赤煉瓦造り。
近代産業遺産。
うーむ・・・そそられるなぁ~、大いに!
ってなワケで、以前から気になっていた「シモレン煉瓦窯」に行って来た。
隣県(茨城県)との県境にある“ギリギリで栃木のモノ遺産”。
シモレンは下野煉化製造会社の略称で、明治22年に設立された。
この独特の形をした窯は、ドイツ人技師ホフマンによって発明されたホフマン式輪窯と言い、煉瓦製造に於ける「窯詰→余熱→焼成→冷却→窯出」の行程全てを休まずに連続して行え、煉瓦の大量生産を可能にした。
こうして、隣接する渡良瀬川の川砂と堆積する粘土を原料にホフマン式輪窯で焼かれた煉瓦は東京一円に運ばれ、明治の近代建築に使われた。
当時は、東西に東窯、西窯と2つの窯があり(古寺院伽藍の東塔西塔みたいだ)、現存するのは東窯の方で、窯は設立以来80年以上もの間稼動し続けた。
最盛期には月産40万本もの煉瓦が生産され、工場は活気に満ち、多くの人の出入りで賑わっていたらしい。
16角形(アレ?日本武道館って何角形?)で、1角毎に1室の窯を持つ。
周囲100メートル。
煙突の高さ25メートル。
1979年には国の重要文化財に指定され、文化庁は痛んだ窯修復の為の予算を取り、実際に修復も始まったのだが、その後(株)シモレンの倒産によりホフマン式輪窯の所有者が居なくなった事で国は修復を中断し、以後そのまま修復途中のまま放置され続けて来た。
2006年に所在地である野木町に寄付されたものの、財政難の小さな町には重たい荷物らしい。
今日見た限りでも、痛々しいくらいに老朽化が進み、上写真の様に、もうどうにもならないくらいに崩壊が進んだ壁面もあった。調査中の為、窯内部には入れなかったのだけど、外側から覗っただけでも崩落防止の為の補強用鉄骨が何本も立てられていた。
↑こんな風に屋根の歪みも激しい・・・。
隣の群馬県の富岡製糸工場が類稀なる産業遺産として世界遺産登録に向けて保護されてると言うのに、同じ近代産業遺産、同じ赤煉瓦造り、そしてこれと同型のものは世界に三基しか現存せぬ貴重な近代建築遺産であるこのシモレン煉瓦窯がこの体たらくだなんて、つくづく勿体無い!
かつてのシモレン敷地は、現在は乗馬クラブになっており、上写真の様な瀟洒な乗馬クラブ建物の中にホフマン式輪窯が、たった一つ存在している。
しかし、平成6年に竣工された建物と、明治22年の窯が何ら違和感を抱かせる事無く、良い感じで調和し合っている。
ちなみに、この渡良瀬北斗乗馬倶楽部のフロント(上写真の建物)で「煉瓦窯を見学させて下さい」と申し出て、許可を得れば、ホフマン式輪窯は人目を憚る事無く、法に触れる事も無く、自由に見る事が出来る(但し、内部の立ち入りは禁止)のだ。
今回初の合法探索!
・・・生憎の悪天候ではあったけど。