工事中をミスタイプして
恋路中だって!
我ながらナイスだわ~。
前にも書いたけど、22時30分以降になると「ブログ人」になる人が集中するせいかサーバーダウン気味で、上記の様な数行の文章をアップするだけでも時間が掛かって仕方が無い。それどころか折角入力した文章がぶっ飛んでしまう事すらあるので、ブログ作業をするのが遅い時間になってしまった時には、こうしてその日の「枠」だけ取って翌日書くようにしてる。
あ~、早くメンテしてくれないかなぁ~、OCN。
・・・それにしても「恋路中」はナイスだわ。←まだ言ってる
ミスタッチした「U」と「I」は並んでるから、今まで出なかったのが不思議な気がする。
ところで、今日は「密教の哲学」講座だった。
難解な講義にアップアップしながらも、専門書の力を借りつつ理解に近づける様に勉めたせいなのか、たまたま今日は頭がクリアだっただけなのか、嬉しくなってしまうくらいに講義内容が理解出来た気がする。
本当は、このブログで「密教の哲学」に関してカクカクシカジカと語れる様になれれば良いのだけど、哀しいかな、吸収した知識を文章化して発表するまでには自分のものに出来ていない。
講義中の余談。
「人は死後何処に行くのかとしきりに聞きたがるが、自分が生まれる前の世界が分からないのだから、死んだ後の世界なんて分かる筈がない。生きている今でさえ、自分で自分の顔を見る事は出来ないじゃないか」
「夜空に浮かんだ月を指して、月が出ているのを自分に教える人が居るとする。その時、意外と人は月を指す指を見て月を見ないのではなかろうか。この場合、月が実体なら指は虚妄。月が実体で指は月を表す言葉でしかない。人は実体を見ずして虚妄・言葉に囚われている。それと同じく、悟りと言うのは言葉でしかない。自ら実践してこそ実体としての悟りが開ける」
「夢から覚めた時にはじめて、自分は夢を見ていたのだと分かる。悟りを得た時にはじめて自分が迷っていたのだと分かる。そして他人の迷いも分かるから、覚者(悟りを得た者)は説法をする」
・・・こんな風に、余談ですら印度哲学。
この2時間は、コンソメキューブの様にうまみがギュッと詰まってる。
難解の余りに途中意識が飛ぶことが間々あるものの(笑)カメにとっては掛け替えの無い時間だなぁ。