旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

空蝉模様

2005年12月16日 | 本と雑誌

相変わらず愛読している「御宿かわせみ」。
何せ30巻もあるものだから、中々読み終わらない。
たまにこれに飽きた時は、「源氏物語」をチョコマカと読み返している。

「源氏物語に登場する女人で誰が一番好き?」って話で、良く友達と盛り上がったもんだ。(昔の話)
カメは最初、肉感的でちょっと自堕落な「夕顔」が好きだったけれど、そのうち余りに考え無しの夕顔が嫌になって、それからはずっと、育ちの良さと美貌に恵まれたが為か天真爛漫な性格で、尚且つ頭脳明晰の「朧月夜の君」贔屓。

その人は好きじゃないけど、印象的な場面に魅了されるのは「空蝉」で、光源氏が自分の寝所に入って来ようとするのを鋭敏に察した空蝉は、重ねの衣だけを残して逃げ去ってしまう。
衣だけ残って当の本人は何処へやら・・・・これを空蝉とは、良くぞ申したものだと思う。

どうした事か、今のカメの気持ちは空蝉の様・・・。
心の核が何処かに行ってしまった。
・・・源氏物語で引っ張って来たけど、実はこれを書きたかったりして。


今年最後の「密教の哲学」

2005年12月13日 | 仏教・仏像

今日で第6回目を終了したこの講義。
家族の協力の賜物で、これまで一度も欠席せずに来られたものの、はてさてその成果たるや如何に。
うーん・・・・相も変わらず「今日は、これこれこういう事を学びました」とクリアに言語化出来ぬ体たらく。
だって、難しいんだもん。それに、そう簡単に言葉で括れないのが哲学であり仏教じゃなかろーか。
なーんて開き直りばかり立派だったりして。

動物と違って人間は言葉を持つ。
心でも物でもないのが言葉。言葉は心と物の中間。
言葉の実体観が物を価値化し、それが我々の行動を決定する。言葉に囚われ差別化して見るのが我々の世界。
時に有るものを無いと言い、無いものを有ると言う様な虚妄性に満ちた言葉「戯論(けろん)」に我々が囚われる事で数々の煩悩が成立する。
想(想念)があり、想を実体化するのに戯論が起こり、人がそれに囚われて精神的な苦痛を感じるのであるから、戯論、そして想そのものを滅すれば良いわけだが、此処で釈尊は想を滅しようとせず、想を意識しない時に真に想を滅したことになる、と教える。
想うのでも想わないのでもない識別作用の止滅。
有る・無いの判断そのものの止滅。
あらゆる物への執着を断ち切り、無明(生老病死の苦しみの根本原因)と我執(自我に固執する見解)をうち破って、世界を「空」なりと感ぜよ。
※無明と我執で無我

・・・が、釈尊の教えの根幹で、これが大乗仏教の根幹ともなり、何れは密教に反映されて行く・・・なるところで、今日の講義終了。
「では皆さん、良いお年を」で終った。
それにしても・・・・嗚呼!むずっ!

講義が退けて、すっかり元の凡夫に戻ったカメは、子カメ達にデリシャスなお土産を・・・と思って銀座三越のデパ地下に行った。
そうしたら、何と琴欧州関がお付の人に囲まれながらスィーツ選びしてるじゃないのぉ。
流石は関取、大きかった~!
「今年は有名人と縁があるなぁ」と喜びながら、すぐさまケータイバチバチでご自慢メール。ヘヘ・・
まったく、これだもんなぁ。
つい先ほどまでの有り難い講義は何処へやら・・・・。
しかしですね、カメが大好きな言葉が
「煩悩即菩提」
あ~、救われるっ!
これだから仏教って好きよぉ!


浴びた!浴びた!

2005年12月09日 | カメ見聞録・国内編

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昨晩、帰って参りました・・・「仏浴の旅」から。
いやぁ~、今年も浴びた浴びた!御仏浴びた!

今年は東博を始め他の美術館でも寺院展開催が殆どなかったせいで、カメの脳内御仏濃度が薄まってしまって、ちょっとした危機に瀕していた。
しかし、この奈良行きにて一気に脳内中の御仏濃度アップ。
只今MAX状態。
なので、かなり元気。

8センチヒールの靴で3日間歩き通しだったので、太腿パンパン!
まるで、奈良博にてお目に掛かった元興寺極楽坊の薬師さまのおみ足みたいになってしまった。

今年もまた、素晴らしき御仏達に出会えた幸せを噛みしめ、街の彼方此方に天平の面影色濃く残る奈良に3日間滞在出来た幸せを噛みしめている。
東大寺四月堂の千手観世音菩薩、白毫寺の地蔵菩薩、秋篠寺の伎芸天の御前で「また来年も参ります」って約束し、
東大寺堂守のジイサマ達とは「来年の良弁忌(開山堂、俊乗堂、執金剛神像のご開帳がある)に合わせて参ります」と約束を交わした事なので、来年の今頃もまた「あ~、浴びた!浴びた!」と言いながら充足感を抱いていられれば良いな。

写真は高畑町界隈で数多く見られる昔ながらの土塀。
こういう空間を歩いていると、千年を遡った時の自分の遺伝子がサワサワとざわめき始める気がしてならず、そんな処も奈良の大きな魅力・・・。