福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その21

2011-08-14 | 法話
因縁 第三節、ささえあって 三、この世の中には三つの誤った見方がある。もしこれらの見方に従っていくとこのよのすべてが否定されることになる。 一つにはあるひとは人間がこの世で経験するどのようなこともすべて運命であると主張する。 二つにはあるひとはそれらはすべて神のみ業であるという。 三つにはまたある人はすべて因も縁もないものという。 もしもすべてが運命によって定まっているならばこの世におい . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その20

2011-08-13 | 法話
因縁 その三、ささえあって 二、結局、憂いと悲しみと苦しみのある迷いの世界を生み出すものはこの心である。 迷いのこの世はただこの心から現れた心の影にほかならず、 さとりの世界もまたこの心から現れる。 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その19

2011-08-11 | 法話
因縁 第三節ささえあって 一、ひとびとの憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうしておこるのか。つまり、それは人に執着があるからである。 冨に執着し、名誉利欲執着し、自分自身に執着する。この執着から苦しみ悩みが生まれる。 はじめからこの世界にはいろいろの災いがあり、そのうえ老いと病と死とをさけることができないから、悲しみや苦しみがある。 しかし、それらもつきつめてみれば、執着があるから悲しみや苦し . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その18

2011-08-10 | 法話
因縁 第二節 二、花は咲く縁が集まって咲き、葉は散る縁が集まって散る。ひとり咲き、ひとり散るのではない。 縁によって咲き、縁によって散るのであsるからどんなものもみな移り変わる。ひとりで存在するものも常にとどまるものもない。 すべてのものが縁によって生じ、縁によって滅びるのは永遠不滅の道理である。だから移り変わり、常にとどまらないということは天地の間に動くことのないまことの道理であり、これだけ . . . 本文を読む
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佐竹さんから密教展での講演の記録をいただきました。

2011-08-10 | 講員の活動等ご紹介
平成23年7月31日(日) 於 東京国立博物館 「空海と密教美術展」記念講演 「弘法大師と仁和寺 -阿弥陀仏について-」 大西智城 師 (総本山仁和寺執行 真言宗御室派財務部長) 一、 自己紹介  私は昭和18年の未年(ひつじどし)に徳島の漁師の次男坊として生まれました。小さいときからたいへん賢かったので(会場笑)小学6年で寺に入りました。小学校を卒業後、立江寺(四国霊場19番札所)に移り、 . . . 本文を読む
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高橋さんが21日の巡拝予定を作ってくださいました。

2011-08-09 | 定例会のお知らせ
8月21日(日)の不動尊巡拝  集合場所・時間: 西武新宿線田無駅改札 9時半 巡拝先: 1・第10番「総持寺 田無不動尊」       田無駅から徒歩5分      2・第11番「三寶寺 石神井不動尊」       西武新宿線田無駅― 上井草駅―徒歩30分―「三寶寺」       巡拝後、徒歩10分―石神井公園で昼食       昼食後徒歩15分で、西武池袋線石神井公園駅へー池袋 . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その16

2011-08-08 | 法話
因縁 第一節 四聖諦 三、 道を行うものは例えば灯火をかかげて暗黒の部屋に入るようなものである。闇はたちまちに去り、明るさに満たされる。 道を学んで明らかにこの四聖諦を知れば、智恵の灯火を得て、無知の闇は滅びる。 仏は単にこの四つの真理をしめすことによって、人々を導くのである。教えを正しく身に受けるものはこの四つの聖い真理によってはかないこの世においてまことのさとりを開き、この世の人々の守りとな . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その15

2011-08-07 | 法話
因縁 第一節 四聖諦 二、みちに志す人もこの四聖諦を知らなければならない。これらを知らないために長い間迷いの道にさまよってやくときがない。この四聖諦を知る人をさとりの眼を得た人という。だから心を一つにして仏の教えを受け、この四聖諦の道理を明らかにしなければならない。いつの世のどのような聖者も正しい道であるならばみなこの四つの聖い真理を悟った人であり、四つの聖い真理を教える人である。 この四つ . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その14

2011-08-06 | 法話
因縁 第一節 四聖諦 一、この人間世界は苦しみに満ちている。生も苦しみであり、老いも病も死も苦しみである。怨みあるものと会わねばならないことも、愛する者と別れなければならないことも、また求めて得られないことも苦しみである。まことに執着を離れない人生はすべて苦しみである。これを苦諦という。 この苦しみがどうしておこるかというと、それは人間の心につきまとう煩悩から起こることは疑いない。その煩悩を . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その13

2011-08-05 | 法話
すぐれた徳 五、この世は火宅であり安らかではない。人々は愚かさの闇につつまれて怒り嫉み嫉みあらゆる煩悩に狂わされている。赤子に母が必要であるように、人々はみなこの仏の慈悲にたよらなければならない。 仏は実に聖者の中の尊い聖者であり、この世の父である。だからあらゆる人々はみな仏の子である。彼らはひたすらこの世の楽しみにのみかかわり、その災いを見通す智恵を持たない。この世は苦しみに満ちた恐るべきと . . . 本文を読む
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仏教聖典(仏教伝道協会)から・・・その12

2011-08-04 | 法話
すぐれた徳 四、仏はただ仏として現れるだけでなく、あるときは悪魔となったり、あるときは神の姿をとり、あるいは男の姿、女の姿として現れる。 病のあるときは医師となって薬を施して教えを説き、戦いが起これば正しい教えを説いて災いを離れさせ、固定的な考えにとらわれている者には無常の道理を説き、自我と誇りにこだわっているものには無我を説き、世俗悦楽の網にとらわれているものには世のいたましい有様を明らかに . . . 本文を読む
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