旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

「密教の哲学」第5回目終了

2005年11月22日 | 仏教・仏像

工事中をミスタイプして
恋路中だって!

我ながらナイスだわ~。

前にも書いたけど、22時30分以降になると「ブログ人」になる人が集中するせいかサーバーダウン気味で、上記の様な数行の文章をアップするだけでも時間が掛かって仕方が無い。それどころか折角入力した文章がぶっ飛んでしまう事すらあるので、ブログ作業をするのが遅い時間になってしまった時には、こうしてその日の「枠」だけ取って翌日書くようにしてる。
あ~、早くメンテしてくれないかなぁ~、OCN。

・・・それにしても「恋路中」はナイスだわ。←まだ言ってる
ミスタッチした「U」と「I」は並んでるから、今まで出なかったのが不思議な気がする。

ところで、今日は「密教の哲学」講座だった。
難解な講義にアップアップしながらも、専門書の力を借りつつ理解に近づける様に勉めたせいなのか、たまたま今日は頭がクリアだっただけなのか、嬉しくなってしまうくらいに講義内容が理解出来た気がする。
本当は、このブログで「密教の哲学」に関してカクカクシカジカと語れる様になれれば良いのだけど、哀しいかな、吸収した知識を文章化して発表するまでには自分のものに出来ていない。

講義中の余談。
「人は死後何処に行くのかとしきりに聞きたがるが、自分が生まれる前の世界が分からないのだから、死んだ後の世界なんて分かる筈がない。生きている今でさえ、自分で自分の顔を見る事は出来ないじゃないか」
「夜空に浮かんだ月を指して、月が出ているのを自分に教える人が居るとする。その時、意外と人は月を指す指を見て月を見ないのではなかろうか。この場合、月が実体なら指は虚妄。月が実体で指は月を表す言葉でしかない。人は実体を見ずして虚妄・言葉に囚われている。それと同じく、悟りと言うのは言葉でしかない。自ら実践してこそ実体としての悟りが開ける」
「夢から覚めた時にはじめて、自分は夢を見ていたのだと分かる。悟りを得た時にはじめて自分が迷っていたのだと分かる。そして他人の迷いも分かるから、覚者(悟りを得た者)は説法をする」
・・・こんな風に、余談ですら印度哲学。

この2時間は、コンソメキューブの様にうまみがギュッと詰まってる。
難解の余りに途中意識が飛ぶことが間々あるものの(笑)カメにとっては掛け替えの無い時間だなぁ。


「禁書売り」

2005年11月13日 | 本と雑誌

毎日22時以降は、ブログする人が集中するらしく、サーバーがヘタリ加減で応答が遅いし、下手すりゃ折角書き上げた文章が消滅なんて事にも(今まで2回あった!)。
なので、明日書こっと!

(そして今日)
・・・なんて大層な前置きしたところで、大した事も書かないのだけど。
サーバーの件に関しては近日中にメンテナンスと増設をしてくれるそうなので、その後は快適ブログ環境になれると思って今は我慢しましょ。

ところで、昨日読んだ築山桂「禁書売り」がとっても面白くて、尚且つこんな素敵な言葉があった。
「学問の道とは、一言で言えば己の世界を広げていくことだ。容易いようでいて、これほど困難なことはない。絶えず、今までの知識と判断とに疑いを持って生きていかなければならないのだ。
もっと正しいことがあるのではないか。真実は他のところにあるのではないか。そう思い続けるのは苦しいことだ。目から鱗が落ちるのも、一度や二度なら良いが、新たな学説に出会う度にそんな思いをしなければならぬとなれば、そのうちに疲れてくる。もういい、もうここでいい。つい、そう思いたくなる。ここで足踏みしていれば、それなりに心地よく暮らせるじゃないか、と。」
(冒頭の「学問」を「世の中」「人付き合い」に置き換えても、良い言葉になろうと思う)
「学問の道」なだけに、このカメばかりが感心してても仕方が無い、早速子カメ達にも教えてやらねば・・・・と教えたところで、子カメ達はまるで、頭の上を飛び交う蜂の羽音を聞いてるが如しののほほんとした表情。
ま、学問の何たるやよりも点数に追われる現役学生は此処までの境地にはなれないか。
でも、だからこそ知って欲しいと、「失敗組」のカメは思うのだよ。(苦笑)


烏骨鶏と亀

2005年11月09日 | 人間じゃない家族

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烏骨鶏のコッコちゃんが来てから、下子カメは俄かニワトリ博士状態。
学校の図書室でニワトリ関係の本を借り、インターネットではお気に入りニワトリサイトを2,3見つけた様子。
ほぼ毎晩の様にカメの元にやって来てはニワトリに付いて熱く語り、小1時間も語りまくってから「じゃ、おやすみなさい」と言う感じ。
亀博士なのは相変わらずだけど、この1年足らずの間にツバメ博士になり、ザリガニ博士、アカハライモリ博士と、まぁ忙しいことったら!

そんな下子カメの世話の甲斐あってか、ウチに来てからまだ10日足らずのコッコちゃんが随分と逞しい姿になった気がする。来たばかりの時は、貧弱な身体に疎らな羽が付いてると言った出来そこないの綿菓子みたいな姿だったけど、今では仲間に突付かれた傷跡にも少しずつ羽毛が生えて来たし、肉付きが良くなり羽の密度が濃くなって、何処から見ても堂々たるニワトリ体型になった。

それにしても、ずっと両生爬虫類ばかり可愛がって来たから、最初、コッコちゃんを触って「温かかった」のが、妙に不思議だったし、「コケー!」なんて鳴かれると、「あ、音(!)を出すんだぁ」なんて、これまた不思議に思ってしまった。
・・・・変か?

コッコちゃんは可愛いけれど、好みの面から言えばやっぱ両生爬虫類だわなぁ。


松本明慶仏像彫刻展

2005年11月06日 | 仏教・仏像

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東武宇都宮百貨店に出向いて、5階イベントプラザで松本明慶大仏師の作品展、4階で下子カメの絵を観て来た。

松本明慶氏は、当寺御本尊・聖観世音菩薩を刻んで下さった方だけに、展示された250以上もの数の御仏達は当寺の観音様と御兄弟と言ってもおかしくないのかな?
ただ、当寺御本尊を制作された15年前と比べると、現在の作風は益々円熟味を増した感がある。
氏の仏像は、何と言っても御顔が良いと思う・・・丸顔、素直で上品な目鼻立ち。
それと、切金文様(極細に切った金箔で色々な模様を作り、御仏の衣を飾り立てる)が精緻を極めて、それは見事だった。


凛として・・・

2005年11月03日 | 本と雑誌

別所真紀子「浜藻歌仙留書」の終盤に、こんな印象的なシーンが出てきた。

「あたしは、北の国に行ってみたい、(亡くなった)父さま母さまのお国へ。
たいそう雪の深い土地だ、と母さまが話して下さいました。家の軒まで雪で埋まって、冬中外へは出られない、それで糸繰りや機織りや手習いやいつのまにか身に付くのだって、江戸には外に面白いことがありすぎる、生まれ故郷にいるつもりで励みなさい、とそれが口癖でした。でも、あたしは江戸で生まれたんですよ、だから故郷はここ、冬中引き籠ってなんかいられないわ」
そう話す妹に、姉が優しくたしなめる
「母さまは、どこへ出ても恥ずかしくない娘に育てるためにおっしゃったのよ。でも、あなたはまだ小さかったから」

これを読んだ時、何故かしら頭を横切ったのは「母親にタリウムを飲ませて人体実験した16歳の少女」の事件だった。

親が「凛とした」姿勢と言葉で導いてやらないと、子供は迷いに迷って、どんでもない方向に流れ着いてしまうものかもしれない・・・。