旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

今月最後の日曜日

2009年05月31日 | 本と雑誌
1Q84(2) 1Q84(2)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-05-29
1Q84(1) 1Q84(1)
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2009-05-29

ついウカウカとしちまった。
慌ててこの本を注文したよ。

上下巻が緑と赤の装飾になっていて、「ノルウェイの森」みたい・・・つーか、それを狙っているのだろうね。

ところで、カメのミニスカ計画を盛り立ててくれるブーツが届いたよ~♪

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↑どお?素敵っしょ?
カメの狙いだと、これからサマーブーツの流行が来ると思うね。
今のウチに押さえていた方が良いぜ、everybody!

などと、たわ言ばかり言ってる間に5月は過ぎ去ろうとしている。
今日は、今月最後の日曜日。
明日から6月・・・もう少しで1年の半分が過ぎてしまうんだ。
嗚呼・・・早いなぁ。


蔵の街とちぎの美味しいもんじゃ屋さん

2009年05月30日 | カメ見聞録・レトロな街編

今日は、またまた蔵の街とちぎに行って来た。

上子カメのものが、まだちょっと買い足りなかったので、上子カメと一緒に。

で、買い物はパッパと済ませて(毎度のことで・・)美味しいもんじゃ屋さんに行った。

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↑小さなヘラでコテコテしながら食べるのが楽しい、もんじゃ焼き。

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↑日立製の古い扇風機があった。
この型は、カメが小学低学年の頃に使っていたような・・。

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↑駄菓子も沢山置いてあるので、上子カメが食べ終わるのを待つ間、駄菓子を買って食べていた。
なつかし~。

猫舌の上子カメは、食べるのが遅い。
上子カメが食べる間に、カメはもんじゃの追加を頼んで食べて、それでも時間が余って駄菓子を食べてた。
「飯を食うのがノロいヤツは仕事もノロい、って昔から言うんだよ。」
と言ったら、上子カメは
「友達と食べに来ても、皆これくらいのペースで食べるよ。お母さんが早すぎるんだよ!」
と抗議しおった。
そうかのぅ・・・

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↑もんじゃ屋さんで、お土産用に焼きそばを焼いてもらった。
見て!栃木市の焼きそばは「じゃがいも入り」なんだよ。
このじゃがいも入り焼きそばは、栃木市民にとってはごく当たり前らしい。
うーん・・・でも、これって県内でも栃木市だけの食文化(?)だよなぁ。

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↑もんじゃ屋さんを出た後はショッピング・モールに行き、その中の31アイスクリームで大好きなバーガンディ・チェリーを・・・と思ったものの、既にシーズン・オフ!カメ、号泣。
なので、腹いせにダブルを食ってやった。

そんなワケで、本日の蔵の街とちぎ行きはお終い。
何せお目付け役と一緒なもんだから、アチコチ散策も出来ず・・。
でも、一人じゃ食べられないもんじゃ焼きが食べられたので、上子カメに感謝。
もんじゃ、マジ美味い。


栗本薫

2009年05月28日 | 本と雑誌

栗本薫が亡くなってしまったねぇ。

すい臓ガンだったそうで。
享年56歳。
まだまだまだ・・の年齢なのに。

自分が初めて彼女を知ったのは、中島梓のペンネーム。
音楽雑誌にコラムを書いていて、それがとても面白かった。

それから、中島梓が小説を書く時は栗本薫になると知り、
彼女の著作を何冊か読んだ。

一番印象的だったのは、
「天国への階段」
トーゼンですがな、カメは大のZEPフリーク。
JimmyPageを愛し続けて30年!WAO☆

大切に持っている「天国への階段」の裏表紙には、
あの渋谷陽一のサインがあるのだよ。
もちろん直筆。
彼のトークライブにそれを持って行ってサインをねだった。
本を開いて「ここにお願いします」と言った途端に、
「わぁ!僕も好きです、この小説!」
と、目をクリッとさせて喜んでくれたっけ。

・・と、まぁ、話を栗本薫に戻して。
「ぼくらの時代」「ハードラック・ウーマン」も良かったなぁ。
彼女が主人公として選ぶのは「あまり幸せでない若者」が多かったかも。
実際、彼女の私生活もドロドロとした一時期があって、しかしそのドロドロな時にヒット作は連発した。

作家や芸術家ってそう言うところがあるかも知れない。
何かに怒り、何かに虐げられ、それをバネに作品を完成させる、みたいな。

何はともあれ、ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌


ちょっとディープな蔵の街とちぎ

2009年05月26日 | カメ見聞録・レトロな街編

本日、とても爽やかで晴れ渡った天気。
まるで好天気に誘われるようにして・・・いえいえ、上子カメの制服シャツを買う用事があったので・・・栃木市に行って来た。

で、買い物“ついで”の蔵の街散策。
ちなみに、買い物時間10分、散策時間3時間強。
(^∇^) アハハ!

メインの通り沿いにある蔵は大方観たので、今日は通りから入った所を散策。
すると、瀟洒な洋館が見えて来た。

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↑栃木病院。
これは、足尾の宇津乃火薬庫と同じく国の登録有形文化財に指定されている。
大正2年の建設だって。

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↑病院入り口には色々なプレートが貼られている。

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↑中ではちゃんと診察が行われている。つまり、現役建造物。
病院内部はどうなっているのだろ・・・クレオソートが満たされた白い琺瑯洗面器があるのだろうか・・・猫足の滅菌庫はどうだろう・・・院長の机は威厳に満ちて大きいのだろうか・・・処方される薬は薬包だったりして・・・などと、果てしなく想像が広がるのであった。
嗚呼!此処の患者になりて~。

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↑瀟洒な洋館は、通気口までもが凝った作り。

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↑栃木病院の正面に建つこのお宅も素晴らしかった。
病院とは対照的な純和風建築。

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↑病院脇の路地。
古い街には必ず路地があるよねぇ・・・良いなぁ。
今は、車が通れない道は造らないから。

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↑栃木病院から北に向かって少しだけ歩いた先に、またまた洋館が。

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↑正面2階のテラス部分を見ると、ガラスなどがアシンメトリーになっている。
それにしても、凝ったガラスだなぁ。

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↑こぉんな床屋さんもあった。
こりゃレトロを超えてるわ。

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↑年代モノの消防車、ハッケン!

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↑レトロ看板、ニ連発!

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↑味噌や醤油を扱う問屋さんの板壁に貼ってあったもの。
昔の勤務は厳しかったよなぁ・・・「2ちゃんねるユーザーの4割は勤務中に書き込みしている」って今とは違う。

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↑この辺の商家の宣伝用看板かな?
琺瑯引きのレトロ看板以前のものだよね、きっと。

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↑銅版の鬼・・・今じゃ珍しくなってしまった。

亡くなったカメの父親は、板金職人だった。
しかも、県下で5本の指に入る腕の良さ。
カメが物心付いた頃にはもう、銅版やブリキの細工物の需要が減っていたので屋根や外壁を張る建築板金を主な仕事にしていたけれど、現場に出られない雨の日や夜になると、父親はこの様な鬼や細工物を作っていた。
子供だったカメは、半田ごてを使う時のジュッとした音や塩酸の匂いの中で、金切りハサミを器用に使う父親の指先を飽きずに眺めていたっけ。
・・・などと、この鬼を見ながら父親のことを思い出していた。
そう言や父親は、栃木市で生まれ、終生栃木市を想い続けた人だった・・。

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↑そして!「軍人病院」ハッケ~ン!
いや、ずっと場所が分からなくてねぇ・・・やっとだよ、やっと来られた。
窓と言う窓に格子がある不気味さから「軍人病院」とあだ名されているが、正式名は「栃木地方病院」って言うのだねぇ。
格子が木製ってところに時代を感じる。
精神病院だったのかな、多分。

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↑驚いたことに、廃墟として知れ渡っているこの病院に布団が干されていた。
人が住んでいるのか?だとすりゃ、そっちの方が廃墟よりも怖い。

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↑おいっ!軍人病院からフレンチの画像かよっ!変わりすぎだろ。

本日の散策は、見事訪問を果たせた軍人病院にて終了。
その足で友人と待ち合わせのフレンチの店に向かい、楽しいランチ♪
これは前菜のプレートで、キッシュと夏野菜のラタトゥイユ。

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↑話が弾んで来た頃にメインのプレートが運ばれた。
これは、牛の頬肉を赤ワインとカシスで煮込んだもの。
とろける様なお肉が美味しかった。

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↑デザート盛り合わせ。

・・・と、まぁ、制服シャツの買い物は予想外に内容盛りだくさんになって、と~っても楽しかった。
「確信犯だろ!」って?・・・うん、確かに。へへへ

帰り掛けに、今日散策したエリアの反対側を車で流してみたら・・・あるよ、あるよ、コッチにも!
流石は元県庁所在地だ!奥が深くてまだまだ観切れない。

近いうちに、また来よっと・・・何か用事を作って。


今頃観たよ、「フラ・ガール」

2009年05月24日 | 映画

昨夜は、ず~っと観たいと思ってた「フラ・ガール」を観ちゃった、DVDで。

Main

大ヒットした映画なので、内容に関しちゃ今更言うまでもないわな。

この炭鉱は、かつて実在していた福島県いわき市の小野田炭鉱(常磐炭鉱)。
いわき市ってのは、2003年まで日本一の面積を誇る市だったそう。
此処は昔良く来た街で、街中を走っても鉱山だった頃の面影は殆どなくて、臨海工業地帯と大型ショッピングモールばかりが目に付いたけれど、山の方向に入って行くと鉱山廃墟が結構残っているらしい。

そして、最盛期の当時に掘られた坑道は、地下を蟻の巣状に堀り進まれて長距離に及んでいる。
昔、大型地震があった時に毛越寺の名園の池の石垣がグズグズに崩れてしまい、それは常磐炭鉱の坑道が毛越寺の下にあったのが原因だった、ってニュースが記憶にあるんだよね。
その記憶が正しいとするなら、福島県~宮城県を通過し岩手県にまで坑道が走っていたことになる。凄いなぁ・・。

それと、この「フラ・ガール」の場面が「廃坑間近の鉱山」なもので、ついつい足尾と被ってしまってね~。
足尾銅山写真集の「足尾銅山最後の日」を綴った記録写真と映画の場面が重なって、ただそれだけで涙腺決壊。
そして、作品そのものも感動的だったから、もう最初から最後まで涙・涙だった。

この映画って、鉱山好きには堪らないかも・・。
古河製の鑿岩機は登場するし、鉱夫の仕事風景がチラチラ出て来るし、坑内を走るトロッコ、鉱夫住宅の風景など等がリアルに感じられて楽しいよ。
一度、観てみ・・・カメのオススメ。


足尾銅山の世界遺産登録を推進する会 第8回勉強会

2009年05月17日 | カメ的世界遺産・足尾

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昨日は、足尾銅山の世界遺産登録を推進する会の第8回勉強会に参加したワケだが、参加の動機となったのは、歴史館の長井館長の

「(株)古河機械金属(旧(株)古河鉱業)の社員がお出でになって、鉱山施設の何を撤去し、何を残すかの説明があると思うんです。」

のひと言。
製錬所の解体が進む中で「何を残すか」は、カメにとっちゃ大問題!

ま、勉強会の骨格は、「世界遺産暫定リスト入り出来なかったことの検証及び、暫定リスト入りを目指した今後の課題」だったのだけど、世界遺産はねぇ・・・と、色々と思うところしきりなので、置いといて、と。

カメにとって肝心の「何を残すか」の古河側の説明を要約すると、

・選鉱所は残す意向。
調査の結果、建物その他に危険性があると判断されなかった。
有害物質はなく、建物の鉄骨が丈夫で崩落の心配はないであろう。

WAO☆第一関門クリア。
良かった♪

・製錬所は基本的に解体する意向。
昭和63年に製錬を停止してから、将来的には解体する条件付きで除却(←これって簿記なんかの専門用語。難しい・・)扱いになったものの、その後二十数年間に渡って放置、いよいよ政府から解体命令が出されて現在解体中。
内部の調査を進めながら慎重に解体しており、解体に掛かる費用の総額は約10億円と思われる。
既に解体が完了した硫酸工場と集塵棟に関しては、鉱業史上に残るような価値のある設備はなかったので全てを解体した。
現在、製錬所の中で残すものとして検討しているのは、
・大煙突
・自溶炉
・転炉2つ
・鋳造機
・硫酸タンク3つ(内部は洗浄済み)
・ちょこう(?)

尚、自溶炉の図面は「未来遺産」に登され、これは日本で11番目の登録となる。
それにしても、解体決定後になって世界遺産登録の話が浮上したのは皮肉なものである。

・・と、まぁこんな風。
悲観したほどには製錬所が酷いことにならなそうで、良かった、良かった。

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↑転炉

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↑鋳造機(アノード型銅)

それにしても、勉強会の中でもしきりに出た話なのだが、この足尾銅山は、栃木県のものでも日光市のものでもなく、(株)古河機械金属の所有である。
鉱山法の中の「会社がある限りは、閉山施設等を管理する」に基づいて、(株)古河は足尾銅山を管理しているのだけど、未だ公害防止だけで年間15億もの経費を掛けているそうで、それ以外にも修復保存費用や解体費用がかさんで来るので、かなりの額を廃鉱山となった足尾につぎ込んでいることになる。
それを思うと、世界遺産登録のせめて暫定リスト入りを果たして、保護のための予算を国から調達出来たら良いのかなぁ・・などと考えてしまった。
しかし、それってのは世界遺産登録の本来の目的から逸脱しているのだけどね。

勉強会終了後は、この日のために特別に運行されたトロッコ列車に乗せてもらった。

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↑この「安全専一」の言葉に注目!
これは、銅の採鉱と精錬技術の調査のために足尾からアメリカに行った小田川全之が、新しい技術と共に持ち帰った安全運動の「Safety First」を「安全専一」と訳したもの。
それが、やがて「安全第一」となって全国に広まった。
今、工場や作業現場で当たり前に目にする「安全第一」は、この足尾から発せられたものなのだ。

「足尾銅山の世界遺産登録を推進する会」の働きかけと、(株)古河の意向がイイ感じで融合して行くと、精錬所は危険なものが取り払われ、取り払われた土地は緑化され、鉱山史上価値のあるものだけが整然と配置された公園のようになって行くのかも知れない。
イギリスには、鉄骨の橋と転炉の二つだけで世界遺産(文化遺産・製鉄所カテゴリ)に登録されたものがあるけれど、そんな感じになって行くのかなぁ。

最早、製錬所の解体は免れぬもの・・・それは仕方がない。
ならば、残せるものは出来うる限り良き方向で残して欲しいなぁ・・と思う。

ところで「ちょこう」って何だろ?
お分かりの方がいらっしゃったら、是非教えてたもれ。


究極の名刺

2009年05月16日 | カメ的世界遺産・足尾

本日、足尾銅山の世界遺産登録を推進する会・第8回勉強会に参加して来た。

いや、ホント、勉強になった。

・・で、勉強会の内容は後日にして(眠いんだ、もう寝るよっ!)
勉強会の事務局を務める足尾歴史館には、週末の休日を利用したボランティアの方々が集まっておられた。
皆さん、ネームプレートを掲げているので、誰が誰だか一目瞭然。

その中に、究極の名刺をお持ちであると、かねがね足尾組の中で話題の人となっていたOさん、ハッケ~ン!
すぐさま駆け寄って、
「切符の名刺をお持ちのOさんですか?ワタクシにも頂戴出来ますか?」
とお願いした処、快諾してくれた。

民よ心して見よ!(笑)
↓これが鉄道マニア・Oさんの名刺と、Oさん流の名刺の渡し方だ!

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昔の切符の名刺にハサミを入れて渡してくれるのだよ!
WAO☆噂は本当だった!

勿論、ハサミは本物だし、名刺も切符を作っている会社に特別注文したそうな。

いやいやいや・・・・・参りました。
m(_ _)m

名刺と言えば、カメが頂戴した名刺の中で↓これが素晴らしい。

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昔、我が市に視察にいらした滋賀県教育委員会の方々と交流する機会があり、その時に頂戴した一枚。
何と、渡岸寺の十一面観音さまだよぉ~♪
井上靖「星と祭」にも登場する、それは素晴らしいお像をさり気に名刺に入れられるなんて、くぅぅ~っ!何て羨ましいんだ!

・・が、このOさんの名刺は、渡岸寺十一面観音名刺を軽く超えとる!
何事も突き詰めると美学になるよね・・・Oさん、素敵だ!


足尾プチプチオフ会

2009年05月12日 | カメ的世界遺産・足尾

今日は今日も足尾に行って来た。

カメ、住民票を足尾に移す時も近いか!・・・なんつって。

今日の足尾組オフ会は、参加者も滞在時間もプチプチサイズ。
でも、楽しかったよね、1192さん、ね!ね!←脅迫

・・で、先ずは解体が進む製錬所レクイエムを・・。

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↑やがてなくなる溶炉棟・・・今のうちにシッカリと見ておかねば!

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↑シックナー

それから足尾歴史館に移動。
嬉しいことに長井館長ご在館で、また色々な話をうかがうことが出来た。
1時間ほどしてから1192さんは仕事のために帰られ、一人になったカメは、その後1時間の間、長井館長から「足尾のガイドをやってみませんか」と熱いラブコールを受け続けておった。
ご自分では「私は、歴史館のために何でもタダでやってもらう(つまり、無償提供やボランティアのこと)“タダの長井”と言われています。」と謙遜される館長だけど、いえいえ凄い人物との評判の方。
そのような方から請われるとは、カメ恐悦至極に存知たてまつります・・の心境。

それ以外にも、館長とは「足尾の歴史観」の話で熱くなった。

歴史教育で教えられる足尾とは鉱毒であり田中正造でしかなく、一時は世界的な鉱山王と呼ばれた古河市兵衛と古河の功績には全く触れられない。
つまり、足尾の影の部分だけ教え込まれ光の部分が何故か削られてしまっている。
確かに、鉱毒がもたらした深刻な被害を伝えて行く責務があるだろうし、急速な産業発展の影には何時も弱者の涙があったことを教育に織り込むのは、後世の教訓になるだろう。
が、しかし、そればかりと言うのは一方的過ぎやしないか?
足尾銅山、そして古河鉱業が、どれだけ経済に利潤をもたらしたか、そして産業発展に貢献したかを、鉱毒と共に伝えるべきだと思う。
カーネギーと並ぶ鉱山王とまで賞された古河市兵衛は、田中正造の直訴から一転して悪人にされてしまったのだ。

何て言うのか、この足尾ひとつを取っても日本人の自虐的歴史観が表れていると思う。
「つまらないものですが」と言いながら人に物を贈る国民性だから仕方がないような気もするが、もっと「良いところは良い」と認めても良いのではないかと思う。

・・・みたいなことを館長と話していた。
何てディープなんだ!

そして、門外不出の調査報告書2冊(文化庁と栃木県教育委員会のもの)をお借り出来た。

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此処には、あの宇津乃火薬庫の調査報告書が載っているのだ。マジで嬉しい。
コピーして大切に保存しよっと。
館長、ありがとうございました。

2冊の調査報告書を大切に抱えて歴史館を辞した後は、評判の「ますやのコロッケ」を買いにますや精肉店へ。

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↑これがますや精肉店。
シャッキシャキのおばあちゃん3人で切り盛りしている。

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↑調子に乗って15個も買っちった。ヘヘッ
ホクホクと言うよりはモッチリとした美味しいコロッケだった♪

さてと、歴史館の大切な本をお借りしてしまったことだし、また近々足尾に行かなきゃならぬなぁ~。エヘヘッ


余命わずかな製錬所

2009年05月10日 | カメ的世界遺産・足尾

GW後半に足尾行きを計画していたものの、雨に祟られて頓挫。
なので今日、子カメ達と行って来た。

先ず向かったのは製錬所。
3月のオフ会以来の製錬所は、更に解体が進んでいた。嗚呼!

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↑足尾の人気者、硫酸三兄弟。

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↑足尾銅山のシンボルとも言える「足尾製銅」の文字。

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↑この球体の設備はガスタンクだよね?

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↑製錬所の中で一番高くて、一番重要な溶鉱炉がある棟。
入りたくて入りたくて、この目で見たくて仕方がない建物。
なのに、解体の魔の手は、とうとう此処まで・・・。

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↑この建物の下部分に注目すると、本来あったはずの機械類がキレイに取り払われているのが分かる。
もしかすると、溶鉱炉棟よりもコチラの方が先に解体されるかも。

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↑煙突は健在。
製錬所内の幾つかの施設は保存されるとのこと。この煙突は、きっと残されるのだろう。
あ、ちなみに硫酸三兄弟も残留確定組。

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↑そして、製錬所向い側の「龍蔵寺」に行った。
つーか、カメが製錬所に夢中になっていた間に、子カメ達は境内に入ってお参りしていた。
流石は寺の子よのぅ。

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↑旧松木村の墓石群。
鉱毒と大規模な火災により廃村に追い込まれてしまったのが松木村。

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↑この様に俗名のまま葬られた墓が沢山あった。
貧しくて戒名をもらえなかったのか、それとも昔はこんなものだったのか。

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↑龍蔵寺境内から見た製錬所。

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↑それから、「鳥丼」を食べに鰻屋「川本」に行った。
鳥丼、うまいっ!

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↑川本の廊下には、こぉんなレトロな鏡が!
カブトビールだって!

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↑それから足尾駅に行って、連休中に塗られたはずのキハ車両を見に行った。
お!キレイになっとる!
でもまだ下塗りの段階だね。

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↑2両あるキハの、下塗りされた車両と手付かず車両。
足尾歴史館の長井館長の計画では「燃えるようなあかがね色」になるらしい。

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↑それにしても気になったのは、このボディの剥落。
前回来た時もこんなだったっけ?
もし、人為的なものだとしたら許さないからな!

以上、今回は時間がなかったので駆け足探索。
歴史館にも寄らずに帰って来てしまった。

それにしても・・・返す返す惜しいのは製錬所。
溶炉棟を失くした製錬所なんて・・・。
かつて(株)古河鉱業足尾鉱業所に勤務し、定年退職後は足尾銅山に関する著作物を出している村上安正氏は、このように述べている
「現在も足尾製錬所の施設は残っているが、産業廃棄物からの金属回収に一部施設が稼動しているだけで、他は放置されている。自溶炉周辺は無残な状態であり、わびしい思いにかられる。」

まったくだよねぇ・・・。


本音

2009年05月08日 | 人間じゃない家族

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↑コレ、子猫がウチで最後に食べたご飯の残り。

昨晩、里親さんに子猫を託した後、帰宅してコレを見たら泣けてしまった。
たった一日、24時間強しかウチに居なかった子猫だけど、メチャメチャ可愛くて・・。

本当はさ、なし崩し的に飼っちゃおうと思ってたんだ。
室内飼いの動物はご法度の家だけど、里親が見つからぬまま大きくなって、このままウチの子になれば良いなぁ・・・って。

なので、一応ブログには「里親募集」と書いたけど、実は里親探しに本腰入れてなかった。

でさ、でさ、名前をまぐろにしようと思ってたんだ。
ホッケも有力候補だったけど。

そうは言っても、実際の処これ以上“人間じゃない家族”を増やすのには無理があるし・・・・そんな逡巡の中、良い里親さんに巡り会えて良かった、ホント。

・・と、諸手揚げて「良かった」と思うのは理性で、本音は未練タラタラ。
実は、今も泣いている。