旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

風流系関東文挟流「手岡の獅子舞」

2013年09月04日 | 獅子舞・しし踊り

先週、宇都宮市新里町に伝わる宗円獅子舞を堪能した自分。
この辺の獅子舞は主に盆供養のために舞われると聞いていたので、もう来年まで獅子舞は見られないものだと思っていた。

そうしたら、ジム友のT氏(HN・ドリームミルボーイ)が
「今度の日曜日に手岡で獅子舞があるそうです」
との朗報をもたらしてくれた。

手岡と言えば、栃木県から各地に広まった獅子舞二大流派の一つ関東文挟流発祥の地!
これは何が何でも行かねば!
(もう一つは上河内村発祥の関白流

そうして、獅子舞開始の18時ちょい前に現地入り。
ひっそりとしたものを(勝手に)想像していたら、幾張りものテントが並び、地元婦人会の模擬店まである手岡挙げてのお祭りなのだった。

そうして、花火の号砲で獅子舞は始まった。
この時点で既に、嬉しさと感動でカメ大興奮!


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↑ブレブレ画像スマソ

手岡は一番組と二番組に分かれており、獅子舞は一年毎の持ち回りでやるらしい。
今年は一番組の当番で、獅子舞に先んじて一番組の使者(?)が獅子が到着することを告にやって来る。

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↑棒使い、弓持ち、花かごなどの面々に囲まれながら獅子の登場。

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↑獅子が一列になって舞台入りする「ぶっこみ」は、かなりの迫力!

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↑いよいよ獅子が舞台に入った。

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↑先ずは舞台を清めるための棒術が奉納される。

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↑いよいよ獅子舞が始まった!
常に腰を下げた低い姿勢で足をさばいていく。
スクワットか!うさぎ飛びか!って感じ。
膝ガクブル。
こりゃ若くないと舞えないだろうなぁ。

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↑畳み掛けるような舞に、ただただため息。

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↑それから獅子たちの歌が始まった。
獅子を囲んで世話役さんたちも歌う。
獅子は太鼓を叩く。
歌声も太鼓も密やかな音で、まるで獅子たちの囁きのよう。

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↑荒ぶる獅子

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旅人の口上が始まった。
日光山帰りの旅人が獅子を褒めたたえる口上らしい。

そして、この口上の後で獅子舞は終盤のクライマックスを迎えるのだが・・・

が・・・

が・・・・・・

突然の激しい雷雨が!

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↑舞台はあっと言う間に水浸し。
その上突風まで吹き荒れ、とても舞を続行出来る状況ではなくなった。

そうして舞の中断がアナウンスされ、夕暮れの幻想的な舞台は破天荒に踏み荒らされてしまったのだった。

台風除け・豊作を願う獅子舞に天の神が刺激されたのだろうか。
それにしても、我々人間は天から落ちてくるものには無力でしかないよなぁ。
獅子舞が盛んだった江戸時代から何ら変わらず無力だ。
しかし!
だからこそ祈る!
だからこそ獅子は舞う!

突然の嵐のお陰で、獅子の祈りが深く胸に染み入った。

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↑「獅子頭を濡らしちゃ大変!」
とビニールを被せられる獅子。
おいおい息してる?(笑)


舞の中断は残念だったが、思う存分獅子舞を楽しむことが出来た。
しかも、舞だけではなく当番組の長が獅子を迎えに行き、当番組に連れられて獅子が舞台入りをする物語性には東日本人の血が騒ぎ、誇りすら感じた。
自分、歴史が好きだが、歴史とは主に時代毎の中央政権の政治や文化であり、例えば仏像にしても見せていただいている感が強いが、土地毎に伝わる歴史は対等であり肌に馴染み
「これが民俗学の魅力かぁ」
と初めて思う。


ただ、古来から伝わる祭りと言うのは非常に差別的だよなぁ・・・とも思う。
それは獅子舞においても顕著で、だからこそ魅了されるのかも知れない。

嗚呼!何処までもドMな自分!(号泣)


手岡獅子舞

2013年09月02日 | 獅子舞・しし踊り

旧八朔に一番近い日曜日に奉納される手岡獅子舞。
昨日だった。
観に行った。

生憎、ゲリラ的雷雨と突風で中断を余儀なくされたものの、天候に左右されるのもまた一興。
八朔や二百十日、二百二十日に獅子舞が奉納されることが多いのは、それ等の日が台風襲来の特異日とされており台風除け祈願として。
きっと、何百年も続く獅子舞ではこのような悪天候に何度も何度も遭って来たのだろう・・・と想像するだけで楽しい。

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夕方、陽も落ちかけた頃に始まった獅子舞。
ぼんぼりの薄明かりの中に浮かぶ勇壮な舞は、何処か艶かしく幻想的ですらあった。


(明日に続く)

(もう眠い)

(おやすみなさい☆)


宗円獅子舞

2013年08月25日 | 獅子舞・しし踊り

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↑この日枝神社に来るのは丁度半年ぶりになる。
古賀志山界隈の郷土史に惹かれ、ランニングしながら由緒ありそうな石碑や社寺を見つけていた時、この日枝神社を訪れ、平安時代から受け継がれる宗円獅子舞を知ったのだった。
先日、山寺の御開帳に行った際、タイミング良くと言うかしし踊りフェスティバルが開催されており、宗円獅子舞のことが頭の片隅にあった自分は非常に興味深く拝見し、しし踊り・獅子舞の世界にすっかり魅了された。
それから獅子舞について色々と調べ、本日宗円獅子舞を拝見することになった。
宗円獅子舞から始まって宗円獅子舞に戻った・・・そんな感じで何だか不思議。


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↑向こうの小山は日枝神社を開き、宇都宮の祖とされる藤原宗円の墓と言われている。
そして手前はこの地新里町の特産、新里ネギ

平安時代後期、源頼義の奥州平定の折に従軍し、やがて宇都宮城主となった藤原宗円。
1081年(永保元年)10月に宗円が近江国坂本の日吉神社から勧請したのが日枝神社の始まりと言われている。

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↑舞が始まる前に本殿にてお参り。
下を見ると張られた結界の幣束が門の幣束と重なり合って美しい白色。


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↑そうして、先ずは鳥居前での舞が始まった。
宗円獅子舞は雄二匹、雌一匹で舞う一人立三匹獅子舞

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↑舞が終わると、一行は本殿前へと移動。

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↑神域の獅子たち。
結界の四隅には四季を表した花かごを持つ人が立つ。

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↑舞の前に棒術が始まった。
これは、農民が自衛のために杖を用いた技が芸能化したもので、獅子舞を奉納する舞台を清める役割。

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戦勝祈願、五穀豊穣、悪霊退散

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↑舞の囃子は三匹の獅子が鳴らす小太鼓と笛二人。
そして舞の一部で歌が入る。

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↑いよいよ弓くぐりの舞が始まった。

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↑弓を前に試行錯誤した雄獅子が意を決して弓をくぐる舞は一番の見せ場。

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↑あれ?宇都宮市が作成した動画では、見事弓をくぐった雄獅子は喜びで結界内を駆け回るのだが、今日の雄獅子は大役を果たすやヘロヘロになってしまった。
ハァハァゼィゼィしながら「し、死ぬぅ」の声。
世話役の奥さまが冷たい飲み物を手に駆け寄り、無事に快復。
でも、みんなクスクス笑っていたから表現がオーバーな愛嬌ある方なのかな(笑)

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↑そうして最後の舞が奉納され獅子舞は終わった。

この後、一行は日枝神社裏手にある薬師堂に向かい祖先供養と台風よけ祈願の舞を奉納した。
しかし、残念ながら時間がなくて薬師堂までは行けなかった(涙)


こうして、半年間頭の片隅にあり続けた宗円獅子舞をついに見ることが出来た。
そしてそれは想像通りの素晴らしさで、素朴だけれど喜びに満ちた今日を自分は生涯忘れないだろうと思う。

しみじみとした想いを抱きながら、獅子舞の笛の音とは逆方向に走り始めた


・・・は?
当然ながらランニング参拝ですが、何か。


山形のしし踊り

2013年08月18日 | 獅子舞・しし踊り

今月4日に山形県立石寺(通称・山寺)の50年に1度の御開帳参拝をした。

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根本中堂内陣に案内され、厚い扉が開かれた厨子の中には平安期の薬師如来坐像。
キリリと眼を見開いた男性的なお顔、ひと塊の量感ある体躯、それでいながら造りのすべてに流麗さを感じた地方仏とは思えぬ素晴らしいお像だった。

次にこの扉が開くのは50年後。
その時、自分の足でこの境内に立っていたりして・・・
「この前お参りに来た時はマラソン大会と重なっちゃって、どちらを取ろうかと随分悩んでコッチに来たわよ」なんて話をしたりして・・・
充分あり得そうな自分がコワイ。
亀は萬年。


ところで、丁度この日、山寺境内にて「磐司祭 第9回全国しし踊りフェスティバル」が開催されていた。

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しし踊りは主に東日本に伝わる伝統芸能で、その他では四国や北陸の一部の地域で見ることが出来る。
江戸時代には成立していたとされ、現在は先祖供養としての意味合いが強いが、本来は恨みつらみを残して亡くなった人たちの祟りから村を守るための無縁仏供養だったらしい。
それなのでお盆前後に奉納される。

しし踊りフェスティバルでは、見たところ3~5団体のしし踊りが奉納&披露されていただろうか。
そして、千段以上の石段を登って奥の院参拝をしていた時に、「鹿楽招旭踊(からおぎあさひおどり)」の団体がしし踊りの奉納を始めた。

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↑立石寺奥の院

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↑鋭くつり上がった眼が特徴的な山形の獅子頭。

しし踊りの獅子頭は日本に生息する獣(イノシシ、シカ、ニホンカモシカ)が原型となっている。
また、正月などに舞われる獅子舞の獅子頭は日本には生息しないライオンが原型。
しし踊りの獅子頭の口は動かないが獅子舞の口は大きく開閉する。
似たように感じるが、獅子舞は伎楽と共に飛鳥時代に中国から伝来し全国に広まったもので、しし踊りと獅子舞とはまったく別のもの。

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↑暑い中、いよいよ舞が始まった。

これは雄しし2頭、雌しし2頭、中しし1頭、子しし2頭の7頭編成。
しし踊りは地域によって8頭7頭5頭3頭と頭数が異なる。

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↑迫力の舞!

背中に木製の斧を背負っているが、これは山寺から戴いた斧だそう。

それにしても、鬼のような獅子頭と女人の衣装のミスマッチがたまらなくよろしい。

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↑鹿楽招旭踊の皆さま。

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↑再び千段以上の石段を降りると、根本中堂前では「高擶聖霊菩提獅子踊(たかだましょうりょうぼだいししおどり)」の舞が奉納&披露されていた。


お陰でしし踊りにすっかり魅了されてしまった。

地元に目を向ければ、栃木県内各地でも獅子舞(栃木県ではしし踊りではなく獅子舞と呼び、3頭編成が主流)が保存されており、中でも大好きな古賀志山裾野地域の幾つかの獅子舞が宇都宮市無形文化財に指定され大事に守られているのは嬉しいところ。

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↑宇都宮市新里町日枝神社に伝わる宗円獅子舞

この宗円獅子舞は旧七夕、旧盆、そして8月最終日曜日に奉納されるらしい。
・・・ってことは来週の日曜日!
是非にもお参りしたい!