旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

小岩井農場の産業遺産

2014年04月04日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

意外と知られていないが、1891(明治24)年に創業された小岩井農場には、明治・大正・昭和の建物が現存しており、近代化産業遺産祭り!なのだ。


【天然冷蔵庫】

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1905(明治38)年建設。
小山を掘って造られた貯蔵庫で、山をくり抜いた部屋には冷気が溜まる仕組みになっており、氷を入れておくと室温が5~6度に保たれた。
主に乳製品の冷蔵のために使われ、夏場は暑さでバターがとけるのを防ぐため、庫内で瓶詰め作業が行われた。
此処で保存されたバターは鉄道馬車で東京まで運ばれた。

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↑天然冷蔵庫の全体。

何と言ってもこれが観たかった!
電気のない時代の冷蔵庫!


【四階(しかい)倉庫】

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1916(大正5)年建設。
木造四階建、鉄板葺、下見板張り。
飼料用穀物を乾燥するための倉庫。
内部にはエレベーターが設置されており、四階から下の階に降ろしながらトウモロコシの分別・乾燥・収納まで行った。

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↑現在は一階部分が物置きになっている様子で、新旧の馬用ソリが積み重なっていた。

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それにしても、四階から下におろすにつれ分別するなんざ、まるで鉱山の選鉱所だよね!


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↑四階倉庫となりにも、このような素晴らしい建物が残っていたけど、これは何だったのだろう。
丸い空気孔が素敵。

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これ等の他にも、一号~四号牛舎、現存する日本最古のサイロ、宮沢賢治が「本部の気取った建物」とうたった本部事務所、小岩井農場私立小学校校舎などがあり、何れも観たいものだらけ!
特に、赤レンガ造りのサイロと板張りのサイロが観たい。

これはもう、今月半ばから11月3日まで毎日開催されるガイド付きツアーに参加するしかないな!


イーハトーブの学び舎

2013年10月21日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

驚いた。
此処で宮沢賢治は生き続けている。


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↑旧盛岡高等農林学校本館

日本で最初の高等農林学校として明治35年に創立された盛岡高等農林学校。
宮沢賢治は大正4~9年の間、本科生および研究生として在籍した。

この建物は盛岡高等農林学校の本館として大正元年12月に建てられた。
一階は校長室、事務室、会議室。
二階は大講堂として学校諸行事に使われていた。
大正初期の盛岡高等農林学校は、この建物を中心として沢山の講義棟や研究棟などが立ち並んでおり、当時を示す絵図を見ると南都六宗が盛んだった頃の東大寺や法隆寺の伽藍配置さながら。
教育や鍛錬の場とはかくあるものか、と思ったりして。

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↑秋の陽射しに映える建物

その後、老朽化に伴い2度の大修復が行われ、良好な保存状態で現在に至る。
国の重要文化財。
近代の建造物は登録有形文化財が多いのに重文とは!

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↑門番所

盛岡高等農林学校正門が明治36年に建てられ、その隣に門番所が建てられた。
正門、門番所共に明治期の貴重な建物で国の重文指定。

正面は八角だけど後ろに長く伸びており、門番さんの宿泊スペースになっている。
それにしても、何て可愛らしい建物!

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↑宮沢賢治の像

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↑本館の前に広がる北水の池

亀が居そうなのだが・・・
ガン見で探したのだが・・・
居なかった(涙)

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↑本館を取り囲む松林では、ナマコみたいな松ぼっくりが落ちていた。


宮沢賢治は優秀な学生でありながらも、生真面目と言うよりは気の向くままに動き回りつつ何かを得ていた・・・そんな感じを受けた。
理系の学生らしくて微笑ましい。
しかし、地質土壌学の権威・関教授との出会いから岩手県の酸性土壌改良や冷害対策のための肥料設計の研究に没頭、古里の農業環境を整えるべく2000枚の設計書を書き上げ、その無理がたたってか肺病に倒れ、夢半ばの37歳で逝去。

だけれど、此処の学生たちは賢治がやり残したことを確実に受け継ぎ、現在も研究が続けられている。
このことに深く感動した。
「君は学んでから食すか。それとも食してから学ぶか」
と、師は学生たちに問い、
「作物は豊かな土壌でこそ育つ」
と教えるのだと、館内を案内してくださった方が仰った。
それはまさに、明治35年に国によって創立された当初からの理念であり、その下で学んだ宮沢賢治の想いであったはず。

この言葉を聴いた瞬間
「今でも賢治は此処に生きている」
と確信した。


廃車祭り開催中

2013年09月01日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

tomozoベーグルに行った帰り道、ふる~い、味のあ~る廃車を見つけた。


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↑直ぐに完売のtomozoベーグル。


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↑ミニ?何年型?
ガウディの建造物のようなカーブが堪らない!

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↑日産ダットサン
フロントグリルとライトが一体化していてよろしい。

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↑マツダの何て車?

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↑いいなぁ・・・
味があるなぁ・・・

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↑日野のユニック車もあった。
ボンネット型のユニックなんざ初めて見たよ!
ユニック車は1000万近くするけど、この当時としちゃ今よりも高価な車だったんじゃなかろうか。

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↑3つ並んだライトがぷりちぃ♪


車は分からないので詳しいことは何も書けないが、味のある形が良いなぁ・・・と。

そんなわけで、唐突に廃車祭り開催中!


岩手銀行旧本店本館

2013年04月06日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

仙台からはやぶさに乗り換えて盛岡まで行った。

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↑駅正面の壁面を飾るこの書は、啄木のものだそうで。


目指すは辰野金吾設計、旧岩手銀行本店!

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辰野テイスト全開!

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そして、ちょうど昼時になったので
「美味しい冷麺の店に行ってください」
とタクシーに乗ったところ、案内されたのが此処。

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うーむ・・・
地元民は「食堂園」と言って親しんでいるらしいが、平壌の文字がどうも気になる。
気になるんですよ、すいませんね、ネトウヨで!

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しかし、焼肉と冷麺は美味しかった♪
マンセー!マンセー!


それにしても、盛岡の最低気温はマイナス5度だそうな。
桜なぞ、まだまだまだまだまだ咲く気配もなく、日陰には雪の塊が鎮座ましましていた。

しかし、人情味豊かで、米と肉と魚介類が美味しい♪
また来よ~~~


廃大谷石採石場

2013年03月13日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

マラソンの練習コース上に気になる物件アリ。


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小規模な大谷石採石場跡。
赤さびたやぐらの下には深い立坑穴があると思われ。

とある廃坑マニアサイトには
「大谷には古い採石場の立坑穴が何の前触れもなく出現するから恐ろしい」
みたいなことが記されている。
数々の廃坑道を突破して来たマニアですら恐れる大谷RUIN。

大谷石。
需要が下火になって来たところに大谷陥没の大打撃で、採石量は激減、そのまま打ち捨てられた採石場もあれば厳重な囲いを持って閉められたところもある。
しかし、その後の管理がなけりゃ厳重な囲いも朽ちて立坑穴は露わにもなり、この採石場はその例なのだろう。


数十メートル先が底の落とし穴。
ああああっ!
その横を走り去る度に背中がゾクッとする!


東京駅

2012年10月16日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

先週の木曜日、復元された東京駅を観て来た。

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思うに、東京駅から出るなんて滅多にないなぁ。
ブリジストン美術館に行くか八重洲ブックセンターに行く時くらい。
それなので、丸の内口で降りるなんざ生まれてから2、3度目の出来事じゃなかろーか。


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↑辰野金吾っ!

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↑復元されたうちの南口

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↑「うわぁ~!」と思わず声が出てしまう。

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↑あった!my干支!
八角屋根なので、十二支のうち八支だけレリーフされているそう。

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↑東京駅のすぐ近くには、辰野の師匠コンドルによる三菱一号館。

ジョサイア・コンドルと言えば、忘れちゃいけない足尾銅山。
古河の鉱業所事務所はコンドル設計によるもので、コンドル設計と言えばその当時のステイタスを表すものだった。
事務所は後に足利市に売却され足利市庁舎となるが、残念なことに昭和40年後半に取り壊されてしまった(涙


東京駅を堪能した後は、すぐ前の丸ビル5階のクアアイナでハンバーガーを食べた。

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アロ~ハ~♪

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↑人気のアボガドバーガーを食べてみたが・・・評判ほどの味じゃなかった(泣
各テーブルにハインツのケチャップとマスタードがデーン!と置いてあると思ったら、各自の好みでそれで味つけするのね・・・って、バーガーソースもちゃんと作ろうよ~!

それでも、勿論美味しかった。
けど、モスの方がずっと美味しいと思う。


それにしても、東京駅駅舎、美しいなぁ。
夜にはライトアップされるんだって?
こりゃステーションホテルに泊まって観るしかないわな。
ついでに、皇居ランもね(笑


人生最高の木曜日?

2012年10月09日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

今度の木曜日は月に一度のオノボリサンの日。


復元された東京駅を観るんだ~
楽しみ~

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つーか、今までの駅舎が辰野金吾設計だと思っていたら、空襲で焼けて急遽修復した姿だったとは。
でも、正面の八角屋根と二階建てはバランスが取れ、あれはあれで良かったと思う。


木曜日は、伝法院の講座を聴講し、東京駅を観て、丸ビルで日本一美味しいハンバーガーを食べ、アスリートクラブ神田で修理に出したシューズを受け取って来よう!

「胎蔵界礼懺」の講義(しかも、胎蔵界曼荼羅諸尊にも触れる)/辰野金吾/クアアイナ/ランニングシューズ

仏教・仏像/近代化産業遺産/美味しいジャンクフード/ラン

ああっ!好きなものばかり!
人生で最高の木曜日になるかも(笑


島が呼んでいる

2012年09月20日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

「人の手が入ったら魅力半減!」
「ツアーって何よ、ツアーって!もう魅力激減!」



などと分かったようなことを言わずに素直に行ってみようか・・・
と思う今日この頃。


だって、あれだけ行きたいと恋焦がれた場所に
堂々と上陸出来ることになったのだし・・・


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やっぱ行きたいわぁ・・・マジで。


森の中の小さなおうち

2012年01月16日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

昨日、遠方にお住まいのあるお方から情報あり。

「カメさんのお近くに廃ラブホがありまっせ~。
カメさん、侵入した?または利用したことある?」

の文章と共に、探索レポがアップされたURLが貼られていた。

リンク先に飛んでみると・・・
ほぉ~昭和の香りプンプンのラブホ廃墟。
行きたい。
しかし、今日はメチャメチャ忙しい。
行けない。

なので密偵を飛ばした(爆

さすがは密偵、その場所をちゃんと把握しており、速やかに現地入りして3枚の画像を送ってくれた。

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見事に藪の中。

フロントの小窓がいかにもラブホ・・・
と言っても、昭和を知らない世代には分からないわな~

それにしても、このフロント・・・
叔父がやっていたラブホ(当時のモーテル)に似ている。
同年代だろうか。


実父の家系は何事派手好きで家業も客商売が多かった。
廃業した遊郭を買い取って旅館にし成功を収めた大叔父、東京で素泊まり旅館を手広くやっていた大叔父、そして自分がソックリと言われる大叔母は割烹料理店の女将だった。
しかし、一族の中で一番出来の悪い叔父はそこまでの器量がなく、旅館でもホテルでもないモーテル経営に乗り出した。

自分が小さい頃、そのモーテルは大繁盛しており、その勢いもあってモーテルの建物が絵本に出て来るような森の中の小さなおうち(当時は一戸建てが流行りだったのね~)としか思えず、入りたくて入りたくて仕方がなかった。
当然、親は部屋に入るなんざ許してくれるはずもなく、しかし無骨な実父(一族の変り種)と違って根が道楽者の叔父は、ある日とうとう自分の願いを聞き入れてくれた。
自分と大して違わない娘(自分にとって従姉)と一緒に
森の中の小さなおうちのお風呂に入れてくれ、
森の中の小さなおうちの巨大なベッドに寝かせてくれ、
フロントに電話をし冷たい飲み物まで飲ませてくれた。

就園して間もないその時のことを、今でもよぉ~く憶えている。
それだけ嬉しかったのだろうか。
ちなみに、ベッドは円形じゃなかった。
おそらく回転ベッドが流行る前だったのだと思う。

その後、風営法改正で売春が厳しく取り締まられるようになり、何処のモーテルも客が激減、苦しい経営に立たされることとなった。
商売の才覚もなけりゃやる気もない叔父は、いち早くモーテルを畳んで売りに出した。

実は、そのモーテルがあった場所は先週参加した下野天平マラソン大会会場近くで、マラソンの帰りに探索に行ったのだが、売却された叔父のモーテルがその後何度かに渡って転売され、最後にSM専用ホテルと成り下がり、それでも経営不振だったのだろう、実に見事な廃墟と化していた。
小さい頃にあれだけ憧れた森の中の小さなおうちが、汚したい放題オッケーのホテルとなり、今や廃墟。
その光景たるや・・・なーんて、別に何も感じなかったけどね。
転売の度に改装されたらしく当時の面影などなかったし。


ちなみに、天平の丘公園界隈には廃ラブホが幾つかある。
叔父のところを除いて(笑)優良物件ぞろい。
興味ある方は行ってみそ。

それに、その天平の丘公園だって大きなラブホ入り口の脇から入るのだ。
昔、そこに初めて連れて行った友人が肝を潰したものだ。
「本気か!?と思ったよ~」
・・・って、変な期待すんなや。


奈良ドリームランド

2011年12月20日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

奈良マラソン2011の会場、鴻ノ池陸上競技場の直ぐ近くに、
あの伝説の廃墟

奈良ドリームランド

があった!

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奈良ドリームランドは、1961(昭和36)年に開業、その当時の日本のテーマパークの草分けだった。
そして、3年後の1964(昭和39)年には横浜ドリームランドを開園。

しかし、遊園地としての歴史を刻むと共に園内は老朽化、客足が離れたところにTDLがやって来て2002(平成14)に横浜ドリームランドが閉園、奈良もUSJの煽りを受けてか2006(平成18)に閉園するにいたった。

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経営の行き詰まりを打開すべく導入された木製コースターASKAの木組みが何やら哀しい・・・
ASKAの後ろには、マッターホルンを模した山が見える。
そして、時計は7時20分で止まったまま。

マラソン大会のついでとは申せ、折角此処まで来たのだから廃りたかった~!
しかしですね、立ち入り禁止の大きな看板が威圧的で、しかも24時間稼動の監視カメラで実際に逮捕者が出た話もあることから、此処はグッと我慢。
遠方からデジカメMAXにして撮影するに留めた。


我が県にも小山ゆうえんちなる、当時では大きな遊園地があって、子供達の憧れの地だった。
「おやま!あれま!」で始まるCMソングで全国ネットでCM放映していたが、それも何時の間にか閉園。
自分が廃墟に目覚めるのを待たずして解体撤去されてしまったなぁ・・・(涙
小山ゆうえんちの余命もTDLが縮めたのであろうか。

巨大テーマパークに潰された典型は宝塚ファミリーランドで、USJが出来てからと言うもの右肩下がりに来園者数が減ったらしい。

夢を売るTDLにUSJ、スリルで人気の富士急ハイランド
その中にあって、浅草花やしきは元気だなぁ・・・
何で?(笑