↑来た道を戻って歩いている途中で、運行中のトロッコ列車に会った。
家族連れが沢山乗っていて、カメラを向けると子供達がカメラ目線で手を振りやがる・・・ったく、今日日のガキ共は!
↑裏妙義。
実はさ、妙義山って初めて見たんだよ。
上信越自動車道を走りながら見えて来た妙義山には度肝を抜かれた!
だって、ゴジラの背みたいなギザギザの山なんだもん!
↑廃線の上を現代の橋梁が掛かる。
明治期の遺構は下にあり、時代が新しくなるほど上へ上へと伸びて行く。
そんな中で下を這うのは廃墟や廃線マニアだけなのか・・。
↑「鉄道文化むら」の横をアプトの道は通り、このように沢山の廃車両が横たわっている。
このオレンジ&肌色は足尾駅にもあるキハ車両ですな。←唯一これだけは分かる
↑そして、片道4.8キロのアプトの道を終え、出発点だった横川駅に戻った。
横川駅の開業は1885年(明治18)と古く、現在は信越本線の終着駅となっている。
かつては碓氷峠越えの拠点となった駅で、急勾配を上り下りするために此処で補助的な機関車を連結したのだそう。
そして、連結作業のために長時間停車するため、その時間に乗客は食事を取った。
そこで登場するのが日本一有名な駅弁「峠の釜めし」。
↑これが、峠の釜めしおぎのや本店。
かつて、釜めしは販売員がホームで売っており、発車する列車に向かって深々とお辞儀をする販売員の姿は有名だった。
えっと・・・此処で湧いた疑問。
横川駅は「峠の釜めしは駅弁の原点」と言い、おにぎり&おしんこを駅構内で売り出した宇都宮駅は「宇都宮は駅弁発祥の地」と言う。
原点と発祥の地ってどう違うん?(笑)
↑そして、横川駅から車で移動して「峠の湯」に。
裏妙義を一望出来る露天風呂は気持ち良かった~。
そして、この辺きっての土産屋おぎのやドライブインで峠の釜めしやら何やらをワラワラと買い込んでから帰路に着いた。
でも、必ずまた来ようっと!
今度は第六トンネルが通行可になってから良いな~!
↑お土産に買った峠の釜めしと軽井沢地ビール6本の詰め合わせ。
その他には長野名物わさび漬け、ご当地もののお菓子など等を買って来た。
釜めしもビールも美味かったっすよ。
そうそう、この釜は益子焼きざんす。
えっと・・・此処で湧いたもう一つの疑問。
食べた後の釜は、どうやって使えば良いのだろう?
ご存知の方が居ましたら、どうぞ教えて下され。
<完>
電車で帰る人がいました。
絶対重いと思います。
車だったら買って帰るかもしれないけど
電車だとハンドキャリーだからネー・・・
まだ、新幹線が走ってない頃のお話でした。
なので、5個を買って手で持って行くのは難儀したでしょうなぁ・・・。
ところで、おぎのやは
「富岡製糸工場、世界遺産登録応援弁当」
ってものまで販売していましたよ。
足尾も鉱夫弁当で対抗せねば!
う~ん・・・。
現在版として、おべんと箱は銅製で、ますやのコロッケと鳥丼の具など・・・わたしの好きなもんばっっかジャン(笑)
足尾つまみセットなんてのもいいですね!
鹿肉のジャーキーに末広のホルモン詰め合わせ・・・あ~食いてぇ!!
たい焼きの勝手な妄想でした。
足尾の鉱夫弁当を教えてくれたのはたい焼きさんじゃなかったっけ?
足尾の何かの団体が7月頃に小滝散策会を催して、その時の目玉が鉱夫弁当だったのです。亀村別館が作るお弁当で、洋風・和風の2パターンがあるんだって。
和風の方は憶えてない(でも確か山椒を使ったおかずが入ってたような・・)けど、洋風は鹿ハムのサンドウィッチでした。
結構洒落てます。
ワタクシなら、アルマイトのドカ弁にご飯がギッシリ、おかずは梅干とうるめ鰯だけで良いな~。
でも①ソースカツ丼
②足尾で採れた魚のおべんと
③鹿ハムと山椒のサンドイッチ
足尾名物は分かるんだけど、なんかピントこないんだよな~
カメ的坑夫弁当もいいけど、たい焼き、鰯が苦手なのでそこをししゃもとか鮭に変えてもらえればな・・・
↑
どこまでも勝手なたい焼き!(^^;
①②③のメニューだった!
鰯、キライなん?
カチカチに干したうるめ鰯を焙ったのって美味しいじゃん。塩分が強いのでご飯にサイコ~。
てか、坑夫は高給取りで肉体労働だったから、奥さんが持たせてくれるお弁当も充実してたかも・・。鰯じゃなくて焼肉が入っていただろうなー。
・・などと、独り坑夫弁当に思いを馳せるカメ。