい感性は、この月輪観をどの様に捉えてくれただろう・・・。
(ちなみにカメは、一度も行った事がありませぬ。汗)


月輪観

2006年11月27日 | 仏教・仏像

↑と書いて「がちりんかん」と読み、それは密教修行の初歩であり中軸を成すもの。

・・・で、どうしてトートツに月輪観かと言えば、今日、鹿沼市立南押原中学1学年の生徒が「寺院での体験学習をしたい」と当寺に来寺し、この月輪観に挑戦したのだ。

・・・で、それをブログ記事にする為に「月輪観」を調べるつもりが、密教修行の記述を読むのに熱中してしまい、その上「そう言えば、仏師・定朝は御仏の御顔を丸く円満に作る事で月輪を表した(その代表作例が宇治平等院の阿弥陀如来像)だったよな・・」と思い出し、それから仏像関係のカラーグラビアを眺めていたら、随分と遅い時間になってしまった。

・・・ので、明日に延ばそ。

只今23時33分・・・眠いっす。(-_-) zzz


AshioRuin3その後

2006年11月23日 | カメ的世界遺産・足尾

一昨日行った宇津乃火薬庫跡の事を考えていた。
・・・つーか、四六時中頭から離れないんだなぁ、これが。
ま、良いか!今日は勤労感謝の日だし。(何それ?)

火薬庫跡を見た足で訪れた物産センターで買い求めた旧足尾町発行「日本の近代産業発祥の地・産業遺産と環境学習のまち 足尾ガイド」を読むと、巻末に足尾の沿革史が載っていて、なるほどこうやって銅山関連を中心にした沿革史があってくれると足尾銅山の栄枯盛衰たるものがよぉ~く分かって有り難い。
ちなみに、今までは吉川弘文館「標準日本史年表」の細かい文字(それも活字だ!未だに!)の中から足尾に関するものをピックアップして情報入手(?)していた。(吉川弘文館、山川出版社と聞いて懐かしい人は懐かしいだろうな~。アハハ)
・・と、話が逸れてしまったけれど、その沿革史に「1907年(明治40年)足尾銅山に大暴動が起こった」とあり、それに関して調べて行くと、待遇悪化に不満を募らせた鉱夫達による暴動で、ダイナマイトを使用しての爆破行動(それも幹部社宅が狙われた)もあり、最終的には軍隊の出動で制圧されたとある。
宇津乃火薬倉庫が出来たのはその直後で、だからこそ他の廃鉱山に見られる火薬庫跡よりも数段立派な火薬庫跡が現存しているのだろうか・・・などとボンヤリと考えていた。

1907年に起きた足尾銅山大暴動を調べて行くうちに(ちなみに、その5年後にタイタニック沈没)足尾以外の近代産業史にも興味が湧いて目に留まったのが、
「富国強兵政策」→「外貨獲得」→「生糸の輸出」と来て、最後に

「あぁ野麦峠」

に着地。
中学時代に近代史の勉強の為に「本を読め!映画(大竹しのぶ主演)を観ろ!」と社会科の先生に言われてそうしたけど何せ中学生、劇場で映画を観ても原作を読んでも「悲惨なのは分かるけどぉ・・・」と今ひとつピンと来なかった。
しかし今では、何処かのサイトで紹介されてた「あぁ野麦峠」の抜粋文を読んだだけでも泣けてしまう。
あれ?足尾銅山も小説の舞台になってるよね?確か立松和平・・。

こうして、カメ的に近代産業史なるものを考えながら勤労感謝の日は過ぎて行った。(だから関係無いって!)
お隣群馬県に富岡製糸工場、本県に足尾銅山と近代産業の金字塔が立っているのだなぁ・・なんて。

061123_18570001 ←これは一目ぼれして買った「足尾焼」の一輪挿し。

鉱山から出る土を使うせいか、ちょっと金属質なテクスチュアが足尾焼の好きなところ。

カメにだってこーゆう一面があるのですからね~。
廃墟だけじゃないですから~。(今更そんな事言って何になる)


まだまだAshioRuin3

2006年11月22日 | カメ的世界遺産・足尾

今日は、朝から頭と肩がズッシリと重くて、やたらと眠くて仕方が無かった。
もしかして、昨日“お持ち帰り”しちゃったとか?!|||||(* ̄□ ̄)|||||
・・・まさかね。

てなワケで、昨日、宇津乃火薬庫跡以外に巡った足尾風景をアップ。

Cimg289330small 火薬庫以外にと言いつつ、イキナリ火薬庫じゃん。
これは、昨日も紹介した赤煉瓦造りの火薬庫内側からのワンショット。
はめ殺しの鉄格子が良い感じの陰を落としている。
昨日の好天気のお陰で陰影のはっきりとした素敵な写真が撮れて嬉しい。

Cimg296230small廃墟フリークの間では「足尾の顔」である製錬所。
何度見ても機能美に溢れた美しさに溜息が出る。
この製錬所が稼動していた時代に思い描かれた「未来都市図」が現代なのだろうけど、(未だ実用化にはなっていないが)リニア、インターネット、ケータイ電話など等の機器に囲まれる現代よりも、この巨大プラントの方が未来っぽく感じるのは何故なのだろう?

Cimg298330smallこれは「間藤水力発電所跡」に残る鉄管。
今や、この鉄管がかつての水力発電所を象徴するモニュメントの様になっている。
古河電工創始者の古河市兵衛によって完成された水力発電システムによって足尾銅山は近代化の道を歩み始めた。(それまでの動力源は薪や木炭だった)

Cimg295230small中国人慰霊塔近くにあった祠。
御祀りされているのは山ノ神(ん?それって自分か?笑)らしく玉串が捧げられている。しかし、よぉ~く見ると明らかに合掌してるのだよね。・・って事は神仏習合仏か?
足尾に点在する石仏は、石仏として一般的な観音・地蔵菩薩は少なく、この写真の様な神像や仏であっても天部の御仏(大黒天や弁財天など)が多い。 これはやはり鉱山故に山に祈らんとする信仰の強さなのだろうか?

Cimg297230smallこれは、愛宕下鉱員住宅跡近くに残る共同浴場跡。
でも、浴槽はこれ一つしか無いんだよね。混浴?・・・って、まさか!
時間差で男湯、女湯に分けてたのかな?

Cimg298630smallこれはオマケ。足尾から帰る道中で見つけた不動明王。
見た途端「ププッ!」と噴出してしまった。
だってヘヴィメタなんだもん。
これ見よがしの大きな剣持ってるし、羂索の代わりにチェーンだし、それも3本も!チェーン3本ってあたり、誰かのイタズラかな?
それにしても、まぁ!不良じみたお顔と似合ってること!

あ・・・!
もしかして、お持ち帰りしちゃったのはコイツなのかぁ~?!ヤダ~ッ!


AshioRuin3

2006年11月21日 | カメ的世界遺産・足尾

やっと行けたよ、念願の宇津乃火薬庫跡

昨夜、夜半まで降り続いた雨から一転して好天気の今日は、見るもの全てがまるで「洗い立ての風景」の様で美しかった。
そんな輝かしい日に廃墟探索が出来るしあわせ♪

さてさて。

宇津乃火薬庫は、銅坑を掘る穴を開けるのに使うダイナマイト用の火薬を保管していた倉庫で、全部で4棟の建物から成っている。
ちなみに、足尾銅山は明治時代には主に手掘り、大正時代からダイナマイト使用に変わった。火薬庫が出来たのは明治42年頃で、昭和29年の小滝坑山の閉坑に伴って役目を終えた。
大量の火薬の厳重な管理は銅山にとって重要な仕事。小滝坑山が稼動中だった頃は、火薬やその他の火工品類を誰にどれだけ渡したか、また余剰分はきちんと返却されたか等のチェックが、この場所で日々厳しく行われていたらしい。

流石に火薬庫だけあって、もしもの時(大・爆・発!)を想定してか、他には無い有様を見せている。
山の中腹に巨大な4つの穴を掘り(深さは大体7~8m)、それぞれの穴は10m弱の間を空けつつ等間隔で横一列に開いている。それ等4つの独立した窪みに煉瓦造りの倉庫1棟と御影石造りの倉庫3棟が存在するのだ。そして、窪みから西側に向かって約10m外側の斜面を窪みの底辺と同じ高さ(低さ?)になるまで切り崩して、幅3m長さ100m程の道が造られている。つまり、100mの道に沿って等間隔に4つの火薬庫が並ぶ形になる。
道から火薬庫へは先ず外扉を開け、その先に続く幅2m長さ10m程の石積みトンネルを潜り、更に内扉を開け、そして漸く火薬庫へとたどり着く。
外扉・内扉共に鉄筋コンクリート製の頑丈な造りになっている。
核シェルターを逆に考えた構造とでも言おうか・・。
それでは、期待度120%の火薬庫へいざ!

Cimg294530small_1 木々で覆われたこの山の中腹に火薬倉庫がある。何だか信じられない!

Cimg288830small結構な傾斜の斜面を登って行くと、火薬庫入り口の扉が見えてきた!WAO☆

その瞬間からカメの脳裏には「ラディツキー行進曲」が勇ましく鳴り響く。ウィーンフィル(やっぱこの曲にはウィーンフィルでしょ)が奏でるマーチに足取りも軽く火薬庫に向かう。
前述したが、火薬庫前には100mにも及ぶ道があり、道にそって横一列に並ぶ形で4つの火薬庫に入る4つの扉が並ぶ。

Cimg289030small

Cimg292430small

内扉を抜けて中に入ると・・・火薬庫なる無粋な呼び名が勿体無いくらいの瀟洒な煉瓦造りの建物が現れた。
これは、向かって一番左側に位置する火薬庫。
木造部分(屋根と内部の壁や天井部分)は完全に朽ち落ちて、煉瓦やコンクリート、鉄などで造られた外壁、床面、窓枠くらいになっている。
中に入ると朽ちた木材が折り重なってちょっと危険な状態だった。

Cimg293130smallその隣に移動すると、先程の煉瓦とはガラリと雰囲気が変わって御影石の倉庫出現。
冬期の凍結による火薬の爆発を防ぐ為の大きなパネルヒーターがあった。その他にも窓枠やら床材などが散乱しており、前の煉瓦倉庫よりも更に危険な状態。特に木材から出た釘が尖端部分を露出させているので、ウッカリ踏んだりしたら大変な事になる。
屋根も5分の1程残っていた。 Cimg293430small

そして、そのまた隣の倉庫。
先程と同じ御影石造りで、大きさも形態もほぼ同じ。
屋根も内部も木造部分は全て朽ち果て残っていない。
しかし、他の3つの倉庫と違って、こちらは妙なくらいに残留物無しできれいに片付けられているのだ。・・・何故?

Cimg293630smallそして、一番右端の最後の倉庫。
隣2つと同じ御影石造りながら、こっちはコンパクト。6畳一間ってところかな。
床面に堆積する朽ちた木材から小振りの木がニョキッと生えていた。こうやって少しずつ、人工的遺物は植物に呑み込まれ、土に返って行くのだよね・・・。

Cimg291530small_1土の中の倉庫側からトンネルの向こうを見ると、まばゆいばかりの光が差し込んでくる。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」川端康成
「廃墟のトンネルを抜けると光の国であった。」カメ・・・って、幻覚じゃん、これって。アブね~!

トンネルの向こうに広がるは小滝の山々。 そして秋の光の洪水。

Cimg294330small

4つの火薬庫の並びからちょっと離れた場所に「雷管倉庫」発見!
雷管・・それは、火薬を確実に爆破させる為に、激しく燃焼する起爆薬を筒に込めた火工品で、あのアルフレッド・ノーベルがダイナマイトの発明に先立って発明したものだそう。
約1mの厚みを持つ頑丈な壁に囲まれた内部には、かつて木造倉庫があった形跡はあるものの完全に崩れ落ちていた。
でも、堅牢な煉瓦の壁だけで存在感充分。よって、カメ大満足。

いやぁ~♪楽しかった、火薬庫跡探索♪
しかし、よもや「穴の中」に存在しようとは思いも寄らなかったよぉ。

佳き日に佳き探索が出来て、心から嬉しく思う!
こんなに分かりづらい場所であるのに迷う事無く来れたのは山彦太郎様のお陰です!・・・謝謝♪


短篇小説

2006年11月20日 | 本と雑誌

昨夜読了した伊集院静「眠る鯉」の解説を読んで教えられた事が一つ。

「眠る鯉」は全7作からなる短篇小説集で、解説者(文芸評論家清水良典)は良質な短篇小説の醍醐味に触れる時の悦びを語ると共にこんな風に書いている、「長編小説」に対して「短篇小説」と書く時の「篇」の違いにお気付きだろうか・・と。
「篇」と言う漢字は、始めと終わりを備えた一まとまりの詩文を意味するのだそうな。
・・・そうかぁ。少ない文章量の中に起承転結があり、その流れの中に馥郁たる情感や鮮やかな情景が描写されているからこその「短篇」表記なのだろうね。
今までカメはな~んにも考えずに「短編」の漢字を使って来たよ。
短編でも間違いじゃないのだけど、それだと文章が「長い、短い」の意味合いしか持たないもんね。それじゃあ役不足だ。

短篇小説こそ作家の腕の見せ処と言われている。
確かにそうかも。
芥川も太宰もピリッと辛くて面白い短篇を残してる。
カメが一番好きな短篇小説は、村上春樹「午後の最後の芝生」。初めて読んだ時からず~っと好き。
それとは逆に、今まで読んだ中で「コイツの短篇は読めたもんじゃない」と自信を持って(?)言えるのが村上龍。ヘタ~。

あ、そーか!下手くそな短篇小説には「編」の漢字を使えば良いのだわね。


読書の春夏秋冬

2006年11月14日 | 本と雑誌

昨日読了した奥田英朗、相変わらず面白かった~。
この作家って独特の文章を書くと思う。
どんなにシリアスな場面描写であっても突き詰めた重たさが無くて、何処かしらに笑いが漂うんだよね。
奈良のマイナー名物に蕎麦生地に梅肉を練りこんだ「梅そば」ってのがあるけど、そんな感じ。文章に笑いが練りこまれちゃってる。
・・・と、作家のプロフィールを見てみたら元コピーライターなのだわ。
それも1959年生まれ。
その年代ならばバブル期で広告業界花盛りの美味しい時代の経験者じゃん・・・あの時代にあの業界に居たんじゃ根っこの部分は明るくなるわなぁ。

ところで、カメが読んだ後の本を上子カメが読んでいる。
読書好きになるか否かは環境で左右されると考えるので、子カメ達の部屋の前にわざと大きな書棚を作ってそこに読了後の本や博物館や美術館特別展の図録や仏教関係書籍(←これは洗脳の為!)を並べておくのだ。
その効果あってか文芸本の中から読みやすそうなものをピックアップしては読んでいる。シメシメ・・
しかし、この間は「“うさたまのホストクラブナビ”なんて読んだのぉ~?」と白い目を向けられてしまって「ヤバッ!」。・・何でも並べりゃイイってもんじゃないわな。
今は宮部みゆき「孤宿の人」を読み始めたばかりの上子カメ。
ふたりでその話をしている時、話しに熱中するあまりつい結末を喋ってしまって、上子カメから大目玉を喰らってしまった。
随分と楽しく読んでいるらしく、怒ること!怒ること!
「んもぉ~っ!」「んもぉ~っ!」と繰り返し言いながら地団駄踏んで怒ってた。

・・・すまぬのぅ。

孤宿の人 上 孤宿の人 上
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2005-06-21

孤宿の人 下 孤宿の人 下
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2005-06-21

鶏のブロードバンド

2006年11月11日 | 人間じゃない家族

Cimg287830small 烏骨鶏クックちゃんは、毎日、近隣の雄鶏達と鳴き交わしている。
朝は勿論、夕方、そして時に日中も。

遠くから雄鶏の鳴き声が聞こえるや、渾身の力を振り絞って盛大な鳴き声を上げるクックちゃん。
耳を澄ますと、幾つもの鳴き声の中から自分と同じ鳴き声だけに鳴き返している様子なので、白色レグホンやチャボや軍鶏の鳴き声混じる中から烏骨鶏の声を聞き分けて返しているのかもしれない。

烏骨鶏の鳴き声は決して良いとは言えない。
例えば白色レグホンの声を「おはよー!」とスッキリとした標準語だとすりゃ、烏骨鶏の声は「おはようさんでごじぇますだぁー!」ってな感じの濁音交じりでゴニョゴニョっとした方言。(こんな方言あるのか?)

愛玩鶏には、鳴き声鑑賞用、美しい姿態観賞用、闘鶏用等があって、烏骨鶏は絹の様に美しい羽やスッキリとした姿を愛でる姿態観賞用鶏。・・・少々鳴き声が悪くても仕方が無いか。
ちなみに、鳴き声観賞用の代表的な鶏は、かの東天紅。

クックちゃんが鳴き交わす様子を見て、下子カメは
「これってクックちゃん達のメールだよね」
と言った。
そうかぁ・・・メールね。なるほど。
クックちゃん達は音速で通信してるのかぁ。そりゃ凄い。

クックちゃん達のブロードバンド、「NTTフレッツ音」
・・・・な~んてね!


熱き思い

2006年11月08日 | 仏教・仏像

東博「仏像~一木にこめられた祈り~」展は、6日の休肝日・・あっと、違った(大体「キュウカンビ」で変換して最初にこれが出るってどーよ!)休館日に展示替えして後期日程に入る。

京都の宝菩提院願徳寺の菩薩様がお帰りになって、新たに、あの・・あの・・あの・・滋賀渡岸寺の十一面観音様が御出でになっているのだ。
そんなわけで、カメ、昨日から何となく心落ち着かぬ心境。
そわそわ・・
ずっと門外不出であらせられた十一面観音様が直ぐ近くに御出でになってると思うだけで・・・。
そわそわ・・

お会いしたい!お会いしたい!お会いしたい!
・・・心の中でそう叫ぶだけで渡岸寺観音堂で初めてお会いした時の感動が胸の奥からジワジワと湧いて来、その時の感涙の熱さまでもが蘇る。

しかしだ!
それは十一面観音様がおはすべき場所でお会いしたからこその感動であって、東博の展示で同じ感動が得られるかどうか。
一応、東博側では「日本に現存する十一面観音の最高傑作とされる御像の魅力を最大限に引き出す様な展示にする」とは言っているけど。
それとだ!
十一面観音様にとっては初めての旅。今回の企画展の運輸を担当した会社が明記されてないけど、多分日通だと思う。日通さんは、御像を無傷でお運びしたのだろーな!えーっ!
・・・おっと、会いたさ募るあまり興奮し、つい難癖付けてしまった。

上述の如く渡岸寺の十一面観音様ばかりに思いを寄せてしまいがちだけど、お帰りになってしまわれた宝菩提院願徳寺の菩薩様(伝如意輪観音像)も素晴らしかった。(両御仏共に国宝)
カメは、この菩薩様にも一度お目に掛かりたいものだと長らく願って来た。
京都に行った際、2度ほど宝菩提院願徳寺の近くに滞在しながら、諸般の事情から拝観出来ずに悔しい思いをした事があり、その時「宝菩提院の御仏様とはご縁が薄いのかもしれない・・」などとちょっと悲観したけれど、まさか今回の様に、東博にて贅沢なくらいの時間を掛けて拝する事が出来ようとは・・。

昨日からの東博平成館では、十一面観音様の周りに人だかりが出来ている事だと思う。
かの井上靖が絶賛し、水上勉、白洲正子も褒め称えた類稀なる美しさ・・・を目の当たりにした感動から「仏像開眼」する人が続出すると良いなぁ。
カモ~ン☆