やっと・・やっと・・・やっと、渡岸寺の十一面観音様にお会い出来た。
東京国立博物館。
前回来た時の10倍は居ようかと思えるくらいの人!人!人!
開館と同時に入館したカメだったけど、それでも館内は既に人で埋まっていた。その小一時間後には入場制限まで成されてしまい、待ち時間が最長で50分にもなったらしい。
「仏像~一木にこめられた祈り~」展。
会場に入るや、少しだけ後ろめたさを感じつつも居並ぶ御像を横目だけで見やりながら足を止めることなくズンズンと進んだ!
そうして辿りついた3室目。
嗚呼!あの方がいらっしゃる・・・人垣の真ん中にスッとお立ちになって・・・。
遠目にしただけで早くも胸の鼓動は早まり、鼻の奥がツーンとして来て、緊張で足がもつれ加減になる。
そうして更に距離を縮めて行く・・・コツコツコツ(←足音)・・・やっと御前に出られた。
うっ!やはりダメ、堪えきれなかった!人目も憚らず・・・と言うか、そんな気遣いする余裕も無くツーンとした鼻の奥は涙腺を刺激し、カメ、感涙にむせいでしまった。
「渡岸寺十一面観音様、お久し振りでございます。初めてお会いしたのが平成8年11月6日、実に10年振りの邂逅となりました。」
日本に現存する十一面観音像の白眉と言われるこの気高く美しい観音様は、滋賀県琵琶湖の北部高月町にある向源寺境内の観音堂の本尊として伝来し、平安時代9世紀の作。
10年前にカメが拝観した折には、町の「保存会」の人達(紺地に保存会の名称が白く抜かれた揃いの法被を着ていらした)が案内して下さり、それは今も変わらないらしい。
その拝観の折、純朴そうな高月町のじい様達と、彼等に守られる女王の如き気高き観音様のギャップと言うものが、観音様の美を更に強調させている様な気がして、「こんな美の在り方もあるのだなぁ・・」と、少しばかり不思議に感じたのを良く憶えている。
カメが思うに、この観音様の大きな特徴は「大胆でありながら破綻が無い」であると思う。
頭上の化仏(けぶつ)と御顔の左右両脇の化仏が他の十一面観音像と比べると恐ろしく大きいし、御手の長さも、幾ら観音菩薩の特徴が「御手が長い」であってもこの観音様のは長過ぎる。タップリとした量感ある体躯も、腰の捻りも随分と強調されたものである。
それなのに、破綻無くまとまっているのだ、実に見事に。
大胆なパーツ同士が見事な調和を見せるとなれば、そこから生み出されるは圧倒的な存在感でしかなかろうと思う。
もう一つカメが思うに、この観音様にたった一言捧げるとすれば、それは「麗」であろうと思う。
鼻梁が通った端整な御顔には意思のある美しさが宿り、衆生を救わんと一歩踏み出した右足、差し伸べた右手の動きは慈愛に満ちた雰囲気を醸し出し、肉厚な体躯をくの字に捻った御姿と、捻った時の衣文の動きの軽やかさが艶やかな空気を振りまくのだ。
華麗にして端麗。
まさに麗人であると思う。
うーむ・・・賞賛の言葉しか浮かばないや。
今宵は少し興奮気味で上擦った文章しか書けそうにない・・・なので、また後日。
ところで、拝観(?)の合間にお昼ご飯を食べようと館外に出たら、かつてNHK学園仏教美術国内スクーリングの旅を3回も御一緒した御夫人と偶然の再会!
嬉しさ込み上げて思わず、「○野さぁ~ん!」と走り寄ってしまった。
その方も、「此処でカメさんにお会いするなんて!これは紛れも無い仏縁よね!渡岸寺の十一面観音様が私達を引き合わせてくれたのよね!」と感激して下さって(何と、その方は感激と驚きで顔や手に鳥肌を立てていらした)、その後二人で軽い昼食を取りながら積もる話に花を咲かせた。
その御夫人は70代後半で、深窓の令嬢→会社社長夫人なる陽が当たり花咲き乱れる道を真っ直ぐに歩いて来られた方。何せ「人生で一番の屈辱は、戦後アメリカ兵にDDTの白い粉を吹き掛けられた事よ!」と仰って憚らぬくらいに苦労らしい苦労を知らぬらしく、それ故に、少女の様なあどけなさと瑞々しい感性を何時までもお持ちでいらっしゃるので、カメは大好きなのだ。
しかし、大好きなれどもひと度離れてしまうと、遠距離、年齢差、環境の違い等々の理由あってか疎遠になる一方だった。最近では年賀状と暑中見舞いの交換だけになってしまい、「今は続いているこの季節の葉書の交換だって、何時か途絶えてしまうのかも・・」と、葉書を頂戴する度にうっすらとした哀しみを感じていたから、今日こうして、よもやの再会が出来た事が心から嬉しい。
その御夫人とは渡岸寺の御堂にても御一緒で・・・・今日、渡岸寺十一面観音様のおはす場所にて奇遇なる邂逅を遂げようとは・・・・何て言うのか仏縁を強く感じてしまった。
十一面観音様のお導きだろうか・・。