旧愚だくさんブログ

愚だくさんブログ過去記事蔵です。

本日の雑感

2006年05月23日 | 本と雑誌

田口ランディ「富士山」読了。
彼女はメルマガから飛び出した作家だけれど、ベースのメルマガ配信を止め作家活動も停滞していたかと思っていたら、こんなに素敵な小説を書いてたんだぁ。文庫本にならないと手に取らぬカメなので暫くの間、気が付かなかった。
「カルト宗教」「自殺」「ゴミ」「中絶(命)」の、4つのテーマに付いて綴られた短編作で、そのどれもが渾身の作。大人が読んでも楽しいけれど、主題そのものからして上子カメ世代に読ませたい1冊だと思った。

その後には、みうらじゅん・いとうせいこう(よくもまぁ、平仮名ペンネームが揃ったものだ)の「見仏記4(親孝行編)」読了。
相変わらず楽しい!
この4巻目は、奈良の佐保路、若狭地方、琵琶湖湖東などの「有名だけれどマニアック」な寺を巡っており、そのどれもが、過去にカメを感動・感涙に打ち震えさせた寺々。仏像鑑賞の基礎知識は元より応用編まで押さえながら個性とユーモアに溢れまくった視点で仏像に付いて語りまくる2人の遣り取りは、仏マニアにとって刺激的。
此処最近、「ちょっとだけ古いもの」(廃墟ざんす。ハハハ)に心奪われていたカメだけれど、この本を契機に再び国宝級に古いものに戻って探求しようと、早くも晩秋の「仏浴の旅」の計画を練ったりして。
・・・そして、今は帚木蓬生「国銅」を読んでいる。これは、東大寺の大仏造立物語。

今日は、何だか知らないけれど複数の人達と電話で結構な時間、話した日だった。
ちょっと聞きたい事があったので学生時の先輩に電話をすると、用件が済んだ後に懐かしい昔話に花が咲いて、そのひと時、学生の頃に戻った様な感覚に・・。
ちょっと伝えたい事があったので実母に電話をしたら、やはり用件の後に従兄弟が駐在先のタイから一時帰国する話に花が咲いた。
その従兄弟と言うのは父方の従兄弟で、F通社に勤務、国外支社の社員教育とシステム開発を担当している。彼の奥さんってのが、元F通社会長秘書であった才媛で、まさにナイス・カップル。
従兄弟の彼も、大学時代にはメジャーファッション誌「non-no」のコンテストに応募、次々と審査を通過し、最終的にはあの阿部寛とグランプリを争った程の容姿で、コンテストの付き添いに行った彼の妹も芸能プロダクションから声が掛かった程の美形。
カメの父方には、美形で華のある人達が多い。
カメ父親も、最晩年に植物状態になって病院に寝たきりになっても尚、「この人は相当な美男子だったでしょうねぇ・・」と看護婦さんが嘆息する程の顔立ちだった。
ま、カメに関して言えば「娘は父親に似る」って定説は嘘。大嘘。途方も無い嘘。巨大な嘘。世界最大級の嘘。天文学的数字の嘘。
・・・ま、それは良いとして、幾つかの長電話の中で面白かったのが、「一口50万円で純金投資しませんか」のテレアポさん。
その電話が掛かって来た時が、昼食後の休憩タイムだったのでテキトーに相槌打って遣り過ごしていたら、話が徐々に逸れて行って、最後にゃその人の「子育ての悩み相談」に乗ってた・・・・・って、どーよ。
ノルマがあるのだろうに、30分以上は話し込んでたと思う・・・それも営業関係無しのお悩み相談。

予期せぬ人との関わりが重なり、予期せぬ人達の消息も聞けて面白い日になった。


良いな、良いな~

2006年05月13日 | 仏教・仏像

定期購読している「東京国立博物館ニュース」(A4判16ページ)を見ていたら、京都、奈良、九州の博物館の特別展覧会の案内が載っていた。
京都国立博物館「大絵巻展<国宝「源氏物語絵巻」「鳥獣戯画」など一挙公開」、奈良国立博物館「大勧進 重源<東大寺の鎌倉復興と新たな美の創出>」・・・だって。
良いな、良いな~。
奈良博「大勧進 重源」の重源上人は、宋風美術の創出のキーマンで快慶のパトロン的存在でもあった。その生涯の殆どを平家の南都焼き討ちで焼失した東大寺の復興に捧げた重源は、苦難に苦難を重ねつつ再興の為に幾つもの大事業を成した。その時に造られた建造物は大陸伝来の大胆な手法が用いられ(代表的なのが東大寺仁王門)、仏像はそれまでよりも更に絵画的になり精緻を極める。
ひょっとして、奈良博館内は慶派の仏像で埋まっているやも知れぬなぁ。
良いな、良いな~。
そして京博の絵巻物展・・・源氏物語絵巻から鳥獣戯画までまとめて見られるとは何たる贅沢!もしかして信貴山絵巻まで出ていたら如何しよう。
良いな、良いな~。
・・・ところで、源氏物語絵巻と言うと、この平成の御世では不細工の部類に入る下膨れ・引き目鍵鼻の平安美人を思い浮かべる人が多いと思う。しかし、絵巻物を直で見ると意外や意外・・・キュッとしまった顔立ちに、切れ長の美しい目、しっかりとした眉、白い肌・・と、現代美人そのまんま。
絵巻物をスクリーン分解しドットの集合体で表す印刷物、若しくは横に走査線が走るTV画像を介して見るから、実物よりも膨張気味に見えてしまうのだと思う。
実際の絵巻物を見れば「平安美人も平成美人も同じなんだぁ」と・・・。
何れにせよ、贅沢なラインナップの特別展。
良いな、良いな~。


廃墟にも衣装

2006年05月10日 | カメ見聞録・廃墟・遺構編

・・・・って、我ながらしょーもないタイトル。

枝垂桜の季節に発見した廃土蔵が、今頃の季節には藤で埋もれるのだと上子カメから聞いていた(流石はカメの子、良く知ってる!)ので行ってみたら、崩れかけた屋根が本当に藤棚状態になっていた。驚き!

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生憎、今日は天候すぐれず写真の花の色が今ひとつだけど、実際には薄紫色の花の房が見事に下がっており、朽ち掛けた土蔵との対比が何とも趣深い。

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←ちなみにこちらは約ひと月前。ただの廃墟状態・・・って当たり前か。

この写真を撮ろうと廃土蔵に近づいたら、持ち主と思しき60歳くらいの男性が荒地の手入れをしていた。
「すいません。写真を撮らせて頂けますか?」と聞いたら、すかさず「何?藤を撮るの?藤の前に俺を撮りなよ。どーだい?美男子だんべ~。ワッハッハ!」と先制攻撃を喰らった。
かなり陽気な人・・・らしい。
美男子云々には反応しないでいたら、「何でぇ!俺を撮んねぇんけ?!」と容赦なき栃木弁にて食い下がって来るので、口角45度上げの微笑み(黒田清子スマイルとも言う)で誤魔化しつつ、撮影に勤しんでいた。藤しか目に入らぬ様子のカメに、余程藤の花が好きだと思ったらしいオジ、
「そんなに藤が好きけ?」
微笑(「藤じゃなくて廃土蔵を観てるんだよ」)
「そこの御堂(「北条家の薬師堂」で、この土蔵の直ぐ近くにある)の枝垂桜が有名だけど、桜よりも藤の方が好きなんだな」
微笑(「枝垂桜も観に来たよ~。でも、桜よりも薬師堂狙いでね」)
「宇都宮から来たんけ?」
「ええ、まぁ・・・」(「此処だって宇都宮じゃんかぁ!」)
「そっかぁ・・・遠くから来たんだなぁ。」
「?」(「遠い・・・のか?・・・・・・でも、実は鹿沼だけど」)
「崩れかけた土蔵と藤の取り合わせが良かんべ?」
「はいっ!本当にそう思います!」(「何だ、分かってるじゃ~ん」)
「こんな土蔵だけどよ、随分と写真を撮って行く人がいるんだぜ」
「へぇ~。そうですかぁ。(「こんな所まで廃墟マニアは来ていたか!恐るべし!」)ところで、この土蔵はどれくらい経つのですか?」
「100年以上は経ってんぜ。何せ明治に出来たからなぁ」
「随分と古いですね」
「古くたって味があんべ?俺みてーにさ!ワッハッハ!」
「・・・・・。」
撮影させて貰ったお礼を言って辞そうとしたら、「また来なよ!な!」だって。
底抜けに明るい人で、藤の花と同じで廃墟の対象位置にある人だった・・・。
「また来なよ」・・・・そうお気遣いなさらずとも、勝手に寄らせて頂きますので。へへへ


五色沼湖生群とFukushimaRuin

2006年05月05日 | カメ見聞録・国内編

昨日に引き続き今日も出掛けて、隣県でありながら東北地方の福島県に行って来た。目的は会津磐梯山麓の五色沼湖生群の散策・・・あの神秘的な色をした湖を是非とも子カメ達に見せたかったので。

五色沼は、意外にも最近生まれた湖で、明治21年の磐梯山水蒸気爆発(噴火とは違う)によって飛ばされ・流された30億トンもの岩石と泥流が川を堰き止め、桧原湖、小野川湖、秋元湖を始め300を超える湖沼群を作り出したそうな。その中でも酸性度の高い沼が独特の色合いを見せる事から「五色沼」と呼ばれて親しまれて来たのだそう。

Cimg223130small 五色沼には、毘沙門沼、赤沼、みどろ沼、竜沼、弁天沼、青沼、るり沼、柳沼、弥六沼などがあるが、上写真は、それ等沼の中で最も神秘的なみどろ沼。
一つの沼が、緑・赤・青の三色に分かれている。

Cimg224530smallこれは青沼。
沼周辺に巡らされた散策路を歩いていた時、木立ちの間から、ふいにこの神秘的な沼が現れた時の感激ったら!
五色沼の中では面積小さめの沼・・・まるで手のひらの上で輝くアクアマリンの宝石の様。おとぎの世界にふと迷い込んだかの様な気分にもさせてくれる沼・・・沼の精が現れて「金の斧か銀の斧か・・・」なーんて言いそう。

沼を愛で、写真を撮ったりしながらゆっくりと歩いて、1時間強の湖沼群散策終了。 Cimg220630small_1
五色沼から車を走らせながら、 昨日の足尾散策の余韻抜け切らぬせいか、道中、廃墟を見つけては寄り込みつつ観察&撮影。
←これはスキー場に隣接して建てられたロッジの廃墟でかなりの巨大物件。
福島県にはバブルの遺物とも言うべきレジャー施設廃墟が数多く見られて、またもやカメ大興奮!

廃墟散策に満足した後は、ノーマルな観光客に戻って(笑)会津界隈観光のお約束とも言うべく喜多方方面に向かった。
で、喜多方一美味しいと言われる「坂内食堂」に行き、1時間20分も並んで待って「肉そば」(チャーシュー麺)に舌鼓を打ち「並んだ甲斐があった!」と、大満足。
行った場所は近場ながらも、地元&近郊の良さと奥深さを改めて感じた大型連休だった。<完>←なんちゃって!


AshioRuin

2006年05月04日 | カメ的世界遺産・足尾

GW後半2日目。カメと子カメ達は、かねてより計画していた「足尾銅山跡廃墟群」を見る為に足尾までドライブ。
いやぁ!噂に聞いてはいたが、何もかもが巨大な廃工場群は予想以上のインパクト!なのでカメ大興奮!

Cimg215030small↑ これは足尾一巨大で素敵な物件「足尾製錬所」跡。
製錬所とは鉱石から金属を分けて抽出して精製し金属を作る工場。渡良瀬川沿いに横長に伸びた廃工場は、そこにある施設の全てが大きく見応え充分。

Cimg210330small_1↑ねえねえ、良いでしょ~。この光の差込加減が廃墟の美しさ。
建物が古いと、流れ込む陽光までもが古めかしくも懐かしく感じられるのは何故だろう・・・。

Cimg209530small↑レンガ造りの工場が心を鷲掴みにして放さない。
工場の性格上、高圧電流の供給が不可欠だったのか、何本もの電線が屋根から内部へと引き込まれている。電線を支えるのがガイシで、陶器で作られたガイシなんて今じゃ廃墟でしかお目に掛かれないよね。

今日見たところの精銅関係工場2つは、どちらも古河電工の管理になっていた。そして、その工場に安定した電力を供給する変電所跡が幾つかあったが、どれもが東電の管理。
工場や鉱山に勤務した人達の社宅群もあって、今では随分と撤去されたらしいけど、それでもまだ5~6棟がひと固まりになっては彼方此方に点在している。その他、足尾全体が銅山採掘・製錬でフル稼働していた時の廃墟や遺構が幾つもあり、ボロボロに錆びた鉄橋、途中で途切れたまま打ち捨てられた線路なども割りと多く見られた。途中で立ち寄った物産所の人の話では、工場関係者の為の廃病院や朝鮮人の集合住宅などもあったらしい。兎に角、町全体が精銅所跡地と化してるかの様で、ただひたすら圧倒されっぱなしだった。・・・こんな事を言っては、現在お住まいの足尾の皆様に申し訳ないけれど。
今回は幾つかの廃墟内部への潜入を試みた。下半分がボロボロに朽ちた扉から内部に潜ったり、廃社宅の中に入っては台所のシンクがコンクリ製なのに感激してみたり。そして、巨大な足尾製錬所にも突入を試みたが、ガードは固く断念!残念!無念!
・・あらっ?そう言えば義母は古河電工の株主だった様な気がするけど、株主優待で工場跡地を見学させて貰えないかなぁ。

足尾を堪能した後は、日光→今市(平成の大合併にて現在は、足尾も今市も日光市)へと抜けて、巨大廃レジャーホテル「ファ○テック」に向かい、そこに暫く留まった後は宇都宮市大谷に車を走らせ、早春の頃に訪れたレジャー施設「山○園」を再度訪問。「山○園」に行ったら、あの時と同じく若い男の子達のグループが2グループも来ており、彼等が内部に突入しそうな気配だったので「渡りに舟!」とばかりに一緒に潜入。中に入ると外観から目星を付けた通りに、展望大浴場と宴会場を主としたレジャー施設であることが分かった。内部もそれ程荒らされてはおらず、異様な気配も空気も感じられぬ性格明朗(?)な廃墟で、中に居ても楽しかった。宴会場の大広間には昭和56年日付の新聞が落ちていたなるオマケ付き。
人を怖がらせないカラリとした美しさに、カメは「栃木のマヤカン」と命名したいぞ、山○園。(マヤカンと言っても廃墟マニアでないと分からぬよね)
廃墟漬けの一日!頭の中は昭和初~中期で埋まってる!


和みの音

2006年05月02日 | 人間じゃない家族

ハムスターって夜行性なのだと初めて知った。
でもさ、大抵のハムスターは子供の愛玩用に飼われるので昼間寝ていられないよね・・・だから、どの家のハムスターも直ぐに死んでしまうのかな。ウチの小梅ちゃんも日中一杯は床敷のおが屑に潜って寝ており、夜の7時近くになるとやおら起き出してガツガツとエサを食べ、グワングワンとサークルを回し、またエサを食べ・・・の繰り返しを随分遅い時間までやっている。
手のひらに余るくらいに小さな小梅ちゃんが立てる音は、人間が立てる音とは明らかに異質なので否応無しに耳に飛び込んでくる。でも、動物が立てる音に触れていると何故かしら心が和み、自然と口元がほころんで来るんだなぁ。
死んでしまったコッコちゃんもそうだった。野犬に狙われては可哀想だからとベランダで飼っていたので、自室に居るとコツコツコツとエサをついばむ音や床敷の藁を踏みしめる音が耳に入って、その音から「ああ、コッコちゃん、エサ食べまくりだぁ」などと思っては微笑ましい気持ちになれた。コッコちゃんが居なくなって、今は小梅ちゃんが可愛い音を立てている。

動物は大好きなのだけど、死なれてしまうのが辛い。本当は、もっと飼いたいのだけど(イグアナや陸ガメ)病気になった時の心配と別れる時の辛さを考えて躊躇してしまう。
亀は上手に飼えば40年生きるって話しだから、ウチの亀ちゃん達にはカメより長生きして貰わなくちゃ。